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高一・一学期 13

 委員選出のあと、中途半端に数学の授業が一コマ入り、そのまま流れて委員会へと続く。

「いきなりだが、まあがんばれ」

 藤沖に肩を叩かれ、乙彦は大きく息を吐いた。

「規律の面子を見る限りだと、思ったよりも附中で委員をやっていた奴が少ないようだ。もちろん南雲は委員長だし外せないとしても、ほとんど初対面ののりでいけるだろう」

 ──やはり見たんだな。

 乙彦が立村から受け取った、「一年全クラス分委員名簿」を見ないことにはその科白は出ないだろう。確か古川こずえが手にしていたのは見たはずだが、決して立村とよい関係とはいえない藤沖が、どうして知っているのだろう。

「いきなりハブにされるようなことはない。安心しろ」

「いや、心配はしていないが」

 妙に過保護なのりの藤沖に、若干じりじりする気持ちがないわけでもない。そんなの無視しいて藤沖は腕時計を覗き込んだ。

「わからないことがあればまた明日にでも聞いてくれ。たぶん今日の委員会は自己紹介と委員長選出だけで終わるだろう。二、三年でその辺は片付けてくれるはずだ」

 ──もちろん、ろくすっぽわからない一年が立候補するとは思っていないが。

 聞いてもいないことを藤沖は朗々と述べ立てた。

「ところで委員会が終わってからは、暇か?」

「暇なわけがない。補習があるに決まっている」

「いや、今日は特別にないはずだ」

 聞いていなかった。てっきり準備万端整えて補習のつもりできたのだが。もちろん休みなら嬉しいが、顔には出したくない。藤沖はそしらぬ顔で続けた。

「青大附属において、委員会活動はいろいろあるにしても、やはりメインになるところではあるだろう。特に初対面の時にはな。念のため、俺が聞いといてやろう。どちらにしても終わったら1Aの教室で待ち合わせよう。いろいろ語るべきところもある」

 ところどころ硬い表現を混ぜつつも、基本はフレンドリー、かつ強引。

 まだちりちり言う心奥のほつれを押さえつつ、乙彦は片手を挙げて教室を出た。


 ──それにしても、藤沖はなぜ、やたらと俺に構ってくるのか。

 男子の友情として、これは珍しい形である。

 大抵の男子はつかず離れず、適度な温度を保ちつつ、遊び感覚で繋がっていき、時折本音をもらしたりもするにしても、相手の面倒を見たがることはそうそうなかった。例外として乙彦には、弟分の雅弘がいたからそれなりに気遣いはしてきたつもりだが、自分の性格として雅弘的側面はないはずだ。なぜ藤沖がいろいろと先回りするのか、そのわけがわからない。

 もちろんそんなことはたいしたことでもないし、未知の世界である青大附属の道先案内人として感謝するべきところもあるのだが。だが、なんとなく。

 ──俺ひとりでも問題ない場面だってあるだろうに。

 青大附属に入学し、少なくとも男子連中とは慣れた。補習の関係もあって、先生たちからも覚えがよいように感じている。しかし、藤沖が乙彦に対する接し方はどうも、「弟分」の匂いがしていけすかない。

 ──まあいい。はっきり言っておく機会もあるだろう。

 乙彦は廊下の右通路ど真ん中をつっきっていった。規律委員会は三年B組の教室で行われるのだと聞いていた。

 しかし、南雲が一緒なのか。

 こちらの方がかなり、重たい。

 

 先日、轟琴音を挟む形でやりあった後、気まずさもないわけではなかったが、「みつや書店」のおばあさんがうまく間を取り持ってくれたのでそれ以上のぶつかり合いはせずにすんだ。なぜかおばあさんの前では言いたいこともしっかり飲み込み、ただ愛想のよいところだけ見せていたようだし、轟ももらうものをもらった後はさっさと店から出て行ってしまったし。乙彦ひとりがヒートアップして間抜けな気持ちになっただけだった。 

