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高一・一学期 4

 他の科目担当の先生たちとも麻生先生と似たようなやり取りを行い、昼食を学生食堂で済ませ、乙彦は藤沖と一緒に一年A組の教室に向かった。予定ではクラス全員の顔合わせを行いその後で、体育館内での入学生オリエンテーションへと続くそうだ。

「内実、内部生の集団だし、いわゆるクラス換えと感覚は変わらないわけだ」

「そうか」

「だが普通科にもそれなりに入学者がいるはずだ。関崎と同じように迎え入れられるはずだ」

「そうなのか」

 歯医者の麻酔に似たしびれのようなものを感じていた。自分が英語科入学者としては唯一の生徒、それゆえの特別扱い、それは午前中の流れでよく理解した。落ちこぼれさせないために青大附属の教師たちが全力で準備してくれていることもよくわかった。

 普通科の入学者もだいたい三十人前後はいるはずだというのに、なぜだろう。

「もちろん関崎とは違い集団でのミーティングだとは思うが、ひとりひとりに話をする形式なのは確かだ」

 藤沖は言い切った。

「外部生を孤立させないことは、教師にとって一種の義務でもある。もちろん生徒にとってもだ」

「すごいな」

 それ以外言いようがない。

 藤沖は両ポケットに手をつっこむと、ブレザーの肩を怒らせ空を見上げた。

「お前の気持ちはわからんでもない。俺も入学当時はそうだった」

「中学にか」

「理解不能だった。ましてや小学生から中学生に進学してだぞ。混乱するのも当然だ」

「でもなじんだわけか」

 藤沖は頷いた。さっき食い終わったカツどん定食の匂いがぷんとする。

「ラッキーだったのは、早い段階で生徒会と関わることができたことだろう」

「評議委員ではなく、か」

 顔をかすかにしかめ、藤沖はその体のまま唇をひきしめた。

「委員会は入学とっぱじめで選ばれる運というもんもある。だが生徒会にかかわるには、半年くらい間がある」

「ああそうだな」

 思えば自分も最初は陸上部だった。乙彦は自分とほぼ変わらない背丈の藤沖を眺めやった。

「だから悪いことはいわん。関崎」

 藤沖は誰もいない教室を見渡しながら、乙彦に言い放った。

「なんでもいい、後期に入ってからでもいい。補習の嵐が落ち着いたら後期以降、なんかの委員でもぐりこめ。俺が思うに、お前は規律委員が向いているように思うが」

「規律?」

「いわゆる、生活委員のようなものだ。遅刻したり服装違反した奴には違反チケットを切るといったもんだ」

 ──水野さんか。

 お下げ髪の水野五月がまたちらついた。すぐに眼を閉じ打ち消した。

「まずは英語科連中を一通り眺めた上で、どう動くか決めるといいだろう。その辺、俺もだいたい把握しているからわからなかったら聞いてくれ。男子連中もそうだが、青大附属は女子に対してレディーファーストを心がけねばならない学校だ。その辺も慣れるまではなかなかしんどいだろうが」

 ──レディファースト?

 そういえばこの学校の校訓は「紳士たれ、淑女たれ」であった。水鳥中学とは違い、やはりお嬢さま然とした女子が多いのだろう。もっともあまりそんな女子たちと話をしたいとも思わなかった。そんな時間あるわけがない。

