第12話 平原、スライム、右手
ということで、走る子馬亭をピカピカにするべく、俺たちが訪れたのはここ。
カーネリア平原。
カーネリアの北側に広がる大平原だ。
見渡す限りの平原を歩いていると冒険者時代を思い出す。
最も、あの頃と違い隣を歩くのは同じパーティーメンバーではなく、ごく普通の町娘なのだが。
「……あの、クラウスさん」
「なにかねマリーくん」
「店を掃除するのに、なんで外に出るんですか?」
「良い質問だ!」
カーネリアの外はモンスターのはびこる危険地帯……というわけではなく、街道を外れなければよほどの運が悪くなければ危ない目に合うこともないだろう。
近くに生息しているモンスターも、カッパー級の冒険者であっても問題なく討伐できる程度の危険度しかない。
今回の目的はその低級モンスターにある。
「店の中は大分汚れていたからな。普通に掃除したのでは苦労するだろうから……洗剤の素材を取りに来た!」
「街中で買えるものではダメなのですか?」
「まぁそれでもいいんだが、どうせ時間はあるんだ。自前で用意してしまえばタダだからな。それに、売っているものよりもよく汚れが落ちるぞ」
「それは……正直気になりますね」
マリーの反応が思ったよりも前向きだった事に安心しつつ、何気なく右腰に佩いたロングソードの柄に手を伸ばす。
冒険者時代に愛用していたものだったが、再び引っ張り出す事になるとは思っていなかった。
街に着いたら売ってしまう予定だったが、売らずに取っておいて正解だった。
ふと、その手に気づいたのか、マリーが不思議そうに覗き込んできた。
「クラウスさんは左利きなんですね。あれ、でも包丁は右で使っていたような……」
「あぁ、それか」
別段隠しているつもりはなかったが、ゴタゴタしていたこともありゆっくりと話す機会も無かったな。
「冒険者だったのは話したと思うが、その時ちょっと怪我をしてな」
そう言いつつ、右手を差し出す。
不思議そうに首を傾げるマリーだったが、俺の意図する事を理解したのか、右手を握り返してくれる。
「もしかしたら少し痛いかもしれんが……フン!」
そう断りを入れつつ、右手を全力で握りしめる。
「いたっ…」
「っと、すまん、多少は戻ってきたのかな」
小さく声を上げたマリーにあわてて手を離す。うん、赤くなってたりはしないようだ。
以前は全力で握っても痛がられる事すらなかったのだから、少しは回復していると診ていいかもしれない。まぁそれでも子供程度の力か。
「えっと…どういうことですか?」
「これが俺の右手の全力」
「あっ…」
俺の言葉の意味を理解したのか、申し訳なさそうに俯く。
これだけで全てを察せるのだから、この子は本当によく気づく子だ。
「なに、このお陰でマリーと出会うことも出来たわけだし、悪いことばかりじゃないさ」
そういいつつ、ひらひらと右手を振ってみせる。
全く気にしていないといえばまぁ嘘だが、日常の生活には支障がないレベルなわけで、先の言葉は本当だ。
おそらくこの話を聞いたマリーとしてはなんと反応したらいいのか分からないんじゃないかな、と思う。
俺だってこんな話を聞いたら返答に困る。
なので、ことさら明るく話してみせる。
もしかしたらそれすらマリーは察してしまうのかもしれないが、それでも、俺は大丈夫だとアピールしなければならない。
これからパートナーとして共にやっていくのだから、変な気遣いはなくしていきたい。
うん、もう少し早く話しておくべきだったかもな。
そんなことを考えつつ俯いているマリーを見ていると、唐突にガバッと顔を上げる。
「あの!私は、クラウスさんと出会わなければもう、どうしようも無くなっていたと、思うので……えっと……」
勢い良く言い出したのはいいが、続ける言葉が出てこないのかどもってしまうマリー。
全く、そうならないようにと思っていたのだが、かえって気を使わせてしまったのかもしれないな。
嬉しさをごまかすように右手でガシガシとその頭を混ぜてやると少し嫌そうな顔。
子供じゃないんですよ!とでもいいたそうだ。
俺の手を控えめに払おうとするマリーにニヤニヤと笑みを浮かべていると、不意に緑色の物体が視界に入る。
「っと、マリー、目的のものが出てきたようだぞ」
マリーの頭の上から右手を離すと、左手で腰のロングソードを引き抜く。
ぐしゃぐしゃになった髪を手櫛で直しながら、マリーが俺の視線を追いかけて小さく息を呑む。
二人の視界の先、そこには緑色の不定形な球体が存在していた。
「アシッドスライム、ですよね」
「そうだな」
緑色のあれはアシッドスライム。危険度は2。
駆け出しの冒険者でも安全に倒せる程度のモンスターだ。
丈の低い草などを液状の体に取り込んで消化する草食で、こちらから手を出さない限り攻撃的になることは非常に稀だ。
「アシッドスライムをどうするんですか?」
「あれの体液が必要なんだ。マリーはあまり近づくなよ」
「は、はい」
よほどのことが無い限り危険はないモンスターではあるが、万が一ということもある。
ただの町娘のマリーには少し離れていてもらう方がいいだろう。
マリーが1歩離れたことを確認すると、ぷよんぷよんと跳ねるだけのそれに向けてあるき出す。
何もしなければ人畜無害な存在なだけに手を出すのは少々気が引けるところだが、弱肉強食ということで諦めてもらおう。
トッ、と軽い跳躍の後、すれ違うように剣を横薙ぎに振り抜く。
スライムの核を切り裂いた感触。
振り向いて緑色の球体が中央から波打つ様に震えるのを確認し、手早くガラス瓶を取り出す。
強くなった震えが一瞬止まると、アシッドスライムの体液が急速に形を失い、パシャッと音を立てて崩れ落ちる。
崩れるそれに瓶を突っ込んで、地に落ちる前に回収し、しっかりと蓋をして完了だ。
「……えっ?」
回収が終わったので戻ろうとしたらマリーがポカンと口を開けていた。
「ん?どうした?」
「え、あの、よく見えなかったので……」
「まぁ見慣れてないとな」
ロングソードを振ってスライムの体液を飛ばし鞘に収める。
「さて、帰るか」
「えっ、もう終わりですか?」
「あぁ、瓶1本分もあれば十分だからな」
そういうと、どうにも腑に落ちない、といった様子のマリー。
モンスターの素材は色々なところに使われるが、アシッドスライムの体液を使うというのはあまり聞かないのだろう。
「あの、クラウスさん……」
「ふふふ、これをどう使うかはお楽しみって事で」
折角のとっておきなので結果は後ほど、ということにしておきたい。
マリーの驚く顔が楽しみだ。
「いえ…そうではなくてですね」
「ん?」
どうやら俺の予想は外れていたようだ。
ん、なら何が腑に落ちないのだろうか。わからん。
「あの……私、来る必要ありました?」
「………………あ」