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第106話 葡萄踏み

「はぁ……はぁ……」


 参った。

 ちょっと芋掘りをして芋畑から城壁に向けて全力疾走しただけだというのに、大分息が切れてしまった。

 クロンの相手をしたりである程度動いているつもりだったのだが、体力の低下は認めないとならないなこれは……。


「あれ、走る子馬亭の旦那じゃないか。芋掘りはもう終わったのかい?」


 城門へとたどり着くと、ちょくちょく店に来ている門番が気軽に声をかけてくる。

 正直、答えている暇は無いのだが、息を整える間くらいは、いいか。


「あぁ、今、終わったところだ。それより、葡萄踏みの方はまだやっているのか?」

「芋掘りが終わったならそっちもそろそろ終る事じゃないかねぇ。大体芋掘りの連中が帰ってくる頃にそっちも終るみたいだから」

「そうか。ありがとう。急ぐんでこれで」

「ん?おう、まぁ気をつけてな」


 やや怪訝そうな顔の彼を尻目に城門をくぐる。

 そうか、まだやっている事はやっているようだが、あまり時間はなさそうだ。

 門番との会話で多少は休憩できたのか、ひきりなしに空気を求めて動いていた胸が少し落ち着きを取り戻しつつある。

 が、また暫く働いて貰う事にしよう。

 嫌がる足をパン、と軽く叩いて駆け出した。


 カーネリアは意外と大きい。

 雪解けの祭りでクロンやカズハちゃんら祈り子が、街を横断するのにそれなりの時間を掛ける程度には大きいのだが、その大きさが今は憎たらしい。

 葡萄踏みは街の中央広場で行われているはずだが、中央広場というだけあって街の中央にあるため、どの城門から入っても距離があるのが更に憎たらしい。


「はぁ、はぁ、くそ、俺も、鈍ったな」


 現役時代はもう少し体力があったと思うんだが、ここ1年でこれだけ体力が落ちているとは思わなかった。

 歳……いやいや、俺はまだ若い、はず。


 街の中は祭りの賑わいで華やかだ。

 駆け抜けている大通りにはいくつもの露店が並び、取れたばかりであろう新鮮な果物や北、南から運んできたであろう変わった工芸品のようなものまで様々に並んでいる。

 それらを横目に中央広場へと向けかけていると、見知った後ろ姿が見えた。


「アリア」

「あれ、クラウス?」


 各種果物等が満載になっている籠を両手に抱えたアリアが、意外そうな顔でこちらへと振り返った。


「芋の方はもう終わったわけ?」

「一応は最後まで、やってきた。それより、葡萄踏みはまだ、やってるか?」


 アリアは俺の問いに対して数度パチパチと瞬きをした後、意味ありげにニヤァと笑みを浮かべて軽く視線を上に上げた。


「ふぅん、あの馬鹿もたまにはちゃんと役に立つじゃない」

「なんだ?」

「あぁ、こっちの話。まだやってるけど、そろそろ佳境ってところじゃない?急いだほうがいいよ」

「そうか。すまんが屋台の方はもう少し任せてもいいか」

「任されたっ」


 抱えていた籠をわざわざ肩に担ぎ上げてまでして、自由になった片腕で薄い胸元をトンと叩くアリア。

 店の事に関しては別段やる気が無いというわけではないがそこまで積極的では無いように思っていたアリアの、予想外のやる気に満ちた返事に少々気圧されたが、やる気になってくれているのならばありがたい。

