遅刻
よくわからないまま公園のベンチに座っている。平日の二時のため、人はあまりいない。ベビーカーを押した母親がふしぎそうな顔をして入って出ただけだ。雲がイワシの形をしている。しかしイワシの形すら定かではない。
ベンチに座る前、公園に足を踏みいれる前、コンビニを出る前、なぜか私の財布から電子マネーが消失し、クレジットカードで支払いをすることになった。消えた電子マネーはコンビニを出てからズボンの右ポケットに現れた。ところで店員が目も合わさずに言った。「レシートはいりますか」いつも考えてしまう。一ヶ月後になってカード会社から請求書が届いたところで細かな支払額は覚えていない。受け取らなかったレシートに少し多い請求額が印字されていたとしたら? ギャンブル依存症のそれだ。ここで帰ったら、あと少し待っていれば、目の前にあることと何か違うことに気をとられる。
少し指先が冷たくなっている。太ももとベンチのあいだに手を入れる。私はおそらくここで人を待っている。携帯電話、今もそう言ってよいのかも知らない。スマートフォンと携帯電話だと、後者のほうが割れにくい響きを持っている。割れやすいほうの携帯電話を操作してメッセージを開く。なんてことのないやりとり。春の話をしている。
その冬、私はとてつもなく生きることに忙しかった。常人がたやすくこなせることができず、だれもが引っかからないところでつまづいて転ぶ。バラエティ番組を見ると笑い声がエコーになる。それでもメッセージは続いていた。
『春になったら一緒にお花見に行きましょう』
『大切なお話があります。公園に来てください』
『なにかありましたか?』
『返事をください』
『充電が切れたんですか?』
『まだ待っています』
最後のメッセージからもう何年が経ったのかもわからない。したがって、その冬、彼女がどれだけ私を待ってくれたのかも知らない。なのに今、私だけがここで待っている。何もかもが周回遅れになっている。だからこの鈍い償いはなんの埋め合わせにもならない。ただ、私が遅れて、遅れて、遅れて、そのうちに彼女が去っただけなのだ。
お題:鈍い償い 制限時間:30分