高一・一学期 42
四年前、中学入試で初めて訪れた時は、ストーブもないのになぜ玄関が暖かいのかが不思議だった。同じく、その後交流会の準備関係で足を運んだ時は、なぜみな急須でお茶を汲んでくれるのかが謎だった。出入りした場はせいぜい教室と生徒会室、あとは体育館と奥の準備室のみ。じっくり中を除き見る機会はほとんどなかった。
上靴は用意していなかった。古川こずえがスリッパを職員玄関から持ってきてくれた。
「私たち、もうほとんど顔パスだしさ。あんたたちが今度遊びに来る時は、ちゃんと職員玄関から入って、来館者ノートにちゃんと名前書いておかなくちゃなんないからね。忘れるんじゃないよ」
「そういうものか」
まあ、卒業生でもないのだからそれは当然だろう。乙彦は脱いだ靴をそのままボストンバックに押し込んだ。次回からはビニール袋を持参しよう。ついでに静内、名倉にも指示しておこう。
極太柱で支えられたロビーの真中にはやはり、ベンチが用意されていた。
柱周りには誰かの描いた人物画が大量に張り巡らされていた。
目を留めると、すぐに古川が解説をしてくれた。
「ああ、あれね。今D組にいる金沢っていう奴がね、学校側から頼まれて全部描いてくれたんだよね。前も話したかもしれないけど、金沢ってものすごい天才画家野郎でさ、今でも大学の美術関係特別授業受けに行ってるくらい。有名な画家の先生たちにも最近は声をかけてもらってるみたいだよ」
「そうか」
芸術は全く門外漢の乙彦だが、とにかく絵がうまいということだけは認識した。
「さ、まずはなつかしの図書館へGO!」
古川こずえと図書館とのつながりがどこから来るのか正直わからなかった。まさか中学の図書館でありながらエロ本を並べているとか……いや、いわゆる江戸時代の「春画」あたりならありえないこともない……妄想が頭をよぎった。
「あんた、さすがに下ネタ女王の私でも、そこまでしないよ」
疑念をすぐにさとられたのか、豪快に古川は笑いこけた。
「中学時代私、委員会やってなかったからね。かわりに、図書局に入ってたのよ」
「局?」
「そう。部活の延長みたいなもんよ。委員会が強い青大附中だけど、やっぱり委員会よか三年間安心して所属していられるとこの方がいいって感じあるし、私は図書局に入ったってわけ」
図書委員というものがどうやら存在しないらしい。
「同じことでね、放送局もそうよ。放送局も有志が集まるわけだしね」
そういえば放送委員も選出しなかった。
「人それぞれよ。おかげさまで、私はのーんびり図書局で過ごしたわけだし、刺激の少ない日々だったわよ」
「刺激、か」
ちゃきちゃき委員会活動で走り回っている方が、古川には向いているような気がするのだが、本人にはそれなりに思うところもあるのだろう。
三階まで階段を昇り、左端の大教室まで連れて行かれた。乙彦に、
「悪いけどあんた、その辺で本読んでな。ちょっと挨拶してくるからさ」
適当に席まで連れて行かれ、古川の鞄を預けられ、そのまま去られた。
図書室、というよりも図書館だろう、これは。
青大附属高校の図書館と比較するとこじんまりとしているが、同じ校舎内に設置されている図書室として考えるとまさに広い。教室、五部屋分はあるんではないだろうか。しかも、書棚が多すぎる。たぶん初めて使用しようとする奴は迷うこと確実だろう。
──中学生が歴史書なんか読めるのか?
──数学関連のこんなわけのわからん専門書、読めるのか?
驚くべき蔵書の多さと種類の細かさ。
──しかも英語の原書まであるぞ。
いつぞや、立村が卒業式の答辞を英語で読み上げたという話を聞いたが、これだけ原書が日常的に並んでいれば、自然と覚えるような気がした。もっとも、乙彦にとってそれは無理難題であるのだが。
まずは、「歴史」書籍に向かい、「青潟市史」と金文字輝く分厚い本を抱えて机に置いた。同じ机についている中学の生徒たちは大して興味も持たず、それぞれの会話に専念している。乙彦も気にせずにそれを開いた。文字が細かすぎて、すぐに読解を断念した。
──明日、静内に教えてやろう。
歴史好き、特に地元・青潟の歴史に興味津々の静内ならさぞ喜ぶことだろう。
一度開いたものを閉じるのも面倒で、乙彦はしばらくそのままにしておいた。
──古川はいったい何を調べるつもりなんだ?
