第15話 妹、眠る穴熊亭、確執
「ふふーん」
多くの古着を詰め込んだ布袋を抱えたマリーが上機嫌で俺の前を歩いている。
カーネリアの古着屋は思った以上に充実していた。
マリーの着ていた給仕服がそれなりにしっかりしていたのも納得だ。
それにしても、貴族や金持ちの多い大きな街ならいざしらず、辺境に近いカーネリアで何故古着が充実しているのかはよくわからん。
そういえばクラウゼン工房といったか、あの仕立て屋も立派なものだった。
ここの領主が着飾るのが好きなのかもしれないな。
マリーが上機嫌なのも良いものが見つかったからだろう。おまけに俺の分も含めた6着近くを買って小銀貨3枚で済んだのも上機嫌に上乗せされている気がする。
お金は大事。それはそう。
夕暮れに赤く染まる町並みを歩いているとふわりといい匂いが漂ってくる。
夕飯時に向けて露天が動き出したようだ。
冒険者時代にカーネリアに来た際に露天で食べた串焼きは旨かった記憶がある。
こういい匂いを嗅いでいると非常に腹が減ってくる。
今日のところはもう掃除をしている時間も無いので、早めに夕飯にするのも悪くない。
まぁ今日の夕飯も改良中の鶏肉の香草焼きを食わねばならんのだけが気がかりだが。
軽い足取りのマリーの後を歩きながらそろそろ店が見えてくるといった頃に、唐突にマリーが足を止めた。
「どうした?」
「えっと……」
ゆっくりと振り向いたマリーの顔が少し強張っている。
なにか変なものでも見たのか、とマリーの肩越しに覗き込むと、走る子馬亭の前で一人の女性が腕を組んで仁王立ちしていた。
時折視線を左右に動かしているのを見ると、誰かを探しているかのようだ。
誰だと言われるれば答えは一つ、マリーだろう。
彼女からはかなりの圧力を感じる。
殺気……ではないが、言葉にするなら怒気が近いだろうか。
ともかく、尋常ではない様子なのは一目瞭然だ。
「誰だ?」
マリーの返答次第では対応を考えなければならない。
刃傷沙汰は勘弁したいところだが、場合によってはマリーは後から来てもらう方が安全だろう。
「えっと……ですね」
どうも歯切れが悪いマリー。
知らない人、と即答しないところを見ると知人ということなのだろうが、その割には反応が不可解だ。
苦手な人、ということなのだろうか。
そうこうしている間に、その女性と目があった。
やばい、と思った時にはもう遅い。
女性がクワッと目を見開くと、まるで獲物を見つけた狼の如く、怒涛の勢いでこちらへと走り出した。
「マァァァァァァリィィィィィ!!!」
ビクリとマリーの体が反応する。
いや、俺でも怖いぞあれ。
マリーを俺の後ろへと庇い、荷物を右手に抱え直す。
万が一の場合は腰のそれに手をのばすことになるだろうから。
猪突猛進とは正にこの事だろう。
猛烈な勢いで突っ込んできた彼女が、俺たちの前で急制動を掛けると勢いで高く土煙が舞う。
その土煙を背景に、ギラリと鋭く光る瞳がこちらを射抜く。
こっわ。なにこの女。
これは穏便に済ませるのは難しいかもしれないな、と覚悟を決めたところで、彼女は俺の予想外の言葉を吐いた。
「どおおおおおおしてわたくしに相談して下さらなかったのですか!!!」
……あれ?なんか想像と違うぞ。
戸惑いを隠せずに思わずマリーへと視線を向けると、当のマリーも困ったように苦笑を浮かべていた。
「えと、マリーの知り合い、でいいのかな」
「勿論ですわ!マリーはわたくしの妹のようなものです!」
腰に手を当て、随分とご立派な胸を張る彼女。
ん、よく見れば随分と質の良い服を着ている。
燃えるような真っ赤な長い髪も艷やかで、急制動を掛けた時にもふわりと軽やかに舞っていた事を見てもよく手入れされている。
なかなかのいいとこのお嬢さん、といったところだろうか。
その割に言動が粗雑な気もするが。
「えと……眠る穴熊亭の店主で、マッケンリーさんの妹のエリザベートさんです」
「もう、わたくしの事はエリザかエリーと呼んでくださいといつも言っているでしょう」
……そうか、あいつの妹か。
うん、なんか納得できる。
兄妹そろってコレとは、マリーは愛されているんだなぁ。
なんか頭痛くなってきた。
「眠る穴熊亭か」
なるほど、初日に俺が商業ギルドで眠る穴熊亭を紹介されたのもマッケンリーの影響が多少なりともありそうだ。
眠る穴熊亭も酒場。冒険者の酒場なのかはわからないが、確か外から来ている人は概ねそちらに行くと言っていたか。
外からの客がそちらに入っているということは、走る子馬亭を立て直す為には眠る穴熊亭から客を引っ張ってくる必要があるということ。
