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高一・一学期 44

 藤沖はやはり、この数日間とほぼ変わらない陰気な雰囲気をたたえていた。

「お前、疲れてるのか」

 乙彦がかつて何度も言われた言葉を投げかけると、すぐにいつもの兄貴口調に戻る。

「関崎に比べたらちょろいもんだ。俺がそんなに疲れているように見えるのか」

「ならいいが」

 さっさと終わらせ、乙彦は授業の準備をしつつ、次に立村へ近づいた。

 宿泊研修以来若干、話し掛けずらい雰囲気がなきにしもあらずなのだが、ここは無理やり明るく声をかける。

「おはよう、立村」

「ああ」

 うつろな目で乙彦を見上げる。別に乙彦に対して何か、きつい眼差しはとんでこない。

 ──何があるんだ、いったい。

 知らないふりして席に戻ると、入れ替わりに藤沖が立村の前に向かうのが見えた。何かを話し掛けているが会話は聞こえない。ただ、小さく立村は首を振っていた。

 ──ありえない光景だ。

 古川に指摘されなければたぶん、すぐに見逃しただろう。

 もともと立村は、藤沖に嫌われていることを感づいていたのだろう。強気で何か物申すといったことはほとんどしなかったはずだ。乙彦に対してのみ、他人のふりしろだのいろいろと文句をつけてくるけれども、それはしつこいくらい乙彦がコミュニケーションを取ってくるからだろう。無視する奴および、嫌う奴には最初から近づかない性格のようだった。

 しかしながら、確かにおかしい。

 藤沖が真摯に何かを訴えようとしているのはわかるが、それをきっぱりと拒絶している立村の言動には、潔さすら感じる。かといってそれが何なのかは乙彦にも判断できなかった。

 古川を探し、ノート片手に近づいてみる。

「誰にも言うんじゃないよ」

 まずは挨拶代わりに釘をさされた。珍しく下ネタを振って来ない。

「今日確認してみて、はっきり言った方がよいと判断したら、あんたに話すよ」

「お前の判断か」

「そ。嘘は言いたくないよ。あんただって嘘を聞きたくはないでしょうが」

 その通りではある。しかし乙彦には情報が少なすぎるのも事実。

「俺が判断するというのはまずいか」

 古川はしばらく口を閉ざしたが、首を横に振った。

「まずい。外部生を差別するわけじゃないけど、あんたには状況が読めてない」

「読むもなにも、あの現場で得た情報以外何を信じればいいんだ」

「あのねえ、関崎」

 何か、言おうとしたらしいがすぐにまた、溜息をついた。乙彦の顔を見るとむしょうに溜息が洩れるらしいとのことだ。

「とにかく、あんたは黙ってな。もう少し、情報を集めた段階であんたにも話せると思うからさ。高校だけならともかく、中学まで巻き込んでいる以上、あまり無責任なことも言えないからね」

 ──証人とかなんとかいって引きずり込んだのはどっちだ。

 乙彦は喉まで出かけたが飲み込んだ。今の段階で古川と関係が悪化するのは、できれば避けたい。


 霧島の言い分も男子の価値観で考える限り、理解できないこともない。

 ──だらしない女子を好まないのは確かにわかるが。

 古川とのやり取りを踏まえて考える限り、霧島の姉も相当酷い性格の持ち主だったのだろう。また、女子としての礼儀をわきまえない連中にむかむかしてくるのも、乙彦にはよくわかる。

 だからといって、修学旅行の失態を一方的に糾弾するのは、間違っていると思う。

 少なくとも、生徒会内で行うべきではない。

 嫌うなら嫌うで、霧島個人の判断で行えばいいことだ。仮にその、渋谷とかいう女子が、失敗を他のクラス女子に押し付けようとしたのならば、それを罰するのは学校側であり、被害を被った宿側だろう。いくら感情的に渋谷を嫌っていたとしても、それを公の場で叩きのめすというのは、古川の言う通りいじめである。

 