乙彦が藤沖の変調について尋ねたのは、これが最初のはずだった。
前から違和感がないわけではなかったけれども、女子の古川から情報を得たほうがいいのではと思ったのは今日が始めてだ。ふつう男子同士、相手の様子がおかしければ気軽に「よお、どうした」くらい声を掛け合うし、もしくはほっておく。それでいいと今までは思っていた。
しかし、立村に対して、いきなり下手に出だした場面にはやはり驚いた。
しかもその声のかけ方が、
「立村、少しいいか」
とかいった、実に腰のひくいものだったからなおさらに。
その後の立村がどう対応したかまではわからないが、それ以来どことなく藤沖と立村との間に緩和したものを感じはじめていた。
──古川の言う通り、和解の糸口になるのならいいと思う。
藤沖が自分なりに考えるところあって、それを選んだというのならばそれはそれでよいだろう。できれば乙彦としては、その流れを応援してやりたい。藤沖に対しても、また立村にたいしてもだ。
男子連中にそれを頼むのは基本として難しい。だから古川に声をかけてみた。
同じ評議委員ということもあるし、それなりにいい方法を見つけられそうな気がしたからだった。ただそれだけのはずなのだが。
──なにか、違和感があるぞ。
それがどこから来るのかは自分でもわからない。理屈では判断できない。ただ、古川が雑木林の中で少し思い詰めたような口調で話したのだけが、気に掛かる。
──まあいい、じきにわかるだろう。
乙彦はしばらく、青潟市がまだ「市」と呼ばれていない時代の成り立ちを目で追いはじめた。やはりわからなかった。
だいたい十分くらい待たされたろうか。
「お待たせ」
古川が戻ってきた。素早く乙彦のとなりに座り込んだ。
「どうだった」
言葉を返さずに、古川は胸ポケットから生徒手帳を取り出し、一行走り書きし、乙彦に渡した。
──生徒会室に行く。証人として、つきあって。
「証人?」
「ちょいと、けりをつけないとまずいからね」
「は?」
親指を立て、かばんをかかえ、古川は「GO!」ともう一度告げた。
つられて乙彦も立ち上がった。行く前に「青潟市史」を本棚に戻すと古川から、
「あんたって渋い本好きだねえ」
しみじみと呟かれた。
別に好きで読んでいるわけではないのだが。
生徒会室には何度か足を運んだことがある。その場でおそらく藤沖とも顔を合わせているはずだ。何名かは持ち上がりで役員に選ばれているだろうし、誰かかしら知り合いはいるだろう。
「どうだろうね。今の生徒会長は佐賀さんだってことくらいは知ってる?」
「ああ」
雅弘を通じてそのあたりは。
「あとさ、副会長に霧島って奴もいるけど」
「それは知らない」
「じゃあほとんど知らないんじゃないの。まあいいよ。かえってそれの方が気も楽だし」
二階に下り、そのまま生徒会室へと向かう。その道筋は覚えているのだがただ付き従うだけというのがどうも落ち着かない。
古川は生徒会室前でしばらく様子を伺っていた。引き戸で、声らしきものは聞こえるが具体的にどういう話題なのかはわからない。
「佐賀さんはいるかもね」
「いたらまずいのか」
「まずいね。用あるのは、霧島だけ」
霧島、とは誰だろう? それに乙彦を「証人」とせざるを得ないとは?