「女子と話す気はないからな」

 乙彦がつぶやくと、いきなり藤沖が顔を覗き込んできた。笑みはない。たた唇の端につばがしみたような感じで、

「そうか、女嫌いか」

 問い掛けてきた。

「無視はしないが」

「少ししんどいだろうな」

 顔がゆがんでいるのは気のせいだろうか。乙彦が眼を逸らすと、藤沖はしつこくそれを追った。

「頭の回転が速くて気の強い女子はいろいろ面倒だ。避けられるなら避けた方がいい」

「言われなくてももちろん避けるだろう?」

「いや、それがな」

 鼻の下を人差し指でこすりつつ、藤沖はふっと息を吐いた。

「向こうから寄ってくる。逃げるのは至難の業ともいう」

「女子の方からそんなことするのか」

 乙彦もうなづいた。

「面倒なことにかかわりあうのはごめんだ」

「ほお、思い当たる節があるのか」

 鋭く突っ込まれた。こいつ、ひそかに鼻が利くらしい。急いで否定した。

「いやそんなわけではない」

「無理するな。そのあたりも頼ってくれ」

 頼りたくもない。乙彦が黙ると藤沖はそっぽをいきなり向いた。

「関崎と俺の好みは近いとみた」

 何が近いのだろう。わけがわからぬなりに見返すと藤沖は急に、はにかむように笑った。

「ま、そう思っただけだ」


 しばらくふたりでとりとめもない話をしていた。藤沖も乙彦に聞かれたことは何でも答えてくれたが、英語科クラスメートの個人名については一切触れる気配がなかった。

 気の強い女子と、少しぼんやりした感じの男子の二十人クラスだということ。

 また、成績もかなりばらばららしいということ。

 そして、経済的に恵まれた家庭の子どもが多いこと。

 英語科クラス全体におけるひとまとまりのイメージはもちろん湧いた。

 ただ具体的に誰がどういう人間なのかは幽霊のように輪郭のみの実感だった。

「立村はかなり英語の力あるんだろうな」

「他クラスの奴のことはよくわからない、そんなことどうでもいい」

 過剰に立村について避けようとするのが納得いかない。原因不明だがひっかかる。無理やり話を逸らそうとする藤沖を乙彦は何度も引き戻した。

「お前なんで、立村の話いやがるんだ? だってあいつ、評議委員長だったんだろ?」

「知っているだろうがあいつは後期、降りている。後期評議は天羽という奴だ」

「だが生徒会長として付き合いはあるだろうが」

「それ以来は一切ない」

「それは不自然だろう?」

 乙彦がそこまで問い詰めたところで、藤沖は黙りこくった。

 同時に、教室の戸が開いた。冷たい空気がさっと光のように差した。

 ──誰だ?

