高一・一学期 12
「よお、来週さあ、FMヤング広場の公開録音があるんだってさ」
「へえ、じゃあ行ってみっか。藤沖、関崎、お前らも来るか?」
藤沖はちらと乙彦を見やると、首を振った。いつものようなぶっきらぼうな言い方で、
「そろそろ俺も準備すべきことがあるからな」
「そうかそうか、そろそろなあ」
みな納得顔で頷いているところを見ると、それなりの何かがあるのかもしれなかった。乙彦に水を向けたそうな雰囲気なので、改めて答えた。
「悪い、俺も放課後例の如く、バイトがある」
「苦学生、がんばれよ」
ぽんぽんと肩を叩かれるのも、今はそれほど痛くなかった。
「俺もバイトやりてえよなあ。いいな関崎。学校からも親からも自由じゃんか」
入学後一週間、もう誰も乙彦を「外部のお客さん」として見る奴はいなかった。
カレンダーで数えると入学後七日分埋まっている計算となるが、乙彦からするとすでに半年以上は経っている感覚がある。クラスメートとの交流も、また毎朝のアルバイトも、放課後の補習も。はるか前から続いているような気がしていた。
──思ったよりもなんとかなるものだ。
人数が少ないことと、英語科という特殊性もあり、殆どのクラスメートと会話は交わしていた。藤沖を中心とするグループに属する形となり、自然、他クラス方面からの連中とも顔合わせも行われた。それなりに乙彦の噂は流れていたようで、特に「はじめまして」の挨拶も必要なく会話に組み込まれていった。
もっとも、話といえば、他愛のないものだ。
──青大附属といえども、みな中身は同じだ。
テレビ番組やらラジオの公開録画やら、そのあたりの情報を交換しつつ、時間が合えば一緒に出かけようと誘う、まずはそんな感じだった。女子たちがいなくなると、もう少し裏に入った情報も交換することになるけれども、それも中学時代とほぼ変わらない。青大附属の生徒だからといって極端にきわどくなることもなく、みなさらりと流している。感心した。
──誰もが誰も、総田のような女好きではないということだ。
「関崎、お前結局、部活はしないのか」
昼休み、たまたま給食食器を給食室に運んだ際、着いてきた藤沖に問われた。
わかりきったことだ。答えは一つである。
「時間がない」
「そうか」
「かわりに規律委員会に入るつもりなのでそれでいいとは思っている」
藤沖は頷きつつ、一緒にぶら下げてきた給食バケツをガラス越しに置いた。
「やはり立候補するか」
「そうすることに決めた」
てっきりすぐに委員選出を行うものかと思っていたのだが、一週間しっかり間を置いているのが疑問だった。古川こずえによれば、
「かなり前から評議委員が私と藤沖ってのは決まってたのよ」
との話だし、藤沖からも入学前からしょっちゅう、
「お前は規律に行った方がいい。生真面目な奴だからな」
とアドバイスを受けていた。正直どんなものだろうか、と迷いがないわけではないのだが、それはそれできっかけとして面白いだろうとは思う。制服の乱れを細かくチェックしたりするのは正直、性に合わない。だが部活動が出来ない以上しかたない。
「それでだが、後の委員はどうなるんだ」
「もう出来レース状態だ」
藤沖は片腕をぐるりと回し、肩をもんだ。
「お前が規律をやることになれば、あとはみな、自動的に納まる。評議、規律、美化、音楽、それと体育と保健か。状況によって学校祭関連の委員が出てくるかもしれないがそれはその時考えればいいだろう」
「そうだな、確かに」
なかなか切り出せず迷った。乙彦の知りたいことはもうひとつあって、どうやらそれは禁句になっているようだった。
「これからロングホームルームだが、俺のやりたいようにやらせてもらえればいい」
藤沖はあっさりと言ってのけた。
「誰も文句は言うまい。ましてや関崎に関してはな」
──なんだか妙な感じだ。
日々思う。こんなに自分が好意的に受け入れられた経験は数少ない。
水鳥中学時代はいつも、「あの糞真面目生徒会副会長が」と蔑まれ、比較されるとすれば大抵あの総田とで「総田先輩は話がわかるのにあのシーラカンス関崎は」と顔をしかめられる。てっきりその状況が青大附属に進学してからも続くのではと危惧していた。
たまたま、藤沖のチームに紛れ込めたからという部分もあるのだろう。
また、乙彦が開き直って自分をさらけ出すのが早かったせいもあるのだろう。
今のところ、自分の判断は間違っていないようだった。
──ばれて困るものなどひとつもない。だったらまるごとさらけ出してよし。
