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高一・一学期 28

 B組とのドッジボール学年王座決定戦は、あっさりと決着が付いた。

 なんのことはない、最初からB組側がシャッポを脱いでいただけである。

「お前ら本気で来るんだもん、とってもだけど俺たち急造チームには無理ってことよ」

 たいして汗もかいていない顔して、東堂が乙彦に話し掛けた。ついでにタオルも提供してくれた。まずはクールダウン、水筒の水を分けてもらう。ベンチに腰掛けた。

「なんで本気で来なかった」

 正直なところ、乙彦としてはかなり不完全燃焼の試合だった。

 仮にも決勝なのだ。

 しかもみな、それなりにクラス内の壮絶な生き残りをかけてレギュラーの座を勝ち取ったはずである。なぜ、気合を入れようとしないのだろう。結局、本気で勝負の気持ちが最後まで緩まなかった乙彦たちA組が、たった五分ですべて片付けてしまったというわけだ。

 あまりぐちぐち言いたくないが、同じ規律委員を務める東堂には文句のひとつでもつけたくなる。

「第一、なんで女子ばかりを陣内に入れて、男子連中が外に回ったんだ。あれだったらどのクラスと当たっても勝ち目がないだろう」

「ああ、それなあ。それ、清坂も文句言ってたなあ」

 脳天気に東堂は返す。どうもこいつ、体育の授業を通して観察してみても、今ひとつやる気が感じられない。やたらと輪の外から掛け声だけはかけていたが、本来ならばもっと身体を動かすなり、ボールをもっと気迫もってぶつけたりすべきではないだろうか。そのあたりの判断も、理解しかねる。

 乙彦がさらに問い詰めようとするのを嫌ってか、東堂はのんびりと言い訳を続けた。

「俺たちD組とやったろ。その時は男子が中に入ってやったんだけどな。ただ、どうしても女子たちに不満が溜まっちまったみたいなんだ」

「勝てば不満も消えるはずだが」

「いや、たまたまチームに残った女子連中はもっとおてんばしたかったみたいなんだが、やはり思いと実力とは伴わなくてな。本来なら俺たち男子メインで組み立てるべきところだったんだが、やはりなあ」

 よくわからない。A組ドッジボールキャプテン……と、いつのまにか呼ばれていた……の乙彦としては、なにがなんでも強い勝ち方をするためには、ある程度の情を捨てざるをえないと考えていた。もちろん、女子たちのすべてが運動音痴なわけではない。能力のある奴だけを選び、その上で面子を調える。それがベストなのではないだろうかと思うのだ。

 男子と女子、体力腕力に関しては、どんなに男女同権を訴えたところで勝ち目はないだろう。

「いやいや、みんなどうせ、ここは楽しく盛り上がるためのものであって、真剣勝負じゃあないってことだな。俺としては最初からこの勝負、捨ててたし」

「それはちょっと違うんではないか」

 何度も繰り返す乙彦だが、のんべんたらりと話をはぐらかす東堂からは結局、本気の言葉を受け取ることができなかった。

「うちのクラスは勝つことよかもっと、最優先課題があるんだよ」

 大きく溜息をつきながら、東堂は視線をB組女子たちの群れに留めた。

「先は長いぜ。ほんとにな」


 ──何が長いんだ。

 とはいうものの、乙彦なりにB組女子たちの小競り合いがしちめんどうくさいものだということは理解できた。

 なんどか、清坂美里からも聞かされている。

 古川こずえからも、一部藤沖からも。

 規律委員の東堂としても、いろいろ面倒くさいこともあるのだろう。

 だが基本として、女子たちのトラブルには首を突っ込むべきではないと乙彦は考える。

 

 帰りもまた、十五分くらい歩いて宿に戻った。

 全く関心のなさそうだったA組女子たちも、やはり優勝というのは嬉しいのだろう。やたらと上機嫌にはしゃいでいた。整列して戻るわけではないので、みなそれぞれ気の合う連中と集って歩いている。乙彦は相変わらず藤沖と肩を並べ、

「さて、到着したらまず、昼飯だ」

「何を食うんだろう」

「ま、到着してのお楽しみってとこだ」

 どうも藤沖は昼食の内容もすでにお見通しらしい。

「非常に、まずいとか、言わないだろうな」

「ヒントを与えるか」

 もったいぶって藤沖は両腕を組んだ。

「まず、俺たちは先に、シャワーを浴びるか風呂に入るかのどちらかをせねばならん」

「風呂か」

「一風呂浴びてから。まあこれだけで大体は見当がつくだろう」

 当然のごとく藤沖は、乙彦が正解を出すのを待っている様子だった。

 ──風呂と昼食とどう繋がるんだ?

