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高一・一学期 59

 ──なぜだ?

 挨拶もそこそこに、清坂と羽飛が乙彦を囲むような格好で座った。立村だけが戸口で三人をひとりひとり確認するようにして、

「サイダー持ってくるから、少し待ってて」

 そそくさと去った。

「あいつ何考えてるんだ? なあ?」

 いきなり乙彦へ話をふってきた羽飛。同じことを考えていたらしい。頷いた。

「さっき自転車の音がしたので誰か来るのかとは思ったが」

 厳密には気がついただけなのだが、嘘ではなかった。乙彦の言葉に清坂が反応してきた。

「え? 私たちが来るの気づいてたの?」

 背後の窓を指差し乙彦は説明した。

「軋む音がした」

「耳がいいのね」

 別にそういうわけでもないと思うが、否定することもないので黙っていた。

「いきなり俺たちが来たのでびびっているのも当然だと思うけどなあ」

「いや、びびりはしない」

 ここで牽制しておく。羽飛はたいして気にも留めずに続けた。清坂が妙に真面目な顔をして男子ふたりの様子を見ている。男子相手だとさほど重たくもないのだが、どうもこの清坂の態度が暑苦しいのは気のせいだろうか。そのようにしておこう。

「俺たちな、終業式終わってからうちうちで遊んでたわけなんだよな。立村も誘うつもりだったけどああいう奴だから、強く俺が言わないと来ないだろ?」

 思わず共感する。空気が少し緩まった。羽飛はにやっと笑った。

「だもんでな、天羽たちも含めて俺が留守電入れておいたんだ。連絡しろって」

「留守電か」

 ちなみに関崎家では今だに黒電話である。そんなハイカラな機能はついていない。

「そしたら立村から連絡が来てな。俺たちだけここに来いって言われたわけだ」

「青潟駅あたりで集まっていたのか?」

「いや、この近くのカラオケボックスだ。古川がしゃべってたぞ。関崎、マイク一度握ったら離さない性格だってな」

「マイクは離すがカラオケは好きだ」

 事実なので否定できない。いったい古川こずえは陰で乙彦のことをどう話しているのだろう。女子のおしゃべりはどうしようもないものだと理解はしているけれども、どこまで情報が広がっているのか計り知れないものがある。

 清坂がスカートを少し広げるようにして足を崩した。

「つまりね、天羽くんや難波くん、こずえとかあと他にも何人かいて、みんなで盛り上がっていたのよね。立村くん、いつもこういう集まりって来たがらないんだけど、結構品山からも近いし、だったら来てくれるかなって声かけてみたってわけなのよ」

「古川あたりが誘ったのか?」

 なんとなくそんな気がした。世話好きの姉さんだし、弟分と呼ぶ立村を少しは馴染ませねばと気遣ったのかもしれない。古川こずえはその点頭の働く女子だ。

 羽飛が手をぽんぽん打って認めた。

「千里眼かよお前、そうそう、その通り。古川にやいのやいの言われて、それで電話かけてみたら折り返しカラオケボックスに掛かって来てな、今すぐ来いとか言われてな」

「関崎くんと会わせたかったのかなって、今思ったけど」

 また清坂が口を挟んだ。

「ま、これも縁だ。お前もこれから来るか?」

「どこにだ」

「カラオケボックス。喉がうずうずしてるんだろ。古川が言ってたぞ」

「今はいい」

 天羽や難波など、乙彦を密かに敵視している連中と無理に和む気はなかった。

「まあいっか。それよか関崎、いつから来てた?」

「ついさっきだ。話があったから呼び出した」

 嘘ではない。あっけにとられるふたりの様子が何かぴんとこない。

「話って?」

「英語科の今後を考える上で、話したいことがあったからだ」

 曖昧にぼかすのは正直、乙彦の流儀ではないのだが。食いついてきたのは清坂だった。

「立村くんのことで何か、またもめたの?」

「今はもめているわけではないが、これから先のことを考えて一度、腰を据えて離したいと思っただけだ」

 全くもって事実。嘘は話していない。もちろん例の藤沖たちをからめた事件について話す気はない。反応のあやふやなところを見ると、清坂たちは例の視聴覚教室の出来事について仔細を耳にしてはいないようだ。ということは話さないほうがよい、と判断した。


