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高一・一学期 29

「本当に、俺でいいのか?」

 藤沖は麻生先生と顔を合わせ頷きあい、乙彦と他の連中に言い放った。

「いいか、これから決定権は、ドッジボールキャプテンだった関崎に渡る。関崎の判断には百パーセント従うこと。これは、今回限りの約束だが、いいか、守れよ!」

 麻生先生も納得した風に、一枚のコピー用紙を手渡した。

「まずは関崎、お前が仕切れ。好きなように」

 ──本当にいいのか、だったらやらせてもらおうか。

 まずは、優勝チームの特権、昼食の店選びだ。さてなににしよう。


 乙彦が最初に選んだのは、中華料理の店だった。

「えー、なんでそんな脂っこい料理食べなくちゃなんないのよ!」

 やはり予想通りの反発が返ってきたのは納得だったけれども、すべて乙彦なりの考えがあってのことだった。説明しないと自分でも落ち着かない。一刻も早く食べものにありつきたい胃袋をなだめながら、乙彦は優勝チーム、準優勝チームあわせて二十人のメンバーに向かって訴えた。

「今回、和食、洋食、中華、ラーメンという種類の中からどれかひとつ選べということだったんだけど、やっぱりみんなで輪になって食えるもんの方がいいと思ったんだ。それの方が公平だし、値段の高い安い関係なく食えるし、腹もちもいい」

 乙彦の言葉によくわからないような反応を返す連中。やはり伝わりづらいのだろうか。なんだか落ち込みそうになるのは、空腹の限界に達していたからだろう。もう十二時半を回りただでさえエネルギーを消耗したばかりの乙彦には、説明すらしんどかった。

「一応、優勝チームは一番高級な料理を選べるらしいと聞いてるけど、そんなの俺は味音痴だしわからない。そんなことに拘るよりも俺としては、せっかくこうやって同じ場所で戦えた奴らと、話をたくさんしてみたいと、思ったわけだ。できればみなごたまぜにしてだ」

「ほう、ごたまぜにな」

 おもしろそうに合いの手を入れる麻生先生。どうやら麻生先生が今回は先導してくれるらしい。もちろん食事も一緒にするらしい。あいかわらず脂ぎった顔の麻生先生のため、同じ油っぽい中華料理を選んだわけでは、決してない。先生に対しては礼儀正しく答えるしかないので、乙彦は「はい」と一言入れて、また他の連中に向かった。

「正直、青大附属にきて一ヶ月経つけど、まだ俺には何がなんだかわからないんだ。第一、合宿でいきなり、みんなの昼飯を選べとか言われるなんて、想像もしてなかった。しかも勝った奴が優先して選べるなんて、なんか凄すぎる。けど、やはり、直接話をして教えてもらったりなんなりした方がどうやら覚え、いいみたいなんで、この機会を逃したくないというのもあってだ」

 吹きだすのは女子たち。つい熱くなって語ってしまう。にやついているのは藤沖。きょとんとした顔して見上げているのは片岡だ。この中に古川こずえがいないのは、スケベネタを投げかけられないだけましだが、少々刺激がなさすぎて寂しくもある。

「ということで、料理のランクについてはちんぷんかんぷんなんで、とにかく腹持ちのよさそうならラーメン食って、餃子食ってって感じで」

 中華料理といえば餃子、春巻き、ラーメン、麻婆豆腐くらいしかイメージが湧かない乙彦だが、いわゆる「大皿料理」というものが存在することは知っている。大きな皿にたっぷりと料理を盛り付け、ぐるぐる中のテーブルを回しながら、みな好きに小皿へとよそっていく。それさえあればあとはなんとかなるだろう、そんな感じでもあった。

「というわけで、今回はそういう理由から、中華料理を選びました。以上」

 まばらな拍手を受け止めつつ、藤沖にまた一声かけられた。

「俺だったらさっさと多数決で決めたがな」

「それも考えた」

 一番楽なのは全員から「和食がいい奴手挙げて!洋食がいい奴手挙げて!」と挙手をさせて数える方法だろう。極めて民主主義なやり方だ。しかし、これだとおそらく意見がまとまらないだろうし、全員が満足することは不可能だろう。いや、何よりも。