 答えられるのが当然、とでも言いたげな目線に乙彦も意地になる。急いで自分の知る限り、ありとあらゆる仮定を導き出す。

「ものすごく高級な料理を食いに行くのか?」

 まずはひとつ、試してみることにした。さんざん暴れた後、風呂に入るもしくはシャワーを浴びるのは当然だが、まだ太陽が南中高度に達していない午前中、時間帯としても少しそれは違和感がある。第一風呂に浸かったら最後、もう動きたくなくなるではないか。

 それでもなお、風呂に入る理由となると、

「それなりにまっとうな格好をして出かける義務があるということだな」

「鋭い。その通りだ」

 自分なりの推理を提示してみた結果、藤沖は満足したらしい。それ以上の問いを投げかけることなく、自分ひとりでまたぺらぺら喋り出した。

「つまりだな、今回の昼飯は単なる腹を満たすだけのものではない。校訓『紳士たれ、淑女たれ』を実体験で感じるためのイベントなんだ」

「実体験?」

「そうだ。関崎、お前は今まで、一流レストランなどで食事をしたことがあるか。ディナーコースなどを食ったことはあるか?」

「ない」

 ディナーコースに続く動詞が「食った」というのは何か違うと思う。そのくらいは乙彦も認識していた。が、それだけだ。

「これから俺たちが連れて行かれるのは、そういうとこらしい」

「味は悪くないんだろうな」

 結局そこのところに関心が行く。あと、

「和食の場合、おかわりはできるのか?」

 まさか茶碗一杯で我慢しろなんて無碍なことは言うまい。藤沖は声を立てて笑った。

「それはわからん。そういうことができるような空間かどうか、俺も知らん」

 ──妙に料理ばかりちょこちょこ並んでいて、実は全く食った気がしないなんてとこじゃないだろうな。

 なんだか腹の虫が猛々しく泣き喚きはじめたような気がした。胃の奥がきゅうとしぼむ。


「お前ら、部屋でごろつく前に、十分以内で風呂に入れ! さっさと身体を洗ったら即外に出ろ。もちろん、すっぽんぽんでなく制服を着るんだぞ!」

 一年A組の面子が全員揃い、宿の玄関で全員整列した。すぐに列はほぐれ、それぞれのクラスごとに担任が集め、咳払いをしつつ指示を出した。

 麻生先生は生徒からつっこまれる前に素早く落ちをつけた。

 当然他の男子たちから押し殺したような笑いが起こった。

「それと、頭もちゃんと撫で付けろ。靴下は履き替えろ。まかりまちがってもだな、さっき履いてきたものをそのまま使いまわすのだけはやめろよ」

 ここいらで少し、「えー?」と不満の声があがった。もちろん、男子である。

「これからお前らが食いに行く場所は、普段なら決して足を運ぶことができないような店だということは、お前らも理解しているな」

 誰も「わかりません」とは言わない。どうやら知らなかったのは乙彦だけらしかった。しゃくだがしかたない。乙彦は挙手して仔細の説明を求めることにした。外部生、何も知らないゆえの特権だ。

「どうした関崎」

「先生、もう少しその店について説明してください。全く知らないまま行くのはどうも俺だけです」

「ああ、悪かった関崎」

 先生も乙彦の立場についてはかなり気を遣ってくれている。それが鬱陶しく感じることもあるが、今の場合はそれがプラスに働く。

「中学でも経験のある奴は多いだろうが、今回もまた、高級料理屋なりレストランなりで料理を頂くことになる。が、中学の時と異なるのは、全員が一軒の店でずらりと並んでいただくのではない」

 いきなりざわめきが起こった。A組の生徒たちの驚きももちろんそうだが、隣でまた固まっているB組女子たちからいさかいの声があがったからでもある。麻生先生は全く気にすることなく説明を続けた。

「集団で食うのは夕方、この宿で十分だ。今回お前らが経験するのはだ、先ほどのドッジボール大会の決勝に勝ち残った二チームが同じ店を選ぶことになる。そして前の試合で戦い負けたもの同士がまた同じところで飯を食う。残りの、つまりクラス決勝で負けちまったチームだな。それぞれがじゃんけんで二組に分かれて行きたいところを選ぶ」

