②綺麗な男
目の前で野菜を食べられてしまったことに、あまり腹が立たなかったのは、男が不憫なくらい痩せこけてたから。
細っこい。がりがり……。
それでいて、そこそこ身長があるから、余計、細いのが目立つんだ。
シンプルな白いシャツのなかで泳ぐように揺れた輪郭に、俺は思わず、ごくりと喉を鳴らした。
(これ、脱いだらぜったい、肋骨浮いてるやつだ……)
ちゃんと食べてないんだろうな。
そんなんじゃ、風邪とかすぐ引いて大変だろうに。
哀れむ気持ちで、俺は男の顔を見つめる。
「美人」だと言っていた先輩の言葉は正しかった。
(こんな、どこもかしこも綺麗な男、見たことねーし……)
俺みたいな、土いじりが趣味の垢抜けない男とは、まず見た目の次元から違いすぎる。
柔らかそうな癖毛の髪は、明るい白銀色。
たっぷりと水気を感じる銀色の瞳は、髪色にあわせたカラコンを装着。
それから印象的な目元……。
俺のように垂れてぼんやりとした輪郭と違い、目尻が少しつりあがってキリッとしている。
(うおっ、睫毛まで銀色じゃん……)
肌だって抜けるように白いし、薄くひらいた唇から少しのぞいた赤い粘膜が、なんていうか艶っぽい。
くっ……どうせ女子にモテまくってんだろ。知ってる。
そこら辺の学生よりも、妙に落ち着いてる感じあるし。
――あれ、でも、おかしくね?
ここで俺は、ある矛盾に気付いてしまった。
(腹減ってるって聞いたから、てっきり苦学生だと思ってたんだけどな)
おかしい……おかしいよな!?
だって苦学生だったら、ヘアサロン行ったり、カラコン買ってる余裕無いよな?
はっ、もしかしてモデルとか。
だからあえて痩身を保つために……うん、ありえる。
色々考えてたら、どうやら男は、俺が怒ってるように見えたらしい。
とても申し訳無さそうな顔をして話しかけてくる。
「ご、ごめんね。その……勝手に食べてしまって……」
「あ、いや……」
大丈夫。そんなに気にしてない。
「あの……きみが、ムギト君?」
俺のこと知ってたのか。先輩から聞いたのかな。
「そうだけど? ――麦野生人。「ムギト」は渾名だから」
「っ! ごっ、ごめん! 女の子達が言ってたから……てっきり……」
いつの間にか付けられてたんだ。
もうこれが定着して、俺もしっくりきてるから、気にするようなことじゃないぞ?
動揺したように視線を泳がせているから、俺はちょっと笑ってしまった。
「いいよ。ムギトって呼んでよ」
「う、うん……。ありがとう」
分かりやすく、ほっとした顔になる。
「あと、あの……勝手にきみの野菜を食べてしまってごめん! 空腹がどうしても我慢出来なくて……おっ、お金払うよ!」
そう言って、ごそごそと、パンツのポケットをまさぐっている。
ああ、やっぱりそうなんだな。
「金は、あるんだな。だったらさ、ちゃんとしたモン食ったほうがいいぞ」
「う、うん……。僕も最初はそう思ってたんだけど、なんか……身体にあわないみたいで……」
「ん? あわない……ってことは、アレルギー持ちか?」
「そんなところ……かなぁ……? あ、あはは……」
……なんだ、そういう事情だったのか。俺は納得する。
引きつったような笑いを浮かべているから、もしかして、触れられたくない事だったのかもしれない。
でもなぁ〜、と俺は考えながら言う。
「確かに俺の野菜は有機栽培だから安心だけど……」
「う、うん。すごく美味しかったよ」
「でもさ、もし金があるなら、誰かに相談したほうがいいんじゃないか?」
だって、あまりにも不健康そうだ。
「有機栽培のものだって、多少高いかもしれないけど、探せばいくらでも」
「あ、あ〜……うん……」
「相談しずらいなら、俺が一緒に行ってやろうか?」
「えっ、え〜と、それは遠慮しておこ、うかな……」
やけに歯切れが悪いな。
俺、変なこと言ってないよな?
もしかしてお節介だったか……?
「ふふっ、ムギト君は優しいコなんだね」
不意に、男が微笑んで、俺を見た。
ぱちりと合った瞳。
俺は……ちょっとびっくりした。
――誰かの瞳が「綺麗」だって思ったこと、初めてだったから。
あ、これはカラコンの効果なのか?
「と、とりあえず、ちゃんと飯は食えよな」
「うん。ありが……」
言い切る前に、男の身体がふらりと傾いた。
慌てて俺は腕を伸ばして、細い身体を支える。
(おいおい……大丈夫かよ……)
男の頭が、凭れるように、俺の肩口に乗っかった。
そして腕のなかに伝わってくる硬い骨の感触。
ん? 身体、冷えてないか?
驚くほど冷たい体温に、胸の奥がひやりとする。
「やっぱりちゃんと食ったほうがいい」
「う、うん……」
「学食にいこう。メニューは色々合ったはずだから」
だけど、男はゆるゆると首を振った。
ふわふわの髪が頰にあたって、くすぐったい。
「ごめん。多分、食べても具合悪くなるだけだと思う」
「ひどいアレルギーなんだな。じゃあ……逆に、どんなものが食べれるんだ?」
「そ、それは……」
少し言い淀んで、それから返事があった。
「その……ムギト君が、触れたものだったら……」
「は?」
「ムギト君が、つくったものとかだったら、大丈夫だと、思う……」
「俺がつくったもの?」
「うん……多分……」
肩口で頷く男と、反対に首を傾げる俺。
(俺がつくったもの……って、どんな理屈だよ)
だけど嘘を付いているようには見えないんだよな。
すげえ、辛そうにしてるし……。
「ああ、それじゃあ、俺が作った弁当とかだったら平気?」
「あ、うん。それなら食べれると思う」
「変な調味料使ってないから、大丈夫だと思うけど……」
ちゃんと一人で立てることを見届けてから、俺はリュックから昼飯用につくってきた弁当を取り出す。
弁当っていっても、でっかいおにぎり二つと、タッパーに卵焼きと茹でたブロッコリーを詰めただけなんだけどな。
「俺が作ったもんなら食べれるんだろ? 残すなよ」
疑問の数々は頭の隅におしやって、俺は弁当を男に持たせる。
「い、いいの?」
「おう。……ああ、それと」
リュックに入れたままだったキッチンバサミを取り出す。
昨日、収穫用に入れておいて、そのままだったんだ。
俺は花壇に残っていたミツバを、根元を残して、全部ハサミで切り取った。
美味しいって、言ってたからな……。
ミツバも、弁当と一緒に男に持たせることにした。
「味噌汁くらいは作れんだろ? あったかいもん食べろよ。身体冷えてんぞ」
「え……?」
「じゃあな。俺、もうすぐ講義だから」
その前に学食でお茶だけでも飲んどくか。
驚いた顔をしている男にもう一度「じゃあな」と言って、俺は歩き出す。
(そう言えば、名前聞いてなかったな……)
いや、先輩が言ってたっけ。
――テンレイ。
うん。名前まで綺麗だ……。
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