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高一・一学期 7

 頭の中で計画していた学費調達計画は、入学前から頓挫した。

 ──うちがそんなに金持ちなわけないだろ!

 信じられないことだが、なんと関崎家の収入だと、青潟市からの育英奨学金は出ないのだという。どういう計算しているのか、乙彦にも理解できない。先日母が市役所に書類を持って申請をしたところ、あっさりと断られたという。

「もうねえ、うちの場合はお父さんもしっかり仕事しているし、住宅ローンもないし、財産もそれなりにあるはずだし、と決め付けられてしまったのよ。世の中もっと大変なご家庭もいらっしゃるのですよ、とかきっぱり言われてねえ。ほら、うちの次男坊、青大附属に入ったでしょう? 私立はお金がかかるからできるだけそうしたいとこなんだけどねえ」

 母が長電話しながら愚痴っているのを、乙彦は盗み聞きした。

 ──金がかかるのは承知の上だが。

 しかし、自分の頭にも青潟市の育英奨学金を含めた計画は組み込まれていた。自分なりに市役所や図書館で調べてそういうものがあるのだとは聞いていた。しかし、母の言い分によると関崎家はしっかりした稼ぎのある、裕福な家庭と判断されたらしい。もちろん、父は勤勉に働いている電気メーカーのサラリーマンだし、一軒家もローンはないらしい。生きるには困らない、食うには確かに、困らない。しかしだ。

 ──兄弟三人もいるってのに、金が余っているわけないだろ? 市職員、そのあたりも考えないのかよ?

 文句を言いたくともわが身は十五歳、まだ義務教育を終えようとしているだけ。

 ──これはなんとかしなくては。

 あらためて乙彦は、アルバイトおよび青大附属内の奨学金研究に勤しむ決意をした。

「出かけてくる」

 まだ受話器を握り締めたまましゃべっている母に言い残し、乙彦は家を出た。用事はある。佐川雅弘の父である「佐川書店」店長と一緒に、アルバイト予定先である「みつや書店」へ挨拶に行くためだ。


「おとひっちゃん!」

 脳天気に飛びついてくるのは雅弘だった。ちょうど店も空いて来た頃、どうやら雅弘の奴、ゴムの伸びきった生活に徹しているらしい。心なしか、少しだけ原色遣いの服を纏っているようにも見えるが気のせいだろう。真っ赤なトレーナーとジーンズというのは、雅弘にしては珍しい。

「父さん待ってたよ。じゃあ行こうか」

「おい、お前もか」

「うん、父さんが行ってもいいって言ってたんだ!」

 どうもこいつ、ガキなのか年相応なのかわからない時がある。少なくとも乙彦に対して接する時は、かなり幼児がえりっぽい口調でしゃべる。そのくせ、総田をはじめとする生徒会連中とつるむ時はきりっと締まった言い方でなにやら語っているし。そのあたりがわからない。

 まずはレジブースに入っている雅弘の父に挨拶をした。

「おとひっちゃん、じゃあそろそろ行くか」

「遅くなって申し訳ございません」

 約束した時刻よりも十分早めに来たつもりだったのだが。

「いや、早ければ早いほどいいんだよ。じゃあ雅弘と一緒に車に乗ってなさい。それにしても」 

 乙彦を上から下までじいっと見やり、

「制服を着てきたんだね。えらい、えらい」

 どこがえらいのかわからない。やはり、一種の、礼儀だろう。


 雅弘に案内されて店裏側の車庫内の車に乗り込んだ。トランク部分がやたらと広い仕事用の車である。後部座席の奥に押し込まれるかっこうとなった。

「あのさ、おとひっちゃん、青大附高、どうだった?」

 落ち着くやいなや、まず最初に質問してきたことがこれだ。やはり興味津々なのだろう。

「どうだったって」

「オリエンテーション、やったんだろ?」

 そんなこと話、しただろうか? たぶんちらっとしゃべったかもしれないが、雅弘が記憶しているとは思わなかった。実際昨日、オリエンテーションに出かけてきたわけだから、嘘ではない。乙彦としてはどこまで話すべきか迷うところでもある。