 乙彦が顔を向けたその先には、髪を二つ分けにした女子がひとり、突っ立っていた。

「関崎くん?」

 ぼけっとしたまま乙彦がその女子を見つめていると、後ろから藤沖が助け舟を出してくれた。

「清坂か」

 ──もしかして、あの、評議の女子か。

 顔を覚えてはいた。ただ髪型があの時はおかっぱだったから、気付かなかっただけだ。

「評議委員の、清坂さんか」

 フルネームで思い出した。

 ──清坂美里。

 立村と同じクラスの評議委員、交流会の時はバス停まで送ってくれた。忘れるわけがなかった。乙彦は記憶力に自信がある。

「覚えていてくれたのね」

「忘れるわけがない」

 どこか言葉が投げやりになってしまった。なんでだろう。


「清坂、お前何組だ」

「B組。掲示板に張り出されてたのが間違ってなければね。それよか藤沖くん早いね、どうしたの?」

「朝から来てたが、文句あるか」

 ぶっきらぼうながらも、たいして機嫌も悪くなく藤沖は受け答えた。

「そう、じゃあまだ、こずえ来てないみたいね」

「古川は見てないな」

「あっそ。じゃあ、ごめん、ちょっとこずえに用事あったから寄ってみたんだけど。また来るわ」

 片手をさっと挙げると、清坂はまたドアの向こうに消えようとした。乙彦はそれを追おうとした。察したのか清坂も振り返り乙彦を待つかのようにし、

「なあに、関崎くん」

 すぐに乙彦の苗字を読んだ。向こうも記憶力はしっかり持っているらしい。

「立村はまだ来てないのか」

 まずは尋ねた。藤沖よりはわかりやすい返答をしてくれるだろうと判断したからだった。

 戸惑った風に清坂も首を傾げた。

「立村くん? まだ会ってなかったの? もう会ってるかと思った」

「昨日電話したっきりなんだ」

 ちらと清坂は藤沖を見やった。唇をきゅうと引き締めるようにし、また首をかしげた。

「藤沖くんの事情はわかってるから、向こうもわかってるから、あまり気にしないで」

 さらりと声をかけた。藤沖も知らん振りを決め込み、露骨に背を向けた。同時に乙彦の袖を引っ張ると清坂は、

「じゃあ関崎くん、ちょっと来てくれる?」

 そのまま廊下のど真ん中を歩き始めた。

 ──いきなり何するんだ、この人は。


 さっき藤沖にささやかれた「頭の回転が速く気の強い女子」の典型が、清坂美里なんじゃないだろうか。

 ──そして確かこの人は立村の。

「何ぼおっとしてるの。早く、みんな揃わないうちに」

 せかされ、乙彦はそれ以上考えるのをやめた。女子がらみのことはよほどのことがない限り考えない方がいろいろと楽である。


 一年前、立村が青大附中の評議委員長だった頃、水鳥中学生徒会との交流会をめぐりいろいろとトラブルが起きた。当時、乙彦は水鳥中学生徒会副会長ということもあり仲裁に飛び回ったものだった。その際に一番連絡を取り合ったのが立村で、その縁が今だに続いている。

 水鳥中学側が生徒会、青大附中側が評議委員会を代表とする打ち合わせは、両校ともに何度か行われ、結局次の代から正式な交流会が発足した。その下地をこしらえたのが自分らであるという自負は持っている。

 その他、乙彦の想像できないところで感情的な問題があちらこちらで起こりしょっちゅう振り回され偉い目にもあったが。女子が絡むとろくなことにならないという経験も、十二分に味わった。それでもやはり、無事に収まったのは代表が鷹揚な性格の立村だったからだろう。乙彦が副会長に在任していた頃に限って言えば、それ以上の混乱も起こらずに済んだはずだ。

「立村くんね、C組で他の男子たちと話してるんだ。中学で一緒だった奴が多いからね」

「まだ英語科の教室には来ないのか」

「うん。ちょっとね。来辛いんだろうね」

 清坂は言葉を濁した。どうも立村がらみの話には、にごった匂いがする。

 こういうのはあまり好きではない。白黒はっきりつけるしかない。

「藤沖もやはりすっきりしないこと言っていたが、立村が何か問題起こしたのか」

「やはり聞いてる?」

 また、あいまいな返事だった。嘘はつきたくないのできちんと答えた。

「立村がからむと白もグレーゾーンになるとかなんとか言われているが、何かあいつ誤解されているのか」

「鋭いよね、藤沖くん。言うことは間違ってないよ。別に誤解はされてないんだけどね」

 無理に笑顔をこしらえた風に見えた。やはりごまかしているようだった。いらいらする。

「立村くんも、言い訳しないからしょうがないの」 

「ということはやはりなにかあったのか」

「同じクラスになるんだからたぶんわかるんじゃない? 藤沖くんも教えてくれるよ」

 清坂はふっと立ち止まり、乙彦をまっすぐ射た。

「でも、関崎くんは立村くんのこと、いい奴だと思ってるよね。それだけでいいじゃない。ちょっと待ってて」

 乙彦が問いかけようとするのを軽く振り切り、清坂美里はすばやく教室のドアを開けた。

「立村くん、ちょっと来て! 貴史、悪いけど立村くん、ちょっと借りてく」

 やたらと「ちょっと」を繰り返す清坂の背を乙彦は見つめていた。

 ──なんで俺がこうやって、引っ張りまわされるんだ?

 水鳥中学時代は決してありえなかったポジション取りに、まだ慣れることができなかった。

 清坂と入れ替わりに立村が姿を見せた時も、まだその麻痺した感覚を消せずにいた。


 制服姿の立村は立ち振る舞いも控えめで、動く際の空気の揺れがほとんど感じられなかった。

「立村、久しぶり」

「こちらこそ」

 ブレザーの裾も袖も長めで、なで肩の身体からするっと抜けてしまいそうに見えた。何度か青大附中時代の立村と直接会っていたけれども、こうやって同じブレザー制服を

まとい向かい合うと、どことなく照れくさい。中学時代は学ラン姿で向き合っていたせいか、どうも自分が借りてきた猫状態のようでならない。

「これから、英語科で三年間、よろしくな」

「こちらこそ」

 また、立村は同じ言葉を繰り返した。浮かんだ表情はやわらかく、どことなく遠慮がちに見えた。

「さっき清坂さんに連れてきてもらった」

「そうだよな。そう言ってた」

「午前中は藤沖がいろいろ案内してくれた」

「そうなんだ、ならほとんど問題ないな」

 首をかすかに縦振りし、立村はまたやさしげに見返した。藤沖の名を聞いてもさほど驚いた風でもなかったところみると、やはり気のせいなのだろう。誤解なのだろう。話せばわかる程度のことだろう。続けて尋ねた。

