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高一・一学期 36


 なんとかして立村を捕まえて話をしたかった。

 

 ──関崎、お前が規律委員たるゆえんを盾に取ってあいつと語ろうとしたちょっと前、立村は、関崎に手を出す奴がいたら、俺たちと縁を切ると言い放ってたんだよ、わかるか、その意味。

 

 もちろん日本語では理解できる。天羽にぶつけられたその言葉が焼きついたまま、放っておいてはいけないとささやきかけてくる。

 かといって、どう受け入れればいいのだろう?

 あえて避けようとし、バスの中一番奥の席で眠りこけている立村に、乙彦はいつ近づくべきか様子を伺った。昨日の壮絶すぎる車酔いを繰り返すのなら、さっさと寝てもらえるほうが助かる、そう考えている節が麻生先生にもあった。また、藤沖が相変わらず話し掛けては意見を乞うのに返事をしなくてはならない。

「関崎の伝説がこれでまた、ひとつ、増えた」

 移動中のバスの中、前方の席で藤沖が断言した。

「仮に外を走りたいと考えたら、普通はひとりでこっそり抜け出すものだろう。俺もおそらくそうとしか思いつかなかっただろう。少なくとも、あの中年特有の体型を持つ麻生先生をひっぱりだそうとは、決して思いつかないだろうな」

「仕方がない。校則違反をしないことを考えればそれしか思いつかなかったんだ」

「なぜ、そこまで校則に拘る?」

「学生なんだからしかたないだろう」

 自分でもわけのわからないことを言い返している。部屋に戻っていったとたん、男子部屋のメンバー一同から拍手喝采で迎え入れられたのは言うまでもない。相当、乙彦のしでかしたことは変わったことなのだと、改めて実感した次第だった。

 だがそんなのはどうでもよかった。

「それはそうと関崎に聞き忘れたことがある」

 いきなり藤沖が声を潜め、乙彦にしか聞こえないように囁いた。かなり無理している。バス内はそれなりにおしゃべりも多く、さほど他の奴らの呟きには関心がなさそうだった。

「お前、清坂のちょっかいが迷惑なんだろう」

 乙彦は片手の水筒を落っことした。慌てて拾った。

「ほんとに関崎、お前はわかりやすい奴だ」

 いつものように肩をぽんぽん叩き、藤沖はさらに声を潜めた。

「昨夜、お前がすとんとひっくり返った後、一部の男子たちの間で意見が一致したんだが」

「なんだそれは」

 いやな予感がした。こういう切り出し方を藤沖がしてくる時は、たいてい厄介な話が絡んでくる。しかも清坂美里に関してとなれば、おそらく立村の問題も出てくるだろうし、必然、天羽たち元評議委員会の連中も話題として挙がってくるだろう。ちょうど頭の中をぐるぐるしている別問題と混ぜたくはない。

 ──俺が寝た後で何勝手に話しているんだ?

 目を閉じて覚ましたそのわずかの間に交わされた話、その中の主役が乙彦ならば、利いておくしかない。乙彦はそれ以上つっこまずに黙って話を聞いた。

「俺たちは人の色恋沙汰に口出ししたいわけではないが」

 口を切った藤沖は、昨日と同じことを繰り返した。

「だが、早い段階で悪い芽は摘み取らねばという意識は持っている」

 ──昨日も聞いたぞ。

「いろいろ意見を集めた結果なんだが、お前はしばらくストイックに生きるほうがいいという結論へと達した」

 ──なんだそのストイックとは。

 全く理解できない会話に戸惑いつつ、乙彦はそれでも黙って聞いていた。

「関崎、しばらく俺たちに任せておけ。そのまんまでいろ。どちらにしても今日のプログラムはみな、男子と女子見事に分かれる形となっている。余計な茶々は入れられないですむ」

「そういうことなら俺は最初からストイックなつもりだが」

「お前がそう思わなくとも、周りの連中が否応なしに、関崎のことを軟派にまわそうとしている輩がいる。俺もそのあたりはよくわからんが」

「軟派?」

「すなわち、お前は女子に手が早い奴だということだ」

「ふざけるな!」

 まあ落ち着け、と藤沖は乙彦の口に鞄を押し付けた。

「うちのクラスの奴がそんなことを思うとは考えられないが、今の段階で変なイメージがついたら後々面倒だろう。それよりも、青大附属上がりの俺たちがうまく話をつけるから安心してくれ。外部で何がなんだかわからない時期に、勝手にイメージの一人歩きはやはり避けたいだろう」

