高一・一学期 41
最近やたらと、千代紙に似た柄の小物を持ち歩く男子が目に付く。
主に自転車のキーホルダー、または時計のバンドなどにさりげなく施されている。
中にはなぜか下敷きの中に敷き詰められているケースも見受けられる。
女子ならともかく、男子がなぜそんな少女趣味に走り出したのか、乙彦には皆目見当がつかなかった。しかもそういうものを持ち歩いている輩の多くは、普段から男気たっぷりの硬派野郎が中心だ。少なくとも自分で選んだわけではなさそうだ。
「ご名答、関崎、鋭いね」
六月も後半に差し掛かった放課後、球技大会も無事終えた一週間後。
古川こずえが乙彦の疑問に答えてくれた。こういう話題はさすがに静内菜種では埒があかない。多少の下ネタ攻撃を覚悟して尋ねれば、すぐにわかりやすい答えが返ってくる。
「自分の趣味でないのに、なぜみんな女の子っぽいグッズを持ち歩いているか、となると答えはひとつ。彼女の趣味だよね」」
「だが、女子でもああいう和風のものを持ち歩く奴はそういないだろう」
乙彦は座り込み、スニーカーの紐を縛り直した。合宿に引き続き男子バレーボール大会で優勝したA組のリーダーとして、それなりに全力投球したつもりだが、いかんせんしばらく身体を動かしていなかったこともあり思いっきりなまっていた。それゆえの筋肉痛が残っている。まずいまずい。その流れで少し腰を浮かし、大きな石の上に座りなおした。古川も立ったまま空を見上げた。
「じゃあ問題。そういう千代紙細工にはまった女子ってどういう子たちだと思う?」
「かなりしとやかなタイプだろうな」
たとえば、水野五月あたりならばお似合いとも思うのだが、まかりまちがっても古川こずえではありえないだろう。目が合うと同時に、古川は吹き出した。
「その、私じゃあありえないよ、って顔、なんとかしなよ。まあいいけどさ、千代紙柄のグッズって、どういうとこに売ってて、どういう時に買うかってこと考えるとおのずと答えがでるんでないの」
「どういうとこ、か。旅行か。たとえば古都とかいわれるような場所か」
「かなり近いよ。そうそう」
「旅行ということは」
なるほど、わかったぞ。乙彦はすぐに答えを見出した。
「修学旅行の土産か」
「ご名答!」
「だが、俺の知る限り修学旅行は三年の秋と聞いている」
結城先輩からの情報なので確実なはずだ。古川は首を振った。
「あんたさ、青大附属は高校だけじゃないよ。中学だってあるんだよ」
「中学……そうか!」
そうだった。三週間前は中学の修学旅行だと、清坂美里がちょろっと話をしていたではないか。興味がないので忘れていた。
「そういうことよ。なんか話によるとさ、中学の修学旅行で、可愛い千代紙細工をこしらえる体験学習があったんだって。それでみな、いろいろこしらえてね、彼氏にプレゼントしようって思ったらしいのよ」
「だが、そんなのをもらって喜ぶ男子というのは、いるのかふつう」
「ま、なんとも思ってない男子だったら、そうだろうね。でもねえ」
声を潜めて古川はにやにや笑う。
「世の中広いのよ。なんでも、千代紙細工の体験工房側に、縁結びで有名な神社があってさ、言い含められたらしいのよ。『好きな人にここでこしらえた千代紙細工をプレゼントすると恋が実る』ってね。それってこじつけというか、そこの商品を買って帰れっていうか、露骨な商売根性を感じるよね。でも、中学の子って純情じゃんよ。私らみたいにすれてないよ。だから、必死にプレゼントしたってわけ。それが、あの結果よ」
「そんなのを信じるのか」
乙彦には信じがたい価値観である。頭を冷やして考えればそれは当たり前のことだ。だいたい男子に乙女心くすぐる小物をプレゼントして、果たして喜ばれるかなんて、考えられないことではないか。同じ修学旅行のプレゼントを考えるのならば、定番の木刀とか、せいぜいペナント、いや一番よいのはお菓子類の食べ物じゃなかろうか。いくら商売上手とはいえ、あっさり騙されるのがなんだか間抜けに見える。
「男子は馬鹿にするかもしれないけどさ、女子にとっては必死なんだよ」
はたして恋する乙女らしく、古川こずえは乙彦をたしなめるよう続けた。
「好きな人には振り向いてもらいたいし、好きになってもらいたい、自然なことじゃないの。ま、それを受け入れたうちのクラスの男子の一部なんぞ、こうやってぶらぶらさせて歩いているわけよ。狸のなんとかとおんなじくね」
「狸とは関係ないだろう」
いつもの下ネタを受け流しつつ、思い出した。そういえば休み時間すれ違ったB組の東堂が、ごつい指先にどう考えても似合わない、千代紙もようの真っ赤な指輪……指貫ともいう……をはめ、規律委員であるにも関わらず違反カードを切られていた。しかも、それを発見した先生たちは怒りもせず、大爆笑しながら何度も没収した指輪を摘み上げて語り合っていた。ちなみにすぐ、返してもらえたようだが。
