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高一・一学期 11

 まだ、昼間の「みつわ書店」状況を見ていなかった。前から気になっていたことなのだが、やはり放課後担当となる南雲とは顔合わせをしておきたかった。

「バイトだろう。そんなに気合を入れなくてもいいだろう。朝は朝、と決まっているんだろう?」

 入学式後、藤沖にクラス有志との昼食に誘われたのを断った時、怪訝な顔で聞かれた。

「いや、最初だからこそきちんとしておくべきではないかと思うんだ」

 乙彦は次回こそお誘いを受けると約束した後、思いついて尋ねた。

「ところで、南雲とはどういう奴か知っているか?」

「かなりあいつは有名だぞ。まだ耳にしていないのか」

 少し驚き加減で藤沖は肩を竦めた。

「ああ、全くな」

「無理に先入観を持つ必要はないと思うが」

 口篭もる様子に、やはり久田さんの対応が今ひとつという理由を感じる。

「中学時代は規律委員、かつ委員長だった。それだけでいいだろう」

「かなり硬い奴なんだな」

「硬い、か」

 口許を緩ませるようにして藤沖は俯いた。笑いをこらえているようにも見えた。

「俺はあまり、人間関係において先入観を押し付ける気はない。関崎、人はやはり、自分の目で見たものが本当だと思うぞ」

 さあっと血が頬に上がってくる。その通りだ。全くだ。

「悪かった」

「あやまる必要はない。それではまた、明日にでもゆっくり、話そう」

 対して気分を害したようでもなく、藤沖は背を向けて五人ほどの英語科一年A組有志たちと一緒に、学生食堂へと向かった。当然その面子の中に、立村はいなかった。


 ──藤沖の言う通りだ。先入観を持って人を見るべきではない。

 いつも立村に尋ねると、大概の場合いろいろと詳しい情報を用意してくれるし、場合によってはいろいろ出会いの準備などもしてくれる。評議委員会と水鳥中学生徒会との交流会においても立村がいろいろと手を回してくれたからこそ、うまくいったところもある。

 だが、そのために。

 ──俺が、先入観を持ってしまったというのも、否定できないわけだ。

 もともと乙彦は、人間を勝手に決め付けるという考えが嫌いだった。といいつつも、中学時代は未熟ゆえに、理解できない奴……たとえば総田など……を「最低の女たらしかついいかげん野郎」と決め付けてしまっていた。これが誤りだと気付くのに三年もかかったという自分が情けないが、今は同じ過ちをもう犯したくない。

 たとえどんなに、自分が理解できないタイプの奴であっても、他人から与えられた先入観を元に判断するのだけは、もう避けたかった。

 なのに無意識のうちに、つい情報を求めてしまう。

 久田さんからしょっちゅう、南雲に関する悪い情報だけを受け取っているから、なおさらだった。四月に入り本来なら久田さんは、就職先で新人研修を受けているはずなのだが、なぜか朝早いのは平気とあって今だに「みつや書店」へ通いつめている。しかも、一切バイト料をもらわずに、だ。乙彦に対しては非常に好感度大らしく、いろいろと細かく教えてくれるしそれ以上に励ましてもくれる。しかし、口からもれる南雲への感情は日ごとに悪化しているようにも見える。

 ──立村と仲がいいのだから当然悪い奴ではないだろうな。しかし久田さんからすると相当いいかげんで仕事も適当で頭が軽い男なんだそうだ。

 毎日南雲に関しての罵倒を聞かされているうちに、自分の中で確固たる先入観が出来上がりかけている。それはまずい。だから。

 ──これから三年間世話になるのだから、きちんと俺の方から挨拶したほうがいいだろう。

 すでに南雲も乙彦と同じ時期から昼間のバイトを始めているはずだ。おそらく、入学式後にもう、スタンバイしているだろう。いいチャンスだ。行ってみよう。

 特に前もって、連絡を入れることはしなかった。


 学校からすぐ側の「みつや書店」には、思った通り学生が群れをなしていた。今朝乙彦がすみずみまで拭いた教科書専用棚の本は、ほぼ半分近くが売り切れていた。久田さんが言うには、一部予約の入っている本も出てきているという。

