高一・一学期 40
「ちょっと休もう」
言い出したのは名倉だった。三人で大学構内をあちらこちら探検し、初代校長の銅像だとか、卒業生寄贈のぼたん園とかを発見した。片手に大学案内をそれぞれ持っているのは、静内菜種が学生部に立ち寄り手に入れてくれたから。高校の入学案内とは若干異なり、観光地案内といった雰囲気が漂う豪華な表紙だった。
「そうだね、座るかあ」
「もう疲れたのか?」
乙彦からすると、まだまだ探検したりないところが多々ある。青潟大学の校舎自体はちんまりしているのだが、その分外庭、中庭にゆとりがある。また意味不明な銅像や絵画も目につくところに張り巡らされている。ひとりで歩いていたらたいして気にも留めなかっただろうが、静内の鋭い観察力によりひとつひとつが浮かびあがってくる。今まで返事をしてきたのは乙彦だけだったので、名倉も退屈したんだろう。
「少し頭を整理したい」
名倉はすぐに煉瓦積みの花壇に腰掛けた。もう咲き終わったらしいチューリップと、まだかろうじて花開いているパンジー、少しずつ太い茎を伸ばし始めているひまわり、中途半端に咲き乱れていた。名倉の隣にすぐ静内が腰掛け、自然と次は乙彦が。男子ふたりが静内を挟む格好となった。
「ごめん、私、こういう歴史感じるもの見つけると見境なくなるのよ」
「歴史というよりも変なもんだろう」
茶化したのは名倉だった。無口な奴だが、意外と切り返しがうまい。
「ほんとよ、変なもんばっかり」
「カメラ、次回は用意しよう。ただし、日曜に」
乙彦をちらと覗きこみ、名倉は頷いた。
「休みの日じゃ、校則関係ないかってとこだよね」
「一本獲られた」
仕方ない。頭を下げた。今度は静内が吹き出した。
「なんかさ、名倉って何気なく、鋭いところ突くよね」
「悪いか?」
「悪くない。だからおもしろいでしょが」
いつのまにか三人の間で役割分担がなされていた。割り振ったわけではないのだが、切り込み隊長がなんとなく静内で、その言葉を受けて答えるのが乙彦、そこからさらにつっこみを入れるのが名倉。今のところ特に問題はない。
──しかしだ。
さっき、清坂美里にかみつかれんばかりに訴えられた、あの場面を思い出す。
静内と怪しいオブジェを発見しては騒いでいた時には忘れていられた、あの感覚。
──いくら過去に拘らないとしてもだ。
しばらく静内と名倉が、センテンスの短い会話でオブジェ関連の復習を行っている間、乙彦は襟元のボタンを二つ開け、大きく溜息を吐いた。
──あれだけ騒がれたら、いつかは静内たちの耳にも入るだろう。
名倉はまだクラスと馴染んでいない。とはいえ、全く友だちが居ないわけでもない。おそらく今学期中には噂も届くだろう。さらに静内。八十パーセントの可能性で乙彦を巡る一年前の出来事を聞いているに違いない。しかも、かなり偏った情報として、だ。
──事実なんだからしかたないが。
嘘ならあっさりと無視をしてもよい。
しかし、半分事実で半分嘘、となるとどんなものだろう。
清坂ひとりだったらあっさり訂正してそれ以上の展開はない。うるさく付きまとわれたらきっぱりと「やめろ」と最終通告をすればよい。もともと乙彦にとって清坂というのは、友人の付き合い相手であると共に、同じ規律委員のメンバーであるだけだ。
だが、しかし。静内菜種は。
──面倒だ、片付けよう。
具体的になにがどう、と言えない場合は、さっさと口に出してしまった方が楽である。
第一、どうせみんなにばれることなのだ。
静内自身は人のプライバシーに触れる気なしとついさっき言い放った。ありがたい。だがあとあと噂になった後で嘘か誠かすべてを説明しなおす手間を考えれば、さっさと話をしておいた方がずっと楽である。事が起こってから面倒な話をするよりははるかに。だから。
「静内、名倉」
二人を呼び戻した。
「なによ関崎」
「プライバシーのことだが」
「さっき言ったでしょ、そんなのどうでもいいって」
つまんなさそうに静内が答える。が、その目は穏やかだ。何かを訴えるようなものなどない。まさに「どこにでもいる」顔なのだが、乙彦にはそれが希少価値に思える。
「お前に聞きたいわけじゃない。俺が話したいから話すんだ」
「あらそう」
ここいらで少し、静内の反応にぴくりとしたものが見えた。横にゆわえたまとめ髪は動かず、まゆにかかった前髪だけがかすかに割れた。
「静内、さっきあの女子になんて言われた」
まずは聞いてみた。あっさりと「清坂」と呼ぶには、静内たちと同じ段に並べてしまうような気がして抵抗があった。さらりと返事あり。
「清坂さんのことね」
「だいたい事情は聞いているだろうが、あとで説明するのは面倒だからここいらで」
「繰り返して何が楽しいのよ」
かわそうとする静内の脇から、「いや聞かせろ」と促したのはやはり、名倉だった。