 規律委員で一緒になるとわかっていたら、ああいう出会いもせずにすんだだろう。

 運の悪いことだ。

 しかも南雲という奴が、

 ──第一印象で人間性を決めるのもおこがましいとは思うのだが。

 どうも、軽い。見た目が芸能人っぽくみえるとか、やたらと髪の毛を癖つけているとか、なんとなく男子の汗ではない香りが漂うとか、どこを取っても乙彦に相容れられる要素はない。ライバル比較で言えばあの総田幸信でさえも「硬派」に映ってしまう。できれば、付き合いはしたくないタイプである。

 だがどちらにしても、バイト先および規律委員会で顔を合わせることになったのはしかたあるまい。嫌なのはお互い様だろう。早いうちに、埋め合わせる必要がある。

 ──喧嘩を売ったのは俺の方だし、むかつくが俺が頭を下げるしかないだろう。

 どんなに価値観が違っていたとしても、三年間それなりに付き合っていくわけだ。

 間違っていることはこちらから正す。どんなに痛くても、乙彦の主義は通さざるを得ない。

 ──その上で、また話を持っていけばいい。

 なんだか胃の重たくなる結論ではあるが、出てしまえばすっきりした。乙彦は三年教室に向かい階段を昇っていった。踊り場の窓からは、春らしく桜の枝がつぼみだけつけて張り付いている様子が窺い知れた。まだ満開まで、時間はかかりそうだった。


「関崎くんも規律委員なんだね。一緒に入ろうよ」

 廊下で数人、他学年の集団が固まっているのを横目に窓辺へ立ちんぼうしていたら、声をかけられた。知っている顔ではあった。清坂さんだ。会釈した。

「立村くんから聞いてるよ。よろしくね。私も規律初めてだから、正直どうなるかわかんないんだけどね」

「立村から聞いたってどういうことだ」

 清坂さんはつややかな髪の毛を両脇耳にかけながら答えた。

「それぞれのクラス委員が決まった後、立村くんがすぐに全クラス調べてくれたんだ。それで、私も名簿もらったの。ほら」

 見ると、乙彦のもらったものと同じ、走り書きのレポート用紙だった。立村はコピーして主だった奴に配っていたということか。

「俺ももらったが」

「やっぱりね」

 にっこり笑った。あっさり答えられたので、乙彦も次に言葉が見つからない。

「立村くん、きっとすぐにみんなを安心させたかったんだなって思うな」

「安心させる?」

 ますます意味が理解できない。女子はいつもわけのわからないことを言うものだと改めて認識はしているけれども、慣れることがどうしてもできない。それに清坂さんといえば、いろいろ立村と何かがあったはずだ。詳しいことは古川からしか聞いていないので判断しかねるところもあるが。そんなにあっさりと友だちとして答えられるものなのだろうか。

 清坂はすっと目をそらした。俯き加減で笑みだけは滲ませるようにして呟いた。

「ほら、立村くんってふつうの人より、感じすぎるところがあるでしょ」

「よくわからないが」

「私たちにとってはたかがそのくらいのこと、ですんでしまうことを、立村くんは大変なことだと感じてしまうみたいなんだ。私、本当はよくわかんないんだけど。きっとね、いきなりわけのわからない委員にあてがわれてしまった人たちのこと、考えてたまらなくなったんだと思うんだ。だからあんなに急いで調べて、作ってくれたんだと思うのよ」

 改めて清坂の手に残る手作り名簿へと目を落とした。

「五時間目が終わってからね、すぐ立村くん、B組に来てくれたんだ」

 全く変わらない爽やかな口調だった。

「たぶん私が評議になると思ってたみたいでね。規律になるって聞いたとたん絶句してた。立村くん、考えていること全部顔に出るからね。でもすぐに、A組の規律委員が関崎くんだから大丈夫だよって言ってくれたんだ」

「あいつがか?」

 どこがだろう? もちろん、水鳥中学生徒会副会長としての仕事振りを評価してくれたとすればありがたく受け取りたいところだが。乙彦は戸惑いながら耳を傾けた。

「それからすぐC組とD組に行っていろいろ調べてくれたの。まあ、C組の評議が貴史だったのはねわからなくもないけど。しょうがないかあ。C組には天羽くんだっているのに、差し置いて評議だなんてね」

