高一・一学期 48
期末試験一週間前となった。毎度のことながら部活および委員会活動はテスト期間中止となり、その代わり外部入学者たちへの補習は毎日二時間ほどたっぷりと行われた。補習が多いということは、すなわち宿題も倍、さらにクラスの授業から引っ張り出される宿題もさらに重なるわけだ。さすがの乙彦も、この時期は休み時間ひたすら寝るしかなかった。
「もうやだ、眠い!」
五時半過ぎにようやく開放され、乙彦は半分意識朦朧となりながら立ち上がった。隣で叫んでいるのはもちろん静内である。なぜか落ち着いてノートを取っているのが名倉だ。自分たち三人を比較してみると、一番成績がよいのは名倉だった。要領がいい……ようには全く見えないのだが。
「名倉、悪い、山かけて!」
「俺に頼まれても困る。わからん」
ぶっきらぼうに名倉も答える。乙彦も同意する。
「山をかけてもそれが解けなければ話にならないだろう」
「もう、関崎も正論言うのいいかげんにしろっ!」
ふくれっつらの静内をさりげなくからかうのが面白かった。
「俺でよければいくらでも山かけするが」
「何言ってるのよ。関崎はすべて、隅から隅まで必要なとこだって言うだけ」
「しょうがない、教科書全ページ、範囲に入っているんだ」
とは言うものの、乙彦も今だ、青大附属独特の試験方式には戸惑っていた。
いわゆる「暗記物」の要素が少なすぎる。
歴史関係にしても、中学までなら語呂合わせで年号を覚えたりするだけでなんとかなり、必要な事件や出来事および人物名を暗記すればことたりた。記憶力には自信のあった乙彦だが、今の授業ではそれ以外の要素も要求される。
「俺には理解できない問題がたくさん出てくる以上、どうしようもない」
乙彦は先日実力試験で手も足も出なかった問いを思い出した。
「なぜ、まだ習っていない明治維新のごたごたをからめて日常の学校生活と比較して小論文を書かねばならないんだ」」
「ああ、あれね、私もあれ、わけわかんなかった」
「単に、人間関係を自分の生活と重ねあわせればいい」
また、賢い名倉が投げやりに答える。そういえば名倉はその問いで満点をとったはずだ。
「お前どういう風に答えた?」
「友だちで坂本竜馬に似ている奴がいる。そいつが中学時代何をやったかを書いた」
──どういう奴だ?
名倉はそれ以上、友人の坂本竜馬似男について語らなかった。一応、中学歴史の授業で坂本竜馬が明治の夜明けに向けて活躍した人物とは諳んじている。が、それ以上の関心はない。歴史上の人物とはみな、教科書のページに太文字で綴られるだけの存在だった。
「ああ、そうか! そういう風に書けばよかったんだ! 先生たちも答え教えてくれなかったし、損したな」
静内は悔しそうに指を鳴らし、鞄に教科書とノートをつっこんだ。
正直、今回の期末試験に関しては、もしそういった小論文タイプの問題が出たとしたら諦めるしかないと思っていた。その代わり、試験範囲は狭いので一気に丸暗記し、それでしのぐつもりだった。来年以降狙うつもりの奨学金も、今の状態では厳しい。なんとかしたいとは思うのだが、それをどうやって乗り越えるか、そのすべが見つけられない。
「とにかく、先生たちも、今年はとにかく『自分で考える習慣』を身に付ける訓練の年とか言ってるし、それに甘えるしかないよ」
生徒玄関へ向かい、そそくさと靴を履き替え、静内が悟った風につぶやいた。
「なんでも私たち外部生は、試験勉強は人一倍して来ているから知識はたくさん持ってるんだって。ただ、それを活用するテクニックを知らないんだって。だから、一旦すべてをご破算にする必要があるのだという話」
めずらしく静内が長くしゃべっていた。相当焦りがあるのだろうと推測した。
「関崎、あんたも言われてない?」
「まあ、麻生先生はあまり気にしないタイプだが」
女子と男子とではやはり、指導に違いがあるのだろう。あまり気にすることはなかった。話を変えてみることにした。
「それよりもだ。静内、夏休みの自由研究だが、どうする」
