高一・一学期 57
立村の自転車に先導され、舗装されていない路を走った。駅から離れていくに従って立村も落ち着いてきたようで、何度か乙彦を振り返っては問い掛けるような表情を見せた。そのたびに乙彦は、首を振った。
「家には誰もいないから」
草むらのならされた路で並んだ時、立村が呟いた。やはり自分の家へ連れて行くつもりなのだろう。それはそれで構わないと思うのだが、ふと見あげれば太陽が気持ちよく降り注いでいる。暑いといえば暑いのだが、だんだん風がするすると混じり始めていてどことなく心地よい。
「いや、外でいい」
自然と言葉が飛び出していた。信じられない奴と言わん顔で乙彦を見る立村。
「暑いだろう?」
「夏だから、暑いのが当然だ」
「それはそうだが」
立村は自転車のスピードを落とし、ゆっくり止めた。乙彦も続いた。
あらためて立村の様子をじっと伺う。
──さしで話をつける時、相手のステータスエリアには入らないこと。
これこそ男子の鉄則だ。ぶつかり合う際に決して忘れてはならない一点。いくらこちらの言い分が正論だとしても、相手に有利な場所で勝負をすると大抵不利な結果となる。これは青大附属に来て改めて知ったルールのひとつだった。
──立村の家で話を進めたらたぶん、あいつは自分の殻に篭ってしまう。
──入学当時、あいつに連れられていった喫茶店の時のように。
乙彦も立村の性格を少しずつ把握しつつあった。もちろん逃げようとするのならば無理に追いかけてはいけないとも思う。思うのだが、しかし今だけはきちんと向きあって話をすべきだろう。英語科一年A組の今後についても。また、立村本人のためにも。
周りを見渡すと、側の小路角に「品山小学校」と立て看板を発見した。通学路らしいが人気は全くない。自然の中、というわけではないのだが、雑草がふくらはぎ近くまで広がっていて、木陰を頼むような樹木も見当たらない。コンクリートよりはましだが、かんかん照り付けていることは事実。また汗が流れるのをたっぷり感じた。
「ここで話したいことがある」
乙彦は真正面から言い切った。細い肩をかくりと落とし、立村は頷いた。
「話は聞くよ」
かといって、何から話せばいいのだろう?
──こいつ、一体俺に対して何を構えているんだ?
切り出し方を間違えたら最後、立村はぱたりと心を閉ざしてしまう。
そして乙彦もこういう場面に慣れていない。
もっというなら、立村タイプの内気で人見知りが激しい男子と親しく付き合ったことも、次つはあまりない。もう少し自分から歩み寄ってくれるようなところがあればまた別なのだが。
「単刀直入に言おう。俺は、立村、お前に復活してもらわないと困る」
まずは、一気に言い放った。全身が燃える感覚あり。伏目がちに立村は聞いていた。
「復活するとは、つまり、お前に英語科の運営する立場、つまり、委員に戻るべきだということだ」
相手に聞かれたわけでもないのに、説明をしてしまう。やはり立村は黙っていた。
「それは、俺ひとりが考えていることではない。藤沖も、古川も、それと他の連中も、あと麻生先生もだ」
「まさか、それはないだろう」
感情の篭らない声で立村は言い返してきた。怒りも何もない。だから読めない。
「お前がそういう声を聞こうとしないからだ。とにかく、後期以降このまま英語科の平のままでいることは、許されないと思え」
「関崎、そんなことを伝えるために、品山まで自転車を漕いできたわけか」
やはり何も心の響きを感じない声が返ってきた。
「ああそうだ。一番のテーマはこれだ」
すんなり受け入れられるとは乙彦も思っていなかった。また一番伝えたいことというのを絞り込むこともできなかった。ただ思いつくままに述べただけである。しかたなく乙彦は続けた。どこからともなく蝉の声が頭の上から響き渡ったが、まだほんのわずか。会話するに支障はない。
「お前がいろいろ事情を抱えていて、そのためにしかたなく身を潜めているということは、この一学期でよくわかった。藤沖からも、古川からも、その他いろいろなところからも話は聞いている。だが、外部生の俺からしたら、だからといってこのまま元評議委員長だったお前が、このまま何にもしないで過ごすのは間違っているように思う」
