最終話、講和
終戦から3カ月が経ち、少しばかりか復興の色が見え始めたイランでは、日に日に街も活気があふれ、近頃、戦争前とは変わらない街並みになって居た。
~京都、宇治~
この日、京都の宇治に各国外交官(中満蒙露印波日辺砂土南伊委譲)が集められ、領土についてや戦後処理など、近い将来のことを、話し合った。やはり、敗戦国というのはつらいもので、ほぼ、発言権がなかった。が、日本の外交官杉浦 千景のスピーチ
「我々日本は、先の大戦の講和会議では、ほぼ発言権がありませんでした。しかし、スリランカ代表のスピーチによって、救われました。次は、我々の番なのです。だからこそ、相手に勝者の情けだと思われようとも、拒否権行使などを、許しましょうよ!我々は、古来よりペルシャのオリエント文化などに発展させられ、感謝すべき相手であります。」
そう、言い放った。それからの会議は少し、戦勝敗国との当り合いもあったが、二日間の会議で、終息した。結果、良もなく不可もなくといっところで、普通の内容だろう。
内容は、MEGSTからEAST各国に、特に被害の大きかったパキスタン、ロシアに100億ドルの賠償金、それ以外のEAST各国の復興協力、五年間のEASTによる統治、経済制裁を受けることとされ、イランとトルコは日本、サウジアラビア、オマーン、イエメンをロシアが統治することになった。そして、北方四島、南樺太をロシアから返還された。
そして二日の会議の後、全世界に向けた生中継で、この条約が発布された。ここに、たった一年半で約八千万人が犠牲になった戦争が、集結したのだった...