「藤沖がお前のことなんだか誤解しているようだったんだが、もしあれなら俺が間に入ろうか」

「いいよ、そんなの」

「いや、たぶん話せば誤解も解けるだろう」

「誤解じゃないんだ。関崎、それとさ」

 乙彦は立村の、静かながらも厳しい口調に驚いた。

「しばらく俺と直接話をしないほう、いいかもしれないな。藤沖がいるなら困ることないと思うし」

「はあ?」

 言われた意味がまたわからない。全く動じない立村の表情に、思わず声を荒げてしまった。

「お前と話を何でしちゃいけないんだ。立村、やはり何か誤解されてるのか? やはり一度話をすべきじゃないのか」

「いいんだ。附中時代のことだし、思い当たる節もあるからさ」

 立村はしばらく首を振った後、もう一度暖かく乙彦に話し掛けた。

「帰ったら、電話するよ。その時何かわからないことあったら、直接聞く。ただ」

「ただなんだ?」

「俺と話していると、悪い先入観を植え付けてしまう可能性あるんだ。いろいろやらかしたから。特に女子にはさ」

 もう一度立村は、一呼吸置いて乙彦に告げた。

「関崎に俺が、迷惑かけるようなことはもう二度と、したくないんだ。その意味、わかるよな」

 ──わかるわけないだろ? 


 評議委員会時代の雅弘を巡るいざこざか?

 さらに言うなら、立村自身がしでかしたとんでもない出来事が何かあったのか?

「おい、立村、何があったんだ」

「とにかく、先にA組へ戻った方がいい。藤沖なら人望もあるから、英語科連中の受けもいい。俺と話しているよりも何千倍もいいはずだ」

 すっきりしないまま、乙彦は立村がふたたびC組の教室に戻っていくのを見送るしかなかった。


 英語科全員二十一名が一年A組の教室に収まった。知り合いの顔はというと、当然藤沖と、そして立村のみ。

 立村は一番最後に後ろのドアから静かに戻ってきた。際奥の窓際席に突き、いろいろと話をしている様子だった。他の連中もみな中学から内部上がり同士、それぞれ盛り上がっている。乙彦ひとりだけぽつんと取り残される格好となるのも仕方ない。頼みの藤沖も立村の前席に回っている。男女混合あいうえお順、の川の字型に並んでいるのだが、やたらと机の間に余裕がある。

 ──落ち着かないよな。

 それでもすべきことはまだある。まずは麻生先生からもらった生徒手帳の校則を読み通した。

 思ったよりも厳しい縛りはなさそうだった。

 気になるアルバイト規定についても、先ほど麻生先生から聞いたとおり、「家庭上の事情の場合」はそれなりの書類を提出することで問題なく行えそうだった。制服に関しての細かい規則も、乙彦にはごくごく自然なことに思えた。

 ──ブレザーにネクタイ外すのはやはりまずいだろう?

 ──学ランなら改造服とかもあるだろうが、ブレザーでそんな間抜けなことしたら笑

えるぞ。

 もっとも女子は髪型からヘアアクセサリーから、かなり細かい決まりが存在するようだった。肩につく髪の毛はどんな形でもいいからまずは縛ることとか、前髪は眼にかかると視力低下の元になるので分けるか、もしくは切るか。わりと納得できる内容ではある。青大附属はいいとこの子どもが行く学校とされているけれども、いわゆる勘違い校則はひとつもなかった。