 ──久田さんは凄いな。

 あらためて思う。三月から四月、および五月の大学オリエンテーション期間中は、大学教科書および高校参考書を買い求める学生客が増えるのだそうだ。その兼ね合いもあり、乙彦がバイトをはじめてからはほとんど教科書の並べ替えが日課となっていた。汚れていたらけしゴムで消し、細かく題目別に分ける作業。単純ではあるが、いつのまにか本の題名が頭に焼き付いてくる。自然と動かす手も早まる。以上、久田さんのお褒めの言葉も増えてくる、といった感じだ。

 ──でも、いつまでも久田さんに頼るのはよくないだろう。

 久田さんもすでに他の企業に就職しているのだから、それなりに忙しいだろう。どうもこれからしばらくは、朝のみ……どうやら出勤前……の手伝いはしてくれるらしいが、乙彦としてもあまり口出しされるのは面倒なところもある。できれば早いうちに、昼当番の南雲と直接連絡を取り合って、情報交換を行ったほうがいいのでは。そう考えていた。

 黙って本棚をうろうろしていく。「いらっしゃい」とかそういう出迎えの言葉はない。

 所々、乱れている棚を直す。ほとんどが青大附属高校の生徒のようだった。乙彦の見知った顔はなかった。一番受け渡し場所に近い本棚に張り付き、乙彦はそっと覗き込んだ。

「はいな、どうもありがとうございます! お次の方、どうぞ!」

 愛想がいいわりにさっぱりした声がさらっと響いた。

 よくよく覗き見ると、レジ側には人が五人ほど並んでいる。男子学生もいるが二名ほど女子も混じっている。どうも気になるのはその周囲にまた五人ほど女子がひそひそ話をしていること。乙彦と同じく遠目で見守っている様子だった。

 売れているものは殆どが教科書のようだった。学生以外の客もいないわけではないのだが、あまり居心地よくないのか隅の方で立ち読みをしているか、そそくさと立ち去るかのどちらかだった。

「あ、たしか『チャート』の青い表紙の奴。あれ、全部売り切れちまったみたいなんですよ。すいません。じゃあ入ったら、うちから連絡いれますか」

「必ず、入れてくださいよ」

 受け答えしている内容に耳をそばだてた。どうやら話の内容からすると高校二年らしい。「チャート」というのがどんな本なのかわからないが、たぶん参考書かなにかだろう。ずいぶん切羽詰った話し方である。

「いやあこればかりは、運っすね。でも努力します。予約入れておきますんで、こちらに名前と電話番号、よろしくお願いします」

「届けてもらえますか」

 かなり声音が怖い。南雲らしき男子はそれほど困った顔もせず、さらりと説明を続けている。

「うーん、どうでしょうねえ。俺もバイトなんでそこまでの権限ないしわからないんですが、じゃあ店長に大丈夫かどうか聞いておいて、それからあとで電話ってことでいいっすか」

「絶対に、お願いします」

 乙彦は南雲の顔をもう少し近づいて観察することにした。ありがたいことに、女子たちがたむろって居るおかげでまだ見つからずにすむ。


 ──あれが規律委員長だったのか?

 決して乱れているわけではないのだが、髪の毛がコリー犬っぽい感じにさくさくまとめられていて、不良っぽく見える。頭を動かしても全然乱れていない。そのくせ手つきがしゃきっとしていて、どことなくテレビに出てくる芸能人のようだった。アイドル歌手、特に男性芸能人は殆ど知らないと断言してよい乙彦だが、なんとなくちゃらちゃらしている雰囲気があるのは感じられた。

 ──立村もああいうタイプの奴とつるんでいたのか?

 割と話のわかるいい奴だということは聞いていたが、少なくともそのあたりは共感できない。もちろん話をすればまた違った発見もあるのかもしれないが、今のところ乙彦の第一印象は久田さんとほぼ同じものだと思える。

 ──先入観を持って見てはいけないとわかっているんだが。

 総田とも違う違和感がばりばり伝わってくる。第一、仕事をする時に「俺」を使うだろうか? 「俺、バイトなんで」なんて責任逃れするようなこと言うだろうか? なによりも。

 ──やれって言われたら出来る限りやるってのが常識だろう。

 やる気ないのか、それともバイトだったら手抜きをしてもよいと考えているのか。

 もし知り合いだとしたら、ためらうことなく割り込んで「いいかげんにしろ!」と怒鳴っているだろうが、同じ「バイト」の立場。しかも店長か久田さんでないと判断できない内容。乙彦は耐えた。

 それにしてもなんで女子の取り巻きがやたらといるのだろう?