 ──その、押し付けられた女子があの、杉本さんとすれば。

 立村の出番が用意されるのは当然とも言える。

 このあたりよくわからないところではあるが、中学の後輩たちと立村たちはそれなりに交流もあるのだろう。藤沖が生徒会長だったというのももちろん関係しているだろうし、立村も前期評議委員長だったのだから。自然と、霧島とのやりとりもうかがえる。必ずしもそれは喜ばしい内容ではないのかもしれない。だが、霧島は帰りがけに「立村先輩によろしく!」と口走ったではないか。となると、立村に対して露骨な敵意は薄いと見た。

 ──つまり、霧島は、立村と、その件でなんらかのやりとりがある。

 さらに言うなら、霧島は最初、「藤沖先輩から聞かれたのですか」っぽいことを口にしていた。このあたりでもすでに、藤沖が状況を把握し、なんらかの形で中学生徒会に介入した可能性がある。

 ──しかし、証拠も何もない。

 どう繋がっていくのだろう。立村と藤沖が同時に中学生徒会側と繋がりを持っていて、生徒会役員の個人的失敗をきっかけに力関係が崩れてきているらしいとは、だいたい読めるのだが、いったいどうしてそうなったのかが全く見当つかない。

 もっとも、古川はそのあたり、ほぼ把握しているようだが。


 ──そんな中学のことなんかどうでもいいだろうに、けどなんでだろうか。

 第一、あまりにもくだらなさ過ぎる。

 修学旅行で寝小便したからといって、そんな人前でさらさなくたっていいだろうに。

 こういったらなんだが、本当によくあることじゃないか。

 どうせ笑い話になって片付くたぐいのものなのに、なぜ霧島は意固地になって相手女子を痛めつけようとするのだろうか。それに押し付けられた杉本梨南だって、なんのことやらといった顔で流しているらしいし、それだけ堂々としていたら噂も落ちつくはずである。むしろ当の本人である渋谷の方がしょぼくれているらしいし、それならそちらをかばう方が先決だろう。

 実に、全くわけがわからない。


 無事、授業も終わった。あれから藤沖と立村との間にはやりとりもない。

 かわす話題も近づいてきた期末試験の山掛けくらいのものである。

「関崎、今日は補習なんだよね」

「そうだが、なんでだ?」

「やたら楽しそうじゃん」

 古川に呼び止められた。何が楽しいというんだろうか。まあ、始まるまでは静内たちとかけあいしながら過ごすので、いやというわけではないが。

「たいしたことじゃない」

「あ、そっか。じゃあまた」

 それ以上呼び止められず、古川はすぐ立村へ声をかけに向かった。いつものことだがクラスから浮き気味の立村を、古川はそれなりにフォローしてやっているようだった。そうでもしないと麻生先生からも嫌われている立村の、居場所がない。

「じゃ、またな、立村」

 乙彦も挨拶だけはしようと近づいた。古川とやり取りしている最中の立村をちらと見たとたん、その目つきのきつさに驚いた。乙彦の声など聞いていない。古川にたたきつけるように、声は小さめながらも憤っていたいた。

「古川さんも、俺が藤沖の言いなりになれって言うのかよ!」

「話をまずは聞きなさいよ。判断するのはそれからでいいじゃんよ」

「うるさいな。俺には俺の考えがあるんだから、放っといてくれ」

「ったくあんたさあ、いいかげん中学生みたいなこと言ってるんじゃないの。ほんと言っちゃなんだけど霧島の方があんたより何千倍か大人だよ」

「二言目にはガキ扱いかよ、いいかげんにしろよ」


 ──本当に、あの立村かよ。

 古川を相手に噛み付いている姿は、乙彦がかつて見ていた立村のものではなかった。

 もう少し話のわかる、多少納得がいかない時であっても、相手のことを立てる努力はしている奴のはずなのに、いったいなんだろうかあれは。まるでだだっこだ。古川ではないが、中学二年の霧島の方がずっと、大人である。

 しかしそんな心の声を立村に聞かせる気もなく、乙彦は返事を待たずに補習教室へと向かった。どうせ古川に文句言ったところで、方針変えてくれるでもないのだから。

 ──いや、待てよ。


 一瞬、立村の言葉がひっかかった。

 ──あいつ、「俺が藤沖の言いなりになれって言うのかよ!」とか言ってなかったか?