「そうだね、そうなんだけどね」
空を見上げ、名倉の顔を覗き込み、「どうする?」と尋ねた。
「お前、決めろ」
「私が決めるんだったら、青潟市の歴史オンリーになるよ」
「それでもいい」
実は名倉もあまり深く考えていないのではないか。乙彦にはそんな気がした。
──要は三人で集まる口実が欲しいだけのことだ。
自覚はあった。三人だと、クラスの重たるい人間関係から逃れていられる。藤沖と立村とのこれからを考える必要もなく、しゃべりあえる。しかもそれは三人、事情はそれぞれ違えど同じような部分を背負っているのだ。
──しかし、どうするか。場所をどこにするか。
古川こずえからも仔細を聞かせてもらったものの、乙彦は第三者の立場を崩していないためそれ以上口を出せずにいた。なによりも、藤沖にどう声をかければいいのか見当がつかないし、藤沖自身も乙彦にはあえてそのことについて一切触れなかった。乙彦がどういう立場にいるのかを、藤沖も薄々気づいていないことはないと思うのだが、不自然すぎるほど、触れない。しかたなく乙彦も、クラスの平和な話題なり期末試験なりに悩むだけとなる。
──期末試験が終わってから、大学のどこか空き教室を使うのがベストだというが、どうなんだ? もし可能なら、確か雅弘と一緒に新井林たちと話をした、体育器具室みたいな秘密の部屋とか、あのあたりはどうなんだろう? 中学の校地内だが、卒業生連中がもぐりこむのは問題ないと思うが。
なにせ、問題が問題。自殺の可能性大の女子が混じっている。となると、なんとしても人に気付かれない場所で集わねばなるまい。やはりベストはカラオケボックスだろう。それぞれ別々に集まれば、なんとかなりそうだ。乙彦はそう思うのだが、古川がうんと言わない。
「もっと、安全なところにしたいんだよね。困った。関崎、いい案ない?」
あるわけがない。
できるだけ早急に話し合いを終わらせて、すっきりした気持ちで夏休みに入りたい。
乙彦だけではなく、他の連中も同じだろう。
──立村が俺を連れて行った、「おちうど」とかいう店はどうなんだ? あいつの顔でただで使えると聞いたが。食い物もずんだもちとか出てくるし、女子を連れて行くにはいいんじゃないか?
いろいろ、それなりに思いつくところがないわけではないのだが、古川の求める条件には合致しないようだ。
「おーい、関崎、話、聞いてる?」
「悪い、ぼーっとしてた」
ぱちんと頭をはたかれた。もちろん静内だ。代わりに説明するのはやはり名倉。
「今、期末試験対策の話をしていた」
「なんだそれは」
すっかり忘れていた。忘れたかったという方が正しい。
「お前は英語科だからわかるだろうが、今回はヒアリングの試験が行われるらしい」
「テープ聞かせて問題解かせるのか」
英語科の授業では頭がアルファベットで埋まりそうなほど、英会話オンリー、日本語なしのテープを聴かされた。もっともそれを理解しているのは一部の生徒たちのみ……立村や片岡クラスの成績上位者……であり、古川や藤沖にはちんぷんかんぷんだとか。もちろん、乙彦もついていけるわけがない。
「まさかと思うが、書き取りやるのか」
「たぶんそういうことになりそう。ラジカセで三回、読まれる文章を聴いて、それを筆記するって。ま、試験でやったよね」
「やったやった」
立村の試験対策情報および問題集、ヒアリングカセットテープでなんとかしのいだ入学試験、貯金が残っていればなんとかなりそうだ。
「でも、評議の人たちに聞くと、とてつもなく今回の試験は、長い文章書く訓練させられるみたいだよ」
「俺にどうしろという」
家のラジカセで繰り返し特訓するより他に。静内がまた、名倉を促すよう頷く。
「ヒアリング訓練を、やらないか? と、静内は誘っている」
──誘っている?
全く違う文脈に、なんでひっかかってしまうのだろう。乙彦は戸惑った。静内、名倉の言わんとする意味は簡単なことなのに。
──それにしてもこいつら、やたらと目と目で会話してないか?