 ──ということは、立村がこのふたりを呼び出したということか。

 いくら偶然とはいえ、お膳立てがきちんとしすぎている。何かたくらんだのではないかと邪推したくなる。しかし羽飛と清坂の顔を見ている限り、そんなあくどいことは考えていないようにも見えた。特に清坂は乙彦と対面してぎょっとした様子だった。

 ──紹介でもするつもりなのか。

 そうとしか思いつかない。もともと立村を含めたこの三人は、中学時代同じクラスであり、特に親しい友人同士だったと聞いている。しかも、清坂は立村と恋愛感情を共有していたはずである。もちろん立村を見る限り、その気持ちは薄れているのだろうと判断しているが、よき友であることには変わりないのだろう。だから、わざわざ立村の家まで来たのだろう。

 もっとも別クラスだ。話を親しくする機会はそうそうない。ないが、後期評議委員を務める場合どうしても羽飛とはつきあう必要が出てくるだろう。それを見込んで……古川あたりから情報を得て……後期評議委員に立候補するであろう乙彦を今のうちに紹介しておきたいと考えたのだろうか。考えられないことではない。中学時代、評議委員長としていろいろと裏工作を行う立場にあった立村ならば、それなりに思うところもあるのかもしれない。

 ──だが、あくまでも俺の想像に過ぎない。なんでなんだ?

 なんでだろう。何も並んでいないテーブルを前に乙彦は、羽飛と会話を交わしつつ探りを入れることに専念した。


 とはいえ、同じ高校の生徒同士、共通の話題には事欠かない。藤沖の様子にもちらと話が向いた。切り出したのは清坂だった。

「関崎くん、そういえば、藤沖くんと仲よかったんだったっけ?」

「あいつはいい奴だが」

「藤沖くんの彼女の話、聞いている?」

 どうやらおしゃべり古川こずえも、親友の清坂美里に事件の真相は伝えていないようすだ。

「存在だけは聞いている」

「やっぱりそうなんだ。みんな変だと思ってるんだね」

 羽飛が少しだけ無関心を装うように窓を眺めた。

「今日も誘ったけど来なかったしね。彼女にべったりくっついているってもっぱら噂なんだけど、ちょっと信じられなくって」

 目を離したらまた、自傷行為を繰り返すかもしれない彼女のことだ。心配でならないのは当然だろう。余計なことを口にすればどつぼ。あえて黙っていた。

「こずえにも聞いたけど、知らないみたいだしね。関崎くんなら知ってるかなって思って」

「美里、わかるわけねえだろ。野郎同士はなあ、女子と違って誰と誰が付き合ったとかそんなことで真剣に悩まねえの!」

 茶々を入れる羽飛。視線はやはり窓を向いたまま。清坂が言い返した。

「だってさ、藤沖くん最近様子変なんだもん。評議をやめてもいいとか変なこと、言ってるって噂聞いたよ」

「古川からか」

「ううん、他の子から」

 やはり古川は、大切なことには口が堅いと見た。清坂はまた足をたたみなおすようにして話を続けた。

「応援団作りたがっているのは聞いていたけど、準備が必要じゃあない? なのに、いきなりいろんな先生に話を持っていったりしているし、評議委員会にもあまり積極的に参加しなくなってるし。どうしたのかなって。関崎くん、なんか知らない?」

 やはり古川の言う通り、藤沖は例の事件をきっかけに委員会活動へ身が入らなくなったのだろう。応援団結成の話は前からあったことだし、清坂もそのあたりは知っているようだ。しかし古川にも念を押されている。清坂美里には一切話をするなと。

