高一・一学期 3
教室、体育館、図書室に職員室と、ほぼ知っておいたほうがよさそうな場所を、乙彦は一通りチェックした。所々藤沖にt連れていってもらいたい場所を指定したりもして、だいたい場所の把握はすませた。迷うことはなさそうだ。
「だいたい問題ないか」
「ああ、ありがとう」
「わからなかったら聞いてくれ」
親切に藤沖は言ってくれたけれども、乙彦にその必要はなさそうだった。
もともと記憶力には自信がある。一度見たり聞いたりしたものはすぐ覚えられる。試験前日下見でだいたい把握している。
その旨を伝えると藤冲はふむふむうなずき、
「さすがだな」
一言、誉めた。
「だが、こうやって下見させてもらえるのは非常に助かる」
ちらと様子を窺うと、たいして気を悪くしたわけでもなさそうだ。それはそうだろう。男同士だ。言いたいことを言っておかねば損である。藤沖はひとりごちた。
「そのくらいできねば、青大附属に合格というのはそうそうできないだろうしな」
乙彦を先導しつつ、藤冲は笑顔を見せた。
「麻生先生はあんなこけ脅しを言っていたが、所詮最初だけだ。あとはうまくやっていけばいい。やりたいことがあればそれは問題なく達成はずだ。この学校はそういうところだ」
「達成できる? よく言っている意味がわからないが」
「大人をうまく利用するということだな。一言でいうとな」
「ますますわからないぞ」
なんとなくだが、青大附属の生徒はなんとなく教師を馬鹿にしていた印象があった。それはわからなくもない。交流会の時も顧問の先生が一度顔を出しただけだ。盗聴されているとは聞いていたが、そこまで放置されてるとは信頼されているのかそれとも、無視されているのかわからなくて戸惑った記憶がある。そのことも伝えてみると、藤沖はまたふむふむうなづいた。
「不良を美学とするようなガキくさいことさえしなければ、問題なく目的にたどり着ける。もちろん、それなりの努力は必要だがな」
「問題なく、か」
乙彦は聞こえぬようにつぶやいた。
やりたいことはある。
あっても、壁に阻まれるだけ。
諦めるしかないと溜め息をもらすだけ。それでも、ひとつだけでも見付けたい。尋ねた。
「ひとつ聞きたいんだが、青大附属の陸上部は、どうなんだろう。かなり練習時間取られるのか」
「運動部だし当然だろう。関崎、入りたいのか」
「いや、考えていない」
「なぜだ?」
少し詰問調になる藤沖に、乙彦は慌てた。本当の言い訳をするしかなかった。
「練習の時間がとれそうにないからだ」
「補習のことか。麻生先生がなにか言っていたな」
「それもあるが」
それとアルバイトも。乙彦はあえて言わなかった。もしかしたらアルバイト禁止かもしれない。第一、青大附属にアルバイトで学費を稼ぐ必要のある生徒がどれだけいるだろう? もちろん藤冲が経済的に苦しい家庭の子息とは思えない。貧乏人をばかにする奴ではないと踏んでいる。しかし、公立中学から進学する自分の立場を理解できるとは思えない。
口篭もり、本当の言葉を捜す乙彦に藤沖はさらに畳み掛けてきた。
「関崎は最初からあきらめるのか? マイナス要因ばかりに眼を向けてだ」
憤りをひめた声で追求される。乙彦もまっすぐ答えるしかない。単純明快に答えるしかない。
「諦めるしかない」
「始める前からか。一度体験入部するとか考えないのか。その上でもう一度考え直すとか」
叱られるのは正直慣れてない。言い返す。
「最初は事情を話すとか、朝練習だけにするとかできるだろう」
「合宿や大会でいくらくらい金がかかるか想像つかない」
吐き出すように言うしかなかった。
もちろん藤冲が言うのは正論であり、異存はない。自分が反対の立場だったらそう相手を説得するに違いない。
説明したくなかった。藤冲の善意がわかるだけに、なにごともないかのように振る舞いたかった。
「関崎、お前は誤解しているようだが、青大附属には金持ちの子息だけが集まっているわけではない」
いきなり藤冲は言い放った。乙彦の顔を真っ正面から見つめ返した。受ける乙彦も、頬を引き締め直した。