「聞きたいか」
「教えてもらえるものは聞くのが礼儀だ」
「もっともだ」
語って楽しいことでは決してない。ないのだがこれから先、親友づきあいしていくならば、いろいろと迷惑をかける可能性もあるだろう。なら最初から、「迷惑かけるがごめん」とだけ伝えておくのも悪くはない。
「事実関係だけ話しておく。判断はまかせる」
どうせ、それだけでは終わらないだろうが。ちらと静内は乙彦を見やり頷いた。
「一年前のことだ。俺が水鳥中学で生徒会の副会長をやってた関係で、ここの中学に顔を出していたことがあった」
乙彦は切り出した。
「水鳥中学生徒会と青大附属の評議委員会が組んで、交流会を行おうという話がまとまっていたんだが、いろいろ詰める問題もあり、三回か四回くらい集まって話し合いを行っていたんだ」
「だから詳しかったんだね」
短く、的確な相槌を打つ静内。名倉は黙って聞き入っていた。
「俺は一度行った場所ならばすぐ覚える」
「自慢するねえ」
事実なのだからしょうがない。乙彦は続けた。
「俺も不思議なんだが、その際に下級生の女子に気に入られてしまった」
「なんかそうらしいね」
と、言うことはすでに静内は事情を把握しているということだ。歩き回った後のせいか唐突に汗が噴きだしてくる。
「好意をもたれたのはありがたいが、俺にはそういうことに対して興味がなかった」
「あっさりしてるね」
大して反応がないことが手ごたえなさ過ぎる。思っていたよりも自分は、静内の反応を知りたがっていたのだろうか。そんなわけがない。たいしたことじゃない。言い聞かせ次に進んだ。
「だから、断った。結論はそれだけだ」
「ふうん」
「だが説明不足だったようで、伝わっていないと思われているのではと、あの、清坂……さんは言っている」
結局、「さん」を清坂につけることにした。おさまりがやはい悪かった。
「だいたい把握したよ」
静内は数回こくこく頷いた後で、肩を揺らして溜息を吐いた。
「関崎も苦労してるね」
「俺は苦労していないが、どういう話、聞かされてるんだ」
「女子同士の話を聞いてどうするのよ」
「誤解を避けたいだけだ」
「今、関崎が話したこととほぼ変わんないよ」
あっさり答えた静内に、さらに食い下がった。
「俺と話したこととか」
「そう。たいしたことじゃないよ。たまたま他の子と放課後の予定話をしていたら、彼女が話し掛けてきただけ」
ここでさりげなく清坂のことを「彼女」と形容したところに、意味を感じる。
「クラスで話をすることはそうそうないんだろう」
主語がなくてもあっさり通じた。
「私、ファッション興味ないから会話がかみ合わないのよ。それだけなんだけど」
「俺もあまり服には関心ない」
「見たらわかるそれ」
思いっきり笑った。宿泊研修のジーパンとトレーナー姿を思い出せば、あっさり納得だ。
「静内、今のうちに言っとく」
笑いが収まったところで、忘れぬように伝えた。
「もし、これから先、清坂さんに何か言われたら、俺に言え。一応、向こうのことは去年から顔見知りだから、話はできる。同じ規律委員だしな」
「何言ってるのよ、関崎。勘違いしないでよ」
まだ笑いの残りかすを残したまま、静内は答えた。
「あんた、私があの人にいじめられてると勘違いしてない?」
「いや、いじめをするとは」
元、にせよあの立村の恋人だった相手だ。そんな汚い手を使うような女子ではないだろう。言葉を濁すと静内はきっぱり言い放った。
「女子グループが分裂しているだけの話じゃない。そんなことにエネルギー使うのもったいない」
「だがな、俺が噂に聞いている話では」
言いかけた乙彦を、静内は軽く足先蹴って制した。
「ストップ! これ以上個人情報に立ち入ること禁止!」
おふざけにも似ていたが、断固たる拒絶の意が感じられた。
乙彦がまた言い返そうと身をしっかり九十度に向けた時だった。
「静内、俺も関崎に賛成だ」
乙彦の話が始まってからずっと沈黙を保っていた名倉が、ティッシュを摘んで鼻を抑えながら立ち上がった。一歩近づいた。乙彦と静内を割る位置についた。
──なんなんだ、こいつ。
もともと名倉は口数こそ少ないが、喋る時はきっちり話すタイプである。
しかしなんで。
「女子はいろいろ面倒だ。気を付けろ。特に附属上がりの女子は」
「決め付けなくてもいいじゃないの」
さらりと逃げ準備をする静内。しかし逃がさないのは名倉だった。乙彦が「個人情報」という葵の御紋で遮られたものを、名倉はあっさりと入手していく。
「お前ら、奈良岡という女子を知っているか」
「誰それ?」
知らない。乙彦も首をひねったが、思い当たらなかった。別のクラスの女子だろうか。
「今年の三月まで、青大附属にいた。卒業してから医者になるため別の高校に進学した」
──医者になるため、別の高校に、か?