「間違っていないさ」
「いいや、間違っている!」
断言したところ、立村はすっと目を上げて乙彦を見据えた。かすかに火がついたようだった。だがこの程度の点火では、まだまだ逃げられる。とことんぶつけるしかない。
「立村、お前なら今の英語科のクラス状況がどういうものだかわかるだろう? 藤沖は後期、評議委員を降りるかもしれないと話している。応援団結成の準備だそうだ。自然と男子評議委員のポストが空くはずだ」
「もう関崎に後釜は決定していると聞いているが」
──やはり知っているのか。
意外ではあったが、さもありなんと思える。附属生同士のアンテナは乙彦が想像している以上に鋭いらしい。特に、元評議委員長だった立村のネットワークはかなり広いのだろう。
「もし推薦されたら受ける覚悟はある」
「そうか」
立村は短く答えた。再び黙りこくった。
「だが、あくまでもそれは仮定の話だ。知っているだろうが俺は、バイトで授業料を稼がねばならない立場だし、仮に評議委員を受けたとしても百パーセントこなせるかどうかはわからない。もちろん努力はする。手抜きはしない。だが、それをひとりで背負うというのは難しいと知っている」
「古川さんがいるだろう、それに」
「女子と男子とでは違う」
遮り、続けた。
「まだ、後期改選は先のことだし、藤沖の応援団の件もまだ時間がかかりそうだとは聞いている。だが、仮に俺が評議に立った場合、外部生の立場ですべてを把握するのは不可能だ。だから、あえて、頼みたい。俺と一緒に、英語科のために立ち上がってほしい」
「なぜ?」
また、かすかな声で、正面から問い掛ける立村。なぜ羽織のパーカーを脱がないのだろうか。なぜ、ほとんど汗をかいていないのだろう。周囲の雑草とほぼ変わらないまっすぐ加減で、両手を軽く組み、祈るような格好でいるだけだ。
「お前には、それができるんだということが、俺にわかっているからだ!」
「関崎はまだ、俺について本当のことを知らないからそう言えるんだよ」
さとすように、穏やかに。
「俺にそういう権利がないことは、すでに藤沖や古川さんから聞いているんだろう?」
「ああそうだ。噂だけは聞いている。しかし俺は、実際この眼で見て、感じたことしか信じない。立村、俺は一年前、うちの中学の図書準備室で見た、あの場面を忘れてはいないんだ」
言うつもりではなかった言葉が、芝居がかった風に飛び出してきた。
口にしながら思い出した、あの光景を。中学二年・二月。図書準備室で立村が初めて示した、男としての激しい怒りの姿を。
──あれは、雅弘が悪かった。
弟分の雅弘をかばうことができないほど、まっすぐな炎が燃え上がりあの場を焼き尽くしたように見えた。たとえ誤解だったとしても、乙彦は立村に土下座して雅弘への許しを請うたことを後悔してはいない。へりくだったんじゃない。言葉では言い表せない、何かの雷のようなものだった。
乙彦は、立村の右こぶしをちらと見た。
女子とほとんど変わらない、ほっそりしたもの。あの手が。
「この前の一件で、やはり立村は変わっていないと確信した」
──守るべき女子のためには、ためらうことなく烽火をあげる。
──それが立村の本質だ。
立村の心に密かに燃えているまっすぐな炎に気づいている奴は、決して少なくはないだろう。周囲のごたごたにかき消されているから誰も気づかない。でも、藤沖にせよ古川にせよ、復活を期待しているという霧島にせよ、誰かかしら立村の隠している何かに感づいているのではないだろうか。またそれを引き起こせる場面というのが、他人の恋愛沙汰であり下級生の尻拭いだけでは、勿体無さ過ぎる。ほんのわずかの人間しかそれに気づかないという現実を、なんとかしなくてはなるまい。附属生がどう思っているかわからないが、乙彦は外部生だからこそ、そのいびつさを強く感じている。そのためには。
「さっき霧島と話をしてきたが、あいつもお前の復活を願っているようだ」
「まさか」