最近、例の事件もからんでなかなか乙彦もしっかり三人行動することが少ない。
──別に俺はどうでもいいが。
何か、気になる。ちりちりする感覚を無視して話を聞いた。静内がすぐに説明に入った。
「私一人だと、ヒアリング対策なんてどうしようもないし。だから、三人で徹底的に特訓、しない? 関崎は英語科だし、そのあたり、慣れてるだろし」
つまり静内は、聞き取り訓練を三人で徹底してやろう、と提案しているのだ。三人で、がみそだ。
「そうか、そういうことか」
繰り返した。
「このままだと、英語の成績どこまで落ちていくか想像つかないし。ひとりでやっても落ち込むし。だったら三人で顔突き合わせて、テープ聴いて、書き取りやって、それぞれ答案交換して点数付け合ったりするのは、どう」
「なるほど、それはいい案だ」
乙彦は手を打った。さっき叩かれた後頭部が痒かった。
「だが、テープはどうする」
「学校で借りられるみたい。でしょ、名倉?」
「そうだ。職員室の手前にヒアリング用テープ置き場がある。そこで名前を書いて借りていけばいい」
そういうところがあるとは知らなかった。やはり名倉という男、只者ではない。
「それならどこでヒアリング訓練するんだ? どこかからラジカセを借りてきて、教室でやるのか」
「目立つ、ね」
少しだけ静内の表情が曇った。
「妙にガリ勉トリオと思われるのも、なんかさ」
「俺たちのどこがガリ勉だ。最下位から脱出するためあがいてるだけだぞ」
「真実をはっきり言うのはやめなよ関崎」
とかいいつつも、静内の穏やかな顔には笑顔が浮かんでいた。名倉ではなく、乙彦に向けられている。さっき感じたいがいがしたものはとっくに消えていた。
「一応考えているのは、視聴覚教室を借りるという手だ」
名倉がまた、ぼそりと呟いた。
「視聴覚教室?」
英語科の乙彦には馴染みある部屋だが、何せ広い。第一、生徒たちに貸してもらえるものなのか。そこまで考えて、はたと気が付いた。
──ここは青大附属だ。中学ですら、生徒会と評議委員会との交流会のために、教室を提供していたんだ。なら高校で禁止するわけがない。
自分はまだ、青大附属の価値観で物事を判断できていない。こういう時、忘れたようにスニーカーの中の小石をかかとで踏んづけたような痛みを感じる。
「へえ、借りられるの」
「調べた。早いもの勝ちで借りられる」
早い。思わず乙彦も力瘤を片腕で作った。
「あの広い教室を三人で使い放題か」
「外部生同士、真面目に勉強したいからだと言えば、麻生先生もいやとは言わないだろう」
「名倉、お前よくわかるな」
担任が別のはずなのに、すでに名倉は麻生先生の性格を把握している様子だ。
「関崎の、合宿早朝ジョギング事件で閃いた」
「結局そこか、俺がきっかけか」
乙彦が声を挙げると静内がまた、笑った。
「善は急げ。職員室、行ってこよう。申し込もうよ」
校門までもう少し。少し夕暮れ色が迫りつつある中、静内が勢いよく生徒玄関に駆け戻っていった。乙彦も追おうとした。
「関崎」
いきなり呼び止められた。もちろん、名倉だった。
「お前も行くだろ?」
「行くが、言っておく」
朴訥な口調だが、きっぱりと。
「俺はお前を応援する。忘れるな」
尋ね返そうと口を開きかけた乙彦に、名倉は静内を指差した。
「行け、追っかけろ」
静内にはすぐ追いつき、まだ開いている職員室まで駆けのぼった。そそくさと部屋使用許可証をもらおうとする静内を制しながら乙彦は、まず麻生先生の席に向かった。
「テスト一週間前は、入室禁止なんだが、どうした」
ひょいひょいと、乙彦の背中を入り口まで戻しながら麻生先生は半そでシャツを肩まで捲り上げながら尋ねた。
「あの、視聴覚教室を」
いつもらしからぬ静内の口調を意外と感じつつ、乙彦は続けた。
「ヒアリングの訓練を、俺とこの静内と、あと名倉、三人で行いたいので視聴覚教室を借りたいんです」
「まさかと思うが今日はだめだぞ」
「もちろん明日以降です」
なんで静内がそこまで必死にヒアリング訓練に拘るのか、その理由を知りたい気もしたが、あとで聞けばいいことだろう。とにかくここは、名倉ではなく自分がきちんと申しこむべきだろう。曲がりなりにも英語科の生徒なのだから。
麻生先生は腕を組み、なんどかにやにやしながら頷いた。
「外部生同士、いい心がけだ。関崎もやるなあ。静内、中華料理店での出会いもなかなかのものだなあ」
からかわれていると感じたのか、口をつぐんでしまった静内。