「青潟大学には医学部がないから、しょうがない」
脈絡のない話題に乙彦はついていけなかった。手を挙げて、「名倉」と呼びかけた。
「いったいどういう繋がりなんだ、悪いがもっとわかりやすく説明してくれ」
「この学校の女子はあくどい奴が多いから気をつけろというのが結論だ」
──名倉、何を言いたいんだ?
「あくどいかなあ? じゃあ私は?」
「親玉だ」
──全くわからん。
ふたりのはてなマークをそ知らぬ顔して、名倉は突っ立ったままとつとつと説明し始めた。
「奈良岡とは小学時代の同級生だった。顔は不細工だが性格は悪くない」
「女子に不細工って言うのはやめなよ」
静内の茶々をあっさり無視。
「奈良岡は青大附中に進学したが、そこで女たらしの男子に交際を申し込まれた」
「古風な言い方するね」
まったくだ。名倉の話は事実だけの羅列だが、あっさりまとめてもらえると興味が湧く。乙彦は静内に寄り添う格好のまま、名倉の言葉に耳を澄ませた。
「それは奈良岡のせいじゃない。だが、この学校の女子は、悪いのは奈良岡だと決め付けた」
「本当? それ本当だったら酷い話だよね」
たぶん本当の話なのだろう。ただし、似たような話は水鳥中学でもよく聞いた。珍しいことではないだろう。あえて相槌を打たずに聞いた。
「それで結構嫌がらせをされた、その女子たちに」
「奈良岡さんって子が?」
「そうだ。最後はその女たらしもきちんと奈良岡を守る努力をしたんでおさまった」
「かっこいいなあ。そうか」
細かく相槌を打ち続ける静内とは違い、乙彦は早く結論を聞き出したかった。
「で、結局何を言いたいんだ? 名倉」
「この学校の女子は、集団になったら危険だ」
「危険だと?」
名倉の言葉ははっきり、端的だった。
「静内はクラスの女子連中を甘く見ている。あいつらが束になってかかってきたら、何をされるかわからない。気を付けろ」
「なあに言ってるのよ。誰が束になってかかってくるって」
脳天気に受け流す静内菜種だが、さらにしつこいのは名倉時也。かなりくどい。
「つまり、あいつらは、気にいらない奴に対しては、とことん叩きのめしにくるから、お前も気をつけろ。それだけだ。あ、それと」
乙彦に目を向けた。
「関崎の言う通り、何かあったら関崎に言え」
「なんでそんなことする必要あるのよ?」
いきなりくすくす笑い出した静内に、名倉はしゃがみこみこぶしを突き出した。
「でないと、この学校、生きていけないぞ」
──なんで俺に言え、なんだ?
隣で笑い転げている静内を横目に、乙彦は名倉の顔を覗き込んだ。
いったいなぜ、いきなり、なのか?
「名倉、ひとつ聞きたい。なんでそんな話した?」
顔を挙げた名倉に尋ねると、即答された。
「ひとりで戦っていけるほど、この学校の連中は甘くない。特に女子連中」
「戦う必要なんてあるのか」
もちろんそういういじめが存在していたとするならば当然だろう。しかし、そこまでの展開が静内に巻き起こるとは思えなかった。何かあればもちろん、力にはなるが。
「この学校でやたらと男女交際の話が出るというのは不思議だという話を、さっきしていたが理由はわかる。つまり、誰か一人の女子に一人の男子が守りにつかないと、攻撃されるのがこの学校の特徴なんだ」
「いや、それはないだろう?」
ずいぶん短絡的な発想に思えた。もともと名倉が青大附属の連中に心を開かず孤高を通しているのは聞いていた。話題がないわけではないのだからもっと語ったっていいだろうと思っていた。しかし、今の話を聞いて大体、名倉の青大附属に対する感情を理解できたような気がしてきた。つまり、幼なじみをいじめた連中を恨んでいるのだろう。だがそれでも疑問は残る。
「じゃあなんでそんな、めんどくさい学校に入学した?」
「奈良岡が、このまま青大附高に入学するはずだったからだ」
言葉をとぎらせた後、名倉はじっと乙彦と静内に小声で、しかしはっきりと伝えた。
「奈良岡の付き合っていた奴は、あいつを捨てて、別の女子を選んだからだ」
しばしの沈黙の後、静内はしみじみとやわらかい笑顔でもって答えた。
「名倉、あんた、その奈良岡さんって人のナイトとして入学したってこと」
照れ隠しなのか、名倉は急に立ち上がり背を向けた。
図らずも、乙彦と名倉、ふたりの「プライバシー」が明らかにされた。
──次は、静内が何か言うか?
乙彦は、背を向けている名倉の背を眺めながら、左隣で感動しているらしい静内の様子を、左肩で感じ取ろうとした。口を開く気配を感じたかった。
「さ、そろそろ移動して、さっきの続き、やろうか!」
──言う気ないのかよ。
読みは外れた。まだ静内は語る気、さらさらなしのようだった。