「ああ、一応な」

「やっぱり、すごいとこだった?」

「あさってから補習が始まる」

 これも事実なので言うしかなかった。

「ええ? もう、そんなことするんだ」

「青大附属の奴らはものすごく進んでいるんだそうだ」

 以前から立村の口からも聞いていたことだが、こうやって自分で説明してみるとなんだかやりきれない。

「そうなんだあ。じゃあ、来週さあ、みんなで中学最後の遠足行こうって話出てるんだけど、出れないね」

 いつだ、と尋ねる前に勝手に答えていた。

「そうだな、無理だ」

 遊ぶ金なんてあるわけがない。


 しばらく雅弘は、一緒に工業高校へ進学する友だちの話をしていた。青潟工業に進学する生徒は男子ばかり五名ほどだった。雅弘と直接接点があるとは思えないタイプの奴だったが、意外と仲良く情報交換をしているらしかった。如才ない性格である。

「俺は建築科だから、のこぎりとかかんなとか、とにかく大工さんになるつもりでやるしかないかなって感じなんだ。そういうのは得意だし、なんとかなるかな」

「そうか」

 自己分析が完璧だ。これだけ頭の働く……成績には結びついていないが……雅弘のこと、どうせだったら普通高校に進めばよかったのにと思わずにはいられない。公立でそれほどランクを下げなくても普通科は見つかっただろうに。しかしこれも雅弘のこだわりらしい。早く卒業し、一刻も早く独立したい。それが雅弘の望みだった。

「あと三年がんばって、いいとこ就職して、一人暮らしするんだ。ちゃんと自分の生活するんだって決めてるんだ」

「おじさんはどう言ってるんだ?」

「ああ、そうしろって」

 答えはあっさりしていた。この幼い顔に重ならない確固とした意思はどこから来るのだろう。

「おとひっちゃんは大学、行くんだろ?」

「もちろんだ」

 思わず言ってしまい、口をつぐんだ。もちろんなんて言えるわけがない。

「奨学金を取れればの話だが」

「そうか、お金かかるんだよね」

 雅弘もあっさり流した後、

「けど、おとひっちゃん頭いいから、いくらでも奨学金もらえるよね」

 ぼそっと呟いた。


 雅弘の父が運転する車でだいたい五分程度。自転車で十分程度の距離だからさほど変わらない。

「店主さん夫妻にはちゃんとおとひっちゃんのことを話してあるから、安心して行けばいいよ」

 さっきとはうってかわっておとなしくなってしまった雅弘に代わり、乙彦はいくつか質問を浴びせ掛けることにした。直接「みつや書店」の店主夫妻に尋ねるのも、初対面ではなんだなというようなことを。もちろんすでに、時給五百円の朝五時〜八時までの三時間勤務、月二十日間のシフトで約三万円。だいたい月謝をまかなう程度の額となることは聞いているが。

「じゃあ、土日はないということですか」

「もともと店を開けてないからね」

 運転しながら頷く佐川書店の店長もとい雅弘の父。

「立地の関係もあって、お客さんの殆どは青大関連の学生さんらしくてね。たまに土曜は開けることもあるらしいけれども、基本として日曜は休みなんだ」

「仕事は主にどんなことですか」

「たぶん、運ばれてきた古本を本棚に並べたり、他の古本屋まで物々交換したりとか、そのくらいだろうね。店番するのはまた別のバイトを雇うと話していたし」

「別?」

 もし自分に補習の予定がなければ、放課後も二時間くらいなら入ることができると思っていたのだが。察したのか雅弘の父はにこやかに続けた。

「みつわ書店さんから聞いた話だと、毎年青大附属の高校生か大学生をふたり雇うことにして、そのうち朝番と昼番にわけていく形式を取っているらしいんだ。どうも、すでに別の子のシフトが決まっていて、おとひっちゃんの場合ぎりぎりでもぐりこめたらしいんだな」

 もっと早くわかっていれば、昨日のオリエンテーリングの段階でもう少し麻生先生と話を詰められたのだが。しかたない。まずは毎月の月謝をまかなえることに感謝しよう。

「時間帯のことを考えるとただ古本の片付けだけとは思えないが、それもまたよしとするか?」

「はい、もちろんです」

「いい返事だ。ほら、ついたぞ。それと雅弘、お前はここで待ってなさい」

 てっきりくっついてくるつもりでいたらしい雅弘が、口を尖らせた。

「ええ? 俺、だめなの?」

「当たり前だろう。遊びに行くんじゃないんだ。それともこの辺、ぶらついてるか?」

「そうする」

 かなり不服そうだが、父の命令には逆らえず、雅弘は反対側のドアから降りていった。

「十五分くらいしたら戻ってくるから。置いていくなよ」


 話をだいたい聞いた感じだと、それほど難しいことを要求されるわけではなさそうだった。一度もアルバイトの経験がない乙彦にとって想像できないことではあるけれども、雅弘のように一日中レジ打ちをするわけでもなく、愛想笑いをする必要もないのならば、それはそれで気が楽なような気もした。腕力は人並みに自信があるつもり。荷物運びぐらいならお手の物だろう。