 今はその言葉に甘える事にしよう。


「――れよー」


 アリアの脇をすり抜けるようにして駆け出すと、後ろから何やらアリアの声が聞こえた気がしたが、賑やかな祭りの雑踏に飲み込まれ、詳細までは俺の耳に届かなかった。

 何を言っていたのか気になるところではあるが、今はそんな時間はないな。


 徐々に、人の流れが俺の進む方向と逆方向、つまり、中央広場から外に向けて流れ始めたように感じる。

 これは祭りも終わりに近づいている証拠だろう。 

 急がねば。


「はぁ、はぁ、よし、見えた」


 アリアと別れて少し、大通りには所狭しと露店が立ち並ぶ様になり、そこに立ち止まる人々も一気に増えたところで、漸く見慣れた屋台が見えてきた。

 走る子馬亭の屋台だ。


「あっ、ししょー!」


 目ざとくもクロンが俺を見つけて手を振ってくる。

 うん、すまんが今は店に寄っている時間はない。

 葡萄踏みを彩る音楽が、今この瞬間にも終わってしまうんじゃないかと言うほどに、中央広場を覆う人垣は最高潮に盛り上がっているのだから。


 クロンへと一度視線を向けたのち、すまん、という意味を込めて片手を上げて、すぐさま人垣の中へと潜り込んでいく。


「すみません!通して貰います!」


 皆、若い女たちの華麗な踊りを見に来ているわけなのだから、割り込むように体を入れてくる男を良い目で見るはずもない。

 時折、あからさまな舌打ちを受けつつも、なんとか最前線まで体をねじ込む事に成功した。

 葡萄踏みの会場には一つの巨大な桶が用意されており、その中には大量の葡萄。

 そしてその中では音楽に合わせて楽しそうに踊る女性たち。

 

 男の姿は……ないか。

 今年は男はいなかったのか、それとも別の場所でやるものなのか。


 えぇい、こんな事ならもっと詳細を聞いておくべきだった。


 今更こんなことを悔やんでいても仕方ない。

 ともかく今はマリーを探すことが先決だ。


「マリーは……」


 桶の中で楽しそうに踊る女性達の中からマリーの姿を探そうとするも、入れ代わり立ち代わりくるくると回る女性達の中からマリーの姿だけを見つけ出すのは中々に苦労する。


「マリー!」


 ともかく声を上げてみるのだが、盛大にかき鳴らされている楽器と、それに乗る楽しそうな歌声や手拍子の奔流の中では俺の声など小鳥のさえずりだ。


「くそっ」


 悪態をついたところで何も解決しないのはわかっているが、しかし口から溢れてくるそれを止められようもない。

 この喧騒の中では声をあげたところでマリーに届くものではないと、そう判断して、とにかく桶の中からマリーを探すしかないと歩きだそうとしたところで、踊る女性達の間のわずかな隙間から、彼女の姿をとらえることができた。


「いたっ!」


 俺から見て桶の反対側。

 ちらっと見えた姿を見失わないようにしながら、慌てて桶をぐるりと回り込む。


「マリー!」


 周りの声に負けぬよう、精一杯の声でマリーを呼ぶと、マリーは何度かキョロキョロと辺りを見回した後、パチリと俺と目があった。


「――!?」

「漸く見つけた……」


 くるくると踊る他の人にぶつからぬよう、慎重な足取りで桶の縁へと歩み寄るマリー。

 と、マリーが近くに来たことで彼女の姿が仔細に見ることができた。

 この時期に火を扱う調理を担当していたとしても、クロンのような極端にスカートを短くすることの無かったマリーが、太ももまでスカートをたくし上げている姿に一瞬戸惑う。


「――スさん!?芋掘り――!?」

「芋?あぁ、終わった!」


 お互いにまつげも見えるほどの距離であるはずなのに、賑やかを通り越してやかましいにまでなっている楽器と歌と笑い声と手拍子と……その他色々のお陰で怒鳴りつける様な大きさでなければ聞き取れない。

