高一・一学期 46
「時間延長、しとくよ」
古川こずえが一度外に出ている間、立村とふたりきりとなった。
「関崎、音楽、いくつだった」
「もちろん五だ」
「だろうと思った」
これから語らねばならぬ気の重い話題とはうらはらに、乙彦を褒めようとする立村の態度がつかみ取れなかった。とはいえ、音程が取れることを褒められるのは嬉しい。実際、音楽は好きだった。
「関崎」
ウーロン茶をちらっと見た後、立村は背を正し、こぶしを膝に置いた。またちらちらとミラーボールの破片が膝とテーブル、そして頭にちらつく。乙彦も釣られて膝を割った。
「なんだ」
「ひとつだけ頼みたい」
「何をだ」
「信じてやってほしい」
言葉を切り、唇を少しひっぱるように一文字に結んだ。視線はやはり乙彦へしっかり伸びたままだった。乙彦を凧糸でひっぱっているような感じだった。
「今日、ここに来たのは古川さんと不毛な言い合いをするためではないんだ。俺なりに、関崎に、真実と思われることを知ってもらいたい、そう考えたからなんだ」
「お前も真実だと思っているのだろう?」
少し曖昧な言い方で乙彦も返した。
「俺は、客観的にしか判断できない。現場にいない以上、どれが事実なのかわからない。その上で俺なりの判断で行動している。だが、噂だけが一方的に流れてきたらおそらく、多くの生徒は杉本を疑うだろう」
「俺も現場にはいなかった」
当たり前のことを伝えた。
「今から、俺は関崎にできる限りの説明をする。古川さんも言うことは言うが、根本的には杉本を信じていると思う。だから、関崎だけは、それを信じてもらえないか」
「なぜ……だ?」
「それは」
言いかけて、ぐいとウーロン茶を半分飲んだ。完全に氷は溶けきっていた。
「お前にだけは、信じてほしいと杉本が思っているからだ」
──俺だけに?
次の問いがこぼれるまえに、古川がポテトチップスを一袋抱えて戻ってきた。
「受付で売ってたから買ってきたよ。まあ、まずは食いなよ」
ぱりぱり食って盛り上がる気分でもないのは言うまでもない。一時間延長で余裕があるとはいえ、金のかかる場所だ。時間は無駄にはできない。まず乙彦から始めた。
「古川、今始めて知ったことを、もう一度確認したいがいいか」
「いいよ」
「藤沖がその、やらかした女子をかばっているというのはどういうことだ」
「ほら、あいつ元生徒会長だったでしょう。だからよ」
そこで立村がぼそりと呟いた。
「そんなに仲が良かったとは思わなかったな」
「ごもっとも。はっきり言って、私も、驚いたわよ」
古川は頷き、二枚分のポテトチップスをつまんだ。よりによって一番でかいやつを持っていきやがった。
「関崎もわかっていると思うけどさ、藤沖は硬派野郎じゃん。秋にはなんとしても応援団を打ち立てようと燃えている熱血男。私の知る限り、女っ気も全然ないし、どこでストレス解消してるんだかってよく聞いたもんよ」
──古川の下ネタ攻撃にさらされてたというわけだ。
「だからさ、いきなり藤沖があの彼女と一緒に図書館で勉強しだしたりとかさ、一緒に帰り始めた時には驚いたわよ。とうとうあの藤沖にも春が来たのかって。でもよりによって嫌っていた渋谷さんに手を出すなんて、特に例の噂がある渋谷さんになんでって、みんな不思議がってたわけよ。基本としてうちらの学年女子は、杉本さんびいき。渋谷さんの話にみなざまみろって思ってたところあったみたいよ」
あまり渋谷という女子は好かれていなかったらしい。
「藤沖もまあ、なんというか、女子たるものはやまとなでしこであるべきと信じていたところあったみたいでね。気が強くてうるさい子は苦手だって前々から宣言してたよ。私みたいな男のパーツについて詳しい女子はおよびじゃないんだってさ。ま、友だちとしてはいいけど、彼女にはねえって感じ」
──男子なら大抵そういうものではないか?