「先生、選ぶということは、すでに店が決まっているということですか?」

 意味がわからないわけではないが、まず普通は考えられない話だ。

 藤沖が助け舟を出してくれた。

「関崎、店は最初から四軒と決まっていたんだ」

「だが俺は聞いてなかったぞ。ドッジボール大会の成績が即、昼飯の順番に繋がるとは」

 他の生徒たちもそのあたりは気付いてなかったらしい。藤沖は首を振り、麻生先生に確認するかのように質問した。

「つまり、今回の目的は、ごほうびがあることを生徒たちに隠した上で、どのくらい全力を尽くすかを見る、ということでしょうか」

「まいったなあ、そうだな、その通りだ」

 他クラスたちのざわめきが収斂されていくかのよう。だんだん静まり返るのが伝わってくる。歩いた後の汗が蒸発しているかのようで少し気持ち悪かった。乙彦は藤沖と麻生先生とのやり取りを聞いていた。

「僕も評議委員会でそのような話はちらっと聞いてましたが、決定ではないということであえて誰にも話さずにきました。言うのもなんですが、クラスメートに嘘をついていたようで、あまりよい気分ではありません」

「そうだな、もっともだ」

「先生、このあたりの事情を説明していただけませんか。筋が通っていれば僕たちもそれなりに納得します」

 ──なんだか出来芝居のような気がする。

 ふたりのやり取りを粒さに見つめつつ、乙彦はなんとなく胡散臭さを感じていた。藤沖に問題があるとは思っていない。あいつは隠し事ができない性格だ。乙彦が頼まなくても勝手にペラペラ本心を話してくれるようなおめでたい奴だ。しかしその一方で、不必要な騒ぎを乙彦が起こさないようにうまく立ち回ってくれているところもある。余計なこと、と思うこともあるけれども、あえて様子を伺うことによって自分の立場が優位となるのもまた事実だった。以前の乙彦ならば割り込んで、どんどん自分の言い分を押し切ることができたけれども、「弟分」扱いされている今はそうもいかない。

 しかし、腹が鳴る。

 ──説教はどうでもいいから、まず食いたいと思わないのか?

 乙彦はそっと振り返った。一部で不満そうなふくれっつらをした奴らもいないわけではないが、みな素直に返事を待っているのが、一番の驚きだった。これが青大附属だったのだと、改めて思った。


 他の先生たちと目配せした後、麻生先生は全員に向かい手を伸ばし、頭を均すようにぺたぺた空を叩いた。

「ドッジボール大会が行われると聞いた段階で、本気で勝負しようと思った奴はどのくらいいたか、まず聞きたい。それなりにクラス内の予選も行い、人数の少ない英語科にあわせるということであえてレギュラーを絞り込む。そしてクラス対抗の意識をもって戦う。本来ならば、ここで、『優勝チームには昼食の店を一番最初に選ぶ権限を与える』としておけば、お前らは燃えただろう。それは承知している」

 言葉を切った。女子たちがひそひそ話をしはじめた。止めはしないで麻生先生はゆっくり、言葉を選びながら続けた。

「しかしあえて今回、先生たちは『ごほうび』を隠して行った。これには十分意味がある。つまりひとつのことに対して、見返りないのに本気で取り組めるかどうか、まずそれを見たかったわけだ。非常に歯がゆかったが、その結果は順位という形ではっきりした」

「でもそれはだまし討ちではないですか」

 ちっとも刺のない口調で藤沖はとつとつと尋ねた。それに呼応して麻生先生も冷静に答える。

「そうだ。もちろんそれは申し訳ないと思っている。このような『だまし討ち』は今回限りにしたい。だが同時に、空腹のところすまないがひとつだけ頭の隅においてほしい」

 真面目な口調が相変わらず似合わない汗まみれの額。

 口のゆがみがなぜか感じられず、まっすぐ聞こえる麻生先生の声。

「たとえ他人のくれる褒美がなくとも、自分自身の誇りを持って真剣に打ち込むことのできる人間に育ってほしい。おそらくこの中には、クラス予選で敗退したけれども真剣にぶつかった生徒だっているだろう。努力が認められなかった生徒だっているだろう。結果最優先というのはそういう生徒たちの努力を取りこぼすことになる。しかし、あえて今回はきっちりと結果を出したチームと、出していないチームそれぞれの褒美に差をつけさせてもらう」