「ああ、東堂ね。あいつの彼女って色々と悪さしてる子らしいんだけどね」
頼みもしないのに語るのが古川である。
「東堂の愛でなんとか更生させようとしているわけよ。両方の親の公認。彼女も何考えてるかわからないけど、やっぱり気持ちはあるんだね。規律委員の彼氏に喜んで校則違反させちゃうような指輪だもん」
「更生させねばならないような女子がいるわけか」
「まあ、噂よ噂。とにかく、修学旅行も一段落したとこだし、我が後輩ちゃんたちは夢の跡」
指をくわえてまた流れる雲を見つめ、古川こずえは溜息をついた。
「修学旅行中ってさ、やたらとみんなおおっぴらにいちゃついちゃうんだよね。関崎もそうじゃなかった?」
「いや、そんなことはない」
断じて。納得顔で古川は頷いた。
「悪い悪い、そうだよねえ、あんたがまさかさ、ふたりっきりでホテル一夜過ごしたり、オールナイトしたりするわけないよねえ」
「中学生がそんなこと、するわけないだろう」
全く下ネタ女王の妄想力には、驚くべきものがある。
「そんな、するわけないって決めつけるのもどうかと思うけど、とにかく修学旅行四泊五日というのはカップルが増える増える、すごいのよ」
──そんなの知ったことか。
やはり、青大附中と水鳥中学の修学旅行、捉え方は異なるというわけだ。
別に古川を捕まえて、千代紙細工流行の謎を解きたかったからではなかった。
理由はちゃんとある。
乙彦は安売スーパーで見つけた缶コーヒーを一本取り出した。古川に渡した。
「サンキュー! いきなりどうしたのさ」
「少し、教えてもらいたいことがある」
膝を開き、少し前かがみになる。両手を膝頭に置く。
「なによいったいやぶからぼうに」
「最近、藤沖の様子、変だと思わないか」
単刀直入に意見を乞う。古川は答えず、乙彦から受け取った缶をくるくる手のひらで回した。しかたない、具体的に問う。
「端的に言うとだ、昼休み、立村とすれ違った時、めずらしく藤沖があいつに声をかけていた」
「それは確かに珍しいかもね。ただガンつけてるだけかもよ」
「もちろんその可能性は高いが」
入学してから今日まで、藤沖と立村との関係は冷戦状態。いつ雪融けするのかは全く予測つかない状態だった。もちろん乙彦もそのことは重々承知しているし、そう簡単に決着がつく問題でもないのだと認識している。
しかし、この一週間ほど、その関係に若干の変化が生まれたこともなんとなく感じていた。「感じる」というのは曖昧すぎて、尻が落ち着かない響きではあるのだが、どうもおかしい。さらに詳しく説明する必要がありそうだ。乙彦は両手を組み合わせ、古川に話し掛けた。
「今まで藤沖はかたくなに立村を軽蔑していたわけだが、どうもここ一週間ほど変だ。どこがどうと、具体的には説明しづらいんだが、とにかく藤沖の腰が低くなっている」
「和解を考え始めたんじゃないかって言いたいわけね」
どうやら古川も心あたりがあるらしい。ブラウスの半そでに重ねた薄いベストを前にひっぱるようなしぐさをした。
「まあそういうことだ」
「関崎もずいぶん鋭く見てるね」
「なんだ、気が付いていたのか」
古川はその問いに答えず、缶コーヒーのプルトップを開けた。くいと飲んだ。喉が鳴った。
「私は藤沖よりも、立村がずいぶん強気に出てるなと思ってたけどね」
──立村がか。
そこには気づかなかった。伝える必要はない。古川が勝手にしゃべってくれる。
「立村ってもともと人の顔色うかがう性格でしょが。だから藤沖の理不尽きわまる態度も耐えてきたようだけど、そうだね、確かにこの一週間くらい、卑屈さがなくなってきたよね」
「卑屈、か」
乙彦からすると、あの応援団結成に向けて日々努力に余念のない藤沖が、いきなり無口になってきたことの方が驚きだった。もちろん球技大会中はかなり懸命に走りまくっていたし、乙彦にもそれなりに兄貴風吹かせたりもしていた。しかし、この数日は特に。
──俺にもそういう話してこないな。
肩を怒らせて乙彦を弟分扱いするような言動がめっきり減った。
もちろんそれはありがたいことではあるのだが、自分だけではなく立村に対してもその接し方が変わって来ているとすれば、またそれはそれで考えるものがある。
「古川、お前は藤沖と評議委員会で一緒だろう。何か変わったことでもあったのか?」
「同学年同士ではないよ。私も悪いけど藤沖よりも別の方に興味あるし」
──ああ、C組だな。
さすがに毎度聞かされていると野暮なので、古川の恋事情には首をつっこまないでおいた。本人もそのあたり飲み込んでいるようで横道に話を逸らさなかった。
