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高一・一学期 27

 制服で到着したこともあり、みなすぐジャージに着替え、徒歩で十五分ほど歩いた先にある小高い丘で、まず準備運動をした。運動部の人間にとってはごく普通のことなのだが、みな手抜きしているように見えてならない。アキレス腱をしっかり伸ばしておかないと大変だ。乙彦が入念に身体をほぐしている間、他の生徒たちはみなおしゃべりをしなががら軽く膝屈伸をしている様子だった。

「おい、みなもっと真剣にやれ、怪我するぞ」

 女子に聞こえるように、でも呼びかけるのは男子に。

「たかがドッジボールだってのに、そんな気合入れる必要あるのかよ」

 A組ではないが声がする。からかい口調だがきちんと言うべきことは言っておかねばなるまい。適当に顔を上げ、乙彦は言い返した。

「足くじいたら、ここから十五分もかけて歩いて帰らねばならないんだぞ」

 誰かに背負ってもらうなんてみっともないまねできるわけがないだろう。乙彦の正論に反論は返ってこなかった。


 どうも他クラスを含めてこのドッジボール大会へのやる気はかなり薄そうな気がした。

 藤沖が意欲たっぷりに推薦したというドッジボールだが、いかんせん青大附属の連中にはがきっぽく思われたらしく、正直みななんとなく、しかたなく、そんな倦怠感が漂っていた。

 ──だが、ここで本気を出したとすれば、きっと勝てるということになるぞ。

 勝負事、負けたくてやる奴はいやしない。

 乙彦は藤沖に話し掛けた。

「やるならとことん、やるしかないな」

「よっし、任せとけ」

 まずクラス予選を、円陣くんでさっさと済ませることにしよう。乙彦は体育委員が先導してルール説明をするのを黙って聞いていた。一応男女混合チームで二チーム。各クラスで予選を行い選出メンバー十人をまず選ぶ。そのためにクラス予選というものを設けており、そこで勝ち抜いたチームがクラス代表として参加する形となる。もっとも勝ち抜き戦だから決着は意外とあっさりつくのではないだろうか。乙彦なりに分析はしていた。

 ──まず、なんとしてもできる限り陣内に残るしかない。俺ひとりでやるしかないぞ。

 まずはクラスの対抗戦を終わらせることにした。赤と白、鉢巻で色分けしたチームがみな円陣を組みそれぞれのメンバーと気合を入れるため、手を伸ばし、

「ファイトー! オー!」

 乙彦先導して掛け声を掛けた。みな、しっかり声を出してくれたのはありがたい。


 まずクラス予選。

 乙彦の読み通りだった。あっさり勝ち抜いた。

 男女混合でみな、手を抜きたがる奴ら……主に女子……がわざと当たって輪の外に出て行くのはしかたないとしても、みな面倒なのか疲れているのか、覇気がなさすぎる。それでも乙彦側のチームには藤沖もいるし、意外と片岡がちょこまか動き回ってくれてしっかりボールを取ってくれたのでそれなりの形はついた。しかし、これはいったいなんなんだろうか。

 ──お前らいったい!

 男子たちはきちんと仕事をしてくれたと思いたいが、女子たちのいいかげんぶりといったらなんなんだろうか! あまり意識することもない女子たちではあったが、まともにボールとじゃれついていたのは古川こずえくらいである。時折、「あれ? 社会の窓、開いてるよ!」とかひっかけのやじを飛ばして油断させようとするしたたかさも備えていたがさすがに相手チーム女子、ひとり奮戦には限界もあるのだろう。

「ちょっとー、関崎、あんた思いっきり私のケツめがけてシュートすることないじゃないの」

 一段落してみな、握手を交わした後、思いっきり背中に蹴りを入れられた。

「それもさ、手抜きもしないんだよ。こいつレディーファーストって意識ないよね」

「悪かった。試合の際は男女平等だと考えていたんだ」

 言われてみると最後のひとりということもあり、乙彦なりにパワー全開にせざるを得なかったのは確かだった。とは申せ、古川には悪いことをしたとは思う。すぐに機嫌直したのか古川は、隣にいた藤沖にもぽんぽんと背中をたたき、

