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特別話 稲の黄金

前回の続きとなっております。

例によって長いです。


『それで、心身共に傷ついたうちを、更に痛めつけた後は何するん?』


  くそ、さっきまで泣きじゃくってたくせに、一丁前に嫌味を言いやがって。


「言ったでしょ。あなた直筆で本を書き直してもらう。一字一句、句読点まで完璧にね」


  オーガスト先輩は今、本に書きこむための道具を揃えている。

  狐が我儘を言って、筆と墨がないとイヤだと言うので、急遽取り寄せたものだ。


『おやおや。そうかい。ほな、原稿を下さいな』


「え?」


『おや?』


「え、憶えて、ないの?」


『原稿、ないん?』


  どうやら両者にとって想定外の事態が発生していた。


「うそうそ。あんたこの本の精霊でしょ?  何で憶えてないの?」


『うちは本の意思であって、本そのものやない。そりゃ、大まかな内容は憶えとるけど、そんな一字一句完璧にとかは無理や』


  おい。大丈夫だ。おい!  ねえ!


「……なんか言ってるけど、どうする?」


『うちはイヤやわぁ。あんな恐ろしい人。相手したない』


「んー!!」


 現在オレは、両手両脚を拘束されて、猿ぐつわを咬まされ、部屋の隅に転がされていた。

  確かに、やりすぎた感はあった。ちょっと反省してる。だが、この仕打ちはあんまりにもひどくないか?


「あたしも、ミナセがあんなに熱くなってるの初めて見たから、ちょっとどう対応して良いかわからない」


『ありえへんわぁ。女の子の、それもいたいけな口の中に刃物突っ込むやかて、どんな野蛮人の発想なん?  それに万一考えても普通やらんやろ。あぁ、まだ痛いわぁ』


 うそつけ。舌の回り絶好調じゃねぇか。もう、時間がないんだ。ギャグパートは終わり!


『あれや、複製本取り寄せたたらええんやない?』


「いや、それがあんたの本取り扱ってる店ないのよ」


『えぇ、そんな悲しい話知りとうなかったわぁ』


  終わりって言ってんだろ!


「かわいそうだし、そろそろ……」


『やな』


  先輩がそっと猿ぐつわを外してくれる。手脚の拘束は外してくれないみたいだが、まあ良い。


「黄金に染まった稲の中を、一人の女の子が歩いていました」


「ん?」


『っ!?』


「第一項、一行目だ」


「もしかして……」


「蠢くような川の流れに、子狐は瞬く間に飲み込まれてしまいました。第二十六項、十八行目」


『あんさん……』


「天から降り注ぐような流星は、女の子と子狐の瞳に焼き付いています。第四百五項、十九行目だな。内容は全部、完璧に頭に入ってる。だから、問題ない」


  最初は狐のルーツを知りたくて、書籍商の姉ちゃんに探してもらったのがきっかけだ。だが、途中からそんなこと忘れて読みふけった。

  たく。なんでこんな素敵な作品から、あんな憎たらしい精霊が生まれるんだよ。


「稲の黄金は好きなんだ。さっさとやるぞ。オレが読み上げる」


「さっすがミナセ」


『あんさん……』


「なんだよ」


『男上げたやん!  カッコええで!』


「うるせぇ!」


「紅茶淹れてくる」


 長い長い過去プロローグが終わって、ようやく今が始まる。










「なあ」


『はいな』


  作業を開始して二時間、休むことなく続けて、今五分の一といったところか。


「お前、ちゃんと書いてるよな?」


  狐は、サラサラと墨を含ませた筆で書いているが、それが大和の国の文字であり、オレや先輩には読めないのだ。なので、もし間違いがあってもわからないし、そもそも、こいつがきちんとオレの話す通りに書いてるかさえわからない。


『はて、お前とはどなたですか?  ちなみにうちの名前は小春、言うんやけど』


「ちゃんと書いてますか、小春さん!」


  あー面倒くせぇ。


『そんな疑わんでも、ちゃあんと書いとるよ。安心しぃ。うちは書道二級や。書き間違いもあらへん』


「それはすごいのかすごくないのか」


「食べ物買ってきたよ」


  買い出しに出てくれてた先輩が帰ってきた。今回先輩は全面的にサポートしてくれている。


「あと、風呂沸いてるから、どっちか入っちゃって」


  風呂だと?