 麻生先生が「さあ、決まったところで先に行くぞ、行くぞ」と全員を立つよう促した。おそらく一番腹が減っているのは麻生先生だろう。

 乙彦も立ち上がり、藤沖の問いに歩きながら答えた。靴を履き、後ろにくっついている片岡にも聞こえるように。

「同じ部屋でだ。みな顔を突き合わせてだ。よくわからんが値段のランク差がはっきりしたものを除き見しながら食うのは、なんか嫌だったってだけだ」

「なるほど」

 大きく頷いた藤沖。

「そうだな。俺たちは優勝チームだから、褒めてつかわそうとばかりに一番金のかかる料理を食っていてもいいが、準優勝チームだっているわけだしな」

「そうだ。もちろんそれは決まりなんだから当然だとは思うんだが同じ部屋でそういうのはなかなかしんどいと思う」

「だからか、そんなのがわからないような大皿料理の中華を選んだのは」

「そうだ。洋食や和食のコース料理ってのがどんなもんだか俺は知らんが」

 一皿ずつ用意されるというのは知っている。が、それだけだ。

「本当にそれだけか?」

 含みを持った声で藤沖が尋ねた。わけありの様子、少々気になる。

「それだけだが」

「それならいい」

 いったい何を言いたかったのだろう? あまり細かいことを考えず乙彦は片岡に声を掛けた。

「お前、何を食いたかった?」

「ラーメン」

 いきなり何を言い出すのか、こいつもよくわからない男だ。あいかわらずきょとんとした顔、特に女子たちの前では一言も発することがないのだが、さっきからなにやら乙彦に言いたいことがあるらしく、一生懸命口を動かしている。

「だって、あそこのラーメン、とんこつで、ものすごく、おいしい」

「にんにく臭くなりそうだな」

 片岡がさしているのは、四種類の店のうち、一番価格的にお安く見えるラーメン屋のことだった。かなり意外である。乙彦も片岡とは短い付き合いながら、こいつが相当ないいとこのぼんぼんであることを知っている。それでいてなぜ、いきなり庶民の味方、ラーメンなのか。片岡は頷きながら続けた。

「この前、桂さんに、すっごく美味しいラーメン屋があるから食えって言われて、それで連れてってもらったんだ。ここ。店、汚いけど、美味しいよ」

 ──店が汚かったら女子は近づかないだろう。

「ほう、そうか。そんなにうまいのか?」

 興味を持ったらしい藤沖が割って入ってくる。片岡も戸惑いながら小声で返事をする。

「ぎょうざも手のひらくらいあって、物凄く大きい」

 思わず乙彦も片手を広げて覗き込んでみた。

「ほんとうか?」

「ほんとだよ」

 全く嘘のない目で、片岡も両手を広げて見せた。


 しばらく空腹を紛らわすためにしゃべりつづけていると、やがていかにも中華料理店といった感じの真っ赤な建物に着き当たった。金銀きらきらまぶしい門構えの大型店だった。麻生先生が素早く入っていって二、三話をした後、全員を手招きした。

 やはり優勝チームが先頭で入るべきだろう。乙彦はまずA組チームを招きよせて中に入れた。次に東堂が率いるB組チームに続くよう指示をした。

「なんか豪勢だな」

 すれ違い際に東堂もこっけいに顔を膨らませ、囁いた。

「東堂悪い、全員、交じり合って座る形にしてほしい」

「はあ?」

「同じクラス同士で固まりあうんじゃあなくて、だ」

「オーライ」

 短い会話の中で、B組チームにも乙彦の意を伝えた。

 最後に入った乙彦を、麻生先生が待っていた。

「さて、どんな風に席につかせようか。関崎よ」

「A組B組、男女ばらばらで座らせます」

「ほうほう」

「今回の目的は、他クラスとの交流だからです」

「というよりも、お前の顔を売るためかな」

 少々不本意な言葉。思わず顔を覗き込むと麻生先生は乙彦の肩を数回叩いた。

「お前にだけ言っておこうか。この豪勢なランチ、単なるごほうびと違うぞ」

「どういうことですか?」

 言われた意味がわからなくなり、硬直した。満足げに麻生先生も両腕を組みながら、

「つまり、これも、授業の一環ということだ。じきにわかる」

 ──全くわからねえよ。

 授業であろうがなかろうが、とにかく乙彦としては、一刻も早く、飯を食いたい。


 通された部屋は、だいたい六畳くらいの、やたらと朱色があちらこちらに塗りたくられている派手な装飾品が並んでいるところだった。犬なのかそれとも虎なのか龍なのかよくわからない生物が足元に転がっていたり、かと思ったらどでかい壺があちらこちらに置かれていたり、足元のじゅうたんがやたらとやわらかくて思わずつんのめりそうになったり。

 高級店というところに足を踏み入れたのは、乙彦の人生において、おそらく、初めてだ。

 予想していた通り、大きな丸テーブルの上にぐるぐる回る台が設置されていた。これは親戚の結婚式会場で見かけたことがある。まだ何も載っていなかった。注文しないと並ばないのだろう。さらに腹の虫が鳴いた。

「さあ、どうする、関崎」

 全員、まだ誰も席についていなかった。

 乙彦が入室するのをいまかいまかとばかりに待ち受けていたようだった。

 東堂も乙彦の伝言を女子たちに伝えたのかどうかわからない。手持ちぶたさできょろきょろしていた。藤沖が乙彦の次の言動を楽しみにしている様子で囁く。

「じゃあ、先にB組の人たち、先に席に着いてください、で、ひとりぶんの席を空ける形で、座ってください。その間に、A組が座ります」

 つい、ここで丁寧語を振りかけてしまうのは、場の効果か。声が上ずってしまった。乙彦を覗きみてB組の連中が笑った。自分でもなぜ、こんなに甲高い声だしたのかわからない。