「ま、私をここまでいたぶったからには、きっちりA組優勝して戻ってきなさいよ。いいね」

「いたぶったつもりはないが」

「だってバックだよ、やらしいよねえ」

「どこがいやらしいんだ」

 笑いを噛み殺す藤沖をよそに、乙彦は何度か古川の意味不明な言葉を問い返した。


 A組はもともと人数も少ないので勝ち抜いたチームメンバーがそのまま、次のクラス対抗戦に駒を進めることになる。しかし他の普通科クラスにおいては、クラス対抗戦用に数人減らさねばならないこともあって、少々話し合いが必要なようだった。

「すっごく無理なシュチュエーションだと思わないか、それに無駄な時間じゃないか」

「しかたあるまい」

 藤沖とスポーツ飲料を交互に口にしながら、乙彦は他クラス連中のもめている様子をそっと見やった。

「こういう形にでもしなければ、他クラスとの交流はなかなかできないだろう。うちの学校の問題点として、クラス内でのつながりがやたらと濃いのに対して、他クラスとは委員会経由でしか繋がれないというところがある。俺なりにそれは考慮したつもりだ。先生たちも俺の提案をそのまま呑んでくれた」

「そうか」

 ただなんとなく……乙彦をからかう気持ちも交えて……ドッジボールを選んだわけではなさそうだった。そこのところ、ひとつ、ころっとほっとした。

「これもいつか、関崎に話しておくべきだと思っていたのだが」

 またいつものもって回った口調で、藤沖は続けた。

「クラスという単位ではなく、一年生一丸という形にまずはできないものかと考えている」

「一年生、一丸か」

 汗を拭いた。まだ汚れの目立たないジャージが、気持ちよい程度に埃っぽい。

「そうだ。つまりだ。青大附属というのは以前から委員会主導という流れが強かった。委員会だけは一年の集合体だが、委員会に参加していない生徒にとっては全く別の話だ。それぞれ自分のクラスだけで静かに過ごすのが普通だった」

 ──それはまずいのか?

 藤沖の言いたいことがわからず、乙彦はもう一度じっくり聞くことにした。

「だが、それではまずい」

 藤沖は言い切った。まだ揉め事が終わりそうにない女子たちの口論が聞こえてくる。

「だが、そんなもったいないことをしてはならない。三年間が無駄になる」

「無駄?」

「そうだ。いいか関崎。俺たちの三年間はまだ始まったばかりだ。一年だけでも百人以上、三年まで含めると三百人。公立ではどうかわからんが、三百人のネットワークをそれぞれがこしらえることができたら、きっと凄いことができるはずだ。ほんの二、三人の仲良し連中で終わってしまうよりもずっと、いろいろなイベントや実験、そんな大袈裟でなくとも人間関係としてもっと深みのある付き合いができるはずなんだ」

 だんだん藤沖の熱い語りの理由がつかめてきた。決してその発想は嫌いではない。

「だから、まずは一学期の段階で、一年だけでもクラスという名の枠を取り外したい、そういうわけだ」

「そういうことか」

 乙彦は飲み終えたスポーツ飲料をベンチに置いた。ハンカチで額の汗を拭い直した。息は整った。いつでもスタンバイOKだ。

「そういうことなら、俺も喜んで協力しよう」

「お前がいてくれれば、百人力だ」

 本当にそう思ってくれていることが、藤沖の口からは紛れもなく伝わってくる。

 いろいろ癖のある男ではあるが、こいつを嫌いになることはないだろう。

 乙彦は先に立ち上がり、藤沖と、側でひとりぽつねんと座っていた片岡に声をかけた。

「さあ、じゃあウォーミングアップいくぞ!」


 いろいろもめていたクラスはどうやら、B組のようだった。それも女子たちだけが固まってああだこうだ言い合っていた。いったい何があったのか気になるところではある。古川あたりなら詳しく状況を教えてくれるかもしれないが、なんだか余計なことをくっつけてくる恐れもあるのでやめておいた。

 藤沖がA組代表として自らじゃんけんしに向かった。いわゆる「グットッパーで合った人!」という形のシンプル組み合わせじゃんけんだ。四人、組代表が何度か「合ったーひと! ひと! ひと!」と繰り返しているところみると、なかなか合わなかったのだろう。