「いやいや、家主の先輩をおいて先には入れませんよ!」


  オレもそこまで図々しくない。


「大丈夫。あんたはどうせそう言うと思って、私先に入ってるから」


  え、じゃあ先輩の残り湯……


「で、何か気持ち悪いから沸かし直してる」


  金持ちの発想め!


『あんさん、顔に出すぎや』


  え、マジで?


『あと、あんさん先にもろうてき。うちは後でええから』


「わかった」


  こいつに遠慮する理由はない。


『それとも……一緒に入る?』


  着物のすそをチラリと上げてみせた。


「言ってろ。狐が」


 先輩の家の風呂は、脱衣室が既にオレの家の風呂より広かった。正直、先輩と狐を二人きりにするのはかなり心配だ。さっと汗だけ流して出よう。


『ねえ』


  シンシアだ。やはりこいつは狐がいるところでは絶対に出てこない。


『大丈夫かな?』


「わからん」


 だが、こいつも狐を心配している。


「平行して他の方法も探してる。大丈夫だ。オレに任せろ」


『うん』


  一声だけ呟いて、またシンシアは本に戻っていった。









『アハハハハハ! それ最高やわぁ』


  風呂から上がったオレは、となりの部屋から聞こえる笑い声に吸い寄せられた。


「それで、結局後輩の娘に投げ飛ばされて、白目むいてんの。今思い出しても可笑しくて」


『アカン、アカンよ、フィオちゃん、お腹いたい……!』


「何やってんすか」


  少しの間で随分仲良くなったものだ。


「いや、ちょっとミナセが一人遊びしてた時の話をね、」


  出た黒歴史!