「けど、それ言われてみると気になるところはあるよね。わかった。私も少し注意して見とくよ。あいつも評議委員やるのは前期のみと割り切っているからねえ。何か考えるとこあるのかもよ。ほらほら、応援団結成準備で頭の中真っ白だとか」
「それは可能性として高い」
古川へ返事しながら、乙彦はあるひとつのことに気がついていた。
自分が「変だ」と感じたもの、それは直感だろう。男子たるもの、女子のように「なんとなく」という価値観で判断すること自体抵抗があるのだが、今回の藤沖に関して言えばどうしてもなんとなく、ぴんとくるものがある。それを理論で分析してみるよりも、あえて「なんとなく」思考の得意な女子に協力を仰ぐのは、決して間違ったことではないのだと。
気付かずに一年前の乙彦は、あえて水鳥中学において女子たちと受けよく情報を得ていた総田に腹を立てていたものだった。あれも今思えば、理論優先になりがちな男子の視点を、あえて女子の目線で捉え直すというひとつの手段だったのかもしれない。
──あえて同じ過ちは犯すまい。
だから今日は、古川に声をかけた、というわけだった。
「男子のことはよくわかんないんだけどさ、関崎」
何か思いついた風に、唇を尖らせ、古川が尋ねてきた。
「藤沖に彼女って、いたっけ」
──いないはずだが。
宿泊研修でもそんなこと話していたはずだ。少なくとも乙彦はきいていない。
「いないはず、だよねえ」
乙彦の答えを待つまでもなく、古川は自分ひとりで答えを出すと、
「私もそういった噂、聞いたことないし、とすると、恋愛問題じゃあなさそうだね」
「なんでそちらに結びつくんだ」
全く、古川の発想たるもの、とっぴ過ぎてわけがわからない。切り捨てようとして慌てて遮る。こういう女子発想こそ、総田が取り入れてきたものだ。乙彦自身も忘れてはならない。
「どうしてそういう発想となったんだ」
「いやね、よくあるのよ女子同士だと。好きな男子を通して恋の鞘当ってのがね。でもなあ、まさか立村相手に三角関係こしらえるような趣味もないだろうしね」
絶対に乙彦には考えられない発想である。
「あと考えられるのが、よくできた彼女に藤沖がほだされて、天敵・立村と仲直りするように口説かれたのか。でもそれも考えずらいよね。仮にも藤沖たる男子がよ、まさか、女子の一言でころっと態度変えるとはねえ」
確かにありえない仮説ではある。根拠もなんもない。
古川の想像力には敬意を表するとしても、実際役には立たない発想であることがはっきりした以上突っ込む必要は感じない。
「けどさ、関崎」
黙った乙彦に古川はさらなる質問を浴びせ掛けてきた。
「あんたとしては密かに、これってラッキーと思ってない?」
「何がだ」
「これであんた、藤沖に借金返せるってね」
「俺は何も藤沖から金を借りていない」
わけもわからず言い返すと、古川は笑いながら首を振った。
「もうさ、入学してから藤沖ってばあんたのこと、何から何まで面倒みてきてくれたでしょうよ。教科書の買い方から青大附属の暗黙たる了解とか何もかもね。ほんっとお兄ちゃんみたいよねえ」
「別にそれはしてもらいたいわけではない」
口ではそう切り返せたものの、投げ込まれた言葉の小石、その先がとんがっていてちくりと痛い。そしらぬ振りを装った。
「まあうちの学校ってさ、いろいろと面倒見いい奴が多いからね。ただ、気をつけな。あんたはありがたく思ってるかもしれないけどさ、藤沖はたぶん、ほっといてもらいたがってるよ」
──俺もそう思うが。
あえて返事をせずにいると、古川はさらに続けた。
「いまさ、ちょっとひとつ、思い当たる節があるんで調べてみようと思うんだけど、ちょっとばかり付き合ってもらいたいんだけどさ」
腕時計をチェックした。まだ四時台だ。
「時間は空いている」
「じゃあ行くか。中学に」
「今からか?」
思わず口に出てきそうであせった。今日、乙彦はカメラを持ってきていない。一緒に案内してやりたかった静内や名倉のため、写真を撮っておきたかった。
「なあにアホなこと言ってるのよ。中学校舎の写真撮ってなにが楽しいのよ。早くしないとちょっと時間なくなるから、ほらさっさと行くよ!」
背中をどん、と叩かれた。さっきおごった缶コーヒーはとっくの昔に空となっているようだ。古川が空き缶をもてあそびながら、
「どっか捨てるところないかなあ」
屑篭を探していた。一度校門を出るとすぐに見つかった。乙彦が指差すと古川は、約一メートルほど離れたところから投げ入れた。指を鳴らして叫んだ。
「ホールインワン!」
──何がホールインワンなんだ。
全く、女子とは言わず、古川こずえ、こいつも謎な人物のひとりである。
──なぜ中学校舎へ向かうのか?