いきなり水野五月のお下げ髪姿がよぎった。
「そんな奴がよ? なぜいきなり、渋谷さんといちゃついてるのかって不思議に思うじゃん。人様の恋愛沙汰には口出しなんてしたかないけど、まあ、状況チェックはしてたわけ。そしたら、ひょんなきっかけで渋谷さんの状況が判明しちゃって」
「状況?」
「手首切るのを繰り返してるって。それ心配で、見張ってるらしいって」
立村は古川が戻ってくるなり、また無言のままウーロン茶をすすっていた。
「手首を切る、というのが、すなわち自殺未遂なのか? 単に夕食の準備で指を切ったとか」
思いっきりけりを入れられた。すねをひっこめた。
「関崎、料理をする時手首に包丁、近づける? あんたアホなこと言ったら男のシンボル切り落とすよ。なことはどうでもよくてさ、とにかく、藤沖はひとりの女子の命を守るがために毎日寄り添っているらしいのよ。いったいどこでそんな殊勝な気持ちになったのかわからないけど、あのきんきんうるさかった渋谷さんが、とてつもない大失敗で一気にプライドも地に落ちてか弱くなったのを見て、感じるところあったんでないの」
──それはわからなくもないが。
強気な女子よりも、少し自信を喪失した女子の方が助けたくなる、というのは自然の摂理だと思うのだが。古川には理解しがたいのだろうか。
「さらに言うとさ、二年の霧島、ほら、この前会った子。あいつにずっと渋谷さん恋焦がれていてしつこくアタックしていたみたいなのよ。けど霧島は最初からタイプじゃないって面しててさ、きつく無視。例の事件前からもともと渋谷さんのことなんか興味なかったのに、さらにばれちゃってからはそれプラス、『だらしない女子』の烙印まで押されちゃったみたい。まあね、霧島はね、女子に関しては好みがうるさい性格だしね。決して渋谷さんはブスだと思わないけど、霧島は女子のルックスなんて二の次って言い放ってるよ。姉貴で裏を見すぎたのかもね」
つまり、渋谷という女子は、修学旅行の寝小便をきっかけにプライドと恋を失ってしまったということなのだろう。一年上の藤沖が、あまりにも悲惨な渋谷の状況を見るに見かねて面倒を見ていた、というのが事実だろう。自殺未遂までしている、とどこで気付いたかにはあえて触れないでおいたが、やはり人の命を最優先で考えるならば、付き添うなり面倒みるなりはしたくなるのが人情ではなかろうか。
──だが、恋愛感情とは別のはずだ。
後輩への思いやりこそあれ、それ以上のものには思えない。
「だよねえ、私も最初、そう思ったんだ。まずは藤沖の話はそっち置いとくとして、次、杉本さんのことね」
話が飛ぶのは古川の、いや女子のくせだ。
「立村、言いたいことないの」
「古川さんが言い終わってから言う」
やはり立村は控えめなままだった。
立村の言動は賢い男子としてはごく普通のことだ。
まず、古川と対等にやりあうには情報が必要だし、足をすくわれないように注意深く振舞わねばならないのもまた一理ある。今回はどう考えても立村の方が正論を訴えているにも関わらず、この調子だと古川に言い負かされてしまう。もちろん自殺未遂を繰り返している女子の件や藤沖のことなども考えると、難しい部分も認めるが。
──俺ももう少し事情を聞いてからにしよう。
「杉本さんはね、最初はそんなの知ったことかいって顔して無視してたわけよ。すごいよ彼女。修学旅行後、杉本さんの泊まっていた部屋からおねしょふとんが発見されたって噂が派手に流れてさ。やはり話にみな飛びつくわけよ。杉本さんを嫌っている男子たちにとっては都合いい情報だしね。でも、思い当たる節なんて全然ないのになあに考えてるんだかって顔しつづけていたのよね。ところが」
立村にちろっと視線を流す古川。ミラーボールの閃光で埋もれている。
「なんかあったらしいのよね、生徒会がらみで。霧島もそのあたりは聞いてなかったみたいだけど、立村なら詳しいんでないの」
「別にそんなことはない。俺はただ、これ以上誤解されるようだったら、白黒つけに行ったほうがいいのではないか、と助言しただけだ」
驚いた。
──おい、立村がか?