「それはそうだが、俺は決して間違ったことをしないようにしてきたつもりだが」

「そうだ。お前はさっきの早朝ジョギングと同じく、すべて正々堂々と片付けてきたつもりでいるだろうな」

 窓辺の風を藤沖は少しバスに入れるべく、親指の爪程度開けた。

「もちろんそれが間違っているとは言わない。俺もそういう関崎のキャラクター性には興味がある。だが、この学校ではいくつか暗黙の了解というものがあり、少々面倒なところもあるわけだ。とにかく、お前はこのまま好きにやってくれればいい。あとは、評議委員である俺がすべて、面倒を見る」


 乙彦が言い返す前に藤沖は話を変えた。応援団結成準備に関するいろいろな事務作業のことばかりだった。一方的に話しつづけるので、いつしか乙彦は何を話していたのかをすっかり忘れてしまった。そう、藤沖が何に対して「面倒を見る」のか、その具体的内容なんて。


 バスから降りた。この合宿が始まってから初めて気付いたのだが、先生たちは意識的に男子と女子を分けて行動させたがっているようだった。水鳥中学でそういうことがあるのなら、決してそれは珍しいことではないのだが、青大附属のように日常的な男女の交流がなされている学校において、今回の言動はどうも目立っていた。

 食事をする時は大部屋で一緒だから男女の分けなど関係ない。

 バス移動ももちろん関係ない。

 しかし、昨日のトイレ掃除を始め、夕食後の手紙書きもみな、男同士頭を突き合わせて行っている。さらに言うなら、麻生先生は女子の面倒を一切見て居ない。付き添いの保健教師とB組担任の女性教師がみな、まとめている。

 別に乙彦にとってそれがどうした、というわけではない。むしろ、女子があまり絡まらない方が気も楽だ。

「しかし、珍しいな」

 乙彦は呟いた。隣で藤沖が首を傾げた。

「何をだ」

「青大附属ではやたらと男子と女子が仲良いように見えるが、こういう集団行動では男女別に分けて行動させるのがだ」

「ああ、それはいえてるな」

 またしょうもない話題に持っていかれるかと思ったのだが、藤沖はあっさりと頷いた。

「去年の修学旅行で俺たちが相当やらかしたからだろう。それはしかたない。身から出た錆びだ」

 そこまで言うか、と思う一方好奇心もある。

「どういうことだ?」

「お前が想像していた通り、青大附属の連中はやたらと男女べたべたすることが多かった。それは中学も同じだ。そののりで修学旅行はなんだかんだ男女混合チームで行動したわけなんだ。そうしたらもうみな、やりたい放題。ある奴は集団行動すべき時間帯でわざわざふたりっきりのデートをしでかしたり、またあるグループはお見合いじみたことを計画しあったりと、本能で行動してしまったというわけなんだ。女子がモデルにスカウトされたらしいという話もきいた」

 ──本能か。

 立村にそのあたりは聞いていなかった。今度仲直りが出来たら聞いてみよう。

「先生たちも、その時は特段問題がなかったのと、小さい町だったのでいろいろと手も回して見張っていられたこともあり、その場では大目に見てもらった。だが、その情報はどうやら高校に全部筒抜けだったようで、同じ過ちを犯させないようにということで、こうなったというわけだ」

「俺からしたら、ごく普通のことに思えるが、今までが凄すぎたのか」

「そういうことだ。少なくとも、中学に比べて自由は減って来ている」

 乙彦はしばらく藤沖の語った中学修学旅行顛末について想像をめぐらせてみた。しかし、たどり着けなかった。やはり、まだまだ奥が深い、青大附属という学校である。


 天気は決して悪いわけじゃないのになぜまた、せせこましい部屋に押し込められるのだろうか。乙彦たちが連れていかれたのはまたも広々とした公園の芝生だった。しかも、みな、それぞれ距離を置いてシートを敷いている。青い、ぶあつめのものだった。十一人座るわけだからあまり広くなくてもいいはずなのに、無意味にでかい。乙彦と藤沖が麻生先生を手伝い、シートの四隅に固い石をそれぞれ置いた。