 ──無理に校則をかえる運動なんてしなくてもいいわけだ。

 かつて水鳥中学時代に、副会長同士、総田幸信と丁丁発止の激しい戦いを繰り返してきた。校則改定賛成派の総田と、真面目一本の乙彦とでは、もちろん話が合うわけもない。生徒会顧問の萩野先生が頭を抱えるほどのバトルが日々続いたが、結局総田が一歩引く形となり、お互いのプライドも守られる形で卒業となった。

 ──今なら、まだ総田のやりたかったことも、わからないわけじゃない。

 やり方がどうしても乙彦にはなじめなかっただけ、納得いかないことには筋を通したい。それは同じだったのではと、今なら思う。

 ──どちらにせよ無理に動く必要はない場所というわけか。

 校則反対と声を挙げる必要のない環境ならば、乙彦も無理に動くつもりはない。まずは学業専念、アルバイト一本でいこう。

 麻生先生が入ってくるのと同時に、藤沖の声が響いた。

「全員、起立! 礼」


「今日は念願の、一年A組英語科全員集合と相成ったわけだ」

 額の汗と油が席からもわかるくらいにじんでいる。麻生先生は教壇に立ち、ぐるりと生徒全員を見下ろした。

「まだオリエンテーションまで時間があるので、まずは新しいメンバーを紹介するとしよう。関崎、こちらへどうぞ」

 いきなり名指しされ、しかも「こちらへどうぞ」などと女性っぽい言い方に、乙彦はまず固まった。周囲が拍手をする気配あり。そういえばさっきまで藤沖と話をしていた時は誰も話し掛けてこなかったが、露骨な「無視」jのムードはなかった。

「まあ緊張するな。さっきと同じような要領でいい。まずは自己紹介を頼む」

「はい、わかりました」

 気合を入れるために、まずは腹から返事をした。また斜め後ろから華やいだ拍手。神社で打つ柏手のようなものも混じっていた。

 勢いつけて立ち上がる拍子に机が前につんのめった。危うく押さえた。今度は笑い声が響いた。全身熱くなるがかろうじてこらえた。麻生先生の呼ぶ場所へ、足音響かせてまずは立った。

「改めて紹介しよう。関崎、乙彦くん、水鳥中学出身だ」 

 乙彦も改めて、二十人のクラスメートたちを眺め直した。こうやってひとりひとり顔を見つめていくと、藤沖の言う通り「男子はぼんやりしたお坊ちゃんで、女子は頭の回転が速く気が強い」というのがなんとなくわかる。男子が口を半開きにしてぽかんと乙彦を眺めているのが多い中、女子はまるで値踏みするかのようににらみつけてくる。正直、やりづらい。

「ただいまご紹介に預かりました、関崎乙彦です。よろしくお願いします!」

 堂々とまずは言い放った。最初が肝心だ。転校生が来た時と同じように振舞えばいいと思うのだが、どうもそれだけだとつまらないような気もする。というか、転校生の自己紹介というものはいつも型どおりで、どういう奴かが全くわからないまま終わってしまう。もちろん休み時間を通じて交流を深めればいいことなのだが、乙彦にはどうも解せなかった。目立つ気はないのだが、どういう人間か、どういう考え方を持ち、どういう風にクラスでなじんでいきたいかくらいは、きっちり告げておきたい。休み時間なんて待っていられない。

 後ろの黒板を見やり、まだ何も書いてないことを確認した。教壇にあがり、さっさと名前を縦に書き込んだ。

 ──関崎 乙彦 

 いきなりふうっとため息が洩れたのはなぜか、考える間もなかった。

「麻生先生、オリエンテーション始まるまでまだ時間、ありますか」

「あるぞ。十分な」

「三分以内で終わらせます」

 きちんと断った後、乙彦は麻生先生の立っていた位置、教卓を占拠した。笑いをこらえながら降りる先生にはあとで詫びを入れておこう。深く息を吸った後、乙彦は軽く机を叩いた。卒業式の答辞と一緒だ。