「俺がいない方がいいじゃないのか」
「違うって。あんた、青大附属上がりじゃないでしょう。だから、中立の立場で話をまとめてもらえるってこと。あ、そうだ言うの忘れてたけど」
古川は乙彦へ、声を潜めて囁いた。
「今から霧島と三人で話をするつもりなんだけど、その場で私が話したことは、絶対藤沖たちに話すんじゃないよ。立村にもね」
「内容によっては、そうするが」
言いよどむと溜息ひとつつかれてしまった。
「まあいいよ。関崎は嘘のつけない男だしね。まかせた。じゃ、行くよ」
引き戸をノックし、古川は細く開けた。
「すいません、悪いけど、霧島を呼んでくれる?」
古川こずえの顔と名前が知られていたのか、それとも後輩に懐かれていたのかわからないが、しばらく戸口で女子同士の楽しげな挨拶が交わされていた。相手は佐賀ではないらしい。中は覗けなかったが、すぐに色白のほそっこい男子が姿を現した。鞄を持っていた。
「古川先輩、お久しぶりです」
「あんたの姉さん、元気?」
整った王子様面が、一瞬にして崩れた。吐き出すようにそいつは、
「自分のレベルにふさわしい場みたいですね、ったく」
苦々しく呟いた。
「またあの女がご迷惑を」
「そんなことないよ。それよか、ちょいとあんたに聞きたいことあってさ。まずはその辺の教室で話、したいんだけど」
「かまいません。生徒会の仕事はほぼ終わっております」
丁寧な言葉遣い、少し甲高い声。それでいて妙に気品のある顔立ち。
芸能人としても通用しそうな雰囲気をかもし出している、とは思う。
だがどうも、上っ面の言動に思えるのは乙彦だけだろうか。
その男子は乙彦をけげんそうに見た。すぐに古川が紹介してくれた。
「こいつが生徒会副会長の霧島。再来年、あんたの後輩になること確定中。そいで霧島、こいつは外部入学で青大附高にきた、噂の熱血野郎、関崎。次期生徒会にかかわってくることほぼ確定だから、覚えておきな」
「なんていう紹介なんだ」
思わずぼそっと呟くと、霧島も少し顔をしかめたものの、すぐに乙彦へ頭を下げた。
「霧島、真です。青大附中二年、生徒会副会長です。お見知り置きを」
古川に紹介された以上のことを説明しようがなく、乙彦はただ「こちらこそ」としか返せなかった。
すれ違う女子たち……もちろん中学生なのだが……が、古川と顔を合わせては、
「古川先輩!」
とあどけなく駆け寄って来て、ついでに乙彦の顔を覗き込んで去っていく。その繰り返しに暫く唖然としてたら霧島が話し掛けてきた。
「青大附属高校では、今、どの委員に」
ずいぶんやぶから棒に聞いてくるものだ。隠すことはないのであっさり答える。
「規律委員だが」
「ですと、南雲先輩、東堂先輩、清坂先輩とご一緒で」
驚いた。高校の委員会名簿がすでに流されているというのだろうか。声も出さずに頷くと、
「藤沖先輩からは、お噂伺っております」
ときた。やはり藤沖は元生徒会長、それなりに後輩たちの面倒を見たりもするのだろう。しかし勝手に乙彦の噂が流れているというのは、決して気持ちのよいことではない。
「いろいろ、ご苦労もおありかと」
「だいぶ慣れたが、やはり公立中学とは違うな」
ありのままの感慨を述べた。
「そうですか」
一階まで降りた。渡り廊下を伝い、真中あたりからなる道をするする降りた。ちょうどアジサイの花が満開で、夕暮れの陽射しの中、やわらかく輝いていた。まだ男子も女子も、うろうろしている。古川が腕時計をちらりと見て、
「どうせ今日は日が長いし、六時くらいまで大丈夫かもね」
「大丈夫です。生徒会はいつも七時くらいまでやってます」
すばやく古川が、ひとかかえもある大きな石のまとまった場所を確保した。大理石なのかそれとも何か別の種類の石なのかはわからないが、三つほど巨大椅子のような格好でアジサイを取り囲んでいた。ちょっとしたスペースにはなる。廊下から丸見えなのか、時折覗き込む生徒たちもいる。
「御用とは」
ずいぶんかしこまった言い方をしつつ、霧島は廊下側の石に腰掛けた。次に古川が鞄を膝に載せて座り、証人役の乙彦は黙ってそのとなりに。
「いやね、年増のおばさんがさ、余計なこと言うのはなんかと思ったんだけどね。おせっかいしにきたってわけ。迷惑承知できたから、あとで悪口言われるのはしょうがないけどさ」
「年増といっても、たかが二歳差でしょう」
──その通りだ。
乙彦も霧島に続き心の中で突っ込んだ。どうもこの霧島という男子、中学二年にしてはずいぶん慇懃無礼なところのある奴だ。もちろん乙彦も完璧レディーファーストが出来ているとは言わないが、それでもいわゆる「おごりたかぶり」の体現者という気がしてならない。古川はあまりそんなの気にならないらしく、話を続けた。
「単刀直入に言うわ。霧島、あんたさ、渋谷さんを生徒会室から追い出したってのはどういうことなのさ。もう高校の方にも噂になってるんだけどね」
「藤沖先輩からですか」
動揺することもなく、さらに霧島はさらりと答えた。
「いやいや、あいつは言わないよ。ただ、藤沖のすることなすことがね、ちょっとおかしいんでないのって思ったんでね。中学のことに口出しするのはおばさんとしてもしたくないけど、うちのクラスにも影響が出てくると、ほら、やっぱり、面倒でしょが」
「先輩のクラスは、英語科ですね」
ぴしゃり、と霧島は切り替えした。
「そうだけどさ」
「それなら、立村先輩も、いらっしゃるということですね」
──立村?