『アハハ、あんさ、アハ、えらいおもろい、ふふ、学園生活送っとるんやなぁハハハ!』


  笑うか喋るかどっちかにしろよ。恥ずかしくて顔をそむける。


「たく。いいからとっとと風呂入ってこい。それ終わったら続きするぞ」


  返事をしない。くそ、なんなんだ。


「おい、いい加減に……」


「シー!」


  先輩に口を噤まれた。


「寝ちゃってるのよ」


「はあ? ……はぁ……」


  自由かよ。


「疲れてるんだよ。今朝こっちに着いたって言ってたし」


  狐は、自分のしっぽを抱き枕に、ソファの上で眠りこけてしまっていた。笑い泣きした小さな涙が、ツと頬をつたう。


「上にベッド準備してるから、運んであげて」


「仕方ないすね」


  疲れている。それはすなわち弱っているということだ。こいつに残されたエネルギーはごく僅かだということ。


「よっと。……軽いな」


  狐を抱きかかえるが、まるで重さを感じない。これも弱体化の影響か。

  文字通り羽のように軽い狐を、ゆっくり二階に運ぶ。オレの部屋より広い個室のベッドに、そっと寝かせてシーツをかける。

  チラとのぞいた寝顔は苦しげで、胸が痛い。

  部屋を出ると、先輩はまだそこにいた。


「どう?」


「苦しそうですね。まあ、当然ですが」


  明るく笑う姿も、オレをからかって遊ぶ姿も、全て狐の強がりにすぎない。


「そうか。ねぇ、あんたって小春さんのこと嫌いなの?」


「やっぱ、わかります?」


  うん、なんとなく。そう呟いた先輩は、もう何も言わなかったが、この人になら少し話してもいい気がした。


「嫌いですよ。それこそ殺したいくらいに。オレ、実はあんまり嫌いな人間っていないんですけど」


  そう思えるようになるほど、深く人と関わったことがない。


「でも、あいつだけは本当に嫌いです。何てったって、オレの生きる意味とか目的とか、全部かっさらっていったやつなんで」


「でも、助けるんだ」


「はい。あいつは嫌いだけど、死んで欲しくはないんです。あいつは、モミジの恩人だから」


  それだけは変わらない。


「別に、ほっといてくれたって、オレが絶対治してみせましたけど、それでもやっぱり、魔障なんて、治るのであれば早い方が良いに決まってます。それをあいつは、治したって何の得にもならないモミジを、治してくれた。これは何度頭を下げても足りない。だから、今度はオレが助けます」


「そうだね」


  オレのつまらない話を黙って聞いてくれた先輩は、少しだけ笑ってそういった。


「さて、私らはまだやることあるから、頑張るよ」


「そうすね」


「てかミナセってかなりのシスコン?」


「否定はしません。家族ですから」








  彼らの声が小さくなっていくのを感じながら、小春は片目をあけた。


『あほな人』


  そっと呟いて、もう一度瞼を閉じた。


  ちりん、と鈴がなる。










  復元作業二日目。


『あー!  もうイヤや!』


  作業は順調。狐も慣れてきたのか、書くペースはどんどん上がり、昨日と同じくらいの時間で、もう三分の二は終了した。


「うるせぇ。続けるぞ。ほら、筆もてよ」


『イヤや。もう、うちは疲れた!  こんなつまらん作業、やってられん』


「はぁ」


  狐がゴネ始めた。自分の命がかかってるってこと、わかってんのか。こいつは。


「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」


  結局オレが下手に出ることになる。


『そやなぁ、あんさんが優しい声で、小春、もうちょっと頑張ろう?  って言うてくれたら考えるわぁ』


「ガタガタ言ってねぇでやれよ大春」


『こ・は・る!  勝手にいかつくせんといてや!』


  この我儘狐が!  いい加減にしろよ!


