高一・一学期 22
ゴールデンウイーク後の一年生宿泊研修の準備で、評議委員たちはやたらと忙しそうにしていた。藤沖、古川も席を温める間もなくあちらこちらに飛び回っていたし、放課後も他の委員たちと打ち合わせをしたりして、ほとんど乙彦と話をする時間はなかった。
もっとも乙彦も、補習と規律委員の打ち合わせなどで忙しかったし、詮索することも別に必要ないと思っていた。もっとも規律委員が宿泊研修で持つ役割は特にないらしく、今のところは出発前の持ち物検査およびその抜け道チェックについて相談するに留めていた。
そのあたりはすでに中学時規律委員長だった南雲が、準備万端整えていた。
「ま、そのあたりもうまく打ち合わせておいてもらえるとさ」
一応は規律委員の端くれではあるが、南雲からすると乙彦の存在はまだほんの石ころに過ぎないらしい。大抵の相談は同じ一年規律の東堂に持っていっているようだ。乙彦がかろうじて聞き知ることができたのは、頼みもしないのに清坂美里がいろいろ話をしてくれるからだ。
「南雲くんももっときちんと説明すればいいのに。ほんと、手抜きだよね」
「何が手抜きなのかよくわからないが」
生真面目に問い返すと、清坂は他の規律委員たちがいなくなったのを見計らい溜息をついた。
「関崎くんだって何がなんだかわかんないよね。私とかだったら元評議委員だからある程度わからなくもないけど。ほら、宿泊研修出発前の持ち物検査、あれ、先生たちからやるって言われているけれども、やはり禁止されてても持っていきたいものってあるじゃなあい?」
「なんだそれは」
現金を少し多めに持っていきなさいとかそういうことだろうか。
「何って、ほらお菓子とか、ね、あるでしょ。やっぱりそういうものあるよ。だからそのあたり、検査する規律委員の方で見逃すようにしなさいってことよ」
「そういうことか」
乙彦もそのあたり、話のわからない男ではないつもりだ。
中学時代、生活委員会の行う抜き打ち服装検査の予定をさりげなく流したりすることは、生徒会を経由していろいろ行われていた。もっとも乙彦は積極的に関わったつもりはなく、むしろ総田たちが動いていたようだが、あえて見て見ぬふりをしていた。
「そうなのよ。けど、そんなのはっきり言ってもらわなくっちゃわからないよね。私だってわかんないよ。関崎くんだって困るよね。規律委員だからきっちり検査をしなくちゃって思うし、でもそれだとまずいんでしょ。ほんっと、以心伝心要求しすぎ!」
何をぷんぷん怒っているのだろう。「ね、行こう」と乙彦の腕をつついた。
「東堂くんも南雲くんと仲いいからそれで通じているのかもしれないけど、他の子たちどうするのよ。ね、関崎くん、もし何かわからないことあったら聞いてよね」
「ああ、ありがとう」
できれば清坂美里には聞きたくない。そういう本音は押し隠した。
清坂の言うことはまんざら間違っていなくもない。
南雲が乙彦に対して若干冷ややかな視線を向けているのもなんとなくわかる。
──完全に価値観が違う奴だな。
轟琴音の一件ももちろんその一因だが、同じ店でバイトをしているというのにそのあたりの話題が全くない。お互いあえて顔を合わせないようにしているところもあるが、それにしても不自然なほど顔を見ようとしない。
もっとも附属上がりの連中はそんなところ無頓着、あまり気にすることもない。
むしろ清坂のようにいらいらしている内部生の方が一部らしかった。
乙彦は清坂と肩を並べて歩いた。規律委員会の後は基本として補習はない。やはりほっとするひと時でもあるのだが、いかんせん相手が女子というのに息が詰まるのを感じる。こういう時語り合うのはできれば、野郎同士でありたいと強く思う。
「評議委員会もそろそろ終わる頃だと思うが」
できれば古川こずえと一緒に帰る、とか言って離れてほしいと願うのだが、
「いいよ。評議なんて関係ないもん」
きっぱり答え、乙彦の後ろにつく。
「会えば会ったで話はするけどね、どうせ私は規律だから口出しするなって言われるのがおちよ。知ってる? うちのクラスの評議委員の子」
知らない。そのあたり、全く想像つかない。他の委員がらみ情報は、たぶん立村あたりに聞けば人物辞典のごとく教えてくれるのだろうが、そこまでする気もない。
「なんかね、頭に来る」
相槌は打たずにおいた。何かいらいらしているのだろうという気はするが、女子のおしゃべりはどこへ飛んでいくかわからない。聞き流しておくのが一番だ。
「関崎くん、聞いてる?」
「ああ」
でも耳から流しているつもりではいる。それでもしつこく清坂は語り始めた。
「知ってると思うよ。彼女、外部入学だもん。物凄く試験でいい点数取って入ったから、きっと周りからひいきされているんだと思うんだ。それにうちのクラス、女の先生でしょ。どうも私、嫌われちゃってるみたいなんだ。ほんと、あそこまで露骨に私を無視することないじゃないって思うよね」
──無視されてる?