 ──できればC組は避けたいところだ。

 横目で他クラスの自組予選を垣間見て願っていた。やる気のなさげな青大附属でありながら、C組だけはやたらとみな盛り上がっているように見えたからだった。さっき、立村の見舞いに顔を出した連中……天羽・難波・更科もいれば、評議委員長である羽飛もいる。男女混合ではあるが、どうやら轟琴音は負けチームの方にいたようで練習には混じっていなかった。

 正直言って、A組のチーム連中とは燃えさかり方が全く異なる。

 ──あいつらに当たったら、きついかもしれない。

 だが負けるために試合をするわけでは決してない。もしもC組チームに当たったとしたらそれはその時、正々堂々ぶつかるしかない。

 隣にいつのまにか突っ立っている片岡に、乙彦は話し掛けた。

「お前、結構、身、軽いだろ」

「やせてるって言われる」

 何か勘違いした返事が返ってきた。思わずこつんと頭を小突いてやった。嫌がらなかった。

「そんなこと言ってるんじゃない。それよか片岡、お前はできる限りボールに手を出さずに逃げろ。お前が狙われたら俺がフォローに回って全部受けてやるから。とにかくぶつからないことだけ考えて、逃げまくれ」

「逃げるだけ?」

 きょとんとした顔で、片岡が乙彦の顔を見上げた。やっぱりどんぐり眼は雅弘似だ。詳しく説明する必要もないだろうが、簡単に伝えておくことにした。

「片岡がたぶん俺たちのチーム内で一番身軽だから、最後まで円陣の中で生き残れば絶対勝利が転がりこんでくる。お前の場合、ボールを避けるのはうまいが、受け取って投げるのがいまひとつだ。受け取るのは藤沖もいるから安心して逃げまくれ」

 つまり、片岡を生かす形にし、藤沖と乙彦が攻撃に回る、そこに勝機があるとみた。

 片岡はよくわけわからなげに頷いていた。英語限定学年二番の、それなりに秀才。だがやっぱりこのぼんやり加減を見ていると、なぜかほっとする。


「よっし! C組だ!」

 藤沖の奴、大喜びで片手を挙げアピールするではないか。つられて他の連中も「おーっ!」と盛り上がる。乙彦からすると勝利の可能性が若干狭まったのだからもっと落ち込んでも止さそうなものだが。しかも、女子たちがやたらとはしゃぎまくっている。

「ねえねえ、南雲くんもいるのよ」

「そうそう、羽飛も混じってるっし!」

 ここは古川のはしゃぎ声。

「それにしてもすっごいよね。天羽もいるし、これは見物よね」

 もしや女子連中は、最初からドッジボールで戦う気などさらさらなくて、ただお気に入りの男子たちを応援したいだけなのかもしれない。そんなのどうでもいい、いいのだが、やたらと腹のところがごろごろしてくるのは気のせいだろうか。

「相手に不足はないぞ」

 藤沖は完全にやる気まんまん、燃えている。

「女子連中はみな、C組の応援に回るだろうが、それは定めだ。諦めろ」

「そういうものなのか?」

「あとは関崎、お前の勝負だ」

 またもわけのわからないことを藤沖は口にした。


 とにかく、圧倒的にC組の男子が人気者というのだけはよく理解した。

 南雲相手というのも、仕方のないことだろう。

 しかし、それであっさり負けたいとも思ってはいない。

 さあどうするか。

 乙彦はまず、観客をぐるりと見渡した。そんなにギャラリーがいるわけでもなくて、せいぜい審判役の先生たちがホイッスルを首に掛け片手を挙げているのが目立つくらいだ。女子たちの声援がC組寄りだというのもしかたないことだとは思うが、それでもしかたなくA組陣地に固まっている様子である。そこからまかりまちがってもC組男子の応援……特に南雲あたり……なんぞしないでほしいと思う。