 青潟大学校舎のどでかい建物を左脇に見上げながら、乙彦は佐川店長に導かれつつ「みつや書店」へと足を踏み入れた。もろ、目の前だった。昨日、本当なら藤沖に古本屋へ連れて行ってもらい教科書を安く見繕う予定だったが、例の古川こずえによって遮られた。ついでだしチェックしてみるのもよかろう。

「ごめんください、佐川ですが」

 見た感じ、教室二部屋分もあるだだっ広い売り場にまずは驚いた。古本屋というともっと狭く小さいものではなかろうかと思うのだが。乙彦がきょろきょろしていると、

「はあい、お待ちしてましたよ」

 白いドアの向こうから、小柄ななりのおばあさんがひとり、ちょろちょろと出てきた。どことなくねずみを連想させるものがある。灰色のうわっぱりで、いわゆる「もんぺ」のようなものをはいている。

「今日は仕入れでうちの人出かけているですんで、どうもすいませんね」

「こちらこそどうも。例の、アルバイトの子を連れてきたんで」

 あわてて乙彦も頭を下げた。にこやかにおばあさんも頷きつつ、

「佐川さんのお墨付きの子なら、安心ですよ。まあまあこちらに来て、お茶でもどうぞ」

 ──店は大丈夫なんだろうか。

 ちらとレジのありかを探すと、白いドアの脇でひとり、てきぱきと手を動かし本の整理に没頭している男性がいた。大学生だろうか。その辺の年齢の見定めが難しい。

「久田くん、じゃあ店よろしくね」

「わかりましたー」

 目を向けず、その久田という男性は積み上げられた本を一冊一冊より分け、時折布で表紙をこすり続けていた。


「今のバイトさんが本当によくやってくれてねえ」

 おばあさんは腰を曲げたまま、まず佐川店長、そして乙彦に番茶を出してくれた。

「本当だったらもっと続けてほしいところなんだけども、やはりきちんとしたところに就職したんだったら、それはそれでおめでとうと送り出さねばならないし」

「アイデアマンだったようですね」

 佐川店長が相槌を打った。おばあさんもにこにこしながら、時折店を覗き込みつつ、

「毎日本棚と店掃除を徹底してくれたのも、売りものの本をこまめに磨いてくれたりしたのも、この店を改装する時に白っぽい今風の設置にしなさいと言ったのも、久田くんですからねえ。この歳になると、なかなかわかりませんでね」

 話の端々をつないでいきだいたい把握した。久田さんという学生アルバイトが、さまざまなアイデアを出して店をよくしてきたということだろうか。かなりの綺麗好きと見た。また、七年間というアルバイト期間を計算してみると、やはり乙彦と同じように高校一年から大学四年までここにいたということになる。

「久田くんはひとりでこの店切り盛りしてくれたのでねえ、それは助かったのだけど」

 おばあさんは言葉を切り、改めて乙彦に尋ねた。

「本当に朝五時から八時までで大丈夫なの?」

「はい、大丈夫です」

 本当なら放課後も出たいところなのだが。補習さえなければ。

 きっぱり答えたところで、また佐川店長が乙彦について簡単に紹介を続けた。

「うちの息子とは幼稚園の頃からのつきあいですんで、人柄は折紙つきですよ。本当にいい子です。青大附属に今年から通うことになってね、それで学費を自分で稼ぎたいということで。本当だったら遊びたい盛りだろうに、偉いと思いますよ。本当に」

 ──稼がないと通えないだろう。

「ところで、放課後はまた別の子を雇うんですか? 久田くんの穴を埋めるとなるとまた大変でしょう」

「それがねえ、二月くらいにねえ、いつも来てくれる大学の先生が、甥っ子さんかいとこさんか、とにかくやはり、青大附属高校に今年入学するという男の子をバイトさせたいという話でもって、決まってしまっていたんですよね」