 やはり、古川は何かを立村に説得しようとしていたのではないのか?

 気になる。

 藤沖の頼みごとを、古川は把握している。改めて援護射撃をしようとしている。それを立村はかたくなに断っている。ただ具体的にそれが何なのかはわからなかった。

 ──しょうがない。とにかくあとで古川に聞いてみよう。

 一度頭をざっくり振った後、乙彦は補習教室へと向かった。今日の教室はなぜか音楽室だった。まず、水鳥中学では考えられないシュチュエーションだった。

 期末試験が近いせいか、この日は二年、三年の生徒もそれぞれ場所を陣取っていた。同学年だとだいたい顔がわかるのだが、上級生ともなると全く見当がつかない。一礼するのは後輩としての礼儀だと思うのだが、けげんな顔をして見られるだけ。しかたないので、すでに後ろの席で語りあっている静内と名倉のもとへ向かった。他の外部生たちはまた別のグループで固まっている。

「関崎、悪いけど、宿題のノート、見せてもらえる?」

「かまわんが」

 静内が乙彦のノートを見たがるのは決して答えを丸写しするためではない。最初、勘違いして断ったり説教したりもしたのだが、どうやら自分の出した答えを照らし合わせたいだけのことらしい。

「関崎くらいしかいないもんね、どんな風に解いたのって聞けるのは」

「他の女子たちはなんて言うんだ」

「みな、私自信ないからってごまかすだけ。具体的な質問に答えようとしない」

 他の外部生たちにも聞こえないよう、声を潜めた。

「そんな難しいこと聞いているつもりないんだけど、自分に責任が降りかかってくるのがいやなのね」

「そういうものか」

 尋ね返したのは名倉だった。すでに名倉も答えを静内に見せていたらしい。数学の少し難しい問題が提示されていた。

 ざっと静内のノートと見比べた結果、どうやら一、二ヶ所計算ミスがあったようで数値が異なっていた。簡単に説明し、事足りた。

「サンキュ、早い」

「時間の節約だ」

「ところで、関崎」

 静内が名倉と顔を合わせながら、にやにやして尋ねてきた。

「昨日さ、関崎、誰と歩いてた?」

 いきなりすぎる。驚いた。もっとも静内はちっとも怒っていない。怒る由もないのだが。

「どこと言われても、もっと具体的に言えよ」

「中学の校舎」

 なんだ、古川と歩いていたところを見られただけか。内容はともかくとして、特に隠すこともない。乙彦はあっさり答えた。

「うちのクラスの古川と、クラス関連の相談があって出かけただけだ。そうだ、静内」

 言うのを忘れていた。

「中学の図書館に『青潟市史』とかいう分厚い歴史の本があったぞ。今度、名倉を含めて読みに行こう」

 

 あっけにとられた風にふたり、口を開けていたが、その後お笑いし出した。静内の笑い声で他の生徒たちがちらとこちらを振り向いたが、それ以上のことはなかった。

「ごめんごめん、笑っちゃって」

「そんな面白いことを口走ったつもりはないが」

 名倉がすぐに説明を加えた。笑いこけている静内が語るには、無理があった。

「お前が女子と一緒に歩いていると聞いて、静内のクラスの女子たちが懸命に、やきもち妬かせようと話し掛けてきたらしい」

「なあにがやきもちよね。もう、あきれるの通り越して、笑っちゃう」

 静内がひくひく笑いの発作を押さえようとし、胸を叩いた。咳をした。

「うちのクラスの人たちが、入れかわり立ちかわり、私が関崎に文句を言いにどうしていかないのかって、しつこく聞くのよ」

「なんで言わなくちゃなんないんだ?」

「さあ? 適当に流してたんだけど」

 全く訳がわからない。それはお互い様のようだった。もともとプライバシーにあまり関わらないのが主義という静内だけに、あまり乙彦へつっこむ気もなさそうだった。

「クラスがらみの事情があるので、詳しいことは話せないが、静内が文句を言う必要はない。むしろ、お前のために資料を集めに行ったということで感謝されてもいいはずだ」

 きちんと言い切ると、静内はこっくり頷いた。親指立てて、「OK、OK」と繰り返し、

「サンクス、関崎。ぜひ次回は三人で」

 名倉とも頷きあい、終わらせた。


 大教室での補習は、ひとりひとりに大学生たちがついて、個人指導を行う形式なのでさほど時間もかからなかった。静内が頭を悩ませていた数学の問題も、どうやら担当の学生が教えてくれてすぐ片付いたらしい。乙彦も名倉も同じだった。

