第2部
「あれ、高瀬さん?」
聞きなれない声に、春と一緒に振り返った。見覚えのない男子が立っている。春の名字を知っているあたり、知り合いみたいだ。
「菅原君!」
春も驚いた様子でいる。二人の関係が気になりつつも、レジの列はどんどん進んでしまう。仕方なく、買ってくるねと前を指差した。春は申し訳なさそうにごめんと両手を合わせ、列を少し外れて話をしていた。
並びながら、気付かれないようにチラチラと二人を見る。
幼馴染?でも、そんな人がいるなんて聞いたことはない。
うちの高校?なら、部活の…いや、書道部には女の子しか入部してないはずだし…
「やばい、めっちゃ気になる……」
二人のぎこちなさが、付き合いたてのカップルのような初々しささえ感じさせる。こういう時、なんとなくわかってしまう。その男子が春に向ける眼差しが、普通の友達へのものではないということが。何も聞かされてなかったからなのか、もしかしたら春に彼氏ができることで、親友が取られてしまうかもしれないという焦りからなのか、自分の感情が乱されていくのがわかった。
「ごめん雅! 買ってもらっちゃって」
私のもとに帰ってきた春は、心なしか頬が赤らんでいる気がした。
「ううん、全然、気にしないでいいから。えーっと……」
できるだけ平静を装いながら買ったジュースを手渡し、先程話していた男の子に目を向ける。
春ははっと思い出したように話し出した。
「雅にまだちゃんと紹介できてなかったんだった!この前話した、クラスで初めてできた友達だよ。菅原君っていって、サッカー部に入ってるんだけど……」
頭を殴られた感覚だった。
友達ができたという報告を受けた時、勝手に女子だと思い込んでいた自分が恥ずかしい。だって春だ。同性の私から見ても可愛い。当人は全く気付いてはいないが、彼女をそういった目で見ている人は沢山いる。クラスにいたら、男が放っておくはずがない。
途中から全然話が入ってこなくて、機械みたいに相槌を打つしかできなかった。
結局、春とバイバイしても、心のモヤモヤが晴れることはなかった。あの後観た映画も全く集中できなくて、正直どんな内容だったかはサッパリだったが、春は面白かったと喜んでいたので、今日はそれでいいとしようか。
* * *
キーンコーンカーンコーン。
午前中の授業の終わりのチャイムが鳴り、昼休み。少し前に春から顧問の先生に呼ばれて職員室に行かなければならないとの連絡があり、今日は別々にご飯を食べることとなった。
「購買行くか」
いつも通り財布片手に席を立ち、廊下へ出る。
あれから数日経ったが、春があの男子について話すことはなかった。自分から詮索する勇気もなくて、何も聞けていない。春の前ではできるだけ普通に振る舞っているが、内心ずっとそのことばかり考えていた。私は深く悩むタイプではなく、どちらかと言えば、気になることは聞いてしまうタイプだった。なのにここ最近の私は……というか、あのことがあってから何だかおかしい。
購買は、いつも通り授業後の解放感に溢れた生徒で賑わっていた。今は楽しげな雰囲気で包まれたこの空間が苦しい。一人で食べる昼食の内容を考えるのも面倒で、よく買うサンドイッチを手に取り手早く会計を済ませた。
教室へ戻る途中、ジュースを買おうと自販機に立ち寄ると、飲み物を取り出そうと屈んでいる男子生徒が目に入った。
「あ……」
今まさに頭に思い浮かべていた奴がそこにいた。学校で見るのは初めてだろうか。こんなことになるなんて思っていなかったから、意識していなかっただけかもしれない。聞きたいことは山ほどあるけど、グイグイ聞くのも怪しすぎる。ここは一旦退散しようと気づかれないよう静かに背を向けると、
「神田さん?」
もう少しの所で声を掛けられてしまい、逃げることを諦めた私は笑顔を作って振り向いた。
「あー、えっと、確か春の友達の……」
「菅原だよ、この前はどうも」
ニコニコと話しかけてくる彼の純粋そうな笑顔は、春と似たものを感じさせる。スポーツをやっているせいか少し焼けた健康な色をした肌、サッパリとした髪。色白で華奢な春は、こんな風に守ってくれるような男が好きなのだろうか。考えれば考えるほど、二人がお似合いな気がしてしまってならない。