「関崎、お前が青大附属に対してどういったイメージを持っているかは知らん。一部には裕福な家庭の奴もいないわけではない。だが、それを鼻にかけたり嫌がらせをするような奴はいないはずだ。俺が知る限り、そういった次元の低いことで見下す必要はない。それは人間として当たり前のことだろう。そうじゃないか」
「もちろんそれは承知している」
「承知してないだろう」
藤冲は切り捨てた。
「まあいい。だが俺は青大附属の内部生代表として、お前の誤った思い込みを正していく」
かっと頬が火照るのを乙彦は押さえようとした。息ごと飲み込んだ。もっとがっちり言い返したいのに、急所を蹴られたように身動きできない。藤沖の言葉は続いた。
「青大附属の、特に英語科の連中は、関崎、お前が来ることを待ち望んでいるし、みなお前のサポートをしたいと願っている。その準備もすでに整えている。午後に顔合わせしてみればわかる」
押し付けがましくも、なぜか納得させられてしまう。
──こいつが青大附属の生徒会長だったわけだ。
同い年の男子に、自分が勝手な思い込みをしていると決めつけられなければならないのか。また耳まで熱くなってくる。
その一方で藤冲の言う通り、乙彦は証明すべきなにかをもっていない。
「これから生徒指導室に戻ろう。麻生先生がそろそろ、お前の宿題をチェックし終えたところだろう」
落ち着いた声で、藤冲は告げた。乙彦もつき従うしかなかった。
──これが水鳥中学の副会長か。
同じ生徒会経験者のはずなのに、今の乙彦の立ち位置にははるかな差があった。
──俺はこの学校で、どういう風に話をしていけばいいんだろう。
麻生先生は藤冲の予想通り乙彦の持っていったノートとプリントに目を通し終えていた。早い。
「よくがんばってきたな。さすがだ。水鳥中学の先生たちも太鼓判押していただけあるぞ」
いきなり誉められた。
いやではない。首筋を掻きながらノートを受け取ろうとすると、いきなり麻生先生は分厚いプリントの束を乙彦の手に重ねた。満足げに、
「少し早いとは思うが、出来るだけ早く準備を進めた方がよさそうだ。関崎、この春休みは特に予定などないのかな」
脂ぎった顔を向けて尋ねてきた。乙彦は首を振った。
「いえ、ありません。家族旅行は二年に一回の割合です。夏休みの予定です」
「なら話は早い。他の科目の先生たちとも相談してみるが、早急に関崎の補習を準備できるかを確認してみることにしよう」
「それはどういうことですか」
自分で尋ねるよりも先に藤冲が口を出した。かちんとくるがしかたあるまい。
「すなわち、少しでも早く関崎が内部進学者と足並み揃えて授業に参加できるようにするためだ」
「補習は費用がかかるのですか」
藤冲が畳み掛けた。
乙彦は全身が弾け飛んだような衝撃を受けていた。決して口に出せない質問だと自覚していたというのに。
──藤沖の奴、なんでそんなこと聞くんだ?
別に驚いた風でもなく、麻生先生は藤沖相手に尋ね返した。乙彦をちらと横目に観ながら、言い聞かせるように、
「藤冲、うちの学校の補習授業で金を要求したことが今まであったかい」
まず確認を取った。藤沖は首を動かさずに答えた。
「いいえ」
「そういうことだよ、関崎も覚えておくといい」
今度は乙彦に視線を向け、あごで頷きながら麻生先生は説明してくれた。
「青大附属の中では、学びたい生徒にできるかぎり手を差しのべていくつもりだ。塾に通う必要がないように、全力でサポートしていく。だから関崎、君はとにかく何事にも全力で取り組めばいい。そうすればおのずと道は拓ける。それを信じなさい」
麻生先生の言葉を信じてみようか。信じたい。信じなくては入学以前の問題、話にならぬ。
乙彦はひとつ、覚悟を決めた。藤沖に先回りして質問されたくないことをぶつけることにした。
「あの、青大附属に奨学金はありますか」
空気がさっと冷えてしまったかもしれない。
隣の藤冲があっけにとられたまま、乙彦をにらみすえた。
──なんでそんなにらむんだ。俺が何かまずいこと、言ったのか?