「こら!  また喧嘩して!」


  先輩に怒られてしまった。


『フィオちゃん、この人がうちの名前をバカにするんよ!』


「こいつが全然言うこと聞かないんすよ!」


  ビシッと先輩が、白い紙をオレたちに見せてきた。


「……代案その三がダメになった。もう、それしかないの」


  流石に、狐と二人で黙りこんだ。


『なぁ』


「ん、何だよ」


『もう少し、気持ち込めて読んでくれん?  なんかお経みたいでつらいわぁ』


「抑揚がついたら句読点がわからなくなるだろ」


『せやけど……。せっかくあんさんがうちを読んでくれとるんや。味気ないやん』


  まあ、確かにそうかもしれない。


「しゃあねぇな。書き間違うなよ」


『ありがと』


  それからの作業は、意外とスムーズに進んだ。







『ふぅ!  終わったぁ』


「お疲れ様」


『フィオちゃん、ありがとぉ』


「まだだぞ」


  喜んでる狐に、もう一度筆をとらせる。


『はい?  せやけどもう……』


「後書きが残ってる」


『えぇ』


「ミナセ、あんた後書きも覚えてるの?」


  二人は少し引き気味だ。


「当然です。後書きも作者のメッセージですから」


『あんさん病気やな』


「うるせぇ。ほら、もうすぐなんだ。早くしろ」


『はぁい』


  もうすぐ、この二日間の是非が問われる。

後書きの写しは数分もかからなかった。


『はい、でーきた。けど……』


  何も起こらない。


「おい、本当に書き間違いはないんだろうな?」


『当然や!』


「ならいい。先輩」


「うん。はい、これ」


  先輩は小麦色に輝く、細い糸を一本取り出した。


『何やの、それ』


「その本の表紙見てみろ」


  この本には、まだ足りないものがある。それは、表紙のタイトルだ。


「今から最後の作業だ。この糸を表紙に縫い付ける。タイトルを糸でかたどるんだ」


  これは原本でも用いられた手法だ。


『おやおや、そんなことまで調べとったんかぁ。じゃあその糸は?  綺麗な色やけど……」


「当然だ。これはお前のしっぽの毛で作った糸だ」


『はぁ!?  え、うそやん、いつの間に……あ、ホンマや!  うちのしっぽが、少し貧相になっとる!』


  昨日こいつが寝ている間に抜かせてもらった。


「原本で用いられたのは赤い糸だったが、ここではあえて、お前のしっぽの毛を使う」


『せやけど、それやったら色が違わん?』


「そうだな」


  オレはまたポケットからナイフを取り出す。


『え!?  え、うそ、まさか、フィオちゃん?』


「ごめんね、小春さん」


  先輩は目を逸らさず言う。


「少しでも本とお前のつながりを強めるために、お前の血の染み込んだ糸を使う」


  精霊の血とはすなわち、図書エネルギーの塊だ。精霊の血が流れることは、そのまま魔書の力を奪うことになる。

  その点においては、昨日のオレの行動はかなり悪手だった。ただでさえ弱っているこいつを、無駄に血を流させて余計弱めてしまった。


『ふふ。あんさん、ホンマにこわい人になってしもたんやなぁ』


「手首だせ」


  もし抵抗するなら、力ずくでやる。


『ええよ?  ただし……』


  狐は挑発的な目でオレを見下ろす。


『うちのここ。首元の血を使いや。それと、そんな刃物なんかやなく、あんさんの口、歯で噛みちぎってもらおか?』


 答えるより早く、ナイフを捨てて、両手で狐を抑え込む。


「わかった」


「っ!!」


『な、え、ちょ!?』


  オレの一瞬の行動に、先輩と狐が慌てる。


 バカが。 もうガキじゃねぇんだよ。

 誰が聞いても不快な音が、小さく三人の鼓膜をゆらした。


『いゃ……』


  白い首筋に噛み付いて、肉を噛みちぎる。不快な感触はすぐに消えたが、記憶に深く刻みこまれた。


「先輩、糸を」


  口の端の血を舐めとる。


「え?  あ、はい」


  狐は、オレに噛みちぎられた首筋を抑えて、呆然としていた。


『あ、あは、あんさん、やるやないか』


「いいから糸に血を染み込ませろ」


『ひどいお人。今ちょっとびっくりしとるんやから……』


「早く!」


  怒鳴っていた。狐と先輩が肩を震わせる。

  かなり焦っていた。今回もしもダメだった場合、またゼロからやり直しだ。あとどれだけ時間があるかもわからない。余計な事にかまけてはいられなかった。


『は、はい』


 珍しく狐は文句も言わずに従った。小麦色の糸を、そっと首筋にあてて血を染み込ませる。


『これでええの?』


「ああ、あとは、この針をつかって表紙に縫い込め」


『うち、お裁縫なんかしたことないよ?』


