行きましょうか
パチパチと、もう既に灰になりかけてしまっている元我が家を見ながら、オレは何とも言えない気持ちになっていた。この街にきて二年と少し、特別な思い入れこそないものの、オレはこの家を結構気に入っていた。しかし、その全てが燃えてしまっていた。おそらく、オレが特別に述式結界をかけておいた本棚だけは残っているだろうが、それで良しとできるほどオレは人間が出来てはいない。
そもそも、今日から一体どこで眠ればいいのだ。そんなことをつらつらと、一人涙ぐみながら考えていると、オーガスト先輩が、二回オレの肩を優しく叩いた。
「まあ、その、あれだよ、その、元気出しな? 今回のことをはあんたが悪いわけじゃないんだし、協会とか、学校とか、ちゃんと補償してくれるよ。すぐには無理だろうけど、ここも建て直すだろうし。だから、ね?」
よほど憐れに思ってくれたのだろう。先輩の慰めの言葉は胸にジーンときた。
「それにほら、しばらく晴れ続きみたいだし、外で寝ても問題ないでしょ?」
あれだけ広い一軒屋に住んでるくせに、泊めてくれるという選択肢はないのか。野宿前提というのはそもそもおかしい。ただ、そんな、事の道理がわけわからなくなるほど、オレのことを心配してくれたのだと思うと、少しだけ温かな気持ちになれた。
「いや、そこは嘘でも泊めてあげるからって言って下さいよ」
苦笑しながら、ゆっくりと振り返った。
するとそこに、ピョコン、と一匹の火焔兎が現れた。たまたま逃げてきたやつなのか、それともふいに増殖したやつなのかはわからないが、とにかく、一匹の火焔兎がオレとオーガスト先輩のすぐそば、一メートルくらいの所に座りこんだのだ。
その時のオレとオーガスト先輩の思考は、いつ思い返しても不思議なのだが、
「あ、兎だ」
という感想とも呟きともとれぬひどく間抜けなものだった。先輩にいたっては考えるどころか口に出していたくらいなのでまず間違いない。これまで散々危険視して討伐してきた魔獣を前に、すっとぼけもいいところである。おそらく、巨大焔狼を倒したことで、気が抜けてしまっていたのだろうが、そんなことは言い訳にならない。オレ達はそこが戦場であることを、忘れてしまっていたのだから。
火焔兎は予備動作もなく、炎を吐き出した。当然だ。それが彼らの唯一の生存目的なのだから。
「ミナセっ!!」
『サクラっ!!』
当然ながら、兎の狙いはオレだった。というより、オレの担いだリュックの中身、「水精霊空想観察記録」と「浦島」、そしてオーガスト先輩のノート達だ。
「ま、マジかよっ!」
避けることはできなかった。オレから見て右方向から迫り来る炎は、一直線にリュックに襲いかかる。
この時、オレに出来ることは二つあった。身体を左にひねって、リュックを盾にし我が身を守るか。右にひねって、我が身でリュックを守るか。
「 ンなもん決まってんだろ!!」
全力で、身体の正面を炎に向ける。絶対に炎を背中まで届かせないよう、両手を広げた。
火焔兎単体の火力など、たかが知れてる。少し火傷するくらいだ。オレにとって大切なものがたくさん詰まったリュックだ。絶対に守り抜くと約束したものだ。あの、オーガスト先輩が信じて託してくれたのだ。その信頼には応えたい!
炎がオレに迫り来る。まるで時間をコマ割りにしたかのように、断片的に空間が切り替わる。
あと五十センチ。まだ、炎の熱は感じない。
あと三十センチ。流石に怖くなって片目を閉じた。
あと十センチ。前髪が少し焦げたのを感じた。
あとワンシーン、コマが切り替われば、オレが可燃ゴミに成りかねないというところで、炎が突然、消失した。
「油断、してンな!!」
それは、左手で妹を抱き抱えながら。こちらに突き出した右手から、述式転化の名残を残す、ヘロディア・ローレンツだった。
「助……かった?」
ペタペタと両手で身体を触って確認する。どこにも火は燃え移っていなかった。正直、未だに何故自分が無傷なのかよく理解できない。それ程までに、完全に不意を突かれていた。襲われたことも、助けられたことも、まるで非現実のようで、心に実感が湧かない。戦場で一度緊張感を失うと、こんなにも腑抜けてしまうものなのか。
「おい、まだ呆けているノか。ここにいればまたいつ襲われるかわからナい。少し移動すルぞ」
オーガスト先輩ではなく、ローレンツが指示を出す。そうしてようやくオレは気が付いた。
オレも先輩も、もう仕事は終わってしまっている。実際はそうではないのだが、心はリラックスしてしまっていた。だが、ローレンツは違う。これからなのだ。彼女と、その妹分のこれからを考えると、気を抜いている場合ではない。
「行きましょうか」
「うん、そだね」
オレと先輩は、一人で妹分を担いで進むローレンツを後ろから追った。助けてくれたことへの礼を、言いそびれてしまった。