「じゃあ、A組、着席」

 つい出た号令みたいな口調。大爆笑。赤面が止められない。隣で麻生先生も笑っている。


 せっかく自分に藤沖や麻生先生、A組、B組の連中が任せてくれたことなのだから、きっちりやらねばと肩に力が入りすぎている。自覚もしている。

 でも、やはり、先頭に立って指揮を取るたびに思い出す、一年前のしゃきっとした張りのある気持ち。懐かしいのではなく、恋しかった。一ヶ月ですっかり「弟分」かつ、後追いの外部生としていじけた気持ちが、なぜかこの一時間ちょっとですうっと消えた。

 なぜ、藤沖が評議委員にも関わらず、自分に手綱を渡してくれたのか。

 なぜ、麻生先生が乙彦のやりたいようにやらせてくれているのか。

 勘繰りすぎると答えもそれなりに出てくるようだが、そんなのは正直どうでもいい。

 リーダーとして、自分の足で立った瞬間、地の土からじわりとしみとおってくる感触が、乙彦に久々甦って来ていた。スタミナが、腹ぺこのままでもしっかり蓄えられている。


 先に他の連中を座らせるつもりだった。それがリーダーの勤めだと思っていた。

 そして自分は、適当に空いているところに座る。そうするつもりでいた。

 目の前で、ひとりの女子と目が合うまでは。


 ──静内、菜種。


 髪の毛をあっさりと一本にまとめ、後ろに流しているだけの女子だった。

 現在評議委員で、清坂美里をあっさり破って今B組の女王さまだとも。

 いや、それはどこまで本当なのかわからない。

 しかし、はっきりしているのは、乙彦が今まで何度も顔を見かけていたにもかかわらず静内菜種のことを、覚えていなかったという事実である。

 ──なぜなんだ?

 顔と名前は一度会えばきっちり覚える自慢の記憶力。それなのに。

 乙彦は一歩前に踏み出した。他のA組連中が戸惑った風に動こうとしない。藤沖も、片岡も何も言わなかった。ただ静内の近くで話をしていた女子たちがふと乙彦の顔を見上げた。明らかに戸惑っていた。

 ──話してみればわかるだろう。

 黙って静内菜種の左隣に席を取った。静かに横を向いた静内にはまだ声をかけず、乙彦は後ろで立ちすくんでいるA組連中を手で促した。


 きょとん、でもなく、びっくりでもない、ただ感情静かに乙彦の方を向く静内。

 静内菜種の顔を乙彦は遠慮せずにまじまじと見つめた。

「あの、外部生の補習には来ていたか」

 切り出した言葉も、しゃれてない。口にした瞬間の後悔をすぐに静内は打ち消してくれた。

「来ていたけど」

 語尾がやわらかく震えていた。

「そうか、そうなんだ」

 乙彦の記憶に残っていないその顔は、うりざね型のどこか懐かしい博多人形の面持ちをたたえていた。白いのか、それとも目が細いだけなのか。美人ともブスとも言いがたい。ただ特長のない顔立ちだった。だからといって、覚えていないわけがない。

 ──なぜ、覚えてないんだ?

 頭の中を何度もぐるぐる巡る疑問を打ち消すため、乙彦はじっと静内の瞳を見据えた。店員がコップの水とウーロン茶のポットを並べていく。注文は麻生先生が担当してくれるらしい。まだメニューは来なかった。

「俺も外部生なんだ」

「私も」

 改めて自己紹介するのも不自然だった。わけのわからぬ動悸が続く。乙彦が次に口走ったのは決して意識した言葉ではなかった。


「中学、水鳥なんだ」

「私、棚氷中学よ」


 ──隣の学区なんだ。

 水鳥中学と棚氷中学とは、密接した学区の学校だった。

 声にもただ女子というだけの、やわらかなだけの響き。

 記憶に残せないありふれた姿と声と顔のはずなのに。

 ──なんで俺、覚えてなかったんだろう?

 

 静内菜種はその目立たぬ顔立ちと口元で、乙彦に向かい穏やかに微笑んだ。

 周囲が少しざわめき始めている。乙彦と静内との間に流れる空気に感づいた女子たちだろうか。なんだかかあっとなるのは頬だけだった。乙彦は立ち上がり、飲み物の注文を取るべく手を挙げさせようとした。と同時に静内も、

「では、飲み物、何にする?」

 やはり目立たない口調と声で、女子たちから注文を取っていた。いつしかふたり、並んで立ち動いていた。意識はしていなかったのに、なぜか、同じ行動をとっていた。

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