ここではそんなことをつっこむ必要なんてない。確認しなくてはならないことをさっき藤沖が聞いてくれたのだから、おそらく乙彦が尋ねても問題ないということだろう。少なくとも、入学取り消しにはならないということだ。
「奨学金はないわけではないが、来年以降に考えたほうがいいな」
麻生先生は少し戸惑った風に頭をかいた。少し油っぽいふけが髪の毛に浮かんだように見えた。
乙彦は畳み掛けた。ここは正念場。まずはストレートにぶつかるしかない。押し通すしかない。
「それなら、奨学金試験を受けるまで僕もアルバイトをして学費を稼がねばなりません。まだ校則を確認してないのでしてもいいことなのかどうかわかりませんが、しないと月三万近い月謝を払いきることは難しいです。アルバイトはどうですか?」
隣で
「どうですか、はねえだろう」
ため息声であきれている様子の藤冲。
どちらにしてもこの学校に通う以上、乙彦がアルバイトを始めるのは決定事項だった。
もしそれが校則違反だった場合でも、やらない限り、この学校には通えない。
雅弘ならおそらく
「おとひっちゃん、隠してこっそりやればいいのに」
とか言うかもしれない。
でも、陰でこそこそやるよりもこの場できちんと話をつけた方がすっきりするものだ。大人もいいかげんな野郎でなければ、事情をかならず理解してくれるはずだ。乙彦がアルバイトしたい理由というのはひとえに、「学費」それだけのためなのだ。大学生たちのように遊ぶ金ほしさではない。いざとなったらすべて、学費とアルバイト代との関連を図解して説明する準備もある。
基本として乙彦は校則厳守をモットーとしている。別に真面目ぶりたいわけではない。いつか嘘をついたらばれるのが世の中の定め、そんなことするよりも最初から真っ正直にぶつかるのが一番、逆らう必要のないものには逆らわず、納得いかないものは理論立てて説明すれば大人は百パーセントわかってくれるもの。
が、いたしかたない理由があるのならそれなりの手続きをとるしかない。
奨学金をもらえるならまだしも、現段階においては学費を稼ぐための手段を説得するしかない。
理由があれば納得してもらえるはずだ。確信していた。
「アルバイトは特別な理由がないかぎり原則として禁止だが」
麻生先生は言葉を切った。乙彦の顔を、まぶたぱちぱちさせながら見やり、
「だが、保護者の許可書と、勤務先の責任者とのサインがもらえるなら、その限りではない」
そう付け加えた。気難しそうな表情を浮かべた。
「大丈夫ですか! それだけでOKですか! ありがとうございます!」
大声で叫んだ。思わずつかんだままのノートとプリントが手から滑り落ちそうになった。
──なんだ、そんなことか。両親の許可も、もちろん古本屋の許可も、もらうなんてあったりまえのことだ!
乙彦は麻生先生の胸にどんと、補習用プリントを押し付けた。握手のかわりである。青大附属に入学するための手段がひとつ、クリアされたのは確実だ。ぐいぐい押し付けながら頭を下げた。
「ありがとうございます!明日、両親のサインと、それからバイト先のサイン、もし必要ならそこを紹介してくれた人のサイン、用意して持っていきます。もちろん、補習にはかからない時間にします。三年間、授業をさぼりもしません。誓約書、今、ここで書きます!」
詰め寄りすぎたのか、麻生先生は顔をプリントに押し付けるようにし、くくくと笑い声を押し殺していた。何でそんなに笑うのか、乙彦には理解不能だ。しかし理解できないことを無理に知るつもりもない。まずは要求がひとつ、クリアされたこと、それだけで十分だ。
「いや、すまん。こうも真っ正面からバイト交渉をする新入生は、たぶん青大附属始まって以来だろう、だと思うよな、藤冲?」
「僕も、そう思います」
こちらもまた笑いをこらえるような、しかめっつらをしている様子だった。乙彦にはなぜ、ふたりが自分の言動に対してこうも受けるのか謎だった。第一、アルバイトが校則違反かどうかは、先に教師に確認した方が早いに決まっている。親の許可をもらうことくらい、何の問題があるというのか。やましいことなどひとつもない。
「入学前にきちんとお話すべきことは、すべきだと考えてました。あとで校則違反だと言われるのはいやです」
「ああ、そうだな。まだ生徒手帳準備していなかったな。関崎、もらっていくか」
「ぜひ、お願いします」
早いところもらえるものはもらっておきたい。これはラッキーだ。下手に意味不明な行動を取り他の内部入学連中から白い眼で見られるよりは、きちんと頭に叩き込んでおいた方がいいだろう。記憶力は自分の強み。乙彦はもう一度、ノートを差し出した。
「この上に、載せてください」
載せてもらえなかった。麻生先生が受け取るなり、大笑いして乙彦の頭を思いっきり撫でたからだ。
「いやあ、お前、いい奴だ! よし、これ以上余計な心配はしないですむな。藤沖、お前に頼む仕事も、あまりないかもな」
「はあ」
──いったい何があんなに面白いんだ?