 マリーの声も、正直芋掘りという単語以外はよく聞き取れなかったのだが、多分芋掘りは終わったのかとかそういう事なんだろうとあたりを付けて答えた。


「終わ――見に来て――」

「なに?よく聞こえない!」


 くそ、さっきから歌や楽器の音がどんどん大きくなってきている気がする。

 マリーの言ってる事のほとんどが聞き取れないじゃないか。

 耳に手を当てて聞こえない事を伝えると、マリーは口を両手で包むようにして


「み、に、き、て、く、れ、た、ん、で、す、ね!!」


 と、わざわざ一言づつに区切って返事をしてくれる。

 見に来てくれたんですね、か。

 一瞬、そうだと首が縦に動きそうになったのをグッと堪えて、俺は首を横にふる。

 俺の動きにマリーは怪訝そうな顔を返した。


 そりゃそうか。

 見に来たんじゃなければ何をしに来たんだと、そう思うよな。


「違う!見に来たんじゃない。俺は……」


 一瞬、言うべきか迷う自分がいたのは間違いない。

 けど、ここまで来て、言わないなんて選択肢は、無い。

 ぐっと右手の拳を握りしめ、不思議そうな顔をしているマリーをまっすぐに見据え、俺はそれを口にする。


「俺は、マリーを誘いに来たんだ!」

 

 一世一代の大勝負……のハズだったのだが、俺が決死の覚悟で放った言葉は周りの音に掻き消されてマリーまで届かなかったらしい。


「――――?」


 パクパクと口を動かすマリー。

 マリーの声も俺に届かなくなってきた。

 

 くそっ、覚悟を決めて来たというのになんだこれは。

 こんなよくわからん状況で、その、あれが失敗するなんてのは恥ずかしくて仕方ないじゃないか。

 流石にこのまま引くわけには行かない!


「だから!マリーを、誘いに来たんだ!」


 できうる限りの声を張り上げて、眼の前のマリーへとぶつける!


「っ!――――!?」


 一瞬、こちらの声が届いたのか反応したように見えたのだが……やはり話の内容までは理解してもらえていないらしい。

 周りの様子をチラリと確認した後、俺がマリーにしたようにマリーも耳に手を当て、聞こえないというジェスチャー。

 

 あぁ、もう!長い言葉だから伝わらないんだな、そうだな!

 ならばわかりやすい言葉一つで伝えてやるよ!


 この妙な盛り上がりの音楽に負けないくらいの、俺の特大の思いを載せて、全力でマリーにぶつけてやるよ!


 大きく息を吸い込み、喉の奥を全開にして、伝えるべき言葉は、たった三文字だ。


「s――」


 全力で吐き出す息に乗せて、その一言目を音にしようとした瞬間……あぁ、一体なんでこうなるのか。

 先程まで近くの声すら届かないような、とんでもない轟音の中だったはずなのに、俺がその言葉を告げようとしたその瞬間に、


 なぜ、音楽も何もかもが一斉に、止まるんだ……。


「好きだ!!!!!!!!!!」


 そりゃぁもう、ね。

 あれだけの轟音の中、通そうとした声ですよ。

 人生のなかで、あれだけ大きな声を出したことは無かったでしょうよ。

 そんなアホみたいにでかい声で言った一言が、何故かピタッと音の消えた静寂の中で響くわけですよ。


 注目されないはずがないわけで……。

 

 マリーに気持ちを伝えられたのはいいのだがこんな大観衆の中で最高に目立つ事になってしまう告白とかあまりにもなんというか間が悪いというかでもよくよく考えて見ればそもそも葡萄踏みにマリーを誘うということはこの大観衆の居る中で告白するということには変わりないのでどっちにしろ一緒だったんじゃないかという気もするんだがそれにしたって間が悪すぎるだろこんなのある意味奇跡じゃ――


 シン、と静まり返った人だかりの中で、彼らの視線の先には唯一人。

 混乱する頭のままで、その唯一人へと視線をゆっくりと向ければ、マリーは真っ直ぐにこちらを見ていた。


「はい、私も好きです。クラウスさん」


 ワッ!と再び世界に音が戻る。

 

「オイオイ!終わった直後にとかずるいんじゃねぇかにぃちゃんよぉ!」

「キャッー!!なにこれなにこれっ!そういうのも有りなのっ!?」

「男っすねぇ!」


 音が戻ったのはいいが、なんだかしらんが周りの連中にもみくちゃにされている。


「痛っ!叩くな!離してくれ!俺はマリーと話が……あぁっくそっ!いい加減にしろ!」


 ペチペチと肩や背中を叩かれる程度ならいいんだが、腕を掴まれたり頭をもみくしゃにされたりはたまらん!