言葉には出せなかった。
「まあ、正論だわね。この際聞くけど、どうしてよ」
「お互い、きちんと話し合っておけば問題がないだろう。思い当たる節がない、と言い張っているのは杉本だし、イエスかノーかは直接顔を合わせればはっきりするだろう」
「じゃあ聞くけど、立村。あんたが杉本さんにそんな助言をしたばっかりに、かの生徒会長・佐賀さんまで顔を突っ込んでくるってのはどういうことよ」
──佐賀生徒会長?
かつて、雅弘の憧れの君だった佐賀はるみ。思わず飛び出してきた名前に戸惑う。
「佐賀さんは杉本を疑ったらしいからな。それはきっちりと白黒つけておいた方がいいだろう。もっとも、なかなか相手が逃げ回って話にならないらしい。佐賀さんがかばって、かえって杉本が疑われるはめになっているはずだ」
「まあねえ、佐賀さんは生徒会仲間の渋谷さんの方が大事だろうしねえ。で、かつての親友に罪をなすりつけると、それは失礼よねえ」
乙彦は割って入った。勘違いしているようだ。
「罪をなすりつけたわけじゃないだろう。どちらが正しいか、情報が少なすぎて判断できなかっただけじゃないのか?」
「関崎、あんた、面食いかい?」
ぴしゃりと撥ね付けられた。
「とにかく、佐賀さんは渋谷さんをかばい、それが噂で流れ流れて、とうとう杉本さんの分が悪くなっちゃったわけよ。渋谷さんの精神ぼろぼろ状態も、周囲からはありもしないおねしょの噂でショックを受けたからだって解釈になりつつあるし。一部、霧島のように判断している奴もいるけど、結局みな、自分たちに都合のよい結論を求めるわけだから、もう八割方、杉本さんは不利。学校側も、グレーゾーンのまま、なんとか人の噂も七十五日で片がつくよう祈ってるようね。杉本さん側の噂も消さず、かといって渋谷さんが犯人だというのも証明せず。生殺しのまま、みな卒業してもらえることを祈ってるというわけ」
古川は一気に三枚ほど、ポテトチップスをかじり尽くした。
──噂、か。
目の前に座っている立村はまだ、何も言わない。
白黒をつけさせようとけしかけるとは、正直想像できなかった。
もちろん、真実をはっきりさせるためにはそれがベストだとは思う。
だが、もしそれが成立してしまったとすれば?