理由を追求する気はないけれども、わけがわからないのは確かにわからない。
乙彦はすっかり和んだ生徒指導室で、ソファーに腰を下ろすことにした。
その後いくつかの注意事項と午後からのオリエンテーションの開始時刻確認を行った後、
「では藤沖、あと一時間くらい、関崎につきあっていろいろ教えてやれ」
言い残し麻生先生は出て行った。
フォロー係、もとい、教育係の藤沖とふたり、取り残された。
──普通、生徒をこのままふたりっきりでおっぽり出したりするものか?
乙彦にはまったく解せなかった。
「生徒をここまで信用しているというのがすごいな」
「いや、あと十分くらいしたら別の先生が挨拶にくるぞ」
ふたりきりになると藤沖もにやりと笑いを浮かべた。
「この学校において関崎は英語科唯一の外部生だ。有る意味、最大級の特別扱いをされているともいえる」
「なんでだ?」
一入学生のひとりではないか。乙彦は首をひねった。藤沖はさっきまでの固い表情を崩し、堂々と膝を割り、向かいにいる乙彦へ身を乗り出した。
「関崎に関してはまず、交流会関連で顔が知られている。これがまずひとつ。次に入試の際、公立中学から英語科に合格できたというのが奇跡的な出来事だったということ。それがふたつめだ」
「奇跡的な出来事と言われても困るが」
「青大附属の英語科用入試問題を覚えているか? 噂に聞いた限りだと、ヒアリングと面接とそれから筆記らしいが」
「ああそうだな」
そこまで聞いて思い出した。そうだった。一年前、立村と交流会を通して知り合い連絡を取るようになってから、いろいろと青大附属の試験関連情報を耳にしてはいた。もちろん試験の横流しなどではない。青大附中の英語授業がいかなるものか、また英語科の授業の内容情報とか、附属生だからこそわかる生の情報を伝えてもらっていた。
断じて、乙彦が要求したものではない。立村が勝手にたくさん、プリントやら問題集やら持ってきてくれたのだ。時には郵便で送りつけてきたこともあった。なんでそこまで親切にしたがるのか乙彦には最初理解できなかった。おそらく立村は乙彦に友情を強く感じていたのだろう。まんざら悪い気もしない。代わりに乙彦は立村に陸上関係のスキルをたっぷり与えたが、果たして役立ったのだろうか。今日会った時に、改めて聞いてみたいことの一つである。
藤沖はするする話を続けた。
「つまり、その時に関崎は、他の受験生たちよりもずば抜けた点数を出したらしい。これはあくまでも噂だがな。仮に英語科で足りないものの普通科の点数でなら受け入れられると判断された場合は、普通科の合格者として扱われるらしい。それをされずにそのまま英語科に回されたということが、すべてを物語っているのではないか?」
──ずば抜けた点数だったのか?