「ほうそれは」

 つまり、乙彦よりも早くということか。

「もともと附属中学の子で、この春から下宿することになって、できるだけ早いうちに社会経験をさせたいということもあったらしいですよ。でもあまり目を離すと年頃の男の子だから何をするかわからないし、バイトもしっかりしたものの方がいいということで。久田くんにも今、しっかり仕込んでもらってますよ。でもやはりねえ、朝早いのはちょっと辛いみたいで」

 おばあさんの顔がその話をする時、心なしかほころんでいるように見えた。

「ほうでは、もう、仕事はさせているわけですね」

「といっても、荷物運びと、本の汚れとりくらいですかねえ」


 ということは、早めに自分も仕事の準備に取り掛かったほうがよさそうだ。

 佐川店長に渡しておいた学校関連の書類にサインをもらった後、もう一度出勤時刻の確認を行った。来週の月曜から出勤。朝五時。

「まずは久田くんに紹介しておくわねえ」

 腰を曲げたまま、灰色のおばあさんはもう一度ドアを開き、

「久田くーん、悪いけどちょっと来てもらえる?」

 呼びかけた。ぶっきらぼうに、

「わかりました」

 声が聞こえると同時に、ぼろ布を片手にエプロン姿の男性が現れた。もう全身真っ黒。顔は赤いにきび跡でいっぱいだった。店内の白っぽい雰囲気とは不釣合いに思えた。

「こちら、来週、朝の当番専門で入ってくれる関崎くん。今年青大附属に入学するそうなのよねえ。あと一週間だけど、よろしくね」

「よろしくお願いします!」

 乙彦も立ち上がり、深く礼をした。無言で顎だけしゃくるような礼をした久田さん。なんとなく無礼に見えたが、先輩とはそういうものだと思っていたので腹も立たなかった。

「一年生?」

「はい」

「じゃあ、南雲とも一緒の学年なんだ」

「誰ですか」

 けげんな顔を一瞬見せ、久田さんはおばあさんにもう一度尋ねた。

「青大附属の、一年?」

「そうなのよ、南雲くんは附属上がりだけど、関崎くんは高校からなのよね」

「はい、英語科です」

 よくわからないが、もう一人の昼当番が南雲という同学年の生徒であることはわかった。

 久田さんの表情がみるみるうちに明るく笑顔に溢れたのに、次の瞬間驚いた。

「そうかそうか、高校受験組か、英語科か!」

 乙彦があっけに取られている間に、久田さんはいきなり乙彦の手を取り、両手で握り締めた。かさついた指先で少しちくちくした。


 すぐに店へ出ていった久田さんに、おばあさんはいくつか注釈を入れてくれた。

「久田くんも、青大附属に高校から入ったのよ。それも田舎からねえ。だから、結構苦労したみたいなのよ。馴染むのに時間もかかったみたいで、だからこの店がうちみたいな感じだったようなのよ。ちょっと変わった子だけど、根はいい子だからねえ」

 あまり余計なことを言わないほうがいいだろう。とにかく、うまくやっていくに越したことはない。会話はすべて佐川店長に任せたまま、乙彦は黙ったまま両手を膝に置いていた。

 嫌われはしなかったようだ。月曜以降、教科書を仕入れられるかどうか相談してみよう。

 

「お疲れさん、じゃあおとひっちゃん、帰り道なんか食っていくか?」

 「みつや書店」から出てきて後、いつのまにか車の中で寝ていた雅弘をたたき起こし、佐川店長の運転のもと、近所のファミリーレストランまで向かった。雅弘も食べることに関しては異存なく、

「で、で、どんな感じだった?」

 根掘り葉掘り聞きたがる。こういうところはまったく、小学校時代の雅弘と変わっていなかった。

「なんか、うまくいきそうな気はする」

 それだけ伝えると、乙彦はまず手帳を取り出した。やるべきことをひとつひとつ、予定表に埋め込んでいった。


・明日から午前中補習。

・月曜日 朝 五時からバイト

・教科書の仕入れ

・同学年の昼当番(南雲)という生徒に挨拶をする


 ──それから。

 脇から覗き込んでいる雅弘に気兼ねして、さすがにもう一件は書けなかった。


・立村に連絡を取り、入学前に事情をすべて聞きだすこと。


 なんでも早めに処理しておくに、こしたことはない。

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