所謂、商売敵という奴になるわけだが……その割にはお互いの関係は悪くなさそうだ。
ふいに彼女と目が合う。
胸の前で腕を組みながら俺の前まで歩み寄ると、無遠慮にジロジロとこちらを見る。
「貴方がお兄様の言っていた方ですね。ふぅん?」
まぁ、いつものパターンか。
妹のようなものだと豪語する彼女なのだから、俺のような見ず知らずの男に対して警戒心を持つのは当然のことだろう。
とりわけ女性だ。
知らぬ男性に対しては尚の事警戒して然るべきだろう。
が、彼女の言葉は俺の予想の斜め上だった。
「思ったよりも普通ですわね。まぁ良いですわ。マリーの事、頼みましたからね」
「あ、あぁ。それは勿論だが……」
「だが、なんですの?」
じろりを睨まれる。
うん、怖い。マッケンリーとは別の方向で威圧感がある。
すげぇ家族だな。
「いや、思ったよりもあっさりと俺の事を認めてくれたなと思ってな」
「ふふん、わたくしを見くびらないでいただきたいですわ。これでも人を見る目には自信がありますの」
「そうか。期待を裏切らないようにしないとだな」
酒場は多くの人と接する機会がある。
その分人を見る目が肥えているというのは納得の話だ。
「改めて、クラウス・ハーマンだ」
「エリザベート・ローガンですわ」
俺の差し出した右手を彼女が握り返すと、視界の隅にいたマリーがほっとしたように胸を撫で下ろしていた。
色々と心配を掛けているのは純粋に申し訳ない気持ちがある。
まぁ、それもこれから信頼を得ていけばいい話だ。
「ところでエリザ…エリーさん。ウチになにか用事があったんじゃないんですか?」
「そうですわ!マリー、貴方ダニエルさんに無理を言ってエールの在庫を融通してもらいましたわね」
ダニエルという名に覚えは無かったが、エールの事だと言われればピンと来る。
あのエール酒蔵の爺さんか。
確かにダニエル爺さんのところからエールを仕入れたのだが、なぜエリーがその事を知っているのか。
「確かにそうですけど……なんでそれを?」
マリーも同じ事を疑問に感じていたのか、小首をかしげながらそう答えた。
「ダニエルさんの所の丁稚が相談に来ましたの。他に卸すところが出来たので2樽分の返金をしたいと」
なるほど。俺たちが融通してもらった分は眠る穴熊亭の分だったということか。
それならばエリーが知っている事も納得だ。
「あっ、それはすみません。でもそのエールは必要なものなんです。お渡しするわけには行きません」
そういって頭を下げるマリー。
正直な事を言えば、マリーの対応には少し驚いた。
エリーのようなかなり圧力の強い相手には怖気づいてしまうのではないかと思っていたからだ。
だが、俺の予想に反してマリーは毅然とした態度でキッパリと断った。
マッケンリーの時にも思ったのだが、マリーは俺の思っている以上に強い女性なんだろう。
酒場の先行きが見通せたことで、不安という蓋で隠されてしまっていた本来の部分が表に出てきているのかもしれない。
そんなマリーに頼もしさを感じていると、エリーはその言葉に首を横にふる。
「別に2樽分程度であればどうにでもなりますわ。違うんですマリー。エールが足りていないということであれば、何故わたくしに相談して下さらなかったのですか?」
「それは……」
エリーに問い詰められたマリーは言葉を無くしている。
マリーとエリー、この二人の関係を俺は知らないが故に下手に口を出すことは難しい。
が、一先ず言えることはある。
「待った。詳しい話は中に入ってからにしよう」
あまり込み入った話をこうして表でしているのはあまり良くないということだ。
「それもそうですわね」
俺の言葉にエリーも自分がいる場所について再認識したのか、間髪入れずに同意してくれる。
彼女がそう頷くとほぼ同時、パン、と手を叩く乾いた音が響き、そちらへと目を向けるとマリーがぎこちない笑顔で手を合わせていた。
「折角ですし、エリーさんに店で出す料理の味見をしてもらいましょう!」
おそらくはこの場の雰囲気を払拭する為に言い出した事なんだろうが、中々の良い案だ。
一応味見はしっかりとしているつもりだが、二人の舌だけでは不安な面があったのは間違いない。
彼女も酒場を経営しているということだし、ちゃんとした感想が貰えるやもしれん。
「あら、いいですわね。その代わり、遠慮はしませんわよ」
自信満々にそう応えると、我先にと言わんばかりにズンズンと酒場へと歩き始めた彼女の後ろ姿に多少の不安が無いわけでもないが、隣のマリーが胸をなでおろしているので良しとしようか。