それでいいね?
「やあ、来てくれたか」
涼しい顔で振り返る会長は、汗ひとつかいていない。それどころか、彼が着ている黒の制服には、小さな汚れすらついていなかった。
「ついさっきリーリエから通信があった。雑魚退治に手間取ってるみたいだ。今いるメンバーだけでやるしかないみたいだね」
チャキ、と鈍い金属音を鳴らして会長が二振りのナイフを交差に構える。鋼鉄のゴーレムすら両断するそれは、皇家より賜りし国宝だとも、古のドラゴンの牙から鍛えし魔剣だとも噂されている。
ちなみにリーリエというのは副会長のことだ。いいなぁ、オレも名前で呼んでみたい。
「うざったい虫どもがうじゃうじゃと……! 全員まとめて火葬してやるよっ!」
タニア・クラインが唾を飛ばしながら叫ぶ。その姿に、ローレンツは苦しそうに頬を歪めた。焔狼がオレ達に向けて炎の息吹を吐き散らす。しかし、それは目標に当たることはない。前と後ろの脚を失った焔狼は、もうその巨大を支えるだけで手一杯のようだった。
「くそ、くそ、くそ! 死ね、死ね死ね、死ねぇ!!」
叫び声のような音を発しながら、タニア・クラインはわめきちらす。
「これなら、どうだっ!!」
焔狼がこれまでとは違い、極大の息吹を吐いた! 圧倒的な火炎がオレ達に叩きつけられる。だが、残念だが、オレ達はこれを待っていたのだ。
「今だ!」
「シンシア!」
『はいはい!』
誰一人炎の濁流から逃げることも、かわすこともしなかった。その代わり、ローレンツが述式転化で、シンシアは能力で生成した大量の水を、炎にぶつける。
息吹の勢い全てをそぐことは出来なかったが、その後の回避行動をとるだけの余裕は生まれた。
「ハッ! そんなチンケな水流ごとき、で……!?」
タニア・クラインも周囲の異変に気付いたようだ。
炎と水、その両者がぶつかり合うことによって生まれた大量の水蒸気が辺りを埋め尽くしていた。
そして彼女は見失う。絶対に目を離してはならない最強の男を!
「……後ろかっ!!」
焔狼の頭上、必死に索敵する彼女は、僅かな水蒸気の揺らぎに、会長の存在を捉える。自身の背後に向かって強烈な回し蹴りを放った。が。
「良い動きだ」
既に会長は、彼女の正面に音も無く回りこんでいた。
「く、この……! が、は!?」
振り返ろうとしたクラインだったが、会長のナイフの方が圧倒的に速かった。
「だが、少し遅い」
ナイフの柄で、彼女の首筋を一撃。ただそれだけで気絶させた。意識を失い、その場に倒れかけるのを、そっと抱き合げる。そして焔狼から飛び降りた。
主人を失った巨大な魔獣は、周囲の街並みに大きな傷跡をのこして、溶けるように消えていった。
「タニア!!」
ローレンツが泣きそうな顔で、妹分に駆け寄る。先ほどの水の大生成で疲労しているのだろう、少し足元がおぼつかない。
「大丈夫。少し気を失っているだけだ。他に外傷はないよ」
会長の声も、もしかしたら届いていないかもしれない。
「ふう、これでひとまずは一件落着ってところかな?」
最後の回避行動に失敗していたオレを助けてくれたオーガスト先輩は、一人満足げに呟く。ついでに、担いでいたオレを荷物のように放り投げる。
「いって! ちょっと、もう少し優しくして下さいよ!」
「うるさい。あんた鈍すぎ。私が保険で後ろに控えてたから良かったものの、本当に自力で避けられないとか何考えてんの?」
「うっ!」
ぐうの音も出ないとはまさにこのことだ。今日この短い時間だけで二回は死にかけている。やはりオレは最前線で戦うとかは向いていないのだ。後ろでチマチマ兎を狩っているのがお似合いである。
「さて、僕はこれから、残っている兎の処理に戻るよ。タニア・クラインに関しては、すぐに専門の図書士の方が引き取りにくると思うから。ローレンツさん、それでいいね?」
タニア・クラインを抱えたままのローレンツは、うつむいたまま何も言わない。会長もそれ以上は言葉を続けなかった。その後、オーガスト先輩と二言三言話をして、去っていった。
これだけの戦闘のあと、すぐさまいなくなるあたり、やはり彼はスケールが違う。
残されたオレ達は、言葉を発することなく、その場に立ち尽くしていた。