 出陣直前、乙彦は古川を手招きした。

「何よ、あんた、最高の試合前になんか用?」

 おそらくいとしの羽飛を応援したくてうずうずしているのだろうが、

「一言だけ言っておく」

 きっちりと釘を刺す。

「事情は理解しているつもりだ。だが、試合中だけは頼むからA組を応援してやってくれ」

「はあ?」

 言われた意味がわからないとばかりに古川は口をぽかんと開けた。

「応援しないとでも思ってるわけ?」

「事情はだから、理解している」

 好きな男子を応援したい気持ちはわからないでもないが、しかしだ。

「うちのクラスの連中も頑張っている奴は頑張っているんだ。それを理解してもらいたい」

 古川は大きく溜息をついた。欧米人風に肩を竦めてみせた。

「あのさ、関崎。あんた何勘違いしてるか知らんけどね」

 いきなり尻をはたく。避けるのが遅かった。逃げ足も早かった。

「応援されないって決め付けるのはどうかと思うよ。ま、私ひとりでうちのクラス女子分応援したげるから、そういじけなさんなって!」

「いじけてなどいないが」

 言いかけて立ちすくんだ。古川の奴、いきなり投げキッスを二本指で決めたではないか!


 チーム全員、まずは整列し、礼をした。 

 真向かいには先ほど顔を合わせた天羽が、にやにやしながら立っていた。藤沖を先頭にしているのはやはり、評議委員としての立場を慮ったもの。その正面、乙彦の斜め右には古川こずえの想い人、羽飛がいた。乙彦には目もくれず、やたらとガッツポーズの練習をしている。もう勝つつもりでいるのだろうか。

「悪いが、この勝負はもらったからな」

「それはこっちの科白だって、藤沖も本気だなあ」

 南雲はどこにいるのかと探すと、意外にも女子たちが並ぶ最後列に立っている。

 本当は規律委員として、というよりも、みつわ書店のアルバイト同士として情報交換をしておく必要を感じているのだが、どうも向こうから避けられているような気がする。まあこの合宿中チャンスのひとつかふたつはあるだろう。

「まずはお手並み拝見といくか」

 つぶやき声は、天羽だった。乙彦隣でぼけっとしている片岡にやたらと笑いかけていた。同じクラスだったのだろうか。こういう時ふと、自分が外部入学の人間だと感じる。

 ホイッスルが鳴った。みな、一目散に自分のポジションについた。乙彦は当然、陣の中で戦う方を取った。女子たちはみな、陣の外からの攻撃組に回した。こうすることにより体力の劣る女子たちを保護する形ともなるわけだ。

 ──最後まで残るのはおそらく、俺と片岡か。

 とことん逃げまくり、そこからチャンスを広げよう。

「厳しい戦いだが、頼んだぞ」

 乙彦はもう一度片岡に呼びかけた。素直に膝の屈伸をしていた片岡は、きょとんとした後、

「わかった」

 すぐに了解の返事をよこした。藤沖が唇を一瞬への字に曲げた。


 試合開始。

 乙彦の読み通り、陣内に入った男子同士の一騎打ちといった色を帯びてきた。予想できないことではなかったが、完全に女子たちは蚊帳の外、外からも攻撃はできるのだが、あえて乙彦はそれをさせない作戦に出た。ボールを中であしらいつつ、直接攻撃を行い、遠慮なく叩きつぶしていく。このやり方しかない。

 C組の面子もどうやら同じ作戦だったようだ。ただ少し違うのは、女子の数が男子よりも若干多いため、どうしても陣内に入れざるを得ない状況にある。早い段階で乙彦と藤沖が手加減したボールでもって女子を討ち取り、いざ、男子のみの対決となる。

「疲れてるか、藤沖」

「いや、大丈夫だ」

 見た目通り敏捷性に欠ける藤沖が、すぐに消えるのは時間の問題だろう。乙彦なりに計算はしていた。また予想通り片岡のすばしっこさは見事だった。時折流れてくるボールをあえて外し、乙彦がフォローしやすいように動く。応援の声がなぜか、片岡に対しては届かないのがもったいないくらいである。

「片岡、ナイスだぞ」

「こんな感じかな」

 やはりとろとろした話し方のままだが、結構こいつ、ボール競技では使える奴かもしれない。頭の隅に置いておくことにした。

「やべっ!」

 いきなり藤沖が尻餅をついた。足元にボールがどろどろ転がっていく。慌てて拾い乙彦はまず、陣外で待つ女子にアイコンタクトを取った。女子の中でもそれなりに運動能力がよさそうな奴はいる。すぐに気が付いたのか手を伸ばす。

 ──手を伸ばしたらだめだ!

