③閉じこめていた感情
次の日。
曇り空。……ちょっとさむい。
午後から雨が降ると天気予報の通り、今にも降り出しそうな空模様。
俺は五月に降る雨があまり好きじゃない。
せっかく温まった空気が、一瞬にして奪われていくようなあの感覚。
例えば……どんなに一生懸命に努力しても、その全てが無駄だったと突きつけられた時のような感覚に似てるから。
俺は朝から陰鬱な気分でいた。
天気のこともそうだけど、それ以前に、俺は別なことでも悩みを抱えていて、そのなかには早めに答えを出さないといけない事もあった。
講義が終わって、俺は帰る前に菜園を見にいくことにした。
(野菜達にとっては、恵みの雨なんだろうな……)
俺にとっては嫌なものも、誰かにとっては好ましいものなんだろう。
曇天を仰ぐと、無意識のうちに溜め息がでていた。
「ム、ムギト君!」
湿りはじめた風に乗って声がした。
昨日ぶりのその細い声。
菜園(花壇)の前にテンレイが立っていた。
俺を見て嬉しそうに微笑んでいる。手には、昨日渡した弁当のタッパーを持っていた。律儀に返しにきたのか。
しかし……「美人」がタッパーとか。似合わねー。
「ムギト君、昨日はありがとう」
「おう。ちゃんと残さず食ったか?」
「うん。すごく美味しかったよ」
無邪気な笑顔で「美味しかった」と言われて、ちょっと気が晴れる。
そういやテンレイの着ているシャツも、今日は青空みたいな明るいブルーだな。
灰色の景色のなかで、ぱっと、そこだけが明るく輝いて見える。
テンレイが綺麗に洗ったタッパーを差し出してくる。俺は手を伸ばして、それを受け取る。かすかに指先同士が触れた。
(やっぱ冷てーな……)
昨日とおんなじくらい冷たい。
それに今日は外も肌寒い。どれくらいの時間ここで待ってたか分からないけど、シャツ一枚で寒かったんじゃないか……。
「あの、きみに何か御礼がしたいんだけど……」
「いいよ別に。たいした事してねーし」
「そうはいかないよ」
俺を見上げるテンレイの頰に、ぽつりと雫があたる。
とうとう降ってきたか……。
アスファルトを打つ雨粒は、次第にいくつも重なりあって、サー……と一面に音を響かせていく。
俺は急いでリュックから折り畳み傘を出す。
その間、テンレイが自分の持ってきたビニール傘を広げて、俺が濡れないようにかぶせてくれる。
テンレイの肩が濡れていく……。
せっかくのブルーのシャツも濡れそぼって色を変えていく。
「俺のことはいいから」
そう言っても、テンレイは黙って俺に傘をかぶせていた。
やっと折り畳み傘を広げると、テンレイは一歩だけ後ろにさがった。
「悪いな。俺のせいで濡れたよな。寒くないか?」
「大丈夫」
「早く帰って風呂入ったほいがいい。風邪引くぞ。……じゃあな」
「ま、待って!」
踏み出したところで、強い力に引き戻される。テンレイが俺の着てるパーカーの袖を掴んでいた。
華奢な身体のどこにそんな力があるのか、俺はちょっと吃驚した。
「きみと……話がしたいんだ……」
銀色の瞳が俺を捉えている。
曇り空を写しても、相変わらず綺麗な色なんだな……とか、そんなことを俺は頭の隅で考える。
袖を掴む指先には力が込められていて、そこだけが、さらに白くなっている。
傘からはみでた腕に、また幾つもの雨粒が染み込んでいく。
「離せ。……悪いけど、俺、今忙しいんだ」
素っ気ない態度で返してしまった。
――俺、構ってる余裕ないんだ。
だって考えなくちゃいけない。
これからのこと。大学のこと。家族のこと……。
そして俺はその幾つかに早く答えをだして、進まなくちゃいけないんだ。
だから一人にさせてくれ。友達つくってる場合じゃないんだよ。
腕を引っ張って、無理やりテンレイの指をほどく。でもまたすぐにパーカーの裾をぎゅっと掴んでくる。
ちっ……なんなんだよ……。
「お願い……お願いだから。僕にはもう時間がないんだ」
「じゃあ、他のやつに頼んでくれ。な? 俺だって時間がないんだ」
「きみじゃないと駄目なんだ……」
濡れていくパーカーのように、俺のなかに苛立ちが広がっていく。
そんな縋るような目で俺を見るな。
そんな弱々しい感情を俺に向けるな。
……俺だって……、俺だって……!