「今日はね、二年、三年の人たちがメインみたいよ。私たちは早く帰ってもよさそう」

「そうか」

 さぼることは考えていないにしても、早めにあがることができるのならそれに越したことはない。乙彦はさっそく荷物を片付けた。時計を覗きこむとまだ二十分しか経っていない。四時を回ったばっかりだ。

「静内、名倉、噂の中学図書館に行ってみるか」

 声をかけてみた。静内から妙な噂の話を聞かされて気になったのもあるが、実際このふたりは一度も中学校舎に行ったことがないわけだし、連れていってもいいのではないかという気がした。古川のように卒業生は顔パスらしいが、乙彦たちはやはりそういうわけにもいかないだろう。だったら三人でまとまって行動するのがよいだろうし、好感も持たれるに違いない。

 案の定、ふたりはしっかり乗ってきた。すでに出発準備完了。

「悪いけど私、方向音痴だから、ナビゲートよろしく」

「東西南北はわかるだろ」

「磁石がないと生きていけないの」

 ──それは重症だ。

 なら、離れるな、そう厳命するしかない。

 問題なく乙彦、静内、名倉は音楽室を出た。委員会もそれほど活動することなく、せいぜい朝夕の週番を月一度こなせばいい程度。二ヶ月半が経ち、なんとか空いた時間を見つけることができるようになった。たとえばこんな風に。


 不意に右腕を捕まれた。静内かと思った。息が止まった。

 ──いったいなんだ?

 脇を見た。隣にいたはずの静内を押し除けるかのように、古川こずえが割って入っていた。いつのまにか背後に潜んでいたようだった。すぐ振り払った。

「声をかけろ。それが礼儀だろう」

「あとであんたには土下座して謝る。悪いけど、あんたに頼みたいことがあるんだ。ちょいと付き合ってほしいんだ」

 いきなり真面目な顔で、背では静内と名倉を隠すようにして古川が訴えた。乙彦がふたりの様子を古川の頭ごしに伺うと、あっけにとられて顔を見合わせているだけだ。それはそうだろう。乙彦だって声が出ない。

「A組と可愛い後輩ちゃんたちのためなんだ。あとでちゃんと、私から筋は通すからさ。とにかく今すぐ来てほしいんだ。関崎、急いで」

「立村のことか」

 話がわからないわけではない。だが、乙彦だけではなく、大切な友だちを突き飛ばすようなことをされたままつきあうわけにはいかない。焦りの色が顔に浮かび上がっている古川には悪いが、言わねばなるまい。

「俺にも先約がある」

「それはわかってる。でも」

「立村たちのことならもちろんなんとかしたい、だがひとつだけやることやってくれ」

 乙彦は古川を、ふたりの方に向くよう手で指示した。

「まずは、いきなり割り込んできたことを、このふたりに謝ってくれ。話はそれからだ」

 一瞬息を飲んだ古川は、じっと乙彦を見上げた。筋を通してほしいというだけなのだが、相当悔しそうに見えた。どこか違和感があった。

「いきなり邪魔して、ごめん。今、クラスのことで関崎に力を借りなくちゃならないことがあって」

 言いかけた古川を、静内はちらっと見た後すぐ乙彦に笑いかけた。歯牙にもかけないといった風に、

「名倉とその辺で遊んでるよ」

 いつものように短いフレーズで答えた。名倉も頷いた。

「悪い。すぐ戻る。待っててくれ」

 今日は最優先で静内たちと遊ぶ約束をいたのだ。守るのは当然だ。


 ──だがなんでだろうか。

 もう一度頭を下げ「ごめん」と伝えた古川に、苛立ちを感じてしまう。

 もちろん、古川が駆け込んできたのにはそれなりの理由があるのだろうし、それが緊急を要するものならば当然の行動とも理解している。恐らく何らかの事情が判明し、古川はなんとしてもそれを乙彦に報告しようと思ったのだろう。 