 C組男子連中がすぐに、先読みしてボールフォローに回った。これはまずい。

「藤沖、すぐ投げる、受け取れ!」

 囁きかけ同時に藤沖に向かい投げつけた。遠慮なく、C組男子のふくらはぎをかするように。バウンドさせて、しかもそれが藤沖の立ち位置に間に合うように。

「ちくしょう!」

 誰に当てたのか、声で気が付いた。どうやら天羽のようだった。大袈裟に「ちっくしょー!」と両手を挙げて陣の外へと出て行った。周りの女子たちが落胆している様子も伺えた。

「関崎、取ったぞ!」

 乙彦の読み勝ちだった。わずか二人のみの生き残り。乙彦は時折片岡に、

「逃げろよ、とことん逃げろよ!」」

 囁きかけながらボールの先をとことん追いつづけた。現在C組は三人生き残っている。羽飛と南雲と、またひとり。これをつぶすのは、結構骨である。


 と、その時。

「関崎くん、その調子!」


 聞き覚えのある声が飛んだ。

 耳に刺さった。

 あやうく足がつんのめりそうになるのを堪えた。足元をかすめそうなボールが、片岡によってかろうじて拾われた。指示を出す間もなく片岡は真正面から南雲を狙った。

「片岡やめろ!」

 止める間もなかった。悲鳴がすべてのクラス女子から湧いた。

 そのボールを真正面から受け止めようとした南雲が思わず両手からこぼした。慌てて拾う羽飛との間に会話は全くなかった。南雲は両手を合わせてC組連中の集まる場所に一礼すると、笑顔で素早く陣外にスタンバイした。

「片岡、お前本気で狙ったな」

「うん」

 短く答え、片岡はまたすばしこくちょろちょろ動き回りはじめた。本来ならばこのガッツ溢れるプレーにもう少し、称賛があってもいいと思うのだが一切ない。疑問を覚える間もなく乙彦はあとふたり、どうやって討ち取るかを素早く検討した。その間もなくまた片岡に飛んできたボールを、乙彦がフォローする間もなく拾い上げ、もうひとりを調理した。

 ──片岡の奴、こいつ、本当に、本気かもしれない。

 意外なところで本気を出す奴とめぐり合えた。不意に湧き出す腹の底からの快感。

「よし、片岡」

 乙彦はもう一度、耳に囁きかけた。

「もう俺は何も指示しない。お前、あいつを討ち取れ。正々堂々とやっちまえ」

「うん、わかった」

 一瞬だけぽかんとした後、片岡は大きく頷いた。


 と、また同じ声が飛んだ。

 今度は誰の声か、ぴんときた。

「関崎くん! やっちゃえやっちゃえ!」

 ボールを保持しているのは天羽だ。天羽は同じ陣外にいるめがね男の難波にパスしようとし、露骨に乙彦狙いで勝負にきた。こういう場合は受けるのが乙彦だが、逃げなくなった片岡がすぐに奪い取った。乙彦があっけに取られている中、片岡はまた真正面から羽飛を狙おうとしていた。運良く、気付くのが遅れたのもあってか、羽飛がなぜか余所見をしている。ほんの一瞬の隙だった。尻をもろ狙う格好で片岡は一投、同時に横座りした羽飛。

「あいってえー、くそおー、まじでこれ痛えよ、ほんと」

 両手をぶら下げて、あっけに取られている片岡と、転がったボールを慌てて拾いにいく藤沖。勝負あり、みな拍手喝采と思いきやどうも消化不良のざわめきのみ。その後つけたしの拍手とホイッスルが鳴り響いた。

 強敵C組を下す勝利だった。

 決勝進出。

 ──といっても、結局勝ち抜き戦だがな。

 ホイッスルに従い、みな一列に並んで握手を交わしあった後、乙彦は不意に呼びかけられた。たまたま今度は顔を合わせたのが羽飛だった。

「関崎、お前運がいいよなあ」

「運だと?」

 負け惜しみだろうか。むっときて顔を見上げるが羽飛の表情にそのようなあくはない。

「さっき、美里に応援されてただろ?」

 頭の回転がすっと止まり、かたまった。気付いていないのか羽飛は、さっき握手した手をぶらぶらさせて白目を出してみせた。

「前から言われてるんだぞ。美里が応援したら、そいつの居るクラスは大抵勝つんだぞ。俺が中学の頃は美里がずっとクラスに居たから、結構勝負事は強かったんだがなあ。ちくしょう、あいつ俺を裏切りやがったぞ、あとでなんかおごらせてやらねばなあ」

