⑧芽生える狂愛(天黎視点)
霊場を出てからの日々は最悪だった。
空気、食べもの、それにたくさんの人間が放つ負の感情のエネルギー。
僕の身体は、それに耐えられるほど頑丈じゃない。
霊場にいたからこそ、生きてこれたのだと痛感させられた。
五十歳になる僕は、だいらい三十歳くらいまで意識も朧で、寝たり起きたりを繰り返していた。二十歳になった年から成長が止まり、三十を過ぎてからやっと、普通に生活を送れるようになった。
そんな僕にいつも会いにきてくれていたのが、陸來。
陸來は、身体の弱い僕のことを労ってくれた。
寝てばかりで精神的にも成長が遅かった僕は、周りからも距離を置かれていた。
陸來だけ、彼だけが僕に心からの笑顔を向けてくれたんだ。
僕はこれまで家族と過ごすよりも多くの時間を、陸來と一緒に過ごしてきた。
僕は陸來のことを知っているし、陸來だって僕のことを誰よりも知り尽くし、理解を示してくれる。
お互いが唯一無二の存在。魂から安息を得られる相手。まるでもう一人の自分。
世界中探したって、陸來のような人はいない。
陸來にとっても……。
――だから僕は、陸來が迎えにきてくれると思っていた。
こんな霊場の外に放り出されて、僕が平気なわけないだろう。
そのうち心配した陸來が「天黎大丈夫か? もう帰ろう」と言って、今にも萎れそうな僕を迎えにくるはずなんだ。
なのに……一年経っても陸來はきてくれない。
何故だ。
おそいよ陸來。来てくれると信じてるのに。
僕のことなんてどうでも良いのか?
例え友情だったとしても、好きだって言ってくれたじゃないか。
それなのに、なんで……。
(僕は、本当に、もう死んでしまいそうなのに)
身体に力が入らない。
こっちの食べ物はどれもこれも僕には合わなくて、食べても吐いてしまう。
水もだ。
純度の高いミネラル……鉱物を含むものが極端に少ないのだ。
植物も鉱物も、神々が人間界にもたらした恩恵だというのに、どこまで歪めれば気が済むのだろう。
あまりにも愚かだ。
(いや、愚かなのは……僕もおなじか……)
こんなふうに衰弱していくことを、父上はきっと知っていたはずなんだ。
それでも僕を霊場から放りだしたということは、きっと僕の「死」を望んでいるということだ。
今さら気付くなんて……。
愚かだ……。
僕は暗闇のなかで目を閉じる。
遠のいていく意識。
「陸來……どうして来てくれないんだ?」
もう駄目なんだ。
助けて陸來……。
はやく、きみのもとへ行きたい。
きみに抱きしめられたい。
愛してるんだ……。
心のなかで哀しみと愛しさが、恨みや虚しさまでもが混濁し、やがて一粒の「種」となって膨らみ、弾けた瞬間、僕は唐突に目醒めた。
――陸來に僕の本当の想いを伝えなければ……と。
どうして迎えにきてくれないか、なんて決まってる。
僕は結婚相手を探しにここにいるんだから。
陸來は、僕に好きな人ができると思ってるんだ。
僕のことがどんなに好きでも、僕に好きな人がいたなら、陸來はきっと遠慮して迎えになんか来れないはずだから……。
僕たちは、お互いの幸せを誰よりも望んでるんだから。
(それに……陸來は、僕が「男」を本気で好きになるなんて、思ってないかもしれない)
いくらお互いが魂から惹かれあっても、「性」において、求めてはいけないと頭で決めつけている可能性だってある。
――なんであの時、僕はちゃんと伝えなかったんだ……!
僕は「男」の陸來を愛してるのに。
きみだって、僕が「男」でも本当は構わないだろう?
(だとしたら、何がなんでも、僕は霊場に帰らなきゃ……)
陸來が待っている。
早くそばにいって、安心させてあげないといけない。
僕の身体は枯れ落ちるだろうけど、それは今じゃなくて、陸來の腕のなかだ。
それまで、絶対に、命を繋がらなければ。
僕は眠り、夜が明けると、慣れない服を着て外へでた。
――なんでもいい、何か食べなければ。
このままじゃ、霊場に行くまえに力尽きてしまう。
(ああ、それにしても今日は、風が気持ちの良い日だな……)
暖かい陽射しは、陸來の体温のようで、僕の心は慰められた。
ふと、流れてくる風の中にとても浄らかな気配を感じた。
霊場の植物と同じ薫りだ。
吸い寄せられるように僕の足は動いていた。
――ミツバが風に揺れていた。
霊場の山にあるミツバより、色が淡いけれど、とても清浄な生気……。
迷わず僕はその葉を千切って食べる。
(美味しい。ああ……充たされていく……)
少しずつ身体に力が戻ってくるのが分かる。
多分、このミツバは、特別な「浄化の力」を持った、誰かの手によって栽培されのだろう。
悪いと思いながらも、飢えには抗えず、夢中になってミツバを口に運んでいると声を掛けられた。
「ねえねえ、名前は!?」
「めちゃくちゃイケメン! 彼女さんとかいるんですか〜?」
名前だけ、「天黎」と名乗った。
それから思い立って、このミツバのことを訊いてみた。
「この花壇の野菜は、後輩のムギト君が育ててるんだ〜!」
「そうそう、ムギト君、貧乏学生だから!」
ムギト君……。
彼はきっと、僕たちと同じ「長寿」の血をひく人間に違いない。
――これは運命だ。
彼の力を借りることができれば、僕は霊場に戻れる。
そうすれば、陸來にも会いに行ける。
僕はムギト君に会うことにした。
お読み頂き有難うございます!
次からはまたムギト(生人)視点に戻ります。