──俺は、嘘といんちきは嫌いだ。正々堂々と勝負に出る。
自分とは別世界の部分もないわけではない……経済事情などは特に……が、精神的な要素においてはどうやら、彼ら彼女らとは波長が合いそうな気がしていた。
「藤沖、それでひとつ聞きたいんだが」
口に出そうとしたが、藤沖に遮られた。
「悪い、後にしてくれ。これから俺は職員室に用がある」
聞いてもいないのにわざわざ注釈までつけて。
「応援団結成の手続きについて、これから確認しないとならないんだ」
そういえばさっきも、藤沖は「準備すべきことがある」などと口にしていた。
「応援団か」
「詳しくはまた話そう」
きちっと敬礼をした後駆け出すように階段を駆け上がっていく藤沖。見送りながら乙彦は、少しぬるぬるした指先をズボンの端で拭った。
五時間目ロングホームルームを使い、一年A組の委員選出が行われる運びとなっているのは前々から決定していることだった。麻生先生も、
「ある程度顔と性格を鑑みた上で選ぶなり立候補するなりしたほうがいいだろう」
と、オリエンテーションの段階で話していた。ただ藤沖や古川の言う通りほとんど根回しは終わっているのだろう。
評議、規律、美化、音楽、体育、あと保健。
図書委員がないのかと聞いてみたところ、これも局活動という扱いで「図書局」に有志を募る形での運営になるという。同じことは放送委員にも言えることで、やはり局となる。
二十人中十二名が委員というのは、割合としてかなり多い。
とりあえず乙彦は流れに任せることにし、席についた。まだ五十音順の席並びなので、どうしても古川からちょっかいを出されるのが頭の痛いところでもある。
「あのさあ、関崎」
「なんだ?」
「もう藤沖から聞いてると思うけど、規律の件はよろしくね」
まじまじと古川こずえを眺めやった。目が大きいのは決して悪くないのだが、古川の場合どことなくそれが威圧感として伝わってくることもある。
「どうしたのあんた。もしかして、立っちゃてる? そんなのどうでもいいけどさ」
「規律がどうしたというんだ」
わけがわからないなりに尋ね返した。
「とにかく、規律委員へ立候補してもらえればそれでいいわけよ。そうすれば、無事話は収まるわけだからさ」
「古川、ひとつ聞きたいんだが」
もっと話したさそうだった古川に乙彦は声を潜めて尋ねてみた。
さすがにこれは、藤沖のいない時でないと、聞けない。
「今回、立村はどの委員に入るんだ?」
黙ったのは、答えに窮したせいなのか。
古川は顔を横に向け、唇を少しかんだ。噂の主、立村の姿はなかった。まだ昼休みも終わっていない。いつも教室から姿を消していることが多いのは乙彦も気付いていた。
「あいつも、委員やるんだろ?」
「やるわけないよ」
大きく溜息を吐き、古川こずえは机を指先で叩いた。髪の毛を耳もとで軽くかきあげた。
「元評議委員長だよ。それがね、中途半端な委員で満足できるかって思う?」
「委員に序列はないと思うが」
「関崎にはまだわからないかあ。そうだよねえ」
ぴりりと走る痛いものがある。乙彦はさらに問い返した。
「わからないことはあるが、だから聞いているんじゃないか。最初から無知扱いするな」
「ごめんごめん、そう怒らないで」
「怒ってなんかないが」
笑って古川も流してくれた。
「本当に青大附中時代の三年間、いろいろあったのよねえ。だから、しょうがないのよ。まあ、一年前期に関しては私と藤沖のふたりでうまくやっていくから安心してよ。もし何かが起こるのならば、それは後期以降だろうなあ」
全く女子の語り口は理解不能である。ただし、古川が実はそれなりに物事を考え、友人たちへの情にあつい女子であることも、乙彦は理解しているつもりである。
「立村は教室に居ないことが多いが」
「ひとりになりたいのよ。ロンリーソルジャーって奴ですか」
意味不明の英語を口にした後、古川は会話を断ち切り、いつのまにか戻ってきた藤沖の席へと向かった。鐘が鳴るのと同時に後ろの扉から、立村が足音を忍ばせて入ってきたのを乙彦はすぐ、気付いた。
──確かに、いろいろあるとは聞いていたが。
立村からあのこじゃれた喫茶店「おちうど」でずんたもちを食った日からもう二週間近く経とうとしている。乙彦自身は決して態度を変えたつもりもないし、挨拶も必要以上にしているつもりでもある。しかし、立村自身が息を潜めるように身動きしているのを見るたびにいらいらしてくるのは気のせいだろうか。
──自分で、仲間外れになるようなシュチュエーションをこしらえているだけではないのか?