いまひとつ、ぴんとこなかった。入試のことはよく覚えている。問題内容も、英語の答案も、外国人の先生から英語でいろいろ質問されたこともよく記憶している。立村が前もって教えてくれた内容とほとんど変わらなかったのであまり緊張しなかった。もっとも、中学入試の時もまったく同じ状況でありながら滑ったので、確信はできなかったが。
「ああ、あれは、立村のおかげだ」
乙彦はあっさり答えた。嘘ではない。やましくはない。藤沖が少し目をしばたかせた。
「藤沖も知っているだろう。評議委員長だった立村。あいつがいろいろと問題集やら青大附属の話やら、してくれたおかげで俺も、無駄な受験勉強せずにすんだんだ。公立高校の問題よりは確かに難しかったが、あいつがこまめにヒアリングの必要性だとか、授業で使ったテープのダビングだとか、おまえらとこの授業で使っている問題集だとか、いろいろコピーしてくれたから、それほどびびらずにすんだところはある」
「立村が、か」
「ああそうだ」
言葉短くとぎらせた藤沖に、さらに乙彦は一気に続けた。
「俺は公立中学だったから、結局三年半ばで生徒会から降りたが、一番よく連絡を取って交流会の相談をしていたのは立村なんだ。それは藤沖も聞いているだろう。いろいろ問題も起きたが、立村がうまくやり取りしてくれたおかげで、大事にはならずにすんだ。あいつってな、けっこううっかりミスとか勘違いすることも多い奴だが、男としてはなかなか根性あると思う。見た目がな、少しがきっぽいが、本気でやる時はほんとやる奴だ。あいつと英語科でまた三年間組めるというのは、俺も非常に楽しみなんだ」
「そう信じているのか」
藤沖はぼそりとつぶやいた。眼を逸らした。
「お前もあいつの性格は同じ学校なんだししかも生徒会かかわりもあってよく知っているだろう? あいつは嘘やまがったことが嫌いな、ひたむきないい奴だと思う」
──もっとも、かっとなると見境なく人を殴りつけてしまううっかり者のところもあるが。
雅弘を絡めた去年二月の出来事。勘違いした立村が雅弘をストレートパンチで図書準備室に沈めたあの事件。
本来なら親友をぶんなぐったとんでもない奴と思いたいところだけども、心根の純粋さになぜか憎めなかった。
──まあ、あれは、雅弘も悪かった。勘違いさせてしまうようなことを立村に言っちまったからな。
新井林健吾の恋人である佐賀はるみに熱を上げていたのも事実らしいが、最後は一途な思いで見つめていた水野五月にほだされて、選ぶべき人をしっかり選んだ。もっとも、今は別れてしまったが雅弘のことだ、水野五月のためを一番考えて選んだ路なのだろう。
水野五月、すぐに頭の中からお下げ髪姿を打ち消した。消しゴム代わりに乙彦はまくし立てた。
「あいつもたぶん、高校入学に備えてだと思うんだが評議委員長から降りて、きちんと他の奴に席を譲ったのは偉いと思う。うまくいえないがやはり、立村は人を統括していくだけの力があるんだろうな。本来なら三年終わりまで続けるつもりだったろうが、同期の奴に譲るというのは、そうそうできることじゃない。人としての器が違うな」
「関崎、いいか」
いきなり藤沖がガラス張りのテーブルを叩いた。揺れたのは番茶の水面。
「フォロー係として今からひとつ注意しておく」
ぎろりと、眼を光らせた。まるで猫だ。ぎょっとした。
「なんだそれは」
「お前が立村とプライベートで付き合いがあるのはよくわかった。お前の目に立村がすばらしい評議委員長として映っているのも理解できる。だが、今お前が話したことを、他の奴らには絶対に言うな。特に、この学校に入学するにあたって、関崎が立村からどういう協力をしてもらったかなどは、死んでも口にするな」
「なぜだ? 俺は別に、入試問題を流してもらったとかそういうことはしてもらっていない」「関崎がそういう奴でないことは、さっき麻生先生とのやり取りで重々承知している」
藤沖はきっぱり答えた。その後で、
「だが、誤解する奴はいる。特に、立村がらみの問題だと、それは頻著だ。黙っていても他の連中は喜んで誤解したがる。関崎を見て誤解する奴はいないが、立村がくっついていたら白いものも一気にグレーゾーンに進出する恐れがある」
──ちょっと待て。こいつは生徒会長だったはずだぞ。立村も藤沖のことは好意的に見ていたはずだが。
混乱した乙彦を前に、藤沖は念押しした。
「いいか。今の段階では、立村との付き合いが交流会以上のものだったと知らせる必要はない」
「それはなぜだ? 俺に嘘をつけというのか?」
「言う必要のないことを、初日に口走る必要はない。それだけだ」
それだけ言い放つと、藤沖は乙彦の手元にある湯のみをひったくり、一気に飲み干した。