「下手でいい。ただ気持ちを込めて縫い込め」


  気持ち、気持ちって完全に根性論だ。


『そないなこと言われても、どんな気持ちで縫ったらええの?』


「だから、生きたいとか、死にたくないとかあるだろ!」


  いまさら何を訳わかんねぇこと言ってやがる。それでも狐は、困った顔で首を捻りつづける。

  なんなんだよ。

 その時、


「変態ミナセのバカヤロー、で良いんじゃない?」


  いきなり、先輩が言い出した。


「はい?  先輩?」


  からかってる風ではなく、大真面目な表情だ。キョトンとした狐が、先輩を見つめる。そして、笑い始めた。


『プ、クク、アハハ!   ええよフィオちゃん!  それ最高やん!』


「はあ!?  お前何言って……」


「でしょ?」


「先輩!?」


『そやねん。今うちの中にある気持ちって、もうそればっかなんよ』


「ふざけんな!  きちんとやらないと、お前が……!」


『ふふ。フィオちゃんええ娘やわぁ。ありがとぉな』


「きけよ!」


『あんさん』


「な、なんだよ!」


  急に茶化すような言い方をやめて、狐は真っ直ぐにオレを見てきた。


『見といてな。ここからは、うちが気張るところや』


「お前、だから!」


「ミナセ」


  まだ狐の真意が掴めないオレに、先輩が教えてくれる。


「今は、うん、て言えばいいの」


「……わかったよ」


『ふふ。さぁ、やる時はやるよ』


  小さな針に糸を通し、大事そうに本を抱えた。








  狐が縫い付けを始めて、三十分が経った。確かに下手だったが、丁寧なそれは、少しずつ文字を形作っていく。


『あんさん』


「なんだよ。黙ってやれよ」


『うち、世界樹の開花期ってまだ見たことないんよ。今度案内してや』


 二百年以上生きてるこいつでも、まだ見たことないものがあるのか。


「さっさとやれよ。丁寧にな」


『……いけず』


  狐が最後の一文字を縫い終わった。


「……」


「……」


『なんも……起きへんよ?』


  次の瞬間、


「きゃ!」


「うわ」


『あ……』


  突然狐から物凄い勢いで青白い炎があがった。一気に狐を呑み込んだそれは、飛び火することなく、ただ狐だけを燃やす。


「おい!  なんだよこれ!」


「ミナセ! 箱が……!」


「な!?」


  それは、稲の黄金の原本を、これ以上欠けないように大切に保管していた箱。その箱が、狐と同じ、青白い炎を上げて燃え上がっていた。


「おい!  お前!」


『あんさん、アカンわ』


「何が!」


  狐の身体を包む炎は、全く熱くなかった。


「大丈夫か!  おい!」


『あんさん、うち、最初にあと四、五日って目算したやろ?  あれ、ちょっと甘かったみたいや』


「はぁ!?  何だよそれ!  ふざけんな!  そんな理由で……」


  タイムリミット、だとでも言うのか。


『ふふ。綺麗。なぁ見て。うち、綺麗やろ?』


「小春さん!」


「狐!」


  うっとりするような目で、狐は燃え上がる自分の手を見つめる。


『かんにんな』


「お……!  い……」


  ちりんちりん、と言う右耳の鈴だけを残して、狐は、跡形もなく燃え尽きた。










  狐が消えて、二日がたった。らしい。と言うのも、オレはあの後からの記憶がない。どうやら、ずっと夏風邪を引いていたらしく、そのまま倒れてしまったのだ。

  今回の件で、オーガスト先輩には本当にお世話になった。そのまま彼女の自宅から動くことも出来ずに、二日間過ごしたのだから。

 今、気分は落ち着いていた。薄情だと思われるかもしれないが、正直オレはあいつのことが嫌いだったし、あの時は必死になったが、終わってみたらこんなものだ。

  あいつが作った稲の黄金を手に取ってみつめる。あいつの血が染み込んだタイトルは、見事な朱だ。オレは、これからこれを形見に……


『ちょぉっと、あんさん?  なに、うちが死んだみたいにしてくれとるの?』


  カラン コロンと下駄の音がして、後ろからもたれかかられた。


「うわっ!  てめ!  下駄で部屋に入んなって言ってるだろ!」


『はて、てめぇとはどなたですか?  ちなみにうちの名前は小春、言うんやけど』


「狐が、減らず口を!」


『あはは!』


 こいつは生きていた。と言うより、そもそも、あの発火現象はこいつの消滅を意味していたのではなく、古い原本から新しい原本に、その意識を移しかえるためのものだった。

 もっと早く気付くべきだった。こいつのエネルギーである血の色が、いつまでたっても抜けなかったのだ。つまりはこいつのエネルギー源は失われていない。少し冷静になってみればわかることだった。