「中華料理はおいしかったのですが、それとは関係ありません」
「悪かった悪かった。お前もだんだん、紳士のありかたを学んでいるようで結構だ。さて、待ちに待った回答なんだが、うーむ、少し難しいぞ」
「どうしてですか?」
不意に静内が、力の抜けた声で問い返した。
「だって、評議委員会でも、いろんな委員会でも、申し込めば借りられるって聞いたのに」
「関崎、静内、名倉。実はな」
後ろ手で職員室の戸を締めながら、麻生先生は説明してくれた。
「もちろん視聴覚教室は借りられる。だが、それにはいくつか条件があってな」
「どんな条件ですか?」
ここらへんを問うのが名倉だった。乙彦も続いた。
「難しいことじゃない。いいか関崎、なんで委員会関連の連中が教室を借りられるか、知ってるか?」
「委員会だからではないですか」
それ以外思い当たる節はない。すぐに名倉が答えを出した。
「人数ですか」
「ご名答。その通りだ。名倉、お前それだけ頭が働くなら、もっとクラスの奴らの前でさらけ出してみろ」
余計な一言で、名倉は黙り込んだ。痛いところを突かれたのだろう。こいつが今、どういう立場にいるのか、深入りはしていないが薄々想像はつく。担任外の生徒とはいえ、顔と名前を完璧に覚えている麻生先生に乙彦は恐れ入った。水鳥中学ではさすがに生徒会副会長だった乙彦を知らない先生はいなかったが、担任から外れた生徒のことを細かくチェックしていた先生はいなかった。
「人数ってなんですか」
「つまりだ関崎。お前たち三人だけで視聴覚教室を使わせるわけにはいかないんだ。電気代もかかるし、それなりに準備も必要だ。最低でも、そうだな、十人は欲しいな」
「十人も、ですか」
呟いたのは静内だった。完全に落胆の面持ちだった。目立たない顔が、さらに地味になっていくような感じがした。その場に引き止めたい。乙彦はもう一度、確認した。
「十人、集めればいいんですか」
「さらにその面子の中に、視聴覚教室の機器操作ができる奴がいれば、完璧だ。そうだな、そうだ関崎、藤沖あたりを誘ったらどうだ? お前らならいくらでも、仲間集められるだろ? それから改めて申請し直せば、すぐにOK出してやるぞ。そうだ、もうひとつ大切なことを言い忘れていた。その日、同じ目的で申し込んでいる奴がいるかどうかにもよる。上級生でもやはり、同じ目的で視聴覚教室を借りたいと申し入れるグループがいるからな。これもまた、早いもの勝ちだぞ。別にビデオを見るわけでないなら、それはそれでOKだ」
悄然とした静内の姿に、言葉もなかった。
──なんでそんなに、落ち込んでるんだ?
乙彦からしたら、そんなに地の底まで突き落とされたような顔して帰るようなことでもないように思う。同じことを名倉も感じていると思うのだが、なぜか寄り添うように静内の側にいる。ひとり、取り残されている感がある。
──どうでもいいんだが、くっつきすぎだぞ。
また、ちりちりと心の奥で焦げる音がする。すでに夕陽もだいぶ西に落ち始めている。
「要は十人集めればいいんだろう?」
「集めれば」
小声で静内の返事。
「クラスで少し、声かけてみるか」
「いいよ。無理しなくて」
「静内、どうした」
「なんでもない」
「なんでもなければそんな落ち込まないと思うが」
やはり女子はわからない。一番感覚が近いはずの静内ですら、時々こんな精神不安定な言動を起こす。そういう時、どう接していいかわからないのが乙彦だった。わかっているのは名倉だった。この差がどうしても挽回できない。
「そんなにヒアリングに燃える理由というのが、俺にはわからんが、クラスで何かあったのか。静内、お前そんなに英語苦手じゃないだろう」
「そういう問題じゃない。ごめん。変だね」
俯いたまま先頭を歩きつづける静内に、また寄り添う名倉。
「とにかく、そんなにやりたいんだったら俺は全力でメンバーを集めるからもう少し待ってろ。英語科だったらいくらでも来ると思う」
「そういう問題じゃないよ。関崎」
ふと、静内が立ち止まった。校門の前で、長い髪をしゃらしゃらと降った。いつのまにか解いていた。
「ろくに話もしたことない子たちと、一緒に集まるだけだったらふだんの補習と変わらないよ。私は、関崎、名倉と三人で、気兼ねなく話がしたかっただけ」
「それだったらいつでもできるじゃないか」
少なくとも乙彦は、いつでも受け入れる準備が出来ているつもりだ。わけがわからない。なぜ、視聴覚教師に拘るというのだろう。