 全員、立村も含めて思い思いの場所に荷物を置き、陣取った。麻生先生を囲む格好にどうしてもなる。ちらと反対側を眺めると、A組女子たちは他の女子たちと二クラスずつ合同でおしゃべりに盛り上がっている様子だった。しかし声は聞こえない。

 ──下手な個室よりも、プライバシーが守られているような気がする。

 乙彦は木々の向こうでまた男子チームが塊となっている場所を探した。すぐ側には姿が見当たらなかった。麻生先生が乙彦の向かいに座っている。尋ねられた。

「おい、関崎、腑に落ちない顔してるなあ」

「いや、なんでこんなにクラス別に離れているのかというのが不思議なだけです」

「なるほどな。よくぞ気付いた」

 麻生先生は真向かい反対側を指差した。

「今日はなかなかよい天気だったから、この広い場所を選んだわけだが、C組の男子たちに関しては通り向かいにあるログハウスを借りることにした。女子たちは二クラスで固まってもらったほうがいろいろと楽なんでそうしてもらったというわけだ」

「ここで何をするんですか?」

 また、片岡が素直な目で麻生先生に尋ねた。どうもこの合宿中、妙に麻生先生と片岡は意気投合しているようだった。すでに教師と生徒ではなく、見た感じ、B級グルメに関する熱い意見を交わしている友人同士のようにも見える。楽しげに麻生先生は答えた。

「ああ、片岡、弁当を食うためにこういう場所を取ったわけじゃないのはわかっているな? 今日は、合宿における最大のテーマ・コミュニケーションについて考えたいところだ」

「コミュニケーションですか」

 藤沖がやっぱり割り込んできた。いつもこの三人が麻生先生に張り付く格好となる。乙彦はまた立村を探したが、やはり一隅の重し石に手をかける格好で、ひとりでいた。

「ああそうだ。だが、説明よりなによりもまずは実践だ」

 ここまでは世間話、その後、麻生先生は教師の顔に戻り、きっぱりと一同に告げた。

「これから行うワークは、二人組になり、一人につき五分の割合で質問を投げかけ、相手について知りたいことをどんどん聞き出していくといったものだ。お前らも中学の時にこういうのをやったことがあるだろう?」

 乙彦はない。

「悪い悪い、関崎は初めてだったな。まずは実際やったことのある奴から、組でやってみるか。おい、片岡と藤沖、円の中に入れ。関崎のために藤沖から片岡に、いつもの調子でやってみてくれ」

 やれやれという風に頭を叩きながら、まずは藤沖、次に片岡が輪の中に入っていった。乙彦はその側でいわゆる「ワーク」とはどういうものかを観察することにした。

 立村は拗ねたように膝を抱えたまま、ぼんやりと遠くを眺めていた。その視線がどこに向かっているのか気になった。女子たちの方ではない、ログハウスのあるという方向でもなかった。時折襟元のネクタイをいじっては、丁寧にブレザーの下に押し込んでいた。


「単刀直入に聞きたいんだが、片岡」

「はい」

 きょとんとしつつも、先生の目の前ということも合ってか真面目に答える片岡。 

 先生の目の前であろうがなかろうが、片岡に対しては普通に接する藤沖。

「この合宿中、ずっと思っていたんだが、なんでそんなにラーメンやら餃子やら焼き鳥やら、そういうジャンクフードに詳しいんだ? この機会だ、教えてもらいたい」

 てっきり自己紹介っぽいことをやるのかと思っていたが、予測が外れた。

 ──そういえば片岡の奴、やたらとラーメンに拘っていたな。

 一日目の昼食の際にも、麻生先生に熱く語っていた。

 おそらく藤沖も乙彦と同じく気付いていたのだろう。さっそく話の穂を継いだ。

「そうとう食べ歩きしたか、それとも相当のマニアに教えてもらったか、どっちかだと思うが、どうなんだろうか」

 片岡は素直にぺたんと伸びている髪の毛をゆっくり揺らした。前髪をつんつんひっぱり、少し落ち着かない様子だった。乙彦と目があったので、とりあえず頷いておいた。こくっとやはり頷いた片岡は続いて、