「天羽? そういえば天羽は後期評議委員長だったんじゃ」

 言いかけると、清坂美里は頷いた。

「そうよ。天羽くんも規律に出たかったらしいけど、元規律委員長だった南雲くんがいる以上はしかたないよね。似合わないけどなぜか体育委員に回ったみたい。似合わないよね」

 曲がりなりにも、元委員長クラスの男子はそれなりの委員職についたようだ。全く聞いていないし知らない名前だらけだというのに、清坂はさらに続ける。

「それと、美化委員が更科くんで、音楽委員がなぜか難波くん。C組になんで評議委員が固められちゃったんだろうって不思議に思うんだけど、なんか、らしくない委員をおしつけあってるみたいで笑っちゃうよね」

 名前を出されてはじめて気付いた。そうだった。天羽をはじめ、更科、難波、みな評議委員として交流会に顔を出していたはずだ。

「だがなぜ、立村はどこにももぐりこめなかったんだ?」

「わかんない。出たくなかったのよ、最初から」

 あっさりと清坂は流した。おしゃべりなくせに女子は、肝心要のところをちっとも言おうとしない。消化不良で胃がぐるぐるするようだった。

「関崎くんと組になってるのって、堤さんでしょう? 私、あまりよくわかんないんだけど附属上がりの子はみな委員がどういうものか知ってるはずだから、関崎くんは心配しないでいいよ」

「そんな不安はないが、だが」

 相当、頼りなさげに見えるのだろうか。藤沖にしろ清坂にしろ、ずいぶんな言い方をするものだ。全く気付いていないのも女子特有のくせなのだろう。

 黙った後、清坂はきょろきょろと周囲を見渡し、そそくさとC組の前で手招きしている男子の側に寄っていった。見ると、乙彦と同じくらいの背丈で若干前髪を残してあとはスポーツ刈りの男子が突っ立っていた。見たことのない奴だ。

「美里なあ、なにしくじったんだよ」

 いきなり名前で呼んでいる。しかも額をこつっと指でつついている。かなりなれなれしい態度である。清坂も払いながら片足でそいつの足を踏んづけている。

「しくじってなんかないわよ。しょうがないじゃないの。あとで説明するわよ。とりあえず評議委員がんばってよね。あの天羽くんを差し置いてなったんだからね」

 乙彦から一メートルくらいしか離れていない。声はまる聞こえだ。もっと声を潜める内容じゃないだろうかと思わずにはいられないが、耳を澄ましてしまう内容でもある。

「しゃあねえだろ。まあ天羽とは一騎打ちだったけどなあ」

「琴音ちゃんと組なんだもんね。まあ、やりたいようにやれば」

「冗談じゃねえよ。俺だって美術部入らねばなんねえし」

 いきなりけたたましく笑う清坂、何度も手を打って最後にそいつの肩を叩きつづけた。背伸び加減で不安定、バランスを崩しそうになっている。

「あんたが美術部? 似合わないったらないわよね。あ、そうそう、A組はこずえだよ、あと藤沖くん」

 そう言ったところでひょいと清坂が振り返った。ちらちら様子を伺っていたのを気付かれていたのかもしれない。清坂と一緒にしゃべっている男子も乙彦に向かい、「よお」と片手を挙げた。

「知ってるでしょ。水鳥中学の関崎くん」

「ああ、立村の言ってた」

 ここまで紹介されたのならば、自分でもきっちり挨拶せねばならないだろう。礼儀だ。乙彦はあらためて向かい合うと、そいつと同じく片手を挙げた。

「関崎というが、これからもよろしく」

 なんだか硬い口調になってしまったが、そいつはあっさり笑顔で頷いた。

「立村から聞いてる。心配すんな。それはそうと、あいつどうしてる?」

 声を潜めたとたん、いきなり後ろからすっとんきょうな声がかかった。

「はーとばー! 早く教室、入りな。委員会、始まっちゃうよ!」

 ──古川の声だ。

 聞きなれた噂の「下ネタ女王」の声。同時にそいつの名前があの、羽飛だということも改めて認識し直した。

「今から行くからそう騒ぐなよなあ」

 頭をかきながらもまんざらではない様子で、羽飛はもう一度乙彦に「じゃ、また」と声をかけた。清坂がC組の扉に目を遣っているすきをねらい、ひょいと頭をはたくようにして羽飛は反対側の扉からもぐりこんでいった。