 しばらく南雲は客をさばきつづけ、女子には「俺しばらくここでバイトすることになったんで、なんかあったら声かけてよ」などと、外見にぴったりな誘い言葉をかけたりなどしていた。時折おばあさんが顔を出して手伝っているが、なんとなく愛想が南雲に対してはよさそうに見えた。笑顔を交わしながら、

「あ、いいっすよ。俺、ひとりでやれますし。あ、そうそう帰りなんですけど、俺、なんか買ってくものあったらいきますよ。バイト代、なしでオッケーです」

 やはり南雲にとっては、歳を取っていても「女」であれば優しくすべき存在なのだろう。

 天性の女ったらしなのだろうか?


 客が途切れ、乙彦が改めて南雲に近寄ろうとした時、いきなり女子がまた横切った。おばあさんがひっこんだ後だった。

「南雲くん、どうも」

 乙彦は本棚に張り付いた。隠れる必要などないはずなのに、身体がいきなりそう動いた。

 どこかひび割れた、アヒルのような声。

「ああ、轟さん、どうもっす」 

 南雲の語調は他の女子たちに対するものと全く代わらなかった。すっと女子の一群が一歩引いたように見えた。それでうまく乙彦も隠された。

「悪いんだけど、これいくらくらいで、買ってもらえる?」

 ──あれだ。確かに。

 名前も、姿形も、よく覚えていた。

 入学者代表挨拶をしたばかりの、やたらと目の飛び出た、猫背で丸刈りカットのその女子。

 ──轟、琴音。

 苗字も名前とその佇まいとのずれで、決して忘れることのできない女子が、そこにいた。

 両手でよっこらしょと、大きな紙袋をレジ台に載せた。

「かなりの大漁だったんだけどね」

 ──やはり、そうだ。

 すでにこれは、確信犯だ。

 

 南雲はその袋から一冊ずつ本を取り出していった。きれいな状態の教科書類だと一目でわかる。カバーつきのもの、箱入りのものも混じっている一方、もうこれこそ「ごみ」として処分するのが常識ではないかと思えるボロ本も入っているようだった。