一週間、授業以外で立村と接する機会は殆どなかった。二十一人しかいない教室の中において、ひとりひとりの言動が目立つのはしかたのないことではある。しかし、立村の場合、よほどのことがない限り存在が全くないかのように振舞っている。乙彦の記憶によれば、立村が声を発したのを聞いたのは、英語のリーダーの授業で、英文暗誦をさらっとやってのけた時だけである。よくわからないがネイティヴイングリッシュとはこういうことなのかと、感動すらしたものだった。
しかし、給食の時もひとりで席についているし、仲間と組んで話すこともない。
まあ男子の場合はひとりで食うことが殆どなので、女子のように机を組み替えておしゃべりすることもほとんどない。そんなに目立つことはないのだが。
──しかし、これでいいんだろうか?
──いじめてはいないし、向こうがそう望むなら仕方のないことなんだろうが。
このままでは、立村が完全にクラスの外になるのも、時間の問題に思えてきた。
かといって何か手段をと考えるほど、乙彦にも余裕はなかった。
「では、これからA組のクラス委員選出を始めるが、みな準備はできたか?」
麻生先生が指揮を取り、チョークで「評議・規律・美化・音楽・体育・保健」と筆圧強く書き込んだ。
「もうみなよくご存知かと思うが、あえてひとつだけ忠告しておく」
ぐるりと、あの脂ぎった額を教室一杯に回し、
「中学と違い、クラス委員は三年連続で任命されることなど殆どないと考えてもらいたい」
ちらと乙彦の後ろへと視線を飛ばし、
「入学式で三年の結城も話したから覚えていると思うが、委員会は決して部活動の延長ではないし、クラスのために活動するいわば公務員、難しい言葉でいうと公僕のような立場だ。クラスに貢献し、その上で自分を高め、同時にクラス全員からの適性判断を受ける。そういう意味において、中学独特の部活動とは違うと考えてほしい」
今ひとつぴんとこないが、みな真剣に聞き入っているところは納得すべきところもあるのだろう。乙彦は黙って膝に手を置いていた。
「ここでまず、前期委員を選ぶことになるが、お互いの状況が変わることによってまた入れ替わりもどんどん行う。また、適任者でないと俺が判断した時は、改めてこのようなロングホームルームを行い改選も行うつもりでいる。つまりだ」
女子の一部が囁き始めた。「そこ、静かに」と一言注意した後、
「俺は決して青大附中独特の委員会部活動主義が悪かったとは思わない。話に聞く限りだと、結城もかなり努力して、全校生徒のプラスになるような組織を構成したというしな。それは俺よりもお前たちの方がよく知っているはずだ。しかし、その組織に甘んじてきた結果いろいろな問題が生じているとも聞いている。つまり、新陳代謝がうまくいかなかったということだな。同じ状況下のもと、水がよどんだまま、入れ替えが進まなかったという問題が起こったわけだ。中学入学の段階で、誰が適性を持っているのかわからないうちに、なんとなくのりで決めてしまい、よほどのことがない限り人員の入れ替えができなかったという事実も、それぞれのクラスの問題として、存在していただろう」
──立村がそんなこと話していたな。
乙彦は立村に振り返った。とたん、周囲の女子たちほとんどが同じように立村を冷たい視線で射ているのにぎょっとした。首をみな不自然に曲げている。立村本人は机を見つめたまま黙って俯いている。
「あえて、こんなつまらん話を委員選びの前にするかというとだ。どうしても中学から上がってきたお前らからすると、今までのパターンで選びたくなるだろう。過去の実績ももちろんあるだろう。過去の経験もあるだろう。だが、そこでひとつ考えてほしい。一度、全く自分の考えていなかった委員に立候補してみるのもまた悪くないし、半年やってみてこれが自分に合わないと判断したら、相談するなりして次の道を考えることもよしだ。ただ流されて、向いていないのを承知の上でだらだらと過ごすのだけは、やめろ」
「先生、ちょっといいですか?」
いきなり立ち上がったのは古川こずえだった。あっけらかんとした声で、
「麻生先生、簡単にまとめちゃうとこういうこと?」
「なんだなんだ古川、水差すな」
かなり面白くなさそうだが、それでも怒鳴らない。発言を許している麻生先生。
