第17話 開店
朝日の眩しさに目を開ける。
辺りを見回し、一瞬ここが何処なのかがわからなくなるが、徐々に覚醒していく頭がこの場所をしっかりと認識する。
ここは走る子馬亭の一画、来客用の小さな個室。
ここに来たのは1週間前。漸くこの日がやってきた。
昨夜は緊張と興奮で眠りが浅かった。お陰で非常に眠い。
が、そんな事を言っている暇はない。パン、と頬を叩いて気合を入れると扉を開けた。
部屋を出て厨房に顔を出すと、既にマリーが朝食の準備をしていた。
「おはようマリー」
「あ、おはようございます、クラウスさん」
走る子馬亭の店主でもあるマリーが少し眠たげな顔で笑いかける。
おそらくマリーも昨夜は寝付けなかったんだろうな。
「漸く、ですね」
「あぁ、漸くだな」
日数で言えばまだ1週間。さほど時間が経っているわけではないが、まるで1ヶ月でも経っているかのような感覚を覚える。
それだけ濃密な1週間だったということだろう。
マリーの準備していた朝食をテーブルに運ぶ。
目玉焼きとキャベツの漬物とパンに、昨夜最終調整した豆のスープの残りだ。
共にテーブルにつき食べ始めると、不意にマリーが小さく笑う。
「どうした?」
「いえ、クラウスさんと出会ってからまだ1週間なのに、この光景もすっかり慣れたなぁと思って」
「色々あったからなぁ」
マリーとの出会いから様々な開店に向けた準備と色々とあった。
正直に言えばもっと難航するだろうと思っていたのだが、思った以上に順調な滑り出しだと言ってもいいだろう。
これもマリーと両親のお陰といえる。
何気なく店内を見回す。
ホコリまみれだった店内もすっかりと綺麗になった。
今座っているテーブルも新品同然……とは言わないが、随分と見違えた。
カウンターの奥には葡萄酒とエールの樽。
特にウィルソンの葡萄酒は目玉商品になる予定だ。
メニューもそれなりに増えた。
今食べている豆のスープも悪くない仕上がりになったと思っている。
食事にはシチュー、サラダ、パスタに鶏の香草焼きと豆のスープ。
酒の肴にはベーコンと腸詰め、ナッツとチーズの盛り合わせにキャベツの漬物とそれなりに揃えたつもりだ。
そして最も重要なもの。
「朝食を食べたら俺はパンを焼き始めるから、マリーはパン屋からパンを買ってきてくれ」
「わかりました。クラウスさんのパンが焼き上がったら、いよいよですね」
「あぁ、そうだな」
そう、ついに、この日がやってきた。
今日、走る子馬亭の営業を再開する。
※
まだ焼き上げたパンの香ばしい匂いが漂う店内から1歩外に出る。
入り口を出て振り返り、年季の入った木製の扉にぶら下げてある、準備中、の文字が刻まれた木製のプレートを見やる。
準備は万全だ、大丈夫。
料理の下ごしらえも済んだ。
食器の準備も出来ている。
店内の清掃もバッチリだ。
あとは、このプレートを裏返すだけ。
ふぅ、と一息ついて、隣に立つマリーを見る。
感慨深いものがあるのか、その木製のプレートをじっと見つめる彼女。
短くも長い期間、この準備中になったままのプレートを見て、彼女は何を思うのか。
彼女の内心を見通す事は出来ない。
だが、俺には言うべきことがある。それはマリーに教えられたことだから。
「マリー」
「はい」
「本来ならばこのプレートを裏返すのは君の役割なのかもしれないが、二人で、やろう」
「勿論ですよ、クラウスさん」
そっと手を伸ばし、二人でプレートの両端を持つ。
ゆっくりとそれを持ち上げ、裏返……そうとして、ワタワタした。
どっち回しで裏返すか決めてなかった。
プッ、とどちらともなく笑いが溢れる。
一旦マリーにプレートを渡し、裏返したものの両端を再び二人で持つ。
プレートにかけられた紐をドアノブに引っ掛けると、二人共1歩下がる。
開店中
大きく書かれたその文字に、二人して頷きあうと思わず声を上げていた。
「やるぞ!!」
「はい!!」