「それにしても、立村おせえなあ」

 半ば強引に羽飛が割り込んだ。叫び加減に、

「あいついったいどこまでサイダー取りに行ってるんだ?」

「いわゆる、ラムネの瓶だったが」

 乙彦は指でラムネ瓶のデザインをなぞって説明した。

「ラムネ?」

「瓶の中にビー玉が入っている奴だ。首のくぼみにそれを落としこんで飲む」

 わけのわからないといった顔で清坂は羽飛と顔を見合わせた。

 羽飛の言う通り、確かに立村が戻ってこないのは変だ。

 乙彦も自分なりの推理をしてみた。

「立村の家には地下室あるのか」

 やはりふたり首を振った。

「貴史、そんな話聞いたことある? 私ないよ。さすがに」

「俺も」

 外国映画でよく、高級ワインを置く部屋が地下室に用意されているという場面を目にするので、もしかしたらと思っただけである。外した。

 同時にドアが開いた。立村が一本だけラムネ瓶を持ち戻ってきた。


「お前どこまで買いに行ったんだ?」

 それには答えず、立村はそれを羽飛の真正面に音立てず置いた。乙彦と清坂の前には何も置かなかった。

「清坂氏」

 いきなり呼びかけた。清坂も口を少し尖らせるようにして、

「なあに」

答えた。すっと立村の顔を見上げた。立村は自分の左肩を差すような手振りで呼んだ。

「ちょっと」

「なんだろ」

 乙彦と羽飛を交互に見ながら立ち上がり、立村のもとへ向かう。スカートがふんわりと広がった。立村の顔をあらためて見た後、

「なあに」

 もう一度尋ねた。すぐに立村は何かを清坂の耳に囁いた。とたん、大きな瞳を見開き清坂が激しく首を振った。言葉を発しなかった。

「おいおいなに内緒話してるんだ? やらしいなあ」

 からかうように羽飛が声をかける。しかし無視されている。さらに立村が聞き取れない声で何かを囁いている。傍目にはいちゃついているようにも見えるのだが、時々乙彦を見やるのがひっかかる。聞こえるのは清坂の、

「そんないきなり!」

とか、

「だって、そんなことできるわけないじゃない!」

とか、とにかく戸惑う様子だけ。

「だって立村くん、そんなこと」

 かすかに立村が首を振った。もう一度乙彦の顔をまっすぐ見据えた。

 激しい炎を見た。

 ──あれは。

 雅弘をぶんなぐる直前のものに、なんとなく似ていた。

「俺しか言えないだろう!」

 厳しく、びしりと。そしてゆっくり、今度は乙彦にきっちり向かい、清坂をそっと前へ差し出すようなしぐさをした。触って押し出すのではない、さっと、流すように手を差し伸べた。

「関崎、話は終わった」

 短く告げた。

「清坂さんを家まで送ってくれ」


 清坂は呆然としたまま、乙彦の真正面で立ち尽くしていた。立ち上がったのは乙彦よりも羽飛の方が早かった。

「立村お前、何を考えてるんだよおいおい、美里も一緒に連れて来いとか言ってたくせに」

「これから話す」

 有無を言わせず、立村は黙らせた。乙彦にも、

「清坂さんと一緒に帰ってくれ」

 また命令口調で繰り返した。こういう「〜しろ」というような命令形の言葉は正直好きではない。ないのだが、滅多にそれを使わない立村が口にすると、自然と体が動いてしまう。かろうじて尋ねた。

「なぜだ」

「関崎と話は終わった。清坂さんがお前に話があるそうだ」

「俺はまだ言いたいことがあるが」

「夏休み後でもいいだろう。とにかく、今は一緒に出ていってくれ」

「その言い方はないだろう? お前の方から引き止めておいてだ」

 わけがわからない。この部屋の中にいる奴らで、立村の意図することを理解できるものがいるだろうか。乙彦には判断がしかねた。

「今から羽飛と話をする。聞かれるのはまずいんだ。だから」

 失礼すぎるその言動にかちんとくる。言い返したい。

 場を治めたのは清坂美里の一声だった。


「関崎くん、話があるの。一緒に帰ろう」

 すっと背を向けた。

「美里、お前も何を」

 名前で呼ぶ羽飛。確かこのふたりは幼なじみだったと聞いている。

「あとで説明するよ。貴史ごめん」

 片手を挙げ、そのまま振り返らずに姿を消した。立村が向こう側……おそらく玄関だろう……の方へ目線を向けた後、乙彦にも頷いてみせた。

「話を、聞いてやってくれ」

 かすれた声で立村は囁いた。腕を取り、黙って玄関まで連れて行った。すでにサンダルに履き替えた清坂が乙彦を待っていた。黄色いワンピースは大きく花ひらいたひまわりのようだった。スニーカーの紐を縛ろうとする乙彦の頭越しに清坂美里は、立村に呼びかけていた。

「立村くん、ごめんね」

 一瞬言葉を切り、

「ありがとう」

 もう一度立村は、かすかな笑みを持って頷いているようだった。乙彦が頭を挙げた時、ふたりの間にどことなくやわらかな空気が漂っているように感じた。友情なのか、それとも一度は付き合ったことのある恋愛感情なのか、それはわからない。ただ、今まで短絡的に判断できるような繋がりでないことだけは確かだった。邪魔する気はなかった。