  そうと知ってれば、もう少し……


『ふふ。知っとるよ。あんさん、えらい落ち込んでくれたんやって?  嬉しいわぁ。ええ人やんな、あんさんは!』


「うるせぇよ!  準備出来たのかよ、早くしろ!」


『はぁい』


  クスクス笑う狐は、どこからみても全快だ。


『ほな、いきましょ』


「ああ」


 廊下を通って、階段を降りる。当たり前のことができる。


『おや!  あかんあかん。これを忘れるところやった』


  着物と同じ、朱色の包みから取り出したのは、青い鈴の耳飾りだ。


「まだそんなもんくっつけてたのかよ」


『嬉しい?』


「全然」


  その青い耳飾りは、昔オレが贈ったものだった。


『これだけはな、持って逃げてこれたんよ。色んなもの燃やされてしもたけど、なんとか、これだけはな』


 歩くたびに耳を楽しませる下駄と鈴の音色が、こいつの優雅さを一層引き立てる。


「なんでそこまでして持ってんだよ。安物だぞ」


 街の小物屋で見つけた、簡素な青い鈴。


『これはな、あんさんがうちにくれたものや』


「知ってるよ」


『ほな、その時あんさんが何て言うてくれたかも覚えとる?』


「忘れたな」


『うそ。あんさんは、朱も似合うけど、小春には青が似合うから、小春にやる。そう言うてくれたんよ』


 そうだ。こいつはいつも朱の着物を着ているが、昔のオレはこいつには青が似合うと思っていたのだ。


『うちは朱が好きやったから、朱以外のもん身につけるんは嫌やったけど、あんさんがこれをくれた時は嬉しくて。そんな風に言うてくれる人はおらんかったから』


  やから、大切な、うちの宝物。


「知るか」


 花が咲いたような笑顔を向けられて、目をそらす。


『やから、見つけてくれたフィオちゃんには、ホンマ感謝や』


「残念だったな。先輩これなくて」


  今日は、こいつの見送りの日だ。


『ううん、ええよ。あんさんが来てくれたしな』


  こいつはこれから、モミジのところに行くことになっている。本当は保護図書館て保管してもらうのが一番良いのだが、こいつが嫌がった。自由に出歩きたいからだそうだ。まあ、モミジなら大切に扱ってくれるだろう。

  新しい原本は、こいつが持ってる。今では、ほとんど力のない星一魔書になってしまっていたが、それはどうでも良いことだ。


『わぁぁ!  綺麗やわぁ!』


  いつの間にか、随分遠くまで来ていた。 ここは、世界樹が一番美しく見える場所。花はとうの昔に散ってしまっていたが、天を貫くような青空と、緑生い茂る世界樹は、充分美しかった。