一笑に伏そうとする立村を、乙彦は目を離さずに続けた。
「あいつは正直、視界が馬なみに狭すぎると思うところもある。俺も二年前はそうだった。だがそんなあいつがお前のことを評価しているのはすごいことだ」
返事をしない立村。
「だが、そんなのはどうでもいい。俺はお前が密かにいろいろ動いていて、天羽に俺のことを嫌わないように頼んでいたり、規律委員会の中で俺が浮かないように南雲へアドバイスをしてくれたりとか、いろいり話を聞いている。俺が授業中ぶっ倒れて保健室に運ばれた時も、お前真剣な顔をして、轟さんを誤解しないようにと懸命に訴えていただろう? 正直そのことも納得はしていないが、俺からしたらそこまで幅広く手を回して、学校の中でうまく俺が生き抜いてこれるようにしてくれた手腕に感服する」
「皮肉か?」
かすれた声。乙彦ははっきりと否定する。
「違う。俺はあてこすりなんかしない。裏表はない人間だ」
「裏表、あってわるいのか」
訳のわからない言葉を立村は問い返した。あっさり乙彦は流した。
「さっき俺が言った、いろいろな噂は、お前の悪口だけではない。立村、お前が俺や他の連中のためにどれだけ陰で尽くしてくれているか、そういうことも混じっている」
「尽くしているわけじゃないさ」
「お前がどう言おうが、俺からしたら相当すごいことをしている。もし俺がそのことを知らないままだとしたら、すべて今までの出来事は自分の人徳だと勘違いしていただろう。もし俺が立村の現在の姿をそのまんま信じていたとしたら、後で俺は人の見る目がないことをいやというほど思い知らされていただろう。中学時代から、立村を知っていてよかったと改めて思う」
「違う、関崎。中学時代の俺は、幻想だ」
「幻想?」
いきなりわけのわからないことを言い出す立村に、リズムを狂わされた。
「俺は、青大附属に入る資格なんかないんだ。関崎、もう知っているだろう? 藤沖からも聞いているだろう? 合格取り消しになるようなことをやらかしたにも関わらず、周囲に隠蔽してもらってなんとかもぐりこんだ人間だってことをさ」
「隠蔽だと?」
聞き捨てならない言葉に、戸惑う。
「さっき通ってきたサイクリングロードと、川べりを見ただろう」
「ああ、見たが」
「あのあたりで俺は、同級生を一人、再起不能の怪我をさせた」
静かに、蝉の叫びにかき消されそうな声で。
「すでに誰もが、そのことを知っている」
「誰もって誰だ」
「青大附属の同級生ほぼほとんどと、品山小学校の卒業生なら、すべてだ」
乙彦は続けて尋ねた。
「謝ったのか」
立村は答えなかった。首を小さく振った。とたん、乙彦の中の爆竹が鳴った。
「馬鹿野郎!」
蝉が泣き止んだ。怒号に息が止まったらしかった。立村がゆっくりと乙彦をにらみつけた。手ごたえはあった。
「どういう理由があるにせよ、まずは自分のしでかしたことに対して頭を下げるのが礼儀じゃないのか? 立村、お前四年間も、何もしていないのか!」
肩を揺さぶった。自分でもいきなり沸き立った憤りの納め場所を見つけられないでいる。
「なぜ、なぜ謝らないんだ!」
「謝りたくないからだ、悪いか」
「悪い、絶対に悪い!」
肩に食いこむくらい、ぎしっと握った。揺さぶった。
「立村、お前がなぜ、そんな卑屈におどおどしているか、その理由、わかるか? お前、本来自分がすべきことを片付けてないからだ!」
「どういうことだよ!」
肩から手を払いのけた。立村の瞳にいきなり宿ったぎらついたもの。点火した。
「何も知らないくせに、なんで勝手なことを言い出すんだ!」
「ああ、俺は何も知らない。噂だけだ。だがさっき、駅から出てくる時、なんでお前、不良スタイルの連中の前で足がたがた言わせてたんだ? あいつらがお前のしでかしたことを知っているから、怖いのか?」
唇を結び、ただ真っ直ぐにらみつけている立村を乙彦は受け止めた。
「相手に再起不能の怪我をさせたとわかっているんだったら、まずは頭を下げて、土下座しろよ。それもしないで、ただ怖がって、青大附属で震え上がっているだけか。何もしないで、たただびくついているだけか!」