「そうだね、あんたの言う通りだね」
静内はそれ以上何も言わず、歩き始めた。やはりわからないまま乙彦も続いた。名倉が一度、乙彦を振り返り、モアイ像に似た面持ちで頷いた。
──確かに、三人でいることは多いが、語ることは少ない。
静内と名倉、そして自分。
外部生同士という繋がりが異様に濃くなっていくのは感じていた。
時々、乙彦の感覚が青大附属上がりの友だちとずれていることを思い知らされる。
特に、例の事件などは最たるものだった。
乙彦からしたら、いくら可愛がっている後輩の問題とはいえ、そこまで第三者が首をつっこんでいいものか、正論をひっくり返すような古川の言動はどんなものか、疑問を持たずにはいられない。しかし、それが青大附属なのだ。青大附属の中では、乙彦が今まで培ってきた価値観が時々全否定される瞬間がある。足元がぐらついて、こけそうになる。
でも、静内と名倉、ふたりの外部生と語り合う時は、その不安が一掃される。
たとえくだらないギャグやつっこみに徹してる時ですら、その場が「青大附属」」であることを忘れさせてくれる。他にも外部生はいるのに、なぜか乙彦にはこのふたりにしかシンパシーを感じなかった。女子っぽい甘い言葉は苦手だが、乙彦にとってふたりが「親友」以上の何かであることは確信していた。
だが、語る機会が、少なすぎる。
その飢え、確かに感じる。
「静内、だったらこういうのはどうだ?」
前の方で、名倉が語りかけていた。相変わらずとつとつとした語り口だが、滑らかだ。
「名前だけ他の連中に貸してもらうのはどうだ」
「でも、それは嘘になるよ、名倉」
「関崎の知り合いの名前を並べてもらって、それで頭数十人を揃え、その上で申請する。だが当日は俺たち三人だけで、あとの連中は用事があって休む、というのはどうだ」
「そこまでしてまで私も、無理に」
静内が乙彦を振り返った。長い髪が揺れた。夕陽が一杯に髪の毛を照らしていた。
「嘘はつきたくない。俺もそれは賛成できない」
そこまで言い切った瞬間、瞼に何かが横切った。何かの炎の色だった。太陽が燃えるような明るさ、ゆれるような、泣きそうな炎。小学時代のキャンプファイヤー、中学時代のフォークダンス、そこに燃え盛る紅炎。ちろりと、何かが揺らいだ。
──嘘をつかなくてもいい!
──頭数は揃えられる。
──いや、何よりも、すべてがこれだと片付くぞ!
三人で語り合うこともできるし、視聴覚教室も借りられる。静内がこれ以上落ち込まずにすむし、もうひとつの問題も……。
「静内、名倉、悪い。いいことを思いついた。少し待ってくれ」
乙彦は公衆電話ボックスを探した。校門を出てすぐ右脇にあるはずだった。ポケットの中には十円玉が少し多めに入っている。緊急時に連絡がつけられるように、電話をかけられるように。こういう時に役立つとは思わなかった。公衆電話ボックスの緑色の受話器に飛びつき、ガラス戸の向こうに静内と名倉のけげんな表情を垣間見ながら、乙彦は生徒手帳の電話帳部分をめくった。中に何故か、一方的に無理やり書き付けられた、古川こずえ宅の電話番号が記載されている。それを押した。二コール目ですぐに出た。
──はい、古川です。
声は確かに、古川こずえのものだった。明るく軽い。
「関崎だが、古川、今、時間あるか」
──ええ? 関崎、あんたどうしたの?
明らかにうろたえている。しかしガラスの向こうに静内がいる以上、そんなことを考えている暇はない。息をつかせずに続けた。
「立村と藤沖たちの、話し合いの場が見つかった。視聴覚教室を借りよう」
──視聴覚教室って、意味が読めないんだけど、なによあせって。
「視聴覚教室の準備室に篭れば、いくらでも話し合いができるだろう? その間、俺たちは視聴覚教室のブースでヒアリングの特訓をやる。別部屋だから、どちらにしても俺たち三人がいる間は、誰にもじゃまされずに話し合いができるはずだ」
まくし立てた後、古川はしばらく沈黙した。乙彦はその間、じっと静内菜種だけを見つめていた。長い髪と、切れ長の目と。側の名倉時也は視界に入っていなかった。耳に入ってくる古川こずえの声が、少し呆れかげんだったことも、気にならなかった。
──「俺たち」って誰のことよ、関崎。
「俺と、静内と、名倉だ」
──そうか、静内さんね。
ひとりごちた古川、乙彦は持っている十円玉をすべて投入口に流し込んだ。
──悪いけど関崎、最初から説明して。