「恐喝はよくない」

 乙彦は首を振った。

「たとえ一円でも、金をせびるのはよくないことだ」

「ああ?」

 あきれ顔で羽飛は乙彦の眼を見つめた。

「ジョークだってのに、なんでわかんねえの?」

「悪かった、気付かなかった」

「あのなあ関崎」

 何かを言いかけ、その拍子に羽飛の目が厳しく光ったのを見た。

「まあ、がんばれや、最強軍団、C組を倒したんだ。次は絶対、勝てよ!」

 肩をぽんぽん叩かれた後、同じくC組集団とからまりながら羽飛は自分のクラス席に戻っていった。


 ──なんで清坂が応援してくれたんだ?

 もちろん、その声が清坂美里だということは気付いていた。

 応援が嬉しくないわけはなかった。しかし、どこか足がもつれたのも事実。羽飛がのたまうように、「勝利の女神」の声には聞こえなかった。羽飛も幼なじみを贔屓目で見るのはいいが、少し勘違いしているのではないだろうか。

 もっとも、A組女子の応援もあまり目立たないものだったので、唯一の名指しコールに高ぶりを覚えたのも事実ではあるが。乙彦は振り返り、B組女子が集まって騒いでいる一角を探した。清坂美里の姿を探そうとした。やはりお礼をいう必要はあるだろう。また、あれだけ目立つ女子のことだ、おそらく次の試合では顔を合わせることになるだろう。少しもめていたようだが。

 乙彦が目を向けた先に、清坂美里はいた。

 ひとり、安座していた。

 なぜか、他の女子たちから離れていた。側にやってきて羽飛がなにやらちょっかいをかけ、叩く真似をしている。しかしその集まりにB組の女子はひとりも混じっていなかった。白い鉢巻を外し、ふくれっつらをして、

「関係ないでしょ! どうせ私、次は出られないんだから!」

 ポロシャツの裾をたらんと出したまま、また膝を抱えて羽飛を見上げ、何かを訴えていた。

 乙彦がそれ以上かかわる隙はなさそうだった。次に対戦するB組チームの様子を観察すべく視線を移したとたん、何かがぴんと鳴った。


 ──あの女子が、もしかして静内という人か。

 ストレートの長い髪の毛を耳より下にひとつ結わえ、前髪をきちんと横分けし、他の女子たちと微笑みながら語らっている女子がいた。顔は覚えていたが、さほどインパクトのあった女子ではなかった。オリエンテーションの時から何度も教室を同じくしていたはずなのだが記憶にあまり残らないというのは、そういうことなのだろう。

 しかし、半そでシャツ姿で、さらさらそよぐような笑顔を振りまいているその女子。

 他のB組女子たちがほっとするような顔でもって語りかけている。

 清坂美里を無視する格好に、どうしてもなってしまっている。

 二分割状態。違和感が第三者の乙彦からもありありと浮かんだ。

 ──清坂がやたらとこだわっている女子が、彼女か。

 見た目、とてもだがそんな気の強そうな、せっかくの親切をつき返す、そんな女子には見えなかった。ただ、清坂のかもし出す空気よりもストレートヘアの女子を取り巻く穏やかな雰囲気には少しだけ興味が持てた。

 ──確か、同じ外部生のはずだが。


「あの女子の名前、知っているか」

 藤沖を捕まえ、乙彦は小声で彼女の名を尋ねた。

「ああ、清坂のライバルだな。なかなか話のわかる賢い女子だ」

 なぜ知りたいかは言う必要もなかった。藤沖はすぐにその名を口にした。

「静内、菜種」


 ──しずない、なたね。

 

 一度聞けば、決して乙彦は忘れない。

「悪い」

 一言礼を伝え、乙彦はそれ以上の話を断ち切った。


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