返事はない。乙彦を激しい眼差しで見据えるだけの立村を、もう一度肩をつかみ揺さぶった。
「それで、ずっと四年間、ごまかしてきたわけか!」
「わかっただろう、そういう人間が、俺だってことをさ」
「そうやって、また、またまた、逃げるつもりか!」
誰もいない。声が響くだけ。吸い取るのは足元に生える丈の高い雑草群と、真っ青な空。卵色に広がる太陽のもやと。再び蝉が鳴き出した。一旦、呼吸を整えた。肩から腕に手をかけなおした。立村の頭を無理やり自分に向けさせ、乙彦は告げた。
「行こう」
「どこに」
「その、怪我をさせた相手のうちにだ」
「なぜ」
「俺と一緒に、そいつの家の玄関先で、土下座して謝ろう」
一言ずつ、ゆっくりと、伝わると信じて。
「相手がどういう反応するかはわからない。半殺しにされるかもしれない。それでも、青大附属で今だにおどおどびくびくしているよりは、何千倍もましだ。なにかあったら、その時は俺が全力で守る。お前が、過去の間違いをきちんと認めて、まっすぐ立っていこうとする、そういう男なんだということを、証明する。藤沖がわけのわからない怒り方をしたのは、単にお前が人を怪我させたことを隠したからじゃない。謝らなかったことが許せなかっただけだ。あいつもお前がきちんと筋を通して、するべきことをしたら、きっとわかるはずだ。そういう奴だろう? だから、今、やるべきことをやりに行くんだ。そいつの家、どこなんだ!」
一気にまくし立てた。自転車の置いてある場所まで立村をひっぱっていこうとした。首筋が思いっきり焼けている感覚がありひりひりしてきたがかまいはしない。と、いきなり下へ腕がひっぱられた。引きずられそうになりふらつき、立村を見た。
「何も知らないくせに、勝手に決めるなよ!」
叫ぶと同時に、ふにゃふにゃと立村が崩れ落ちた。倒れるというよりも、砂の塔がさらさらとこぼれていくような感じだった。乙彦が慌てて近づき、しゃがみこむと立村は、かぶりを降りながらぺたんと地べたに座りこんだ。頭を抱えるようにして、地面にへばりついた。息が荒い。身動きしなくなった。
「立村、おい、熱にやられたのか」
額に手を当ててみた。かすかに伝わってくる熱がじわっとくる。そのくせなぜか、汗を殆どかいていない。日射病になりかけているようだ。部活の時間ならすぐに水分補給を行わせて横にさせるのだが、こんな草むらでは中途半端に寝せるわけにもいかない。
「立てるか?」
ゆっくり、大きく、頷いた。軽度のようだ。救急車を呼ばなくてもいい。
「歩けるか?」
また頷いた。ゆっくりバランスを取って立ち上がろうとする。その片腕を乙彦は取った。足がおぼつかないのは見ていてよくわかる。またしゃがみこもうとしている。口を押さえている。
「吐き気がするのか」
「……それほどでも」
「ここからお前の家まで、どのくらいかかる?」
「三分もかからない」
意識がもうろうとしているようだ。これは急いで屋根のある場所へ移動しないとまずい。こういう場合すべきことは簡単だった。乙彦はしゃがみこみ、立村の両腕を無理やり自分の両肩に乗せた。
「おぶされ。行き方だけ上で案内してくれ」
「関崎、それは、自転車は」
「そんなのあとで引っ張ってくる。三分程度ならすぐに持ってこれる」
嫌がる気配を感じるが、そんなこと言ってられやしない。乙彦は半ば強引に立村の両腕を背負う格好とし、「ん」と息を止め背負いあげた。
「関崎、いい、いいよ」
「日射病にやられてぶっ倒れる奴なんて陸上部ではざらだ、介抱するのは慣れている。安心しろ」
嫌がろうが何を言おうが、こういう場合はさっさと行動してしまうに限る。
この調子だと肩の上から案内をしてもらうのも難しいだろう。
幸い、立村の自宅町名、および番地はここからすぐ側のようだ.住所表示板がすべてわかりやすく張り巡らされている。無理に立村から聞き出さなくても、無事たどり着けそうだ。
「立村、住所だけ言ってくれ。あとはわかる」
もう観念したのか、暴れずに立村は肩の上で、囁くように自宅住所を呟いた。
「品山町……」