「じゃ、オレはここまでだな」


『あら冷たいお人。妹さんの家まで送ってくれんの?』


「バカ言うなよ」


  歩きだと七日はかかるぞ。


『そう。ならお別れやね。さみしいわぁ』


「別に、今生の別れって訳じゃないだろ」


 何気なくそう言うと、狐は目を丸くしていた。


『また……会うてくれるん?』


「あ、ああ、そりゃぁな」


『ホンマに?  あんさん、うちのこと嫌いなんやないん?』


  知ってたのかよ。


「別に、昔のことはもう良いって言っただろ」


  今もこいつはうるさいし、面倒くさい。けど、


「嫌いではねぇよ」


  とたんに、狐は激しくしっぽを振り始めた。


『……ずるい人。そんなん聞いたら、欲張ってしまうやないの』


「はあ?  何がだよ」


  何か無茶な要求をされるのか。


『それやったら、今から、うちがなぁんでも一つ、あんさんの言うこときいてやる。好きに言ぃ』


  予想外の展開だ。


「な、何でも?」


『何でも』


  コクリと頷かれた。


「それなら……」


『それなら?』


「お前がいた村に、一度帰って欲しい」


『っ!』


「多分、お前もまだ、村人のこと嫌いになりきれてないだろ?  もう少し元気になってからで良い。気持ちの整理、つけてこいよ」


  激しく振られていたしっぽは、もう元気がなく、狐も俯いたままだ。


『やっぱりずるい人。そんなん言われたら、行かなあかんやん』


 こいつは、辛い過去と向き合う力をもっていた。


『ほな、次はうちの番』


「はぁ!?  なんだよ、ずるいぞ!」


『別に、そんなムリなお願いやないよ』


「な、なんだよ」


  かなり深く身構えてしまう。


『うちのこと、ちゃぁんと、小春、って呼んで?』


「は?  それなら、いつも……」


『違う。うちに言わされてやなくて、あんさんから。知っとるよ?  あんさん、一回もうちのこと名前で呼んでくれてないやろ?』


  この長いストーリーの間、ずっと心を読まれ続けていただと?


「なんだよ、それ。やだよ。言ってるだろ、オレお前のこと……」


『嫌いやないんやろ? ……お願い』


「……嫌だ」


  狐がふくれる。


『なんやのん!  もう!  ケチ!』


「うるせぇ、とっとと行けよ!」


『あぁそう!  ならもう知らん!  さいなら!』


  高らかに下駄を鳴らして、狐は遠くなっていく。その後ろ姿を眺めながら、こっそり呟く。


「じゃあな。小春」


『ふふ。ありがと』


  背後から声が聞こえた。


「うお!?  あれ、お前、なんで……!」


  ニヤニヤと笑う狐は、キセルをくるくると回す。


「幻術……?  てめぇこのやろ……」


  その時、 一瞬ガッと、両手を抑えられて、動けなくされて、


「痛!  な!?」


  首筋を噛まれた。


『ありがとうな、サクラ』


  口元から一筋の血を垂らして微笑む姿は、どこまでも狂楽的で、艶やかだった。

  その光景をオレの脳に鮮やかに焼き付けて、そして、キセルの紫煙のように、消えた。


「いって……。くそ、狐が」


  首筋の傷をさすって、手についた血を舐めとる。


「ほら、言っただろ。青が似合うって」


  もうずっと遥か向こう。青い空と緑の大地の狭間、美しく輝く朱が一点。振り返ることなく陽炎に溶けていった。

 鈴の音が聴こえた。



はい。これにて特別話 稲の黄金 はお終いです。如何でしたでしょうか?

ただ、果たして何人の方がこの長い話を読みきってくれるのかは甚だ疑問ではありますが…。

サクラの成長は如何でしたか? はい、順調に変態になってますね。いいなぁ私も美人なお姉さんの首筋に噛みつきたい。

さて、今回のお話には、生意気にもテーマがございまして、それが「生きるということ」です。正直、このテーマのこのお話が書きたくて水精霊空想観察記録を書いてる節があります。拙い文章でしたが、何かしら皆様の心に届いたならば幸いです。

さて、今回の登場人物、サクラ、小春、オーガスト先輩。彼らは、私の分身と言えるくらい自己投影したキャラクターです。彼らの経験は私の経験でもあります。

だからこそ、彼らには強く生きてハッピーエンドで終わって欲しいと思います。…シンシア? 空気ですね、彼女は。

ただ、今回登場した小春ですが、今後本編に出てくる予定は一切ございません。名前くらいはでるかもしれませんが、まあ、それだけです。ただ、もし皆様が小春を気に入ってくれた、と言うのであれば、是非是非、コメントや感想を下さい。正直、本編より気合いれて書いてますので、よっぽど皆様のご意見が聞きたいのです。よろしければどうかお願いします。また、小春の話し口調は、廓言葉でも京都弁でもなく、私の地元の方言をすこしアレンジしたものです。少しは色っぽさが出てるとよいのですが。

それでは、最後になってしまいましたが、皆様、いつもお読み頂きありがとうございます。これからも頑張って執筆していくので、是非応援よろしくお願いします。それでは!

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