自殺、とまでいかなくとも、精神的に追い詰めることにはどうしてもなるだろう。
同時に。
──もしそんなことをさせてしまったら、たがいのセコンドにあたる藤沖と立村との関係は修復不可能になる。
古川の訴える可愛い後輩たちへの想いとは全く離れたところで、乙彦はそのデスマッチを観察していた。直接繋がりのない女子たちよりも乙彦にとっては、同じクラスで同じ教室の空気を吸い、本来ならば友情を培っていけるであろう立村と藤沖の方が大切だ。
──藤沖は硬派で筋の通った奴だし、かといって世間を全く知らないわけではない。話はわかる奴だ。立村もわかりづらいところはあるが、決してむかつく奴ではない。ふたりともA組の同級生として、これから一緒にやっていきたい相手だ。できればこのふたりがうまく繋がってくれれば、これから先の高校生活はきっとうまく行くはずだ。委員会活動にしてもだ。立村はいろいろあったにしても、元青大附中の評議委員長だ。このまま朽ち果てるのは勿体無い。さて、俺なりにどう動けばいいんだ。
乙彦は頭の中をもう一度、整理した。
──白と黒をはっきりさせることは必要だ。
どう考えても、これは結論だ。動きようがない。
──しかし、相手を死なすわけにはいかない。
大命題である。
ひとつ、提案してみることにした。
「古川、ひとつ聞きたい」
「なによ」
「その、杉本、さんはなんと言ってるんだ」
あきれた顔で古川は繰り返した。わかってるじゃないというような顔で。
「私が正しいことはわかる人にはみな、わかっているし、無理に騒ぐ必要なんてない、ってね。でも、佐賀さんに何か言われた時にはかっとなっちゃたらしいけどね」
「つまり、わかる人にわかってもらえれば、いいのか」
首を傾げ、古川はまた立村を見据えた。
「立村、そう言ってたってことだよね」
立村も頷いた。返事はない。
「じゃあ、古川は結論としてどうもって行きたいわけなんだ?」
「結論ねえ」
また、言葉を選ぶように、ミラーボールをつんつん指差した。
「事情は今の説明でだいたい把握した。つまり、古川としては、現状の噂をそのまま流しておいて、七十五日の噂消滅まで何もしないでおこう、そう言いたいんだな」
「露骨だねえ。でもそうさ、その通りだよ」
かなり露骨なのはそちらの方じゃないか、そう言いたい。
「渋谷さんがこれ以上手首をかみそりで切らなくなるまでは、とにかく杉本さんにがまんしてもらうしかない、そう判断したわけよ」
すっと立村が割り込んだ。
「杉本はそうしたらひとりだけ惨めな思いをしろってわけか!」
「違う違う。だから、誰か杉本さんをかばってあげられるような場所をこしらえてやるのよ。斬り込み隊長はあんた、立村ね。今、私が聞いている限り、杉本さんには新しい友だちがいるって東堂から聞いてるよ。はたからは危なっかしいらしく見えるけど、けっこう楽しそうだって。あの子たちは少なくとも杉本さんのことを嫌ったりしないし、こんなくだらないおねしょ騒ぎになんて耳傾けたりしないよ。だから、それでいいじゃないってこと。立村が杉本さんのためにやってあげてたことと一緒よ」
このあたりは中学がらみの出来事らしいのでよくわからない。だがあまりしつこく尋ねると、自分がひそかなる「葉牡丹の彼」扱いされてしまう。それは避けたい。
立村の反論は続いた。
「俺が杉本の同級生だったらまだなんとかできるさ。だが今はどうしようもないだろ? 今の杉本の友だちも、俺の知る限り、かなりとんでもない女子らしいと聞いている。もちろん東堂が気に入っているくらいだからそれはそれでいい人だとは思うが」
「しょうがないよ。立村、あんたはこういう顔しててもついてるものついてるからしょうがないけどさ、女子っていうのはね、本当に信じてくれる人がひとりだけでもいれば、ちょっとくらいの辛い思いはがまんできるもんなんだよ。こういったら変だけどさ、あれだけ杉本さんがいじめられて来て、先生たちにも無視されて、たったひとりで戦ってきて、それでめげずに青大附中へ通って来てるのはね、たったひとり、はっきりした味方がいたからなんだよ。立村、あんたはそれ、わかってるよね」