二週間くらい前、静内と名倉を誘い出かけようとした場所なのだが、清坂に止められそれっきりになっていた。もちろん、清坂の言う通りなのであえて控えたのだが、古川にそれを伝えると、
「大丈夫よ。杉本さんはさっき、立村が連れ出したはずだしね」
とっくに確認したようなことを口にした。
「あんたが杉本さんに気持ちがないというのを確認しているから言うけどさ、関崎」
さすがに小声、古川はかすれた声で囁いた。
「杉本さんのことを一番心配してるのは立村しかいないからさ」
「やはり、そうか」
なんとなくそれはわかるような気がした。
「修学旅行でまた、杉本さんいろいろ辛い思いしたらしいからね」
想像はつく。あれだけ男子に嫌われた女子が、四泊五日の旅行中にトラブルへ巻き込まれないわけがない。いつか佐賀はるみから聞かされた杉本梨南のその後についても、決して明るい見通しが立っているようには思えなかった。気持ちはないにしても、不幸になることは決して願っていない。乙彦としてはただ、どうか、杉本梨南が穏やかに時を過ごすことを祈るのみである。
古川に誘われて、中学校舎を隔てる格好の雑木林をくぐりぬける。まだ太陽は夏陽に近くなりつつあり、日が落ちるのもまだまだ先のはずなのに、なぜか木々が鬱蒼としていて薄暗い。光が爪の先程度しか落ちてこない。誰もいない。
「不審者に教われてきゃーなんてことにならないとも限らないし、私も乙女」
「俺が保証する。それはありえない」
「ああら、関崎ってばずいぶん言うねえ」
──静内に鍛えられた、ともいう。
古川は立ち止まった。乙彦もつられ、古川の真後ろで足を留めた。
「関崎、あんた、今年の中三の子たちが修学旅行で何やらかしたかってこと、聞いてないよね」
「ああ全然」
情報が入ってくるわけがない。
「千代紙細工の縁結びの話すら知らないなら、そりゃそうよね」
溜息はつかずに、ゆっくり深呼吸し、古川はじっと乙彦を見据えた。
「藤沖が生徒会長だったことは、知ってるよね」
「もちろんだ。俺も水鳥中学の副会長だ」
「ああそう、それじゃあさ」
受け流され、また続けられた。
「ちょっと気になってさ。最近藤沖、うちら高一チームよりも、中学の生徒会室に通うことが多いかもな、って思ってね」
「はあ?」
「もともとあいつ、生徒会長だから、後輩たちが気にならないわけないと思うんだ。ほら、立村が杉本さんにずっとくっついているのと同じよ。藤沖も藤沖でね、いろいろ考えるところああると思うんだ」
「確かに俺もそうだ」
──内川があのままアホな御代官様と町娘のコントをやらかしてないかどうかなどがな。
頭の中にぽよんとした内川の平和な顔が浮かんだが、すぐに古川の声で打ち消された。
「あんたはどうでもいいのよ。関崎。それより、ちょっと、まさかとは思うだけど」
言葉を切った。考え直したらしい。首を振った。
「ごめん、まずは状況を確認してから、それから私の推理、言うわ。下手な想像でもって、名誉毀損なんてやらかしちゃったら、やばいもんね」
──なんのことだ?
放課後、時間があるから付き合っているものの、それに意味はあるのだろうか。
──中学と藤沖と生徒会と、最近の変わりようと、どう繋がるんだ?
こればかりは、飛躍しすぎる発想の持ち主古川こずえに任せるしかない。
闇深い林から抜け出ると、まだ昼色の太陽が空に輝いていた。時計の針は四時半をまだ、回っていなかった。