一瞬疑問が生じたが、すぐに納得した。立村は中学時代、評議委員長だった。知らないわけがない。霧島は乙彦に一切視線を向けず、しゃちほこばった格好で王子様スマイルを浮かべた。女子にはやたらと受けがいいが、男子にはどうも気持ち悪さが襲ってくるという独特の笑みだった。
「立村先輩にお聞きになったらいかがですか」
「なんでいきなり話が飛ぶのよ。あのねえ、霧島、私が聞きたいのはねえ」
古川はやはり上級生らしく、口を挟ませなかった。
「あんたが女子に対して潔癖で、ちょっとした失敗も許せないという気持ちを否定してるんじゃないのよ。あんたのお姉さんのこと知ってるし、わからないでもないけどさ」
「恐れ入ります」
ほんとにこいつ、何様のつもりなのだろうか。もし霧島が乙彦の後輩なら、まず朝のジョギングにつき合わせて、一発気合を入れてやりたいところだ。うまくいえないが何かが足りない。
「でもさ、あんたが渋谷さんにしたことは、遠く離れた第三者から見ると、いじめだよ」
言い切った。霧島の王子さまスマイルは崩れない。
「少なくとも、私の聞いた範疇での情報をまとめると、そういうことになるよ。霧島、私はあの渋谷さんのこと決して好きじゃないし、むしろ性格もよい子とは思えないし、あんたがあの子をうざったいと思っている気持ちはわからなくもないんだよ。けどね、その気持ちがわかるわかんない以前に、あんたの行動はまがうことなく、『いじめ』でしかないのよ。いじめられる側にも問題がある、と言われればまあね、私もわからなくもないよ。彼女のやってきたことを考えればさ。でもでもねえ」
全くわけのわからないことを古川こずえは訴えつづける。
「いじめ」とはなんなのか?
なによりも、霧島がその渋谷とかいう女子をいじめているとは?
第一、その渋谷とはどういう女子なのだ?