事情は決してここで深追いしてはならない。酷い目にあうのはわかりきっている。
「だからといって、ありもしないことを叩かれて噂を七十五日待てというのは、人間としておかしいだろう? 七十五日ったら、何ヶ月だ?」
「二ヶ月程度だ」
すぐに乙彦が答える。無視された。
「学校側は、夏休みもあるしすぐに話は立ち消えになるだろうと思っているからそんな流暢なことが言えるんだ。だが、杉本はもともといろいろ不利な立場に立たされる女子だってこと、古川さんも知っているだろう? 佐賀さんが生徒会長に立ってからはなおさらだ。青大附属に高校以降もずっといる渋谷さんを大切に守って、どうせ公立に出て行く杉本なんかどうだっていい、って思ってるのか? 杉本のプライドもなにも、ずたずたにしてもたいして問題ないと考えているのか?」
「杉本さんはそんなに弱くない、だからあえてそう私は提案してるんだよ。立村は杉本さんのことをか弱いと思い込んでるけどさ、そんなくだらないことで壊れないよ。女子の方が強いんだよ。こういう時はさ」
「古川さん、それは間違っている、杉本は」
「何もあんた、そうやって女子を下に見たがるのやめなさいや」
──なんだか論点がずれてきているぞ。
つまり、立村としては、なんとしても杉本梨南の名誉を守ってやりたいわけだ。
杉本梨南に着せられた濡れ衣を晴らすことこそ、最大の義務と認識しているわけだ。
一方、古川としてはそれを認めた上で、渋谷という女子が死を選ぶ可能性をなんとしても阻止したいわけだ。
これももちろん、わからないわけではない。
だが、これ以上どうすればいいのか。
だんだん、口がむずむずしてきた。乙彦ならばこんなうだうだした展開など好まない。
もっとわかりやすく、すっぱり突っ走りたい。
──簡単じゃないか。
ふたりの言い合いにけりをつけるべく、乙彦は立ち上がり、テーブルに置きっぱなしのマイクを突きつけた。電源をオンにしたままだったので、思いっきりガラスの衝撃音を拾い響いた。
「直接、杉本さんにどうしてほしいかをどうして聞かないんだ?」
ふたり、あっけにとられて乙彦を、他人顔で見つめた。
──何もそう、変な顔で見ることはないだろう?
結論からどんどん言っていくことにしたので、文句は後回しに。
「だいたい話はつかんだ。立村、古川。お前たち二人の言い分はよくわかった。だが、結局一番ないがしろにされているのは、杉本さんじゃないのか?」
「関崎、それは俺に対して言ってるのか?」
静かだが、きっぱりと立村が問うた。乙彦も目を見つめて頷いた。
「そうだ。第三者の目から見ると立村、お前は杉本さんの立場を代弁しているように見えるが結局は古川の言う通り、藤沖へしっぺ返しを食らわせているように思える。女子たちの件はおいといても、藤沖に対してはもっと、話を聞いてやるべきだと俺は考える」
反論を諦めたのか、立村は黙った。
「それと古川、お前も杉本さんからいろいろ話を聞いてるというが、結局何を彼女が求めているのかが、正直はっきりしない。周りはいろいろ取りざたするが、学校なり周囲なりの意志ばかりが働いて、本来杉本さんがお前らにどうしてほしいのかがさっぱりわからない」
少し大袈裟だが、実際乙彦が感じたことでもある。
「まずは、それを確認するべきじゃないのか」
「でもさ、そんなのわかりきってることじゃないのさ」
古川がやはり反論してきた。予想通りだ。
「女子からしたら、恥ずかしい噂なんてさっさと忘れてほしいに決まってるじゃん。杉本さんだって本当は白黒つけたいじゃん。でもそうしたら」
「それはお前らの思い込みだぞ。もしそれが外れていたらどうするんだ」
乙彦は一気に叩きこんだ。
「俺ならまず、杉本さんの要望を聞く。その上で、俺がどうしてほしいかを訴える」
そこで立村が、挑むような口調で乙彦に尋ねた。
「関崎なら、どうしてほしいと、あいつに言うんだ」
古川に言うよりも口は軽く回った。
