お見事
何か、戸を強く叩くような音がする。大方、向かいの部屋のおっさんに届け物か何かだろう。
『……きて。サクラ、起きて!』
シンシアの声も聞こえる。何だ、届け物はシンシアか? 全く、あのおっさんいい歳してなんて物注文してんだ。法に触れるぞ。
「んん、チェンジだ、チェンジ……」
『ちょっと何言ってるの!? よくわかんないけど起きて!』
まだ戸が叩かれている。どうやら叩かれているのは向かいではなく、オレの部屋の扉らしい。そもそも、向かいの部屋などなかった。あの集合家屋はなくなってしまっている。おっさんは元気だろうか。
「何だよ、朝っぱらから」
『もうお昼だけどね』
部屋に備え付けの時計はない。付けっ放しだった腕時計を確認すると、なるほど、時刻はぴったり正午だった。
ふむ。期せずして今日の午前の講義をすっぽかしてしまった。だが、これは不幸な事故だと言えるだろう。オレに責任はない。
『そんなことより大変なの! なんか変な人が扉の前にいるの!』
「変な人? 」
知り合いに変人はたくさんいるが、その場合はシンシアが変な人、などと遠回しな呼び方をしたりしない。きちんと名前で言ってくれるはずだ。リーさんとか、会計とか。となると、今現在、オレもシンシアも会ったことのない変人が執拗にオレへの面会を求めていることになる。なかなか不気味なシチュエーションだ。
正直、気の進まないこと山の如しだったが、いい加減頭も冴えてきた。今も絶えず戸を叩き続ける変人を放っておくことは出来ない。
「どれ、ああ……うん」
そっと扉の覗き窓から外を確認する。なるほど、わかった。相手のことはよくわからないが、なるほどわかった。確かにシンシアが変人扱いしたのも頷ける。
『ね、ねえ、大丈夫なの? 知り合いじゃないんでしょ? 何か術の準備しておこうか?』
「いや、大丈夫。たぶん。はいはい! 今開けるから!」
ノックに返事して、扉のカギを開ける。外の訪問者が一歩下がってその空いたスペースを扉が通過する。
「やっと起きてこられましたか。おはようございます」
男が立っていた。男、というより少年に近いかもしれない。くすんだ茶色の髪に、黒いメガネ。背はオレより少し高いが、これと言って外見的特徴のない男だった。
「すみませんね。疲れてたもので。それで? ファーガソン家の方がいったい何の御用ですか?」
「おや、わかりますか」
わからいでか。彼は目立った点のない普通の若者だが、その装いは明らかに異質だった。黒い制服の上、肩から下げた太いベルトで、一本の巨大な大剣を背負っていた。その大きさたるや、彼がしゃがまないことには、この部屋に入る前に扉につっかえてしまいそうなほどだ。
「えっと、何だっけ、その大剣。『龍殺し』だっけ? んなもん背負っているのはファーガソン家くらいだ」
「なるほど、ご明察です。確かに私はファーガソン家の長男。ジーク・ファーガソンです。以後お見知り置きを」
「ああ、よろしく」
ファーガソン家は代々決闘者の家系だ。貴族なんかが起こした決闘に代わりに出て闘うことを生業としている。背中の大剣は、一族の戦闘スタイルの象徴である。
「放送部のシェアラ先輩の弟がいるって聞いてたけど、君だったのか」
昨日は一日中彼女の声を聞いていた気がする。あの美しい声を届けてくれる彼女も、肌身離さず大剣を持ち歩いている。
「姉をご存知でしたか」
そう言って右手を差し出された。握手のつもりだろう。ただ、その後のことを警戒してオレは手を出さない。
「……どうしました?」
「いや、ファーガソン家って暗殺者の家系でもあるじゃん。君はどうなのかなっと思って」
そうなのだ。正々堂々の代名詞たる決闘者の家系の裏の顔は、相手を出し抜くことに長けた闇の暗殺者集団でもあるのだ。
「お見事」
そう彼が言うのと同時、差し出された右手の裾から、ピン、と細い針が飛び出してきた。おそらく毒針だろう。
「公然の秘密ってやつだろ。大したことない」
澄ました風に答えるが、まさか本当に暗器が出てくるとは思わなかったので、内心かなりヒヤッとしている。シンシアも顔を青くしてオレの肩につかまっている。というか、何考えてんだこいつ。危ないだろ。
「それで、いったい何の御用かな? オレまだ眠いんだけど」
半分休めば一緒のことだ。午後からの講義もすっぽかすつもりだった。右手の暗記を音もなくしまうジークを見ながら問う。正直、彼がオレに会いにきた理由がわからない。
「そうでした。実は、ミナセさんにお届け物がありまして」
「届け物?」
ますますわからない。彼は宅配のバイトでもしてるのだろうか。突然の危ない訪問者にオレとシンシアはかすかに身構えた。