「春と友達になってくれたって。ありがとうね」
絞り出した言葉がこれかと自分を殴りたくなる。
「あぁ……高瀬さんってさ、見た目通りっていうか、想像通りっていうか。去年、神田さんと一緒にいた所しか見てなかったし話したこともなかったけど」
鼻の頭を掻き照れながら春について語る姿は、完全に恋をしているそれだった。
「今度、クラスの何人かで遊びに行こうと思うんだけど、高瀬さんも誘って。どんな所が好きなんだろう、やっぱ……水族館とか」
「あー、うん、好きだよそういうとこ。べたな方が喜ぶと思う」
「そっかぁ、やっぱそうだよな、そんな気がする。ありがとな」
菅原君は持っていたジュースを私に手渡し、嬉しそうに教室に戻っていった。
「何やってんだろ、私」
貰ったジュースを見つめ、ギュッと握り締めた。
「あれ、雅今日お昼一人なの?」
教室に戻ると、すぐに声を掛けられた。
「うん、春、部活の先生に呼ばれちゃったみたいで。明日香こそ一人?」
「いや何言ってるの、私は大体一人だよ。雅が高瀬さんと楽しくご飯食べてる間……」
目頭をぐっと押さえて泣いているふりをしているのは、私がクラスで一番仲良くしている女子、相沢明日香。さっぱりしている性格と高い身長、ショートカットの綺麗な短い髪が大人の女を感じさせるが、こうやって笑いを取ろうとしてくるところは可愛かったりもする。
「ごめん、流石に毎日一人でご飯食べてるとは思わなかったわ」
笑いながら、前の席の椅子を回転させ腰を下ろすと、明日香は手をぱっと放して真顔に戻り机の上のコンビニ袋をごそごそし始めた。
「いいのいいの、あんまりグループとか好きじゃないし」
他人に媚びない一匹狼のような強さを持った彼女は、一緒にいて楽だ。気を使いすぎずに済むし、お互い遠慮もしない関係。
「明日香の分も……ジュース買ってくれば良かったな」
先程貰ったジュースを机の上に置く。少し汗をかいたパックの表面から、水滴が落ちるのをじっと眺めた。
「場所、変えるか」
「えっ……ちょっと、どこ行くの」
立ち上がり無言ですたすたと前を歩き出す明日香に声を掛けたが、返事はない。私は後姿を追いかけるように教室を出た。
「ここなら誰も来ないでしょ」
着いたのは、あまり使われていない小さい図書室だった。普段生徒は新しくできた大きい方を利用するため、私も入ったのは初めてだったが、明日香は慣れた手つきで本を片し、二人分のスペースを空け座った。
「それで、どした?」
唐突な質問を投げかけられ、見透かされた様な視線にドキッとした。いつも察しが良すぎて、本当は自分よりずっと年上なんじゃないかと錯覚する。
「ちょっと、悩み事があって」
私はここ数日の出来事を話した。仲の良い友達に好意を抱いている人間がいるのを知ってしまったこと、それから全然落ち着かず、気になって仕方ないのに本人に直接聞く勇気がないこと。
「今までこんなことなかったし、なんだかよくわからなくて」
最近私の頭の中を一杯にしているそれがなんなのか、自分ではよくわからなかった。考えれば考える程膨らんでしまうこれはなんだろうか。
「なーんだ、そんなことかぁ」
明日香が噴出して笑い、心配して損したとコンビニで買ったであろうパンを手に取って食べ始めた。
「よくあることじゃん、もっと凄いヤツかと思って身構えちゃった」
よくある。それを聞いてホッと胸を撫で下ろす。友達が幸せになるかもしれないのに素直に喜べない自分は、異常ではなかったと知れて安心した。はぁ~と息を吐き出し、私もサンドイッチを食べ始める。軽くなった心で食べるとおいしい。この所全く美味しいと感じられなかったから。
「話して良かったぁ、すっきりした! ありがとう!」
貰ったジュースにストローを差し込み、気持ちよくゴクゴクと飲み込む。なんて単純な心。
「いやぁ、しかし、あの雅がやっと恋をしたなんてね」
「!? ゲッホ、ゲホゲホゲホ……」
こ、恋!?