「午前中に藤沖くんから、英語科のクラスメートがみな、僕を待ち構えているから心するようにと指導を受けました」

 台本のないしゃべりは苦手なはずなのに、なぜか言葉が浮かんでくる。

「そのとおりだと、今思いました」

 乙彦が話す度、女子たちがつぶやいているのが聞こえる。そんなの気にしない。

「俺は、三年前、青大附中を受験して不合格でした。だから今回、受かったときは三年ごしの願いがかなって、本当にうれしかったです」

 とうとう一人称が「俺」になってしまったが、勢いは止められない。

「けどその反面、俺が受かったかわりに落ちてしまった受験生もいたわけで、きっとその人は三年前の俺と同じ気持ちでいるんじゃないかと思います。それと先週、公立高校の合格発表で俺は受けなかったんですが友だちはほとんど受験していて、それで、やはり受かった奴落ちた人もいて」

 なんでそんなことを口走っているのか、自分でもわからない。

「あの、それでまた、麻生先生と藤沖くんから学費がものすごくかかるという話も聞いてます。それで、さっき、アルバイトの許可をもらうことになりました」

 いきなり「ほおっつ」と響いたのは男子の集団だろうか。乙彦は向かって右隅の席にいる立村に視線を向けた。礼儀正しく両手を膝に置いたまま乙彦を見つめている。その前で藤沖がにらんでいるのは気のせいか。

「もちろんいろいろ書類を出さねばならないのですが、きちんとやるつもりです。あ、アルバイト先は、学校前の古本屋です。ここで俺が言いたいのは、俺がこの学校に行くにあたって、たくさんの人たちの協力があったということです」

 舌がもつれる。が、言っておかなくてはならない。藤沖と目が合った。

「学費もそうですし、うちの両親が兄弟あとふたりいるのに俺を青大附高に行かせてくれたことはものすごく感謝してます。ですからたぶん、これから先、学校の行事とか学校祭とか部活とかいろんなのでなかなか、他の人たちに合わせられないことがあるかもしれませんが、それは決してクラスのことをないがしろにしたいからじゃありません。俺はただ青大附属に通い続けるために、やらねばやらないことをやっているだけです。最初の一年は補習とか、アルバイトとかで参加できないかもしれませんが、このクラスの一員として全力を尽くしたいと思ってます。本当です」

 乙彦はもう一度深呼吸した。上ずってしまう言葉を少し押さえた。もうひとつ、言っておかねばならない。

「これからいろんなことを聞いたり、俺は結構単純馬鹿と呼ばれてたんで勘違いしたこと言ったりするかもしれませんが、俺は青大附属の一員として、一刻も早くすべてをマスターしたいと思ってます。それまで、時間をください」

 まっすぐ、もう一度、立村に視線をやった。穏やかに見つめている。

「そうだ、あと、もうひとつなんですが、この学校に入学する前、俺は青大附中でしょっちゅう行われた交流会に参加してました。水鳥中学の副会長としてです。あ、引退してましたがその時は。とにかくそれがきっかけで、評議委員長だった立村くんと友だちになって、青大附属がどういう学校かいろいろ教えてもらってました。あ、違います。

入試情報を横流ししてもらったわけではありません」

 藤沖に絶対しゃべるなと言われたことをここであっさりばらすのは、最初から決めていたことだった。

 もちろん藤沖には感謝している。いい奴だとは思う。

 しかし、立村とは実際一年前からの付き合いなのだ。

 青大附属への再挑戦も、またそのための情報も、なによりもまっすぐなぶつかり方も。

 他の連中がなんと言おうが、立村はいい奴だ。誤解をされているだけなのに、陰口を言う立場には立ちたくない。

「だから、俺は青大附属を、入学する前から好きで、きっとクラスメートのみんなも、まだ会ったことのない生徒も、先生も、あとあっそうだ、結城先輩という三年生の先輩も午前中親切に案内してくれました」

 脈略がないが、ついつい口走ってしまう。

「青大附属で過ごす三年間を、俺は最高に充実させたいです。これから三年間、よろしくお願いします!」

 両手を教卓におき、乙彦は呼吸を止め、ぴっと礼をした。顔を上げる前からあふれんばかりの拍手が教室内に響いたのを感じた。そして顔を上げたとたん、斜め右に、身動きしない立村と思いっきり顔をしかめている藤沖の顔が見えた。目と目が合ったとたん