古川からちらっと聞いたことはあるが、それほど興味を持てる内容ではなかった。
「委員を決める時だって、いきなり自分から立候補するんだよ! 外部生なんだからいきなりって大変だと思うし、だから私の方が自分から出たのにね」
「立候補するのに内部も外部も関係ないと思うが」
少しいらいらする。何様のつもりかと問いたくなる。まるで乙彦が外部生のくせに規律委員に立候補してしまったのが悪いかのようだ。
「関崎くんは規律だからまだいいよ。基本としてね、青大附属の評議委員は外部の人がいきなり参加して理解できるようなもんじゃないと思うんだよね。もちろんやりたいってことだったらそれはそれでいいけど、せめて後期からとか、そう思うよね。。なのに、いきなりよ。いきなり立候補して」
悔しそうに唇をかんでいた。悪いが同情できない。その外部生がどういう女子なのか、全く記憶にないがおそらく乙彦と同じように素早く青大附属に慣れたかったのだろう。その努力こそ認めこそすれ、罵倒する気はさらさらない。
「だが、正当な多数決で選んだのならそれはそれで覚悟があるはずだ」
「それがね、違うの!」
清坂はまたきっと言い返した。
「うちのクラス、なんかわかんないけど私のこと嫌いな女子ばっかり集まってるの。ほんと、今思いっきり孤独かもね。もちろん私だって悪いとこあったかもしれないけど、何もね、露骨に女子みんなが彼女に挙手するなんて、思ってもみなかったわよ。男子はいい奴多いし、話もできるけど、なんでよりによってあんなクラスに私、押し込まれなくちゃなんなかったの?って言いたいよ。まあなんとか規律委員にもぐりこめたからよかったけど」
すのこで靴を履き替える間やっと離れることができた。乙彦は生徒玄関前に広がる赤紫の夕日を眺めながら、首を振った。言葉は出さずに置いた。
──女子のやっかみは面倒だ。
清坂美里に対しての本音だった。
確かに清坂は休み時間しょっちゅう古川を訪ねてA組の教室に居座っている。
単に古川と仲が良かっただけだろうと安直に考えていたのだが、今の話を聞く限りかなりきつい状況に置かれているようで驚いた。
また、今も付き合っているのかどうか不明だが、立村にもそれなりに声をかけている。時折一緒に帰ることもあるのだろうし、険悪な関係ではないのだろう。
自分のクラスにいたがらない理由は今の話でわからなくもないのだが、
──そんな居づらいクラスの評議委員なんかやらなくてよかったとでも思えないのか?
そう思ってしまう。
むしろ規律委員を背負わされてしまった方が悲惨だと、思わなかったのだろうか。
最初から立村のように委員を避けるという手もあっただろうに。清坂の言い分を聞いている限りどうも、自分が選ばれなかったことへの憤りというよりも八つ当たりのように思えてくる。もちろん評議委員を中学時代しっかり勤めてきたのだし、次回もぜひという気持ちはわからなくもない。しかし、選出したのがクラスの意志である限り、それは素直に応援すべきではないだろうか。それが潔い態度だろう。
──それにだ。
なぜ乙彦にそんなことを訴えるのだろう?
──俺になんでそうも話し掛けるんだ?
