ちゃんといるんだよ
手を叩いた人間が誰なのかはわからない。だが、自然とルーム内にいた全員の視線がひとところに吸い寄せられた。副会長だ。
「皆さん、落ち着いて。まだ学校、引いてはレーゼツァイセンの危機が完全に去ったわけではありません。作戦は継続中です。速やかに仕事に戻って下さい」
決して大きな声ではなかったが、不思議とルーム内によく通る声だった。この言葉を受けて、生徒達は皆、我に返ったかのよう、いや、魔法にかかったかのように、それぞれの仕事に戻り始める。まるで、オレ達が起こした騒ぎなど初めからなかったかのようにだ。
絡みついていた敵意や悪意が、解けていく。
「乙姫さん、ミナセ君」
「は、はい!」
初めて名前を呼ばれた!
「二人に何があったのからわかりませんが、ここにプライベートな問題を持ち込まれても困ります。私があとで話を聞くので、今は、そっと胸の内に押し留めておいて下さい」
『う、うむ。すまんことをしたのぅ』
「はい……!」
あのじゃろ先輩でさえも、一声で御してしまった。やはり副会長は何かが違う。
「あと、二人は『焔狼』について、いくつか聞きたいことがあります。渚の三人は既に到着していますので、こちらへ」
そして、ドンドン話が前に進んでいく。この人をもっと登場させたらいいのではないだろうか。
「あの、私も参加させて頂いてよろしいですか? 一応、ミナセ先輩のチームメイトですので……」
リーさんがおずおずといった感じで手を挙げる。
「構いませんよ。そうですね。どうせならチーム299の皆さんに同席して頂きましょうか」
「ありがとうございます! やりましたね! オーガスト先輩!」
「え、なに?」
中演習ルームに入って来てから、ずっとオレのリュックを見つめていたオーガスト先輩は、副会長の話を聞いてはいなかったようだ。
そういえば、この人のノート預かったままだったな。
「ほう、これはまた素敵な集まりになりそうだ。女史、僕も同席させてもらって構いませんか」
「いいえ。あなたは私のいない間の指揮をしていて下さい」
「おう……」
嬉しそうに挙手をした会計を、副会長は素早く切って捨てた。
代わってあけだいのは山々だが、あいにく、オレに作戦指揮なんて不可能だ。
オレ達は副会長に連れられて、中演習ルームとなりの小さな会議室に入った。室内は円を描くように置かれた机のみの、殺風景な部屋だ。ただ、その殺風景な部屋を彩る先客がいた。
「フィオ! ミナセ君!」
マリア先輩にヘロディア・ローレンツ、タニア・クライン。渚エンジェルズだ。
「フィオ、久しぶりね! あなた最近全然講義に顔を出さないから、心配してたのよ!」
「マリア!」
お互い名前で呼びあって、随分と親しげだが、もしかして二人は友人なのだろうか。だが、それとは別に、マリア先輩の言葉にリーさんの眉がピクリと上がる。
「初めまして。私はオーガスト先輩とチームを組ませて頂いている、チウシェン・リーと申します。マリア・シーサイド先輩ですね。お噂は伺っております」
「あら、丁寧にありがとう! フィオ、素敵な後輩とチームメイトになれているみたいで良かったわ。でも、どうして近頃講義に出てなかったの? どこか体調でも崩してた?」
「え!? い、いや、ちょっとね、アハハ」
ちらちらと隣のリーさんを横目で気にしながら、冷や汗を浮かべるオーガスト先輩。対してリーさんは、ニコニコと笑顔を浮かべている。だが、マリア先輩からは見えない彼女の左手が、ピストルを模した形でオーガスト先輩の背中にあてられていた。
後ろから見ている分には大変面白いのだが、あの銃口がいつこちらに向くことになるかを考えるとゾッとする。
「ん? そ、それより、マリア、この手は?」
マリア先輩の右手には白い包帯が巻かれていた。
「あ、ああ、これね。大丈夫よ。『焔狼』の炎で少し火傷しただけ」
マリア先輩の言葉に、後ろに座っていた妹分たちが少し反応した。
「え、『焔狼』の炎って確かかなり危険なんじゃ……! 本当に大丈夫なんですか!」
焔狼の炎の性質を知っていたのだろう。リーさんが強く心配する。オーガスト先輩の背から手を離した。やはり、他人を本気で気遣えるリーさんはいい娘なのだ。ただ時たま見せる行動が恐ろしいだけだ。
オーガスト先輩もそっとマリア先輩の右手をつつむ。
「大丈夫。あのね、ミナセ君が治してくれたの」
「え」
「え?」
二人はそろって信じられないといった表情で振り返る。本当に信用がないんだろう。
「 『清華水冷』っていう魔障を浄化する術があるんです。なんでまあ、オレっていうよりシンシアのおかげっすね」
事実だけを述べるに留める。すると、
「そんなことないわ! いくら精霊さんの力が凄くても、使いこなしたのはミナセ君よ。もう一度、いえ、何度でも言わせて。本当にありがとう」
マリア先輩は本当に嬉しそうにオレの手を取ってくれた。少し潤んだ瞳で見つめられて、頭がカッと熱くなる。
ていうか、ちょっと、近っ……
「それでね、ミナセ君さえよければ、なんだけど、今度お礼にお食事でも……」
「姉様!」
突然叫ぶように声を上げたのはヘロディア・ローレンツ。褐色肌の娘だ。
「そろそろ話をしなイと」
「あぁ、そうそう。そうだったわね」
思い出したように頷くと、マリア先輩はオレからそっと離れていく。
「副会長さん、ごめんなさい。つい、嬉しくて」
「いいて、構いませんよ。ご友人の輪を広げるのも大切なことです」
副会長は大様だ。
『ご友人のぅ』
「ご友人ですか」
「ご友人ねぇ、まあ、いいやミナセ」
三人そろって同じ言葉を意味ありげに呟いた。
「な、なんすか」
「ありがとね。マリアの火傷、治してくれて。あんたがそんなこと出来るなんて意外だった」
オーガスト先輩がオレに礼を言うなんて。気恥ずかしくて茶化してしまう。
「オレも先輩に友達がいたことが意外すよ」
この前は消火隊がどうのって言ってたな。と言うことは、先輩には複数の友人がいるのか。
「はぁ? まだ言ってたの?」
バカじゃない。先輩はそう言って笑う。怒ったりはしなかった。
「世の中にはね、本当にいい子ってのが、ちゃんといるんだよ」
ささやくように教えてくれた先輩は、自分に言い聞かせているようでもあった。
「そうですね。私もオーガスト先輩が講義に出ていないなんて、意外でしたよ」
フフフと音だけを発し、表情はまるで笑っていないリーさんがいた。
「あ! いや、その、これはっ!」
「後でたぁっぷりお話聞かせてもらいますからね!」
結局、再び副会長に声をかけられるまで、オレ達が席に着くことはなかった。