「うわあ、これはすげえわ。どこで見つけたの」

「まあね、いろいろと」

「ほんと、大漁っすね。そのまんま、捨てるもんかねえって感じ」

「三月くらいからね、ちょくちょくチェックはしていたんだけどね」

「いやあ助かるよ」

 どうやら会話からして、このふたり顔見知りらしい。それも軽口たたき合える程度の繋がりはあるようだ。しかも轟さんの言動を一切否定していない。つまり。

 ──ゴミ漁りの結果の品物として、受け入れを許可しているということか。

 轟さんと南雲との会話はまだ続いていた。


「ほんとはもっと早く持ち込むつもりだったんだけど、いろいろと面倒でさ」

「基本としてここ、昼は俺が担当だから、黙って持ってきてくれたらそれでいいじゃん」

「サンキュ、助かる」

「じゃあ今から、どんぐらいになるか計算してもらうんで、ちょっと待ってて」

 さすがに二週間も経っていないバイトに買い取り金額を計算させることはないようだ。南雲は袋に本をしまい直し、裏に引っ込もうとした。

 無意識に乙彦は壁となっていた女子たちの群れから、頭を出して割り込んだ。

「ちょっと待て!」

 南雲と轟さんが無表情に乙彦の方を、無言で見た。

「これは久田さんから禁止されているはずだ」

「はあ?」

 きょとんとした顔で、袋をだっこしたまま南雲が乙彦をまじまじと眺めた。

「もしかして、あの、ここで朝バイトしてるとか?」

「そうだ」

 きっぱり答えた。ぴんときたのか南雲も「はいはいはい」と三回きっちり頷いた。

「りっちゃんから聞いてる。そうかどうもどうも。俺、放課後担当の南雲。これから長い付き合いとなるけどよろしく!」

「俺は関崎だが、その前に、久田さんからの伝言を伝えておかないとまずいんだ」

 けんかを売るつもりはない。乙彦は語調を和らげた。

「聞いてないかもしれないが、ゴミから拾ったものを持ち込まれたら、それは買い取ってはならないという決まりなんだ。久田さんがそう言った」

 轟さんは無表情のまま、乙彦を見据えた。女子ににらまれてもそれほど怖くはない。関係なく南雲にだけ続けた。

「だから、出所がそういうところだとわかった段階で買取の手続きをするのは、違反になる」

「違反もなにも、別にそんなこと、俺、聞いてないけどなあ」

 とぼける南雲。特に怒った風でもない。

「だって俺たちバイトだろ? バイトだから判断できることとできないことがあるだろう? そりゃあ関崎があの人にいろいろ指示だされてるんだったらそれはしょうがないけど、俺はなんも聞いてないわけだし。俺が判断するんじゃなくてさ、他の人に任せる内容じゃないのか? 俺はそんな話、全然聞いてないよ」

 本当なのだろうか。久田さんは南雲と相性が合わないと言い募っている。かといってそんな大切なこと……「ゴミ捨て場から拾った本を転売する客は断ること」……をいい逃したとは思えない。

「だから、俺の判断じゃなくてさ、裏でみんなやってもらうよ」

 南雲は轟さんにちらっと片手で拝んで見せた後、さっさと奥に戻っていった。

「すいませーん、本持込みあるんで、お願いしまーす!」

 

 ──いや、間違っている。南雲の考えは、間違っている。

 注目がいつのまにか乙彦と轟さんに集まっている。さっきまで南雲へ甘い視線を送りつけていた女子たちが、今度は轟さんを見つめつつひそひそ話をしていた。そんなのに興味などない。轟さんと見つめ合うのも落ち着かない。決着をさっさとつけるべきだ。

 最初に石を投げてきたのは轟さんだった。

「転売していると、どうしてそう断言できるのかな」

 落ち着いた声だった。それでいて眼光鋭い。気味悪いものを感じる。

 何かのボタンが押されたような気がした。

「補習最終日の朝に、向こうのゴミ収集所で袋を弄っているところを見た」

 轟さんは黙った。目つきは変わらなかった。

「俺だけじゃなく、久田さんが顔を覚えていて、絶対に持ち込まれた場合は売るなと指示を出された。ゴミ捨て場のものであっても、回収されるまでは捨てた人のものだ」

 久田さんに言われたことを、なぜ自分は無意識のうちに復唱してしまうのか、わからない。

 ただ、言わねばならない、正義がある。

「拾って持ち込んだということは、盗みに等しい。青大附属の生徒として、それを受け入れることは、絶対にできない。犯罪者にしてしまうわけには、絶対にいかない。ゴミ捨て場にすぐ、戻して処分すべきだ」


 ……と、久田さんが言っていた。そう付け加えるべきだった。

 ギャラリーたちのひそひそ話はさらに膨らんでいる。

 轟さんは無言のまま乙彦をにらみつけていた。壇上で見た、奨学金授与者たる才媛ではなく、つめの汚い、小柄で貧相な雰囲気の女子が、そこにいた。


「轟さん、問題なし。じゃあ買取ってことで、よろしく」

 交わされた言葉を一切知らない南雲が、脳天気な顔で裏から戻ってきた。

「どうもありがと」

 乙彦に今度は南雲が片手で「ごめん」のポーズを取り、さっそくレジの手続きを取り始めた。女子たち中心のざわめきだけが、乙彦の背にちくちく響いた。そしらぬ顔で出されたプリントにサインをしている轟さんの重たさだけが、乙彦の腹にじわっと座っていた。


 ──本当に許されて、いいのか?

 久田さんに言われたことだけではなかった。

 その通りならばやはり。

 ──盗んだものに、なってしまうんじゃないのか? それを買うこの店も、罪を逃れられないんじゃないのか? 本当に、それでいいのか?

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