立村繋がりというのはわからなくもないが、いきなり他クラスの清坂が自宅まで見舞いにやってきたのも不可解である。規律委員だからといえばそれまでだが、連絡関係だったら休み明けでも構わないわけだし、ずいぶんと過剰な言動である。
──別にそれはそれでかまわないんだが、けどな。
どうもこの清坂美里という女子、乙彦にはつかみかねるキャラクターの持ち主だ。
とにかく今は、清坂が何か言葉を求めているのだから、それにふさわしいことを言う必要がある。乙彦は息を鼻から噴いた後、きっぱり告げた。
「クラスの意志なんだ、それを受け入れて潔く協力するのが当然じゃないのか」
清坂は立ち止まり、はっきりとした不服の意志をほおいっぱいに膨らませた。
明らかにご機嫌を損ねたようだが、別に清坂がどう思おうと乙彦には関係ない。自分なりの冷静な判断を告げただけである。
「関崎くん、きっとうちのクラスの状況知らないんだよね」
「知っていようがいまいが、今の話を聞けば誰でもそう思うんじゃないのか」
「冷たいこというね」
「冷たくはないと思うが。規律委員に選ばれたことを誇りに思えばいいだけだ」
面倒だが、あたりまえのことを告げる。
「そりゃあ、そうよね。そうだけど」
むくれたまま清坂は、それでも首を軽く振ってつっかかってきた。
「だけど、クラスの女子たちが総出で私に嫌がらせするってのはどうかと思わない? そりゃ私だって、あまり性格よくないかもしれないけど、せっかく協力したいと申し出たのに断るなんて、それ変だと思わない?」
このあたりは仔細を聞かないことには判断できない。乙彦は黙って頷き促した。
「つまりね、私ができるだけ協力したいなって思って、評議委員ってのはこういうことなんだって説明したりするじゃない? たとえばね、まず先輩たちと仲良くしなくちゃいけないから挨拶しなくちゃとか、他の評議の人たちに紹介とかね。けどそんな必要ないって言い張るのよ! せっかく、私がね!」
──ありがた迷惑だから断っただけじゃないのか?
乙彦は遮った。
「余計なお世話だろう。俺もそうだが、自分で少しずつ覚えていく方が無駄がない」
「けど、青大附属なのよ! 青大附属って公立と違うんだから」
「違うかどうかはそいつが判断することだろう」」
要は清坂、自分が蚊帳の外に置かれたのが悔しくてならないだけではないのか。もちろんわからないわけではないのだが相手からしたらたまったもんじゃないだろう。
「よくわからないが俺としては、清坂には同情できないが」
「同情してほしいんじゃなくって!」
さらにぶんむくれる清坂、どうやって離れればいいかわからない。こういう場合のあしらい方を乙彦は学んでいなかった。第一、そこまでしつこく言い募る女子と今までこうやって話したことなんてなかったから。
──とにかくなんとか離れよう。
できれば古川あたり……清坂とわりと仲のよい女子……とすれ違えればベストだが、そんな偶然を頼むわけにもいかないだろう。
「こういう話は俺ではなく、もっと親しい相手と話すべきだ」
もう一度きっぱりと告げた。
「なんで俺にそういうことを話したがるのかわからないし、共感を求められても非常に困る」
「ただ聞いてくれればいいだけなのに!」
「俺はその女子評議がそんなにまずいことをしたとは思えないんだが」
外部生だから、なおさらに、とは言わずにおいた。
「ひどい、なんで? なんでそんないやな言い方するのよ!」
「傷つけたら申し訳ない。だが俺は」
「まるで立村くんみたいな言い方するね! もういい、知らない!」
──どこが立村に似てるんだ?
少々問い返したい気もないわけではないが、止める気もなかった。清坂美里はもう一度乙彦をにらみ返してものすごいスピードで校門まで駆け抜けていった。たぶん乙彦が本気出して走らない限り追いつけないくらいにだった。女子にしては足が速い。
──評議になれなかったんだったらその段階で諦めて、運動部に入ればよかったんじゃないか。
全く関係ないことをふと思った。
同時に覚悟した。
──このままで終わるわけがないだろうな。
清坂の言い分が不愉快とは思わない。思わないが、少し感情的になりすぎているのではないか。要は乙彦の言いたいことはそれだけである。
クラスで本当は評議委員に選ばれたかったのに、クラスの同意を得られなかった。その事実を受け止め切れていないのだろう。その一方で、なんとかして自分を評議委員と同格に位置付けたい、そう思う一心で現評議の彼女にアプローチし、あっさり撥ねられる。これもわからないことではない。