 というか、そもそもこの場にいるのが恥ずかしくてたまらないんだよなぁ!


「マリー!行くぞ!」


 群がる連中を強引に引き剥がして、何故か少し気まずそうな顔をしているマリーの手を取った。


「えっ!?行くって……私靴も履いてないですよ!」

「なら、こうするまで!」


 困惑するマリーの脇から腰にかけて手を伸ばし、もう片方の腕で膝裏を支えて……一気に持ち上げる。


「え、クラウスさ―きゃっ」


 マリーの小さな叫び声を耳元で聞きながらマリーを抱きかかえると、やんややんやと野次を飛ばす群がる連中にどけどけと声を掛けながら、野次馬包囲網からの脱出を図る。


「ほらほら、王子様のお通りだぞ!」

「ヒューッ!羨ましいねぇ!」


 ピーピーと甲高く響く指笛の音も混じりながらの野次を強引に突破すると、流石に後を追いかけてくる奴は居ないらしく、喧騒も背後に遠ざかっていった。


「えと……ちょっと恥ずかしいですね」

「あーまぁ、なんだ、すまん。なんか変な事になってしまった」


 本当はもっとスマートに葡萄踏みに誘って、受け入れて貰えるのならば優雅にマリーをエスコートしながら……なんて考えていたのだが、世の中上手いこと行かないもんだ。


「いえ、実はその……クラウスさんには謝らないといけないことがありまして……」

「えっ!?」


 慌ててマリーへと視線を向けると、思った以上にマリーの顔が近かったので弾き返されるかのように急いで逆へと顔を向けながら、言われた事について考える。

 謝らないとならない……?

 いや、今更やっぱりごめんなさいとか言うわけじゃない……よな?

 恐る恐るマリーへと向き直ると、本当に申し訳ないというよりも、なんというか……少しニヤついている……ような?


「実は、クラウスさんの、葡萄踏みに誘いに来たんだって言葉、聞こえてたんです」

「……はぇ?」


 いかん、変な声が出た。

 え、ということは、あの聞こえませんポーズは一体なんだったんだ……?


「あの……葡萄踏みの曲って、終わりがすごくわかりやすくて、曲の終わりには皆の歌も楽器もピタッと止めるのが慣例になってるんですよね」

「……いやいや、待て、待てよマリー。ということは、だ、あの、ちょっとキョロキョロ周りを確認してからの聞こえませんポーズって、まさか」

「えへへ、もしかしたら、タイミングばっちりになるかな……って」


 思わずあんぐりと口を開けてしまっている自分がいることに気づく。

 こいつ……やってくれたな!


「全く、マリーの思い切りの良さには呆れるぞ……。まぁ、どっちにしろ葡萄踏みに誘う時点で似たような事になったんだろうけどさ」

「ふふっ、慌ててるクラウスさんは可愛かったですよ」

「からかうなよ。アレだけ盛大にやっちまったわけだし、後戻りはできないってわけだ」

「あらっ、クラウスさんには私を幸せにしてくれる覚悟は無かったんですか?」

「バカ言え。溺れるくらい幸せにしてやるさ」

「ふふっ」


 俺の首に回したマリーの腕がグッと力を入れた事に気づいた次の瞬間、マリーの顔が眼前にまで迫って、唇が柔らかい感触を覚えた。


「愛してます、クラウスさん」


 はにかむように笑うマリーの笑顔に、俺も口元を緩めて


「俺もだ。愛してるよマリー」


 そっと、マリーの顔に、自分の顔を寄せた。

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