気が付いた時には、口に出していた。
「アンタずるいよ」
「え……」
テンレイの瞳が大きく見開かれる。
「人の都合より自分のことばっかかよっ……」
俺、なにを、こんな他人に感情出してんだ。
「困ったら、そうやって、いつも周りに助けてもらってんだろ!」
もう、これ以上はなにも言うな。
こいつは俺のこと何も知らないんだから。
……くそっ、駄目だ!
駄目だって分かってるのに!
「いいよな、そうやって何でもかんでも、他人に自分の気持ち晒け出せるやつはさ!」
ああ、傷付いた顔してんな……。
「アンタみたいな生き方してるやつが羨ましいよ。……いいんじゃね? けどな、俺はアンタと違う! アンタみたいに、他人に迷惑かけてまで生きようとか思ってねぇから――!」
馬鹿だ、俺……。
こんなこと言いたいわけじゃないのに。
テンレイの指が、すっと離れていく。
きっとこんな俺に呆れているに違いない。
ごめんな……。
(俺だって、俺のことがほんと嫌いだ。こんな他人に八つ当たりしちまう自分が、恥ずかしくて、惨めで……マジで嫌になる……)
そして、意識していた以上に、今抱えてる悩みに押しつぶされそうになっている自分にも気付いて、なんだか目の前が真っ暗になった。
傘をたたく雨粒の音がやけに大きく耳に障る。
俺の身体も、テンレイのシャツも、もうだいぶ濡れてしまっていた。
居たたまれなさに、俺は目を伏せた。
「ムギト君……ごめん……」
雨音を縫ってテンレイの声がした。
「きみを傷つけてしまって、ごめんね……」
いや、傷付いたのはアンタのほうだろ。
やめてくれ。謝らないでくれ。もっと惨めな気分になる。
「ムギト君」
そんな優しい声で、労わるような声で、俺を呼ぶな……。
ずっと目を逸らしてた、不安で、心細くて、誰かに助けを求めたくなるような、弱い自分が出てきてしまうから。
「ムギト君、僕はきみにお願いしたいことがあるんだ。きみにしか出来ないこと。でも……ちゃんと、きみへの見返りについても考えているんだ。つまりね……バイトをしないかな? って……」
え? ……バイト!?
話って、そのことだったのか!?
(ただのバイトの話しで、なんでこーなった!?)
あ、いや、俺が悪いんだ。
話がしたいって言われて、それくらい聞いてやれば良かっただけなんだよな。
どんだけ余裕ないんだよ。アホすぎだろ、俺……。
「けっこう濡れてしまったね。僕のうち近いんだ。良かったらおいで……? そこで、バイトの話もするから」
「わかった……」
バイトは願ってもない話しだ。
ほら、俺、苦学生で、金銭的な悩みも抱えていたから。
歩きしたテンレイが、一度だけくるりと振り返ると、真剣な眼差しで言った。
「ムギト君……僕はきみのために、できるだけ力を貸すと約束するよ」
「……!」
何故か、胸が締めつけられる思いがした。
(俺のこと、ちゃんと見ようとしてくれてるのか……?)
そう思ったとき、目頭が熱くなって、少しだけ涙が滲んだ。
読んで頂き有難うございました!
あと、ブクマも有難うございます!
感謝!!
多分、そんなに長くはならないと思うので、良かったら最後まで宜しくお願いします!