「人も死なせずにすんで、プライドも守られる方法を、一緒に考えてほしい、とだ」
つまり、そういうことなのだ。
話を聞く限り、杉本梨南はかなり冷静にこの状況を捉えている風に見受けられる。
もし噂に聞く最低女子だとしたら、とっくの昔に渋谷の首根っこを押さえつけて白状させているか、それとも派手に自分が犯人ではないことをアピールしては顰蹙を買っているだろう。無視、という手段を冷静に選ぶことのできる女子ならば、むしろ冷静沈着に話を持っていって、この事態をどう収めるか、提案させるというのがひとつのやり方ではと乙彦は思う。
「ただ、彼女にも、すべての事情は伝える必要がある。藤沖が毎日見張りをしないといけないほど渋谷という女子が追い詰められていることなどは必ずだ。その上で、これから先ベストな方法を取りたいのだが、いかがだろうか、と持っていく」
「ベストな方法ねえ」
古川が茶化す。
「もちろん、その方法でも渋谷という女子が傷つくのならしょうがないだろう。だが、人間、誰だってあったかい気持ちはあるはずだ。人前で寝小便の布団をさらすような真似はしないだろう。立村、そんな女子じゃ、ないんだろう?」
立村は答えなかった。ただ黙って乙彦を見つめた。
「方法だったら、たとえばだ。俺ならまず、藤沖、立村が立ち会う中で女子同士の対面をさせて、その上で話し合いをさせる。もし必要だったら彼女たちの友だちを同席させてもいい。とにかく、とことん話し合わせる」
「どつぼにはまるよそんなことしたら」
「人間同士、心があるはずだ。そんなことで壊れたりなんかしない」
さらに続けた。
「その場所をあえて、学校の外なり、人目につかないたとえばこういうカラオケボックスとか、そういうところに設定する。そこでばれないように話をすれば、まずこれ以上酷い噂は広がらない。その上で互いに納得した声明文を発表するなり、そのまま七十五日を待つなり、それぞれの価値観で判断すればいい。あとは、女子同士で決めることだ。本来信頼するとは、そういうことじゃないのか、立村」
言いたいことは言い切った。じりじりとミラーボールの回る音が響く。飲み物もポテトチップスもすでに空だ。乙彦は自分のウーロン茶を飲みきった。改めてふたりの様子を伺った。それぞれ考え込んでいるのかと思いきや、全く視線を逸らすことないのはなぜだろうか。
「信頼、ねえ。立村、あんたどう思う」
「杉本自身の、判断か」
短く呟いた立村の様子は、こわばっているようだった。何かがぐさりと刺さったのだろうか。俯いて唇を噛んでいた。
「私は、関崎の案、なるほどなって思うけどさ。話せばわかってくれる子だとは、思うよ」
「筋は通すからな」
「私ら先輩たちがわたわたするよか、直接杉本さんにどうしてほしいかを聞くのは、確かに早道だよね。あの子、学年トップ今だに守ってるしさ。賢い子だからどうしてほしいかは答えてくれると思うよ」
あっさりと納得されたのには驚くが、それより気になるのは立村の方だった。いきなり項垂れんばかりに頭を下げ、こぶしを膝に置いている。そして立ち上がった。財布を取り出し、千円札をテーブルに置いた。
「時間、まだあるだろう。関崎、もう少し歌っていけ」」
それだけ言い残し、俯いたまま鞄を抱え、立村は部屋を出て行った。
なぜか、古川は止めようとしなかった。
「ああわかったよ。あとでもっかい電話で連絡するよ」
乙彦が腰を浮かしかけたのを、さらに古川はマイクを手に押し付けながら囁いた。
「あんたの案、採用。話を立村と煮詰めて、杉本さんと三人でまず、本人の意志を聞くところからやり直すよ。それよか、まだ二十分以上間あるよ。ほら、演歌かなんか、歌いなよ」
マイクの誘惑に、乙彦は抗し切れなかった。歌ったことはなくても、聞きなれた演歌ならまだたくさん歌詞本に載っていたから。
──立村は、果たして受け入れるだろうか。
──それ以上に、立村は、なぜあんなに衝撃受けてるんだ?
わからなかった。しかし、それ以上考えなかった。立村がわかりづらい奴というのは、初対面の頃から承知していることだった。