 ──こいつが古川の、いわくの奴か。

 からかう気はなかった。ただ、少しだけ古川こずえにいたわりの念が沸いた。

 ──あれだったらもう、勝ち目、ないな。

 乙彦もあまり恋愛沙汰に詳しいほうではない。だがどう見ても羽飛の態度は清坂に気のあるものとしか思えなかった。諦めたい気持ちも、わからなくはない。


「さ、私たちも入ろうよ」

「いいのか?」

 それには答えず清坂はさっさと乙彦の腕を取りひっぱっていった。さっき羽飛とやたらべたべたしているのが目についたのだが、どうやらこの女子は男子誰にでもそういう接し方をするようだ。思わず払った。振り返った清坂の目が引きつった。

「どうしたのよ」

「あまり触るのは誤解を招くだろう」

「え? なんで?」

「いや、なんでもないが」

 どう説明すればいいのだろう。男子の視点からすると羽飛の態度はかなりなれなれしすぎる。幼なじみだから仲がいいと決め付けるのは危険だが、たぶんたいして考えてはいないのだろう。しかし、まだ顔を合わせて数回の……もちろん立村の元つきあい相手だったというのもあるだろうが……女子に対して、乙彦がそこまでしたいとも思えない。

「ふうん、変なの。とにかく、これから同じ委員なんだから、よろしくね」

 あっさり引き下がり、清坂はすでに席についていた他の女子たちと話をし始めた。それなりに顔見知りもいるのだろう。二年、三年は女子のみ全員揃っているようすだったが、男子はまだほとんど来ていなかった。一年C組規律委員の南雲も、まだだった。


 ──やはり、南雲には謝らないとまずいだろう。

 二席後ろを振り返り、乙彦はまず心積もりをした。

 轟さんの件については久田さんも納得済みで、かえって褒められた。しかしながらやはり偉いのは店主。さからえないのだからあきらめよ、とのお言葉を賜った。つまり、負けは乙彦の方だと割り切りなさいという判決だった。

 正直悔しくないわけがない。

 だが、ここできちんと頭を下げておかないとこれから三年間、卑屈な思いでアルバイトを続けねばならなくなるだろう。規律委員として半年一緒に働くのも何かの縁だ。これは自分からきちんと向きあっておかねばなるまい。

 隣の席で無言のまま本を読んでいる堤さんに目をやった。

 英語科の同級生でありながら、今まで一度も話をしたことがなかった。かなり大人しそうな女子という印象はあるのだが、見た目が大雑把な感じがして、ちょっととっつきにくそうに見えた。うまくいえないのだが、女子特有のしゃれっけがないといえばいいのだろうか。髪の毛をひとつにまとめているけれども、ほつれ毛がぼさぼさしているとか、それなりにきちんと制服を着ているのだが、なぜかブレザーのボタンが互い違いになっているとか、ブラウスはちゃんとアイロンがかかっているのだが、覗いた襟ぐりには汚れがびっちりついているのが見えるとか。ぱっと見た目ではわからないだらしなさを感じる女子だった。必然、話をするきっかけもない。

 ──だが、委員である以上、きちんと挨拶をしておいたほうがいいだろうな。

 タイミングがつかめず、それも後回しにしておいた。

「関崎くん、どう思う?」 

 斜めひとつ後ろから、清坂が声をかけてきた。堤さんを差し置く形で乙彦も振り返った。B組の清坂と比べてみるとやはり、女子っぽさの匂いが違うと感じる。髪のゆれる際の輝き方がその差だろうか。それとも時折漂う花のような香りだろうか。

