1.悪役令嬢は業火に焼かれる
浅はかだった。愚かとさえ言える。いくら王太子殿下が短慮であろうとも、王族であることには変わりはないと。ご自分の責務くらいはご理解なさっていると。そう思っていた。
信じたかった、そう言ったほうが正しいのかもしれない。その結果がこの有様なのだから、やはり私も等しく愚かと言えよう。
十字に組まれた木材に手足を縛りつけられ、私は自嘲気味に笑った。私の足元約数十センチ下には、油を染み込ませた布が敷き詰められている。今から私は足元に放たれる炎によって、身を焼かれ処刑されるのだ。王太子妃を害したという罪で。
今どき流行らない火刑を、しかも王都の中央広場で見世物として行う辺りに殿下の私へ対する恨みの深さが伺える。それとも、愛する女性を守る為か。
閃光のように鮮烈に、奇跡のように華々しく貴族社会に舞い降りたアリシア・マーローは元はマーロー男爵が愛人に産ませた庶子だった。それが母親の病死をきっかけに男爵家の養子となり、貴族学院に編入後はその愛らしい容姿と天真爛漫な性格で多くの貴族令息、ひいては王太子殿下の心を射止め、意地悪な婚約者という障害を経て見事王太子妃という立場を手に入れた。
出自と、貴族らしからぬ言動、花に舞う蝶のように幾多の殿方と懇意になるその姿に嫌悪感を抱いている貴族令嬢は多い。
その中で最も地位と発言力のあるのが、筆頭公爵家の長女であり王太子の婚約者。つまり私、ヴァネッサ・カルヴァートだった。尤も勘当され、ただの罪人と成り果てた今となっては全てに『元』という接頭語が付くのだが。
それでも、私を処刑することによって王太子妃を快く思わない令嬢への牽制としては十分な意味を持つことだろう。彼女に反感を持つ令嬢たちの多くは私を旗印に、あるいは隠れ蓑にしていたのだから。
王太子殿下は象徴を奪い、アリシアを害した者は身分を問わずこうなるという宣言をするおつもりなのだ。なんと浅はかで、愚かな事か。先々を考えず、目先の利益に飛びつく殿下らしい考えだった。
広場には野次馬達が集まっている。彼らは思い思いに私への罵詈雑言を喚き立てた。曰く、真実の愛を引き裂く毒婦。曰く、嫉妬に狂った醜い女。曰く、血の通わぬ冷徹な悪女。
思いつく限りの暴言を我先にと浴びせる。そうなったのも私の断罪の翌日、国中に公表された夢物語のせいだろう。
巷では妾の子から王太子妃へと上り詰めたアリシア・マーローのサクセスストーリーは美談として語られている。天と地ほども身分差のある男女が様々な障害を超えて愛を深め合う純愛物語は民衆の憧れとなり熱狂を誘った。
民意から外堀を埋めようとは。あの視野の狭い殿下の発想とは考えにくい。おそらく我が愚弟の入れ知恵なのだろう。アレはそういう小細工にはよく気が回る。姉としてはもう少し大局を見る才を養って貰いたかったのだが、もう関係の無いことだった。
「王太子殿下とその愛する妃を引き裂かんとした稀代の悪女ヴァネッサよ!只今より貴様の処刑を執り行う!」
処刑執行人の声が朗々と響く。どうやら開演するらしい。遠くを見遣れば、特別に誂えられた貴賓席に王太子殿下アルフレッドと、先日見事に王太子妃となったアリシアの姿があった。
王太子殿下はアリシアの肩を抱き、物語のヒーローにでもなったかのように自己陶酔に耽っているらしかった。死刑執行を目前にして、見つめ合い、微笑み合う彼らのなんと滑稽なことか。現実と、民衆に流した美談との区別がつかなくなっているのだろう。本当に馬鹿馬鹿しい。
「罪人・ヴァネッサはアルフレッド王太子殿下の心をも射止めたアリシア王太子妃殿下に嫉妬し、醜く虐げてきた。その行いは国母に相応しいとは到底言えまい!挙句、救済の聖女たるアリシア王太子妃殿下を愚かにも弑そうと企てたものである」
執行人は朗々と口上を述べた後、私の罪を読み上げる。とめどなく列挙される私の罪状に観衆は沸き立つ。
曰く、学園でのアリシアに対する陰湿な嫌がらせ。或いは王太子殿下への不敬。またはアリシアを害する令嬢たちを放置したこと。それからアリシアに暴漢を差し向けたこと。
どれも、多少脚色され誇張されているとはいえ、私が行ったことに相違なかった。尤も、陰湿な嫌がらせというのは彼女への苦言を差し、王太子殿下への不敬とは彼に態度を省みるよう提言した事を指す。私が彼女を害する意志を持って行ったのは殺害未遂のみである。