 立村は玄関で見送るのみだった。清坂美里が自転車の鍵を外し、ゆっくりと自転車を押して歩いた。送るだけならば、さっさと青潟駅まで自転車に乗っていけばいい。それだけなのになぜか清坂は、わざとゆっくり歩こうとする。

「このあたり危険なのか」

「って、立村くんは言うよ。昔神隠しがあったんだって」

 顔を向けず、そのまま清坂は答えた。

「だが昼間だろう。危険でもないだろう」

「関崎くん、私を送るのはいやなの」

 困った。気が進まないのは事実だ。黙っていると清坂はまた俯いた。

「そうだよね。最初っから私に興味なさそうだったもんね」

「顔と名前は知っている」

「私がしつこくアプローチしたから当然だよね」

 かぼそく呟き、くいと唇の端を引き上げた。

「知ってると思うけど、私、中学時代、立村くんと付き合ってたの」

「聞いている」

「でも今は、別れてるの。別れるというより、仲のいい友だちに戻ったの」

 それは今の言動を見ていればよくわかる。

「立村くん、きっと気づいたんだね。すっごく立村くんって繊細で、ふつうの人が感じないようなことに気がついてて、それでなんとかしようとして私や貴史や先生たちに怒られてたの」

「何に気づいたんだ?」

 またわけのわからないことをいう。だから乙彦はこの清坂美里が苦手なのだ。

「でも、今は、感謝してる」

「何をだ」

「気づいてくれてたんだってこと。わかる?」

「わからん」

 女子の言うこともさることながら、立村の思惑も見当がつかない。どうやら清坂にはなんらかの考えがあったらしいとは気づいたが。

「私が、関崎くんのことを好きだってこと」


 ──これが目的か!


 懸命に避けようとしてきたこのシュチュエーション。

 乙彦も全く気づかないわけではなかった。だから折りを見つけてはその気持ちが全くないと説明してきたつもりだった。しかし、思わぬところで足をすくわれてしまった。考えてみれば自然だ。そういう形に持っていくとは思わなかった。いやなによりも、以前の彼氏だった立村自身がお膳立てしようとは!


 言葉が出ず、自転車を留めたまま立ちすくむ乙彦に、清坂は畳み掛けた。

「立村くんは、自分のことよりも人のことを最優先で考える人なの。だから、私の気持ちを気づいた時、きっとなんとかしようって気になったんだと思うの。でも、関崎くんは気づいてないよね。伝えなくちゃ何もわかんないよね」

 一気に、溜めていたものを吐き出すように。勢いに押された。

「いつか、関崎くんにはっきり、こう、言いたかったの。でも、関崎くんと静内さんと色々噂があったから……でも、言わなくちゃわからないってこともあるし、それに別のクラスだから私がどういう人間だってこともきっと知らないと思うんだ。いい噂じゃないって、こずえからも聞いてるし、だから、ここではっきり言いたかったの」

「気持ちは嬉しい。ありがとう。あの、だが」

 言葉を選び慣れていない。答えは一瞬のうちに「NO」である。それをそのまま即答すべきだと乙彦は思う。余計な夢を与えることなく、きちんと自分の気持ちを伝えて、その上で受け入れられない旨伝えるべき。杉本と同じ思いをさせるべきではない。

「関崎くん、静内さんと付き合うつもりなの?」

 清坂はまっすぐ切り込んだ。

「まだ、付き合って、ないよね?」

「付き合ってはいないが、そんなことを考えている暇がない」

「暇なんてつくんなくたっていいの。学校で顔を合わせるだけで十分よ。そんな難しいことじゃないよ、付き合うって。ただ学校でおしゃべりして、ただたまにどこかでお茶したり」

「そういうのはあまり、好きじゃない」

 断り文句を言いそびれそうだ。もしや立村は、この迫力に押しきられたのだろうか。

「じゃあ、まだ私にも、チャンス、あるよね。私のこと、知ってもらう機会、あるよね」

「高校時代はまだ長いから」

「今すぐじゃなくても、好きになるかも、しれないよね! 何パーセントかわからないけど」

「将来のことはわからないが」

 つい口走った言葉が命取りだった。飛びついてきた。釣り針の極上の餌になってしまった。

「だよね!なら、もしかしたら将来、私のこと好きになる可能性もないわけじゃないってことよね!」

「もちろん確率でいけばそうだが」

 まずい。乙彦は清坂美里の言葉を遮り、正面から告げた。

「申し訳ない。気持ちは嬉しいが、俺は今のところ清坂さんの気持ちを受け入れられない」

「今は、でしょ」

「今ではなく、恐らく将来においてもだ」

 はっきり、逃げ隠れもない科白で断ち切ったつもりだった。

 