「なにが?」

「委員会にしては、静かだと思わない?」

 また意味不明の言葉を発している。B組隣の席にいる男子にも同じように相槌を求めた。

「だって、二年も三年も、みな、しーんと黙ってるよ。委員会なんだからもっとしゃべったっていいのにね!」

 隣の席の男子が両腕を組みうーんと唸る。首を振った。

「いや、そんなもんだろ。もっともまだ、真打が来てないからなあ」

「東堂くんも言うね」

 ──B組規律は東堂というのか。

 頭にひとりずつ名前を組み込んでいき、乙彦は真後ろの男子に挨拶代わりの頷きを返した。相手も乙彦に「噂は聞いてますぜ」とさらっと答えた。特に目立つことをしたつもりはないのだが、いつのまにか情報は他クラスにも流れているということなのだろう。立村経由なのだろうか。それとも清坂、藤沖、古川経由だろうか。黒ぶち眼鏡がど真面目なのかそれともコメディアンなのかわからない中途半端な顔立ちの男子は、清坂に答えた。

「ここだけの話、奴が目当てだろ。規律を選んだ女子のほとんどはなあ」

「まあね」

「奴が入ってきたらすげえ騒ぎになるぞこりゃ」

「想像はつくわよ。でも無理なのにね」

 清坂の声はいつのまにか小声にちぢこまっていった。

 ──そんなに騒ぎになるようなことなのか?

 乙彦の疑問は次の瞬間、あっさり氷解した。


「遅くなってすいません、どうも」

 後ろの扉をそっと押して入ってきたとたん、二年と三年の女子一同が一気に振り返った。そおっと足音忍ばせて入りたかったのだろうがそうは問屋が卸さない。まだ顧問の先生が来ていないのが救いだ。乙彦は思いっきり身体をひねった。目と目が合った。無視というほどではないが、すぐに逸らされた。

「早く座れ、ほら」

 後ろの東堂が手招きするのに、鮮やかな笑顔で片手を挙げる。どうも附属上がりの連中は、挨拶として右手を挙げるのが癖らしい。と同時にすっすと一年男子の並ぶ席に向かい鞄をすとんと置いた。少し茶色っぽい髪型は、いかにも美容院でやっていただきましたという雰囲気で飾られていたし、ネクタイも心持緩んでいる。それでいて汚らしさがない。乙彦の隣に座っていてやはり南雲を食い入るように見つめている堤さんと着くずし方はさほど変わらないのだが、だらしなさがぎりぎり見えないのはさすがとしか言いようがない。

 すぐに席につくかと思いきや、先頭、一年A組、乙彦の脇に立った。思わず立ち上がった。向こうからわざわざ足を運んでくれたのならば、すぐに頭を下げればいい。運がよかった。感謝だ。


「南雲、この前は、申し訳ない」

 いいかげんなあやまり方をしたくなかった。顔をしっかと見つめ、乙彦は頭を下げた。九十度、しっかり腹までまげて礼をした。二年方向からまたざわめきが聞こえた。

「どうしたの関崎くん」

 清坂が問うのを無視し、乙彦は続けた。目の前の南雲は口を丸く開け、きょとんとしたまま突っ立っている。

「いきなりつっかかったことについては、俺も反省している。これからも同じ仕事をする者同士、よろしく頼む」

 これでよかったのか? 言い方がまずかったのか?

 南雲は首をひねるようにして、次にきょろきょろと周囲を見渡した。耳元で、

「悪いけど、俺に謝るよりも、轟さんに頭下げておいたほうがいいと思うなあ」

「は?」

 後ろの東堂が聞き耳を立てているのも構わず、南雲は乙彦の肩に手を当て、無理やり椅子に押し戻した。男としては小声だが、おそらく隣の堤さん、および清坂、当然東堂にも聞こえていただろう。

 次の言葉に、乙彦は絶句した。


「どうもね、あのことがきっかけで、轟さん奨学生から外されたらしいからさ。詳しいことよくわかんないけど、世の中、壁に耳有り障子に目有り、ほんと大変だから、気をつけたほういいと思うよ。俺も人のこと、言えないけどさ」


 南雲はそれだけ言うとそそくさと自席に戻っていった。

 ──奨学生から、あの女子が、外された?

 慌てて南雲に東堂が仔細を聞きだそうとしている。斜め後ろの清坂も同じく。それにまた聞き耳を立てているのが見え見えの堤さんがいた。一年附属上がりの生徒たちの興味とは反対に乙彦は、南雲の言葉に何が意味されているのかを探っていた。

 ──それと、俺と、どう、関係あるんだ?

 わからない。答えが見つかる前に、教室前扉が開き顧問の先生が入ってきた。

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