その前提条件すらわからないというのに、どうやって証人になればいいというのだろうか? 口をはさみたいが、そのタイミングがわからない。乙彦が感じるのは、古川が懸命に後輩女子をかばって、いじめの張本人らしい霧島に改心を訴えているという善意のみである。古川を応援したい気持ちはあるが、はたしてそれは正しい訴えなのか、判断することもできない。
「おそらく古川先輩は、正しい情報を得てないから、そういうことをおっしゃることができるのでしょう」
鼻でせせら笑うようなしぐさをし、ちらと乙彦を見やった霧島。
「確かに僕は、女子に対して要求は高い方だと自覚してます。古川先輩もご存知の通り救いようのない姉を持っていたからなおさらでしょう。それでも今、姉は自分のレベルを自覚し、それに見合った生活をしているので僕はそれ以上、何も言うつもりはありません」
「あんた、姉ちゃんに対してさ、それはないじゃんよ」
「ただ、生徒会に入ってからはきちんとした女子がいることも知りました。すべてがだらしない、恥知らずの女子ではないこともです。だから僕は、すべての女子が愚かではないと認識しております」
さすがに乙彦もその言い分にはかちんときた。
女子の話し方がわけわからないというのなら、まだ納得する。しかし霧島の言い分はどう考えても暴力的な男尊女卑から来るものだろう。仮に霧島の姉が非常識きわまる女子だったとしても……古川もそれをなんとなく認めているようだ……口にしていいことと悪いことがある。
「それは言い過ぎだぞ」
乙彦は割って入った。となりで古川が「あんたは黙ってな」と腕をつねるが、蚊が留まる程度のもの。払いのけた。
「その考えは改めろ。どういう事情があるかはわからないが、人間として見下すような言い方は慎め」
「人間として、ですか」
さらに言い返そうとしたが、今度は古川に足の指を蹴られ黙らざるを得なかった。
「霧島、あんたがさ、女子を嫌うのはいいよ。けどね、それが嵩じていじめるってのはよくないよ。どうせ、渋谷さんの人気は十一月までで、霧島がその後は自動的に会長さんでしょ。あと半年のがまんじゃない」
「半年も、あるんですよ」
顔をしかめ、首を振る霧島。
「それにさ、こういったらなんだけどさ、霧島」
古川は感情を爆発させるでもなく、さらに説得を繰り返した。そこのところが乙彦には謎だ。大抵の女子ならば、おそらく霧島の男尊女卑説を聞かされた段階でぶちきれるだろう。そういうのが全く気にならないというのが、かわっている。
「ああいうことを修学旅行中しちゃったらね、もう、女子としては強気ではいられないよ。どんなにお高い性格だったとしても、あれだけ周囲にばれちゃあね。男子が思っているよりも女子って、その手の失敗、尾を引くもんなんだよ。男子だと笑い話ですむけどさ」
「反省など、見受けられませんが」
「あんたに見えないだけだよそんなの。今はまだ噂だけでおさまってるからいいけど、もし霧島がそういった理由で渋谷さんを生徒会から追い出した、ということが判明したら、女子たちから顰蹙買うのは目に見えてるね。したらどうすんの。生徒会長にすらあやうくなっちゃうよ」
なだめるように穏やかに、それでもさっぱりと。
身動きせずに話を聞いている霧島へ、古川は大きな溜息をつきつつ、
「旅館で世界地図描いちゃうくらい、誰にでもあることじゃん」
霧島の王子さまスマイルに匹敵する、さっぱりした笑顔で語りかけた。
「私だってさ二年の宿泊研修でやばくなって、バスの中バックの中にジャーってやったことあるしさ、みんな多かれ少なかれ一度は通ってきた路じゃないの。見逃してやんなよ」
──旅館で世界地図? まさか? 中学の修学旅行だろう? それも、女子だろう?
乙彦が古川の言葉を解する前に、霧島は笑みを保ったまま言い放った。
「僕には経験がありませんので、理解したいとも思いませんが。ただ、僕は彼女がしでかした失敗そのものだけを軽蔑しただけではありません」
「そのもの、だけってねえ」
「古川先輩、今から詳しい事情を説明します。申し訳ないのですが、もう少しお時間をいただいてよろしいですか」
混乱している乙彦へも、霧島は頷いて了解を求めた。
「ひとつ確認していいか?」
どうも青大附属の連中は回りくどい言い方で説明したがるくせがある。そうせざるを得ないのはわからなくもないが、乙彦にはもう少しわかりやすく説明がほしかった。自分なりにまとめた答えを、まずは確認したかった。
「端的に言うとだ。生徒会所属の渋谷という女子が修学旅行中に寝小便したということが、すべての発端なのか」
古川は肩から力を落とし、霧島は堂々と、それぞれ頷いた。
「修学旅行と生徒会活動とは関係ない話のはずだが、その渋谷という女子をなぜ生徒会から追い出さねばならなかったのか、その理由をまず説明してもらいたい。もちろん、なんらかの理由があるからだろうが」
「もちろんです!ありがとうございます」
いかにも「わかってもらえましたか!」と言わんばかりの微笑みを振り向けると、霧島は古川ではなく乙彦に姿勢をただし、語り始めた。