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その後すぐに立ち上がったナタリアッサは父親に何も言葉を返さぬまま無作法にもドレスの裾を持って王城の廊下を走りさるという令嬢にあるまじき行動をし王城に務める騎士らを呆然とさせた。
ナタリアッサに何の情緒もなく走り去られたスベリア公爵は寂しそうに1人お茶を口に運ぶのであった。
スベリア公爵家にたどり着いたナタリアッサは驚き歓声をあげる侍従らに微笑みを浮かべた。
「もうナタリアッサ・スベリアではなくただのナタリアッサなのだけれど、今だけはこう言わせてね、“ただいま”」
ナタリアッサの言葉に訝しげにしながらも、みな口々に「おかえりなさいませ」と返し、大勢のものが泣いて喜んだ。特にミーシャはナタリアッサに泣きながら抱きついた。
だがすぐにグズグズと泣きながらもミーシャは「お引き止めしてしまい・・・っ、も、うし訳ございませんっ・・・でした。ライオネルの元へ・・・ずっと部屋に・・・っ」と、ナタリアッサから腕を離しライオネルのことを伝える。
ナタリアッサは「ありがとう。」と答え、足早にライオネルの部屋に向かった。
屋敷の二階にあるライオネルの部屋の扉の前で、騒がしい1階を気にしつつナタリアッサの言付けを守り、ライオネルに後を追わせないようにと必要最低限以外部屋から出さぬよう見張り続けていた侍従の1人が、足早にライオネルの部屋の方に向かってくるナタリアッサの姿を目にする。
侍従は我が目を疑うかのように呆然と立ち尽くし、言葉も出せずナタリアッサがたどり着くのを待った。
我に返り口を開きかけた侍従にナタリアッサは人差し指を唇につけ、シーッと声をあげないよう制した。
そして声に出さず唇の動きだけで『ありがとう』と伝えたナタリアッサに侍従も声を出さず『おかえりなさいませ』と返しながら、ライオネルの部屋の鍵をナタリアッサに渡し、泣きそうになる自分を隠すかのように頭を下げるのであった。
ナタリアッサは静かに深呼吸をした。
そしてゆっくりと鍵をあける。
ギイっとかすかな音がなって開かれた扉の先には・・・こちらを振り向くこともなく天井をむいてソファーに横になり反応すら示さないライオネルの姿があった。
ナタリアッサは己の胸がしめつけられる感覚がして、その漆黒の瞳からはとめどめなく涙が溢れ流れてきた。
そっと1歩を踏み出すナタリアッサ
そして震える声でその名を呼んだ
一心に思い続けた男の名を
「ラ・・・イオネル・・・っ」
人の気配に気づいているであろうに、何の反応すら示さなかったライオネルの肩がびくりと震える。
ソファーに横になったままゆっくりと、何かを恐れているかのように視線だけをナタリアッサに向けた。
そして枯れた声で呟く。
身体を重ねても、愛していると告げられても、身分差ゆえに己の想いを伝え返すことができないまま消えてしまったはずの愛しき女の名を
「・・・ナタ・・・リー・・・?」