 だが、タイミングが悪すぎる。

 よりによってなぜ、静内たちのいる時に。

「あんたが怒るのはわかるよ。申し訳ない」

「別に怒ってはいない」

「顔に書いてるよ。それよか」

 古川も乙彦の不満を感じているのだろう。下手に出ている。

「あんたに頼みたいことっていうのはさ、立村をこれから、説得してほしいんだ」

「何をどう」

 杉本梨南が絡んでいる以上、立村が精一杯かばおうとするのは当然の流れに思えた。古川は中学修学旅行の噂を肯定し、濡れ衣を杉本に着せたままにしろというのだろうか。それはいくらなんでも、酷すぎるのではないか。それよりも相手側ときちんと話し合いをさせて、互いに納得した上で真実を明かすのがベストだろう。乙彦なりの判断ではそういう結論が出ていた。

「理不尽なことをあいつに説得したくはない」

「そうだね、理不尽だよ。でもさ、関崎。正しいこと以上に守らなくちゃいけないことがあるんだよ、今回の事件ではね」

 そんなのがあるだろうか? 嘘を吐くことで守られるものなんてあるのだろうか。もちろんその場しのぎにはなるだろうが、いずればれる。乙彦は決してそれに組する気はない。

 廊下を足早に歩きながら、古川は小声で説明を続けた。

「例の一件は、霧島の言い分が正しい。はっきりとした証拠があるからね。それでありながらなぜ学校側も杉本さんのしでかしたことにしようとしてるか、わかる?」

「嫌われているからではないのか」

 可哀想だが、他の連中から聞く限り、それは事実だ。

「そんな感情的なことで動いたりしないよ。仮にも大人だよ。あ、これから大学の校舎に行くから外に出て待ってな」

「大学?」

 突っ立ったまま、乙彦は尋ねた。足を止めずに古川は女子用の靴箱すのこに立った。

「立村、今日は、大学の教授に英語の作文かなんかを添削してもらうって言ってたからさ。大学で待ち伏せてとっつかまえる。そこで、とことん、あいつを説得する」

 立村が大学の講義をすでに単位なしとはいえ、受講しているのは前から聞いていた。

「だが俺だったら、どんなことがあっても、説得に応じる気はない。あらゆる方向から考えても、濡れ衣を着せられたまま中学卒業まで耐えろというのは、根本的に間違っている」

「関崎!」

 いきなり古川が両手で乙彦の頬をがっしりつかんだ。叩いた、のではなく、おにぎりをこしらえるような格好で握り締めた、といった方が近い。

「どんなに正しくたってね、最優先されちゃうことが、あるんだよ」

「手を離せ。それと、最優先されるとはなんだ」

 乙彦の方から無理やり古川の両手をはがし、底から出る深い声で尋ねた。

 気持ちが全くないとはいえ、一度は縁をもった女子が惨めな噂で傷つくのを許すことができない。同時に、その女子を命がけで守ろうとする立村を阻むことはなおさらできない。むしろ、可能ならば古川に対抗したいくらいだ。

 古川は両手をぶらんとぶら下げた。

「死なせたら、終わりなんだよ」

 

 ──死なせたら?

「詳しくは立村と一緒に、あんたにも話す。一刻を争うことだから、とにかく大学まで走るよ」

 言い終わるや否や、古川は乙彦より早く、猛スピードで駆け出していった。

 追いかけた乙彦の頭の中で、古川の残した言葉が切れ切れに響いていた。

 ──この学校の連中、やたらと「自殺」とか「死」とか、そんなことを意識して生きてるのか。

 今までの乙彦には全く見えない言葉だった「自殺」と「死」が、青大附属の中では何事もない顔をしてそれぞれの頭の上を飛び回っていた。

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