けれど、全て私が公爵令嬢であったことを加味すれば些事だった。嫌がらせなど問題外。殺害だとて公爵家という地位を考えれば罪にもならない。失敗してしまい、未遂に留まっているのだから尚のこと。
本来ならばそうだったのだ。汚点にすらならない。その程度で私を引き摺り下ろすことなど出来ない。
それが私の常識であったし、事実その通りでもあった。
誤算は、アリシアの殿方を誑かす才能。それから彼女に聖女の能力が発現したことか。
私の断罪のひと月前。アリシアは唐突に聖女として覚醒した。
古来より救国の女神の寵愛を受け、民を導くとされる聖女は女神の気まぐれによって齎されるとされている。聖女のいる代の治世は安寧と繁栄に満ち、そのため聖女は国によって丁重に保護されるのだ。
アリシアが、ただの男爵家の庶子であれば、私の行いはこの国の歴史において幾度となく繰り返された何ら瑕疵のない行いであった。治世を乱す不穏分子を、国の為に葬ることなど、次代の王妃となるはずであった私の務めのようなものであった。
あの女が、不自然にも都合良く覚醒などしなければ。
執行人は尚も罪状を列挙する。私の行い以外も含まれている様だった。民衆は罪状が読み上げられる度に怒声とも歓声ともつかない声を上げていた。
アリシアの不自然な覚醒は、本当に唐突の出来事であった。
悪女からの数々の嫌がらせに心を痛めつつも気丈に振舞っていたアリシアは、ある日王太子殿下との個人的な歓談の最中、その手の甲に女神の紋章を模した火傷跡のような聖痕を出現させたのだという。なんと、粗の多いシナリオか。
それでも彼女の信奉者はそんな御伽噺を事実にしてしまうほど多かったらしい。あの女は殿方や気の弱い令嬢を誑かすのが大層お得意な様だった。
あれよあれよという間に彼女は救国の聖女となり、私は悪女に、私の行いは罪となった。
「よってこの者を火刑に処する! 言い残すことはあるか?」
全ての"罪"を読み上げた執行人が言う。衆目が一斉に己に集まるのがわかった。それは以前の私が一身に浴びていたソレとは性質があまりに異なる。嘲笑、義憤、好奇。
皆、稀代の悪女がこの世に残す言葉を息遣いの一つも聞き漏らすまいと耳をそばだてている。
私は長いこと牢に入れられ、ヒリついた喉で息を吸った。
「アルフレッド殿下、アリシア様。ご成婚、おめでとうございます。お考えも、程度も実にお似合いのお二人ですわ。お二人の未来に、多くの困難があらんことを」
皮肉に、王妃教育で培った笑みを乗せてやれば、王太子は瞬く間にその顏を怒りに染め上げた。その激情的な振る舞いを何度も窘めたのに、ついぞ聞き入れられることはなかった。
「……火を!」
激昂した殿下が手を振りかざす。それを合図に執行人が私の足元へと火を放った。
「醜い魔女め。その穢れきった魂を、二度と現世に宿さぬことだ。貴様の魂が何度甦ろうとも、私の全身全霊をもって貴様を討ち取ること、覚悟しておくのだな」
かつてこの国の未来を語ったその口で、殿下は私への憎悪を吐き捨てる。その口ぶりに幼き日の国を思う姿は微塵も感じられなかった。
火は瞬く間に燃え上がり、私は黒煙に包まれる。焼かれる肺では呼吸もままならず、霞む視界の先には人が燃える姿を見て熱狂する民衆と愉悦に歪む王太子夫妻の顔があった。
ああ、なんと。なんと愚かなことか。短慮な王太子殿下も、奔放に男性を籠絡するアリシアも、全ての努力が水泡と帰した私の人生も。
全てが馬鹿馬鹿しい。
結局のところ、全て無駄だったのだ。国を思い、民を思い、王家の行く末を憂いた私の行いは、権威と贅沢にしか興味のない王太子殿下にとってさぞ目障りだったろう。
後悔はない。悲しくもなかった。ただあるのは、心の内を抉られたような虚無感だけだった。
私は、私の人生は何だったのだろう。
もう私の目は何も映さない。民衆の熱狂が遠ざかるような感覚さえする。
最期まで、私の人生は無意味だった。
油の匂いが喉を焼く。恐怖などではない、そう言い聞かせるように唇の端を上げた。
後世、私の名は悪役として語られることだろう。救国の聖女を虐げた醜い魔女は、王太子と聖女の愛に敗れ炎に包まれた。何と美しい勧善懲悪か!
これは、この物語は、正しく喜劇だ。