「つまり、あれでしょ。評議にせよ規律にせよ、私たちクラスメートが委員それぞれの適性をしっかり観察して、『あ、こいつアウト』って思ったら不信任にしろってこと? なんかそれ、人間としてどうかなって思いますよね。それよか、単純にクラス委員は毎回入れ替えするので心するように、って一言ですむんじゃないかって思うんですけど」
「古川、それはちょいと、誤解だ」
両手で「座れ、座れ」と空気を机に押し付ける仕種をした。「ねえ?」と乙彦に囁きながら腰掛ける古川を、なぜか麻生先生はやわらかく見つめた。
「いいか、古川、それからお前ら。今まで中学では、自分自身が何に向いているかとか、どういう科目が得意かとか、そういうところをあまり深く追求しなかっただろう? それは当然だ。中学のうちは迷うのが当たり前だ。だがなあ、もうそろそろ高校生ともなれば、自分自身で何を求めて何が必要かを真剣に考えても、いいんじゃないかなと」
「だからそれと委員選びとどこ関係あるのかがわからないんですよね」
さらにからかい調子でつっこむ古川こずえ。漫才っぽいのりで場が和む。
「ただそれを自分ひとりで追求するのには、まだ限界がある。幸い、委員会などを利用する形でいろいろな仕事や行事を経験し、もしそこで別のことに興味を持ったならば、その時はたとえ任期の途中であっても申し出てほしい。同時に、自分が気付かなくとも他の奴から見て、『あいつは評議よりも保健の方が向いている』などと感じた場合もあるだろう。そういう時に方向転換するチャンスを与えるのも、これはクラスメートとしての義務だ」
──先生何言ってるかよくわからないぞ。
古川こずえではないが、やはり回りくどい。わかりづらい。
なぜ、こんなだらだら文句を言い続ける必要があるのだろう?
乙彦は天を見上げた。とにかく、すでに立候補先は決まっているわけだから。
それから少しだけ麻生先生のわけわからぬ繰言が続いたが、
「先生、早く決めようよ」
わざと甘ったれたような口調で急かす古川にとうとう陥落した。
「わかったわかった。お前らもその辺、大人だからなあ」
「じゃあ藤沖、早くやろうよ」
答えず藤沖が立ち上がった。麻生先生に一礼して、
「では僕が、司会していいでしょうか」
渋い声で尋ねた。
「そうだな。ではあとはまかせた」
四角い頭を左右に振り、藤沖はまず教壇にのぼった。麻生先生が脇のパイプ椅子に腰掛けるのを待ってから、
「では、一年A組のクラス委員を決めます。やりたい人は立候補してください」
にこりともせず、ジグザグに視線をクラス全員へと振り、読み上げ始めた。
「先に、評議委員男女二名。まず、藤沖が立候補します」
ためらうことなく黒板に「評議 藤沖」と書き込んだ。
「それと私もだけど、いい?」
古川こずえはさっさと手を挙げた。
「古川、よし。じゃあ次は規律だが、立候補者は?」
──俺が手を挙げていいのか?
さすがに迷った。いくら藤沖に勧められていたとはいえ、外部生の自分である。これがもし、公立高校の場だとしたらまた別だろうが。迷うとは自分らしくない。少しためらういきなり藤沖が露骨に乙彦へ声を掛けてきたではないか!
「関崎は?」
出来レースばればれである。
「やらせてもらいたい気持ちはある」
「あるなら、さっさと手を挙げろ」
乙彦が手を挙げる前に、「規律・関崎」と綴られてしまった。
──これでいいのか?
そっと周囲を見渡した。古川が親指をぐいと出し、「OKよ」サインを送っている。他の連中も殆どが納得顔に見えた。とりあえずは、藤沖が話をクラスに通してくれたということだろう。ここまで裏工作ばればれだと、さっきあれだけの演説をやってのけた麻生先生も相当おかんむりかと思いきや、
「関崎、いいぞ」
短く、満足げに呟き、頷いていた。
──適性どうのこうのってあれだけ言ってたてのに、よくわからないぞ。
てきぱきと、藤沖の指名でもってA組の委員が埋まっていった。女子の顔は古川以外みな同じに見えるのであまり興味を持たなかった。男子は藤沖の決め台詞、
「お前、やるだろ?」
で全員OK。あっという間に委員すべての席が埋まった。
予想通りだった。たったひとつを覗いては。
──立村がなぜ、どこにも入らなかったんだ?
誰一人、クラスの連中たちは違和感を感じずにその事実を受け入れている。
──あいつ、もと評議委員長だぞ? なのに、委員になぜ入らない?