、唇端をちょこっと挙げて笑った。両手でまた柏手のような拍手を贈ってくれた。

 ──やっぱり、藤沖は話のわかる奴だ。

 いつのまにか頬が紅潮していたのだろう。汗が額に浮かんでいた。油っぽさならたぶん、麻生先生とほぼ変わらないだろう。肩に誰かの手が置かれた。壇上から降りようとする乙彦を押さえた。

「ということでだ。最高の自己紹介だったな。関崎」

「はい、最高です」

「そうかそうか。みんな、今の話はだいたい七十パーセント、全部関崎が午前中話したことなんだ。基本としてアルバイトは学業の影響があるのですすめたくないんだが関崎は、これから外部入学生が受ける地獄の補習ノックをしっかりやってその上でやり遂げると、宣言したんだ。もちろん宿題もすべてパーフェクトにこなしてきた。勉強はとにかく、あとはまあ、このキャラクターだな。これ以上は何も言わないぞ。もう関崎、お前は青大附属一年A組英語科の、かけがえないメンバーだ。これこそよろしく頼むぞ!」

 背中を一気に押し出され、教壇からころげおちた。危うくこけそうになる。また笑いが起こるのは女子たちから沸いたものか。声が飛んだ。

「いい男だねえ、あんた、噂には聞いてたけどね!」

 ──いい男? なんだいったい?

 乙彦はその声の方向に顔を向けた。藤沖の後ろに座っている女子がひとり、ピースサインを送ってきた。

「ところであんた、童貞?」

 ──今、なんて言った?


「古川、もう少しお前も女らしくしろよなあ」

 こういう場面の場合、普通なら空気が冷え切って発言した女子はつるし上げを食うのが普通ではないのか?

 のんびりした声で注意する麻生先生が、全く怒っていない。余裕がありすぎる。

 ──川上タイプの女子か。

 水鳥中学時代の生徒会会計でかつ、総田の彼女だった川上寿々を思い出した。やたらと色気を振りまこうとし、何気なく乙彦をばかにした口調で「副会長がねえー」とつぶやくタイプの女子だった。水鳥中学生徒会室なら思いっきり「いいかげんにしろ!」と怒鳴るのが常だ。なのに、なぜかそこまで血が昇らない。いつもの自分じゃないみたいだった。

 古川と呼ばれた女子は、肩をすくめて同じく笑顔のまま、先生に一言詫びを入れた。

「先生ごめん、ちょっと刺激強すぎた?」

 なんと古川というこの女子、下ネタを教師にも投げつけるというつわものだ。

「前から言っているだろう。男子は純情なんだぞ」

 古川がまた何か口に出そうとしたのを乙彦は、挙手で止めた。こちらを見、古川が同じ人懐っこい笑顔を向けた。

「いきなりじゃあ びびっちゃうよね」

「いや、そういう意味ではない」

 すぐ側の席だ。乙彦は近づき、古川の座っている席脇に立った。自然と見下ろす格好になる。後ろで心配そうに見守っているのが立村で、古川の前で笑いをかみ殺しているのが藤沖だ。

「聞かれたことには答える」

「ほおほお」

 息を呑む気配がする。きっちり告げた。

「自分の行動に責任を取れず親や先生たちを巻き込んでしまううちは、童貞でいいと俺は思う」

 一瞬、古川は目を丸くした。唇をつぼめた。ゆっくりとつぶやいた。

「な、る、ほ、ど、ねえ。恐れ入りました、ねえ立村、あんたが見込んだ奴だけあるよ

、関崎って」

 またにやっと笑うと、振り返り立村に声をかけた。返事はなく、ただ立村がほおっとため息をついたのが聞こえた。

 様子をそれ以上伺うこともなく、乙彦は自分の席に戻った。拍手の音を聞き分ける必要もなく、目の会う男子女子ほとんどがやわらかな笑顔だった。気がつくと片手で握手を求める男子がいた。


 ──俺、何か、変なこと、言ったか?

 曲がりなりにも一年A組のメンバーとして受け入れられそうだという予感だけ、確信した。

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