「一緒に住んでいる、桂さんという人がいて、その人がやたらと詳しいんだ」

 それだけ早口に呟いた。様子を見つめている麻生先生がくくっと声を出して笑った。

「桂さん? お前の兄さん?」

「みたいな人。で、桂さんは青潟駅前の美味しい店をたくさん知ってて、とんこつ味、しょうゆ味、味噌味、塩味、その他カレー味など、いっぱい調べてくれてるんだ」

「その人は何歳なんだ?」

 いきなり、かなりプライベートに突っ込むような質問を藤沖は投げかけた。

「三十代だよ」

「それにしては詳しいな。話を戻すが、それで味を覚えたわけなんだな」

「美味しいものはやはり、美味しいし、それに安いから」

 片岡のぼけっとした口調が妙に笑いを誘った。同じことは乙彦だけではなく、他の生徒たちも感じていたようで一緒に大爆笑が起こることも多々あった。唯一、立村だけが表情を変えないのは、おそらく車酔いのせいかもしれなかった。

「じゃあお前、うちで料理とかするのか。桂さんが作ってくれるのか」

「もちろん作ってくれる。美味しいよ」

「今度、俺が遊びに行ってもいいのか」

「いいけど、部屋汚いよ」

 どこかピントが外れた会話に、また受ける一同。乙彦もさすがに声をあげることはしなかったけれど、改めてこの片岡という奴に愛い奴という印象を強めた。いい奴とか、そういう言葉ではない。どこかあぶなっかしいんだが、憎めない不思議なキャラクターだ。

 しばらく藤沖の四角張ったながらも内容は脳天気な質問が続き、五分後に終了した。

「よっし、そんな調子だ。拍手!」

 麻生先生は満足げに両手を叩いた。


 つまり、このワークとは、

 ──単純に言っちまうと、相手にしゃべらせるということか。

 乙彦は納得した。そういうことに関しては、飲み込みが早いつもりだ。

 ──ということは。


「先生、俺にやらせてください」

 麻生先生が言葉を発する前に、乙彦は先手を打った。

「おお、大体わかったか。次に片岡とやってみるか」

「はい、でもその前にリクエストしていいですか」

 相手役は、ひとりしかイメージしていなかった。

「立村と組ませてください。お願いします」

 乙彦は目に力をたっぷり含ませ、こぶしを作った。

 明らかに麻生先生は驚きを隠せなかったが、すぐに頷いた。了解のサインだった。

「わかった。立村、そこでそっぽ向いてないで、この中に入れ」

 立村の目が乙彦に向かい、大きく見開いた。

 同じく、藤沖と片岡も。

「今から、関崎と組んで、お互いについて知りたいことを質問し、答えていくワークを行う。この機会だ、聞きたいことはすべて聞いてしまえ。関崎」

 その後、付け加えた。

「立村もだ」


 今朝ばたばたした騒ぎの後、一切口を利いていなかった。

 へたしたら合宿が終わって後か、と心積もりしていた。

 しかし、麻生先生のワークを利用すれば、立村とは誤解をあっさり解くことができるかもしれない。いや、大丈夫だ、解けるだろう。  

 ──ここで俺とあいつとがそれなりの付き合いをしていることをココであっさり話しておけば、これ以上立村が疎外されることもないはずだ。


 乙彦は向きあった。正座するのはふくらはぎと膝、足の甲が猛烈に痛くて本当はしたくない。

 立村はきちんと、お茶の作法をしっかり学んだ人のように、形を崩さず畳の上で座っているかのような振る舞いをしていた。乙彦には小さく礼をしたが、一言もものを言わなかった.俯いたままだった。

 ──話せばわかるはずだ。立村ならば。

 この場所で、英語科A組の見守る満座で、立村の今まで乙彦にしてくれたことをすべて説明すれば、きっと伝わるものもあるはずだ。どういう誤解の繰り返しかわからないが、乙彦は青大附属の連中が知らなかった立村の一面を少しは露わにできるはずだ。それさえ成功すれば、今の不毛な空気を少しでも和らげることができるだろう。確信していた。絶対に。

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