乙彦はもう一度立村に振り返った。興味なさそうに窓の外を眺めている横顔を、いらだたしく見つめた。
鐘が鳴った。任命されたばかりの藤沖がさっさと、
「起立、礼」」
と号令を掛けた。適当にみな頭をぶらつかせた後、外へ飛び出そうとする。少しタイミングをずらす形で立村も教室から出て行こうとした。乙彦も思わず追いかけようとした。
「あわてなさんな、男子が早くいっちゃうのっていろいろとまずいよ、あれでもさ」
「古川、やはりおかしいだろう?」
乙彦は古川に問い掛けた。すでに出来レースとはわかっていても、やはりこのもやもや感は消せない。立村がまるでいなくても構わない展開だったのが、一年A組英語科のジクソーパズルを組み立てている自分としても納得いかない。
「立村と藤沖の間に面倒なことがあるのは承知している。だが、このクラスで、元評議委員長をないがしろにするというのは、酷すぎやしないか?」
「ああ、まあね。麻生先生も露骨だったし」
ほつれ毛を耳にかける仕種をし、その指で古川は唇に「しー」と当てた。
「麻生先生は立村嫌ってるからね」
「そういうことはないだろう。教師がえこひいきしてどうするんだ」
「あんた気付いてないの?」
やはり女子の話は飛躍が多すぎてついていけない。なぜ、麻生先生の話が出てきて、しかも立村を嫌うなんて展開になるのだろう? 乙彦の考えを全く無視して古川は続けた。
「あれ、みんな立村をまかり間違っても委員になんて選ばないようにっていう牽制球よ。まあ、みんなそんなことだーれも思ってなかったし取り越し苦労だけどもね」
「だからそんなこと、ありえないと言っているだろう?」
それより、クラスの連中がなぜ無視するのか、とそう問いたいだけなのだ。なぜ古川はわけのわからない話に持っていくのだろう。
「まあまあ落ち着いてよね。立村も自分の立場よくわかっているから、これからすぐ一仕事して教室に戻ってくるわよ」
「一仕事?」
「あいつには、あいつにしかできない仕事というのがあるのよ。ほらほら、黙ってみてなさいよ。いい? 絶対、口出しするんじゃないよ。それと、今教えたこと、まかり間違っても藤沖には内緒だからね」
まだ教えてもらっていないのだが。約束は守る。乙彦は黙って席に戻った。
女子たちとでかい声でがはは笑いをしている古川に、立村が近づいてきたのは休み時間終了間際だった。小声で何か囁いた後、ノートの切れ端のようなものを机の上に載せた。席に戻る際、乙彦にもまた、紙を一枚、すっと差し入れた。
「これは、なんだ?」
問い掛けた。差し出された紙には立村独特の楚々とした文字が走り書きされている。見た目、女子の文字というより、和歌をたしなむ人風の文字というべきか。
「たぶん、あとで役立つ時がくるから。しまっておいて」
それだけ早口で耳打ちすると、立村はすっとその場を離れた。
──これは、なんだ?
まず見つけたのは、自分の名前。
・一A 規律 関崎乙彦
全クラス分の各委員決定者がずらりと並んでいた。急いで書いたものだが読むには問題ない。立村の行為の意味を問う前に、乙彦はつい知っている名を探してしまった。そこにはいくつか、記憶に残る名前が残っていたから。
・一B 規律 清坂美里
・一C 評議 羽飛貴史
・一C 評議 轟琴音
・一C 規律 南雲秋世
何はしゃいでるのか、女子席で古川が嬉々としながら他の女子たちと語っているのが聞こえる。
「よっしゃあ! これは凄いよ。すっごいラッキー! 評議、羽飛と一緒だよ! けどなんでだろうね、なんで美里、評議じゃなくって、規律に回っちゃたんだろう? あとで美里本人から何があったのか聞いてみるよ。いやーさ、私もさ、評議やるってことになってから、絶対美里と同じ委員で盛り上がれるかなって思ってたんだよね。ものすごく、予想外な展開だよ。なんで琴音ちゃんなわけ?」
「こずえちゃん、不思議だよねえ。美里がなぜ落とされたのかなあ。それよか、やっぱり元規律委員長はあっさり選ばれたね。南雲くん、いいよねえ」
元規律委員長はあっさり選ばれたのに、なぜ、元評議委員長はあっさり蹴られたのだろう? 因縁まとわりつく名前をあえて見ない振りをし、乙彦はもう一度立村を目で追った。何を考えたのか、頷いてかすかに微笑んだ。