言語学と分岐点
「先を行くぞ」
まるで何事もなかったのように男は振る舞い歩き出そうとする。
男にとっては何てこともないのだろう。
「ちっ!【コンダクター】は伊達じゃないってか」
「噂には聞いてたけど見るのは初めてね」
少なからず男を認めたようだが、やはりイサナギは何かが気に喰わないみたいだ。
まあ気持ちは分からないわけでもない。
とはいえ、これ以上突っかかるようなことはイサナギもしなかった。
それに先を急ぐ必要もあるしな。
「けどさ……、どこに進めばいいんだ?」
部屋から先に続く通路は三つだ。
これまでも分かれ道はいくつもあったが、それでも二つだけだった。
選択肢がもう一つ増えたわけだが、そもそもこれまで先導を切ってきたのは他ならぬ男だ。
半ば男に聞くように発言した俺だけど、肝心の男が三つの通路を睨むように立ち止まっている。
「おい、どうした?今までみたいに勘で進めばいいだろ。幸いここまで全部当たってきたんだから」
イサナギが男の背後からせかすように言葉を掛ける。
俺にしても急に立ち止まる男に不安が少しだけ募った。
けれどここで、言葉を発したのは男でなくミカンの方である。
「え、イサナギ本気で言ってるわけじゃないわよね?」
「は?何がだ?」
嘘でしょ、とミカンの呟き声だけが響く。
いったい何なんだ?
俺もイサナギも揃ってポカンとしていた。そしてそれは多分ミカンに大いに伝わっているんだろう。
目の前で盛大なため息が吐かれている。
だから、いったい何なんだと。
「タクトはまだいいわ。知らないのも当たり前。だけどイサナギ、あんたはねぇ……」
心底呆れるかのように、いやむしろ、憐れむようにミカンはイサナギを見ていた。
そして徐にミカンは通路の上を指さしていく。
そこにあったのは見たこともない、絵とも見える文字。ここまでの通路の壁にも記されていた、恐らくこの世界の文字。それが三つの通路の上にそれぞれ書かれていた。
「あれって……どっかで見たような……」
「ような、じゃなくて見たに決まってるでしょ!探せばこの世界の至る所にあるし、イサナギが確実に見たのはフィッテ灯台よ。まったく……先頭を行くタンクがこれじゃアルマスも大変よね」
「あー……そういや、そんな記憶もあったような気がするな……」
バツの悪そうな顔をするイサナギ。
これはあれだ。すでに自分が悪いのを分かっていながらも、逃げ道を探す時の顔だ。もちろん俺だけでなく、ミカンを騙すこともできないほどに稚拙な言葉だろう。
まぁこいつのことは置いとくしとよう。
結局はいったいこれが何なのか。
ミカンもすでにイサナギのことは放っておき、俺のために説明してくた。
「薄々は分かると思うけど、あれは古代文字。もちろんフリスタの世界でのね。当然普通なら読めるはずはないけど、≪言語学≫のスキルがあればそれも可能になるのよ」
≪言語学≫。これまた初耳なスキルだ。まあ内容としてはその名前から十分に分かるが、確実に戦闘向きではないはずだ。プレイヤー全体から見れば需要があるとは到底思えない。
その証拠にイサナギもミカンも≪言語学≫は取ってないという。
だが、恐らくはこの目の前の男はそれを取っているんだろう。
軽く男に尋ねるも、無言の返答が返ってくる。それでもそれを肯定するように説明したのはミカンだ。
「ここまでの壁に書かれていたのは、多分正解の道筋。それを【コンダクター】は読み取って先導してきたはずよ。だけど、ここにきて三つの進路を前に止まるのは、レベルが低くて読めなくなったか、或いは単純な正解がどれか分からないか。そうじゃないのですか?」
状況を推理するようなミカンの発言に、俺は内心驚きを含んでいた。
けれどそんなミカンの問いかけにも男は答えない。
そればかりか、全く関係なさそうな言葉を口にする。
「命。宝。業。……お前が選べ」
は?
いきなり放たれたその言葉に俺は思考が飛んだ。
目が点になるように男を呆然と見やり、それは虚を突かれたようなミカンとイサナギも同じようだった。
その意図を真っ先に理解したのは、やはりミカンだ。何かに気付くように声を上げる。
「まさか、それが通路の上に書かれている言葉だと?」
男は無言の肯定。否定するまでもなく、それを悠然に語りつけていた。
命、宝、業。それが通路の先にあるものを意味しているとでも?
そしてその行き先を男は俺に委ねると言った。
何も俺を信頼しての言葉でないのは分かっている。それでも先を俺に委ねた意味とは。
「俺の見立てでは、どれもが正解の道だ。今の状況でなければな」
「今の、状況……」
そうだ。今の状況は、何もよくなっているわけじゃない。
最初の本題であるチャンを助けにいくことこそが、一番大事な問題なのだ。
「お前の目的に辿り着く道は恐らくこのどれか。それを決めるのはクエストを受けたお前の判断に委ねるしかない」
間違っちゃいない。これは俺に舞い降りた事件の一つだ。全てを他人に任せるわけにはいかない。
命。宝。業。
まず間違いなく、宝は除外だ。この状況には一番相応しくない。
可能性が高いのは命。
そう、チャンの命だ。それを考えるならば、道は命か。だが、業という言葉もまた俺の中で引っかかる。
業。それは即ち為すべきことであり、人が働く運命。カルマそのものだ。
半ば無意識に、俺は今まで黙っていた後ろに控えるチャムを振り返る。
俺の視線を受けたチャムが何かを知るかのように。
「欲を出すと身を滅ぼしちゃうんだよ。だから、お兄ちゃんの思うままに進めばいいと思う」
それは何かがチャムに憑いたかのような言葉だった。
現に、チャムはすぐに頭を振り払って、今身に何が起きたのかを分かっていないようだった。
欲。欲求。
それは人が必ず持つものだ。
そして業もまた。
業の欲。
言い換えるならば――
強欲の道。
こんなあからさまな答えが隠されてるなんてな。
罠かと思い浮かべるのも無理はないはずだ。
だけど、確実に俺は理解していた。
これは俺にとっての正解の道なのだと。
「業の道へ。その先にチャンがいるはずだ」
スキル紹介 言語学
――≪言語学≫ パッシブスキル
あらゆる言語に精通していくスキル。
レベルが上がれば上がるほど、解読できる文字が増えていく。