乙彦も、もし藤沖の言動に裏表を感じていたとしたら同じことをしたに違いない。かなり鬱陶しく思う時もある。だがあえて何も言わないですんだのは藤沖のおめでたき勘違い男たるところにあったのだろう。少なくとも藤沖は乙彦をねたんではいないのがよく伝わってくる。
屈辱だろうがその事実を受け止め、真っ直ぐ歩いていく。
──水野さんのように。
どうも最近、忘れかけていた水野五月のお下げ髪が頭の中にちらついてならない。
ほんのささいなことがきっかけですぐに浮かび上がる。
今の清坂美里の言葉にしても、また先日青潟市郷土資料館で顔を合わせた佐賀はるみの髪型ひとつにしても。
ちらちらしてついいらだってしまう。おそらく、水野五月本人だとしたら全くそれは感じないのかもしれないが。わけがわからなかった。
──だが古川あたりが黙ってないだろうな。
女子の場合親友に愚痴をこぼしあうのが常識である。
古川こずえが清坂美里の場合、対象だろう。
しかも古川は我がA組の下ネタ女王ときた。次の日あたり古川からたんまりとお叱りを受けるのは目に見えている。下手したら第二の女子の敵になってしまう可能性だってある。轟琴音の事件が乙彦の失言にあったと知られても幸い、他の女子たちはたいして反応することもなかったが清坂の場合はそうもいかないだろう。きっと顰蹙を買うに違いない。言い訳をするつもりはないが、面倒だ。
乙彦は自転車置き場に向かった。すでに清坂の姿はなかった。自転車置き場に寄らずに校門を出たということは、バスで帰ったのだろう。
──明日、謝っておく必要はあるかもな。
傷つけたことについては謝るつもりでいた。
自転車を漕ぎながら第一の曲がり角でハンドルを切った時、向こう側からいきなり大声で声をかけられた。思わず急ブレーキ、歩道につんのめりそうになる。振り返るとやはり予想通りの女子がいた。
──こんなに早く現れるかよ。
絶句するしかなかった。
「関崎、あんた人の恋路邪魔してどうすんの」
──頼むからそんなどでかい声で叫ばないでくれ。
こういう相手には同じように言い返すしかない。
「誰の恋路を邪魔したというんだ」
すれ違うバスの中から誰かが窓を開けて見下ろし、指差して笑っているのがちらと見えた。
気付いてないのか古川こずえは、さらに声を張り上げた。
「もちろん、私と羽飛に決まってるじゃないのさ!」
──なんでだ?
頭の回転が一瞬凍りつく。その間に古川は自転車用の横断歩道を素早く渡りきり、いきなり乙彦の頭を平手ではたいた。もちろん本気ではない。髪の毛がばさりと揺れる程度だった。
「あんたねえ、なんで美里を泣かしたわけ」
「泣いていたのか?」
怒ってはいたと思うが、涙は想像外だった。古川も唇を尖らせ、肩をがっしりつかみながら続けた。
「しょうがないから、美里は羽飛に預けてきたわよ」
「預ける?」
ほら、あぶない。早く歩道に上がりなさいよ、そう言いながら古川は乙彦に手招きし、
「まずは降りなさいよね。あんた、いったい何やらかしたわけ」
「やらかした、というわけではないが」
意見は言ったが、「やらかし」てはいないはずだ。だが女子の観念は理解できないので判断しがたい。古川はいつもの調子でまくし立てた。もう一ヶ月、慣れている。こちらの態度はまだ余裕で受け止められる。
「まず自転車から降りて、その辺でまず話を聞こうじゃないの。もうねえ、せっかく私だって羽飛とふたりっきりラブラブ帰り道楽しんでたのに、いきなり美里に飛びつかれて泣かれたらしょうがないじゃないの。美里の面倒見るのはひとりしかいないじゃないの。しかたないから私が抜けてきたわけよ」
──面倒見るって、どういうことだ?
「あんた前私が話したこと覚えてないでしょ。美里と羽飛はね」
言いかけたことを、乙彦はすぐに遮り言い切った。忘れているわけなんてない。
「性別を越えた大親友なんだろう。この前古川から聞いた」
──俺の記憶力を疑うなというんだ。
「だからよ。あのふたり、限りなく夫婦に近い親友なもんだから、私じゃ手に負えないの。あーあ、関崎、あんた私にジュース一本くらいおごりなさいよ。苦学生だって百円玉ひとつくらい、持ってるでしょ!」
予想していることは、想像を絶するほど早く実現する。
──もう一度説明するしかないか。
乙彦はポケットから黒い小銭入れを取り出した。四百円入っていた。
「学食行こう。あそこだったら七十円で飲めるからさ」
舌打ちしつつ、それでも古川はあっけらかんと自転車の方向を学校に向け直した。
古川相手に事の起こりを説明する方が、清坂の慰め役に回ってしまった羽飛より楽だろう。
──とりあえずは、百円の缶コーヒーをおごるとしよう。