第99話 これまで、落ち着き、解禁
ゲオルグ兄さんの来訪からしばらく、走る子馬亭の日常はさして変わらずにいた。
先日のやり取りからサバのトマ煮のレシピはマッケンリーに共有することになったのだが、カーネリア全体への普及に関しては完全に丸投げすることにした。
というか、街全体の話になればただの酒場である俺等でどうにかできる話でもないと思うし、積極的に動いていると統治府にバレた時にめんどくさそうだった、というのもある。
そんなわけで、レシピの共有のため、近いうちに眠る穴熊亭で勉強会を開く予定だ。
ちなみに先日、その眠る穴熊亭の店長でもあるエリーがマッケンリーから話を聞いたらしく、眠る穴熊亭の看板メニューでもある煮込み料理のレシピが書かれた紙をにぎりしめ、営業が終わった後のウチに殴り込んできた。
曰く、
『酒場の命でもあるレシピを一方的に受け取るなどあり得ませんわ。うちの牛肉の煮込みスープのレシピを差し上げます。嫌とは言わせませんわよ』
だそうだ。
ちゃんと営業が終わった後に来るあたりがエリーらしい。
流石に看板メニューのレシピを受け取るわけには行かないとは思ったのだが、受け取らないと帰りそうにも無いのもまたエリーらしく、仕方なく受け取る事にした。
勿論、中身は見て無い。
……実はチラッと見ようとしたんだが、マリーに怒られたので厳重にしまってある。
レシピの対価に関してはマッケンリーからちゃんと受け取っているのでエリーが気にする事ではないんだが、そういうところが律儀な奴だ。
まぁだからこそ信頼できる相手なんだけどな。
マッケンリーからの対価は純粋に金貨でも貰ったのだが、その他に一つ変わったものを受け取った。
大きさでいえばクロンの身長より少し小さいそれは、一見するとただの縦長の大きな木の箱。
だが中身はかなり変わっており、木なのは外側だけで、内側は大きな石から削り出したであろう石の板が貼り付けてあった。
しかも、その縦長の木の箱の一面は扉の様に開閉する事ができ、中は上下に二段の棚の様に分かれていた。
上段はやけに小さく、物を入れるにしても少々不便に感じるであろう大きさで、逆に下段はかなりの量を入れておく事ができそうだった。
この謎の箱を前に俺とマリー、クロンは首を傾げていたのだが、アリアはパンと手を叩き、
『これ、こういう事じゃない?』
と、徐ろにグラシエラス氷を採取してくると、その箱の上段にスポッとはめ込んだ。
それを見た俺とマリーは、あぁ!と声を上げたのだが、クロンだけは相変わらず頭に疑問符を浮かべていたのは少し面白かったな。
マッケンリーが持ってきたのは、つまり小さな氷室だ。
本来氷室は山中にある洞窟などを利用して作られるのだが、内側を石張りにしてこうして氷を入れる事で、この小さな箱の中に氷室を再現できるというわけだ。
何故マッケンリーがこんな物を持っていたのかはわからないが、グラシエラス氷がある今、この箱はかなりありがたいものだったのは間違いない。
もしかしたら輸送に使うため、ブランチウッド商会で作っていたのかもしれないな。
そのブランチウッド商会については、カーネリア支部が正式に立ち上がったようで、道具の納品ついでに昼食を食べに来たアランさんがそんな話をしていた。
詳しくは知らなかったのだが、どうもフォートサイト周辺では下級ポーションの材料であるモクロがあまり取れないらしく、カーネリアの森での採取に頼っていたところがあるらしい。
その運搬でブランチウッド商会が一枚噛む事になったようだ。
俺たちが聞いていたのは食料輸送の話ではあったが、食料の輸送だけにとどまるはずもない。
元々そういった様々な物を輸送するつもりだったんだろうな。
そうそう、カーネリアの森といえば、中級冒険者と共に調査に向かっていたクロンだ。
本来の役目は薬草の群生地への案内役という事だったようなのだが、モンスター相手にも問題なく戦えた事で高い評価を得たらしい。
有る意味、予想通り。
流石に昇級試験なしでの昇級とまでは行かないようだが、飛び級くらいはあり得るだろうな。
そして調査の結果、ドラゴンの影響で乱れていた森の勢力図は徐々に落ち着きを取り戻している事が判明し、グワース山から降りてきていたモンスター達も山へと戻りつつあるのではないか、という推測がなされているようだ。
となると、深部から浅部へと流れていたモンスターも徐々に深部へと戻っていくだろうし、浅部から森の外に押し出されていたモンスターの多くは討伐されているしで、浅部に限って言えば、下手をしたらグラシエラスが来る前よりも安全になるかもしれない、とは冒険者ギルドに入り浸っていたアリア談。
さらに、麦の収穫も終わりが見えてきたようで、酒場に届く警備依頼も徐々に減りつつある。
秋に取れる作物は麦に限らず色々とあるのだが、最も規模が大きく影響が大きい麦の収穫が終わる事で、ある程度の落ち着きを見せてくる事だろう。
夏真っ盛りの時期に始まったグラシエラス騒動は、漸く収束の兆しを見せ始めた。
そんな初秋のある日、昼の営業中の走る子馬亭に、彼女は飛び込んできた。
「クラウスさーん、大変ですー」
カランと鳴るドアベルよりも小さいんじゃないかと思われる程度の小さな声でそう告げるのは、冒険者ギルドのミルティア。
あまり大変そうには聞こえない声でそんな事を言われてもな……と思っているのは俺だけではないようで、両手に料理を抱えているクロンも首を傾げていた。
というか、等の本人がなんだか居づらそうにしているのが謎だ。
「えーっと……何かあったのか?」
とりあえずそう質問してみると、俺の言葉を待っていたのか、安心したようにホッと一息入れ、間髪入れずに嫌そうな顔をした。
……なんだ?