 清坂美里はまったく驚く様子を見せなかった。

「そう、やっぱりそうなんだ」

 すうっと空を見上げた。青空とまっすぐな瞳と、鮮やかなビタミンカラーのワンピースが一枚の絵として切り取られている。思わず乙彦は見とれていた。

 もし、静内をライバル視している立場の女子でなければ、もしくは立村の元彼女でなければ、心惹かれることもあったのだろうか。一瞬だけ自問自答してみたが、やはりNOの答えしか伝わってこなかった。何かが違う。伝わってくるリズムや会話の流れ感が、いわゆるクラシックとポップミュージックとの差くらい、はっきり異なっている。話の内容を調節することならできるかもしれないが、指揮者の拍子を無理やり変更することはできそうにない。

「関崎くん、将来って、まだ見えない先だよね」

「そうだが」

「それ、私もそうだけど、関崎くんにも、見えないんだよね」

「そうだな」

 指を空に指し、そのままつぶやいた。

「今わかっていることは、私が関崎くんのことを好きだってことと、関崎くんは私のこと好きじゃないってことだけ。将来どういう気になるかってことは、お互いわからないよね」

「それはそうだが、だから将来と」

 付け加えたつもりだった。

「じゃあ、『今』はまだ、あきらめる必要がないよね。だって関崎くんはまだ、私のことをそれほど知らないし、静内さんとも付き合っていないし、杉本さんとも付き合っていない。他の誰ともまだ付き合ってないんだもんね」

 ──何を言い出すんだ?

 また突拍子もない発言に硬直し、足が動かない。清坂は乙彦に向き直った。凛とした態度と、確固たる覚悟を感じさせるような瞳でまっすぐ見据えた。

「私は、関崎くんのことを、自分が納得するまで好きでいつづけるから。それは私の意志だから。送ってくれなくてもいいよ。今日、伝えたかったこと、全部言ったもん。じゃあね」

 鮮やかに自転車をカーブさせ、片足でけんけん乗りをした後乙彦を尻目に、清坂の自転車はまっすぐ川べりの路を通り過ぎていった。川の方から柔らかい風がふいてくる。緑と、水色と、そしてきらめく太陽。清坂美里という女子にはそのすべてがあふれている。夏の風をそのまま浴びた光り輝く、おそらく自分以外の男子ならばきっと心惹かれるであろう女子のはずなのに。


 ──どうすればいいんだ?


 乙彦はひとり取り残された後、改めて自転車を漕ぎ始めた。

 入学してたった三ヶ月というのに、なんでこんなに女子たちにちやほやされるのだろう。

 ──シーラカンスとか言われていた俺がだ、いったいなんで。

 客観的に見れば、水鳥中学時代、女ったらしのように見えた総田幸信のような立場にいるのかもしれない。正直なところ不本意ではあるが、決して遊びでそういう言動をしているつもりではない。かつての関崎乙彦ではなくなったわけじゃない。女子たちと話をしている時よりも、むしろ男子連中と語らい、外部生チームと馬鹿話をしあい、クラス運営の今後について真剣に討論している時の方がずっと自分らしく生きているような気がする。

 自分の意図とは別に、何かが翻弄され、ぐるぐる回っている。

 こういう場合、はたしてどう反応すればよかったのだろうか。かつての杉本梨南に対して接したやり方がまずく、いまだに尾を引く展開となってしまったのは自分のミスである。反省している。しかし、その反省を元に二度目接した清坂美里に対しては、いったいどう接すればよかったのか。気持ちがない、将来的にもおそらく感じることはない、そういう言葉すらもすりぬけてしまったとしたら。