 初めて「うそー!」「ふざけないでよ!」「ずるい!」と女子中心に叫び声が上がった。他クラスの先生たちがしかりつけているもののやむ気配はない。全く麻生先生は動じなかった。

「今回は優勝、準優勝、それぞれ一チームずつが行きたい店を与えられた四軒の店から選んでもらう形となる。そしてランチの内容は優勝チームの方が一ランク高いものになる。それは純然たる差だがあえてそれを受け入れてほしい。なお、料理店そのものはどこも美味だ。それは心配しないでもらいたい。ここで学んでほしいのは、『勝利者はたくさんある中から自分のほしいものを、選べる』この一点だ。いいか、わかったか」

「わかりません!」


 突如、異議を唱える声が高らかに挙がった。

 その声の先を探した。

 B組だった。

 手を挙げたままその者は、ジャージ姿のまま真っ直ぐ麻生先生の元に近づいてきた。

「美里、何めだってんのよ。早く食べるほうが先でしょうに」

 古川こずえのあきれ顔を重ねながら、乙彦は清坂美里の後姿をぼんやりと眺めていた。何か面倒なことになりそうな予感がした。


「先生、今回みんなが怒っているのは、ごほうびの内容じゃないんです。最初からドッジボール大会を単なる親睦の機会として考えていた人たちの足をすくったってことなんです」

「だからそれは説明しただろう。その褒美なしでどこまで本気に」

 言いかけた麻生先生を清坂美里は遮った。

「違います。もちろん先生たちの言いたいことはわかります。でも、クラスの中でそれぞれの価値観が違った場合、どんなに努力してもその人たちは高級料理食べられないわけですよね! そうしたら、努力している人たちがいたとしても、その人たちは諦めなくちゃいけないってことですよね」

「そうだな、そういうことになる」

 意外にも麻生先生は否定しなかった。

「それに、最初から参加できなかった人はどうするんですか。その人たちは食事できないんですか」

「そういうことになるな。不戦敗だ」

 ──立村は連れていけないわけか。

 やはり元彼女、それなりに気遣いをしているのだろう。

 清坂美里の舌鋒、さらに激しさを増した。

「先生たちは最初から、生徒たちとの間に差を広げるようなことを考えていたということですね。青大附属で一緒に過ごす人たちが、最初からこんなに差をつけられるなんて何か変じゃないですか。たかがお昼一食かもしれませんが、そのことによって無意識のうちに差別されたと思って腹を立てる人だっているはずです」

「あの、なあ」

 麻生先生は一言で黙らせた。

「腹を立てたり、むかついたり、怒ってもらうために、俺たち教師はこのドッジボール大会を計画したんだ。もう一度言う。『勝利者は、選択肢がたくさん得られる』この真理だけだ」


 全く理解できないという憮然たる表情で、清坂美里は突っ立っていた。

 すばやくB組の女性担任が清坂の肩を抱くようなそぶりをしたが、すぐに清坂は振り払った。

「みんな平等に扱うって先生言ったじゃないですか! 最初からそんな差別をしていいんですか!」

 まだ文句を言いたそうにむくれていた。やがて無理やり腕を曳かれ、清坂はしぶしぶB組の女子集団に戻されていった。


 ──勝利者は、選択肢をたくさん得られる。

 風呂場に向かう準備をしながら乙彦はもう一度その言葉をかみ締めた。

「恐ろしい学校だな」

 乙彦の代弁を藤沖がかわりに隣でしてくれた。

「麻生先生はとっぱじめから、努力と根性によって扱いに差が出てくるということを伝えたかったらしい。まあ俺からしたら、棚からぼたもちだが。風呂からあがったらまず、選択肢の料理店を選ぶとしよう。できるだけ腹持ちいいのを選べよキャプテン殿」

「しかし、それで他の奴らが納得したとは思えないが」

 清坂美里の罵倒が耳にまだ残っていた。そのことを伝えはしなかった。

「そうだな。明らかなる差別だからな」

 藤沖は同意しつつ、乙彦を風呂場に入るようタオルを投げかけた。

「だが、先生の意見に同意したい気持ちもある」

「なぜに」

 乙彦の問いに藤沖はにやりと笑っただけだった。

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