ミルティアの表情の変化の意味がわからなく、どう反応すべきか迷っていたところ、意を決したらしいミルティアがやけに大げさな身振りで、それを語りだした。
「大変なんですクラウスさん。なんと、グワース山にドラゴンが巣を作ってしまったのですー。更にはその巣をダンジョンにして、冒険者の挑戦を待っているそうなんですー。今なら特別価格で入場料半額だそうですよー、お得ですねー」
やりきった、と、真っ赤な顔をした彼女の表情がそう告げていた。
あぁ、なるほど、そういうことか。
そうだな、彼女はよく頑張った。
少々棒読みな部分はあったが、必要な情報は伝えられたような気もするしな。
が、俺だったら絶対引き受けない……。
何故なら――
「漸くギルドの許しが出たぞ!」
「いつまで黙ってなきゃならないのかとイライラしてたんだ」
「よっしゃ!準備はもうできてんだ、一番乗りは俺たちだぜ!」
ミルティアからドラゴンという単語が聞こえてくるやいなや、店の中はドラゴンの話一色になった。
そう、冒険者に限らず、街の住民の多くはドラゴンの事をすでに知っているのであって、あの棒読みなミルティアの報告は、完全に茶番だからだ。
先日のゲオルグ兄さんの時にはまだごく一部が知っている程度だと思っていたんだが、ここ数日で一気に情報が拡散していた。
どこから出た情報なのかはわからないが、一度出回り始めた情報は止めることなどできるはずもなく、あっという間にカーネリア全域に広がったんだよなぁ。
ただ、ドラゴンなんて情報が出回れば、街が混乱することを予想するのは容易な話だったんだが、驚いたことに予想していたような混乱は、俺の知る限りでは無かった。
こぼれ聴く話では、グラシエラスは良いドラコンなんだとか、そんな話すらあった。
グラシエラス本人にあった事がある人間ならば、甘いものでも食べさせておけばいい事は分かっているのだが、果たして噂レベルでそんな話が出回るものか?
ミルティアのこの茶番劇を見るに、もしかしたら冒険者ギルドが意図的に情報を流していた可能性も……?
まぁ、あったとしても、俺には関係ないか。
「はぁ……なんでアタシがこんな事……」
うん、顔を真っ赤にしている可哀想なミルティアを見るに、そんなことはなさそうに思えてきた。
「おつかれさん。良ければ茶でも出すぞ」
「うぅ……ありがとうございますクラウスさん……」
店の中でヤンヤヤンヤと騒ぎ出した冒険者連中を尻目に、ミルティアをカウンター席を勧めると肩を落としながら席についた。
「それよりも、ついに稼働か。ギルドも大変だったんじゃないか?」
「まぁ大変と言えば大変でしたね。でもどちらかと言えば、本当に大変だったのはギルドよりも冒険者の方かなぁ」
「へぇ?」
ウチにも冒険者ギルドに入り浸っていた従業員がいたはずなんだが、そういった具体的な話はほとんど聞いていなかったなぁ……と、騒いでいる冒険者に混じって騒いでいるエルフへと視線を向ければ、スイッと視線を逸らされた。
あいつ、こっちの話にも耳をそばだててるな?
まぁ、あいつが冒険者ギルドに行っていたのは別に業務でというわけでもないしいいんだけどさ。
と、こちらの話を聞いていたらしいマリーがお茶を持ってきてくれた。
「あ、お茶どうも。あのアイスドラゴン、大分無茶なダンジョン作ってたみたいなんで……。テストに参加してたラウンズとか、帰ってきた時死にそうな顔してましたから」
ラウンズは確か最初にグワース山でグラシエラスの巣を発見した冒険者パーティーだったか。
確かゴールド級……実力としては十分。
そのゴールド級が疲弊する程なのだから、ちょっと難易度高すぎる気もするな。
その辺の調整もベベルの役目なんだろうなぁ。
ベベル、大変だな、ホント。