 いや、それをたくらんだ大元が、

 ──立村だったのか。

 元彼女の気持ちを見抜いて、わざわざ呼び出し、無理やり押し付けて帰らせるなどというやり方をするとは、汚いというべきかそれとも「彼女思い」というべきなのか。いやいや、立村なりの、乙彦に対する意趣返しなのだろうか。かつての青大附中評議委員長として、陰でいろいろ立ち回り、今回の藤沖たちに関する一件においても重要な役割をいまだ果たしている立村は、まだまだ裏の実力者として存在しているのだろう。少なくとも乙彦にはそう思えた。

 だが、正直今のところ、もう考えるのはめんどうくさかった。

 第一、明日から夏休みなのだ。

 もちろん夏休み中立村を放置しておくつもりはさらさらないし、藤沖や片岡、その他いろいろ青大附属の連中とは時間を見つけて話をする機会はあるだろう。だが、せっかくの夏、青空を辛気臭い語り合いのみに費やすのは勿体無い。そんなことよりももっと、照りつける太陽の下で走り回り、ボールを追いかけ、思いっきり汗をかく。そちらの方がずっと秋に向かって希望的な展開を待つことができそうだ。静内や名倉とともに自由研究の準備だってある。立村たちとは違うまっすぐなやり方で乙彦は、すべての問題を切り込んでいく、そういうことだってできるはずだ。

 清坂の言葉に関しては……今、言うだけのことは言った。

 NOの返事だけは、はっきり伝えた。

 今のところ清坂にするべきことは、見つからない。未来を待とう。


 ──そうだ、同窓会をやろう。

 乙彦は頭を切り替えた。自転車の向かう先は青潟駅だった。

 ──雅弘に手伝わせて、連絡つく連中と集まってなにかやろう。その辺の公園で集まってもいいし、学校の教室を借りてもいい。まずは雅弘に声をかけるか。

 たぶん雅弘は夕方、レジ打ちの手伝いをさせられているはずだ。乙彦以上に顔は広い雅弘のことだ。きっといくらでも人を集められるだろう。もしかしたら生徒会役員だった連中とも連絡がつくかもしれない。まさかとは思うが総田あたりも来るだろうか。

 まだ日の暮れない空をまっすぐ見つめつつ、乙彦はペダルを漕いだ。品山から離れれば離れるほど、中学の同窓会計画は頭の中でどんどん組み立てられていった。


 乙彦は自転車を漕ぎ、品山駅まで出た。ちゃらちゃらした格好の男子女子たちが夕暮れの駅前通りをたむろしているのは相変わらずだった。そこからまっすぐ車道に入り、青潟駅まで一気に進むことにした。一度来た路はなぜかそれほど長く感じない。青潟駅前の佐川書店に足を向けた。その途中だった。

 白いセーラー服に紺のスカーフ姿の女子ふたり組とすれ違った。珍しく二人とも見覚えのある顔だった。乙彦は立ち止まった。

 ひとりは少しパーマがかった髪を一本に結い上げている、透けるような色の白い女子、またその隣はおさげ髪を綺麗に整えた、はつかねずみのような表情の……。

 小さな手提げと一緒に、真っ白い花の束を新聞紙に包んだまま抱えていた。抱えるのも重たそうだ。その花束に顔を覆い隠す格好で隣の女子とふたりささやきながら歩いている。

 その花の名は乙彦にはわからない。ひまわりではない、葉牡丹でもない、菜の花でもない。

 豆粒みたいな白い花がいっぱいで、見た目、ふわっと軽そうだ。

 ──もしかして? 

 念のため横顔を確認した。

 ──水野さんだ!

 認識するより先に、思わずその名で呼び止めた。

「水野さん!」

 三歩ほど、ふたり組が離れた後だった。振り返った水野さんの顔は最初、きょとんとしていたけれども乙彦と気づいたのか、微笑んで小さく礼をした。


 ──水野さん、よかったな。

  

 高校受験の失敗で、水野さんが憔悴しきっていた合格発表の日を、乙彦は覚えていた。

 意に染まぬ高校であっても、水野さんは乙彦のよく知っていた笑顔で、同じ学校の友だちと楽しそうに微笑んでいる。それだけで十分だ。 

 向こうには連れもいる、これ以上近寄って言葉を交わす必要もなかった。

 乙彦は片手を挙げ、そのままふたりを見送った。 

 瞼の裏に焼きついたひまわりや葉牡丹や菜の花や、油絵の具で塗りたくられたようなたくさんの花の色。すべて水野さんの抱えていた白い花束の色で埋め尽くされていった。

 

 白く、白く。


                      

                           高一一学期編 完結


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