「待って待って、そんなんじゃないから!」
明日香は焦る私にこれで拭きなよとティッシュを手渡し、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
「ここまできて認めないとか、それこそどうかしてると思うぞ私は。よくある話じゃん、今までそういう対象として見てなかった友達が、誰かにとられそうになって初めて自分の気持ちを自覚するって。でも嬉しいなぁ、彼氏ができても全然好きになれなかった雅がとうとうね」
これが……恋?相手は女の子だっていうのに。
満足そうな顔でお昼ご飯を食べている明日香の向かい側で私は、一人、自分の気持ちに焦りを感じていた。
『あの雅がやっと恋をしたなんてね』
それからというもの、明日香に言われた言葉が頭から離れなかった。これが、この気持ちが、恋だったのか。初めての『好き』の感情が嫉妬だなんて、私はなんて醜いのだろう。好きな人の話をする春の言葉を聞いていて、相手を目で追う春を隣で見ていて、もっともっと美しい物だと思っていた。
自分の中にある感情を答え合わせするかの様に、今までの春とのひとつずつを振り返ってみる。そういえば、春と初めて話したのは丁度一年前、今と同じ季節のことだった。
* * *
「初めまして! あの、神田さんって、前に雑誌のモデルやってなかった?」
高校入学初日、教室に入るなり数人の女子に取り囲まれた。
「あぁ……うん。数える程度しかやってないけど覚えててくれたんだね、ありがとう」
私の返答に嬉しそうに目をキラキラさせている。
「よかったら友達になってくれない?」
この子達の思いを無下にもできず、そう言って差し出された手を軽く握り返すと、また一層嬉しそうな顔をして礼を言い、手を振りながら去って行った。一生懸命してくれた自己紹介は真剣に聞く気にならず、全部右から左。知人に頼みこまれて雑誌の読者モデルをやってから、こういうことには慣れてしまっていた。実際かなり反響があったらしく、売れ行きも良かったので本格的にやらないかと誘われたけど断ってしまった。その理由が、こうした営業みたいな関係づくりしかできなくなってしまったのが嫌になったからである。少し雑誌に載った程度で変わってしまう関係、近づいてくる人間。折角通っていた中学の人が少ない高校を選んだのに、結局は前と変わらない環境。私の派手な外見しか見ないで絡んでくる奴らにはもうウンザリだった。
入学してから少し経ち、クラスもいくつかのグループに分かれた頃だった。
「ねぇ、あれ……高瀬さんだっけ。いつも一人でいるよね。誰か声かけてあげないのかな」
「うーん、ちょっと私達とはタイプ違うよね。暗いっていうか」
一緒にいたグループの女子は、教室の隅っこで静かに本を読む彼女を見て見ぬふり。他のグループも、どうぞ私達の輪の中にとはいかないらしい。みんなに暗いと言われているその姿は私には違って見えていて、正直羨ましかった。
他の生徒と群れたくなかった私は勉強するふりをして下校の時間を少しずらし、面倒な付き合いから逃れていた。今日もいつも通り、教室で机に突っ伏しながらオレンジ色の空を見上げていた時だった。
ガラガラガラ――。
教室の扉が開く音がして、咄嗟に目を閉じてしまう。この際、出ていくまで寝たふりでもしていよう。
ゆっくりと足音がこちらに近づき、私の席の後ろでぴたっと止まったかと思うと、肩に何かが掛けられた。
上着……?
足音はまたゆっくりと離れていったが、その主が気になり薄目をあけた。それは見覚えのある姿――。
「高瀬さん?」
私の呼びかけにびくっとした背中が、恐る恐るこちらを振り返った。余程驚いたのか、口元をぱくぱくさせている。
「あ、あ、あの、ごめん、起こしちゃったかな……」
申し訳なさそうにしている姿に、寝たふりをしていた私は申し訳なくなってくる。
「ううん、平気。これありがとね」
肩に掛けられた制服の上着を指差し笑ってみせると、強張っていた顔が一気に笑顔になった。
真正面からまじまじと彼女を見たのは初めてかもしれない。華奢な体とふんわりとした優しい表情が女の子らしい。近くで見ると、いつもの雰囲気とは違う感じ。可愛い顔してるな……。
目の前の彼女は顔を赤くし、ぱっと目を逸らした。
「ご、ごめん! えーっと、高瀬さんはどうしてここに?」
忘れ物か何かかと思ったが、手には何も持っていない。こんな時間にどうしたんだろう。
「部活が終わって帰るところで……教室の前を通ったら残っているのが見えたから」
恥ずかしそうに視線をずらして話しているのはきっと人見知りのせいで、私のことも警戒しているのだろう。どうにかして、この子の緊張を解いてあげたい――。
私の手は、無意識に彼女の手を取っていた。
「一緒に帰ろう」
夕日に照らされた帰り道を、二人で並んで歩いた。彼女は私の名前さえ覚えていなくて、ごめんなさいと謝るのが可愛くて。私のことなんて、今までもこの先も、興味なんてないんだろうな。今の私にとって、それは何だか心地良いものだった。
「ごめん、送ってもらう形になっちゃったね。今日はありがとう、また明日学校でね……神田さん」
「雅でいいよ」
私の言葉に、もともと大きい目を更に大きくさせて、手をブンブンと横に振っている。また顔が赤くなってるし。
「い、い、いいよ! まだそんなの……は、早いよ!」
あまりにも必死な姿を見て、思わず笑ってしまった。
「私も春って呼びたい」
そんなことがあってから、春といつも一緒にいるようになった。二人でお弁当食べたり、春の部活が無い日は一緒に帰ったり。一緒にいればいる程、彼女の魅力に気づいていく。純粋で、真っ直ぐで、笑ったり落ち込んだり、表情がコロコロと変わって。自分にしか見せない、周りの人が知らない春を知っていることが嬉しかった。
今振り返ってみると、初めから、私は春に惹かれていた気がする。
「私、春のこと大好きなんじゃん……」