特別話 稲の黄金
本日は、6000pv突破記念の特別話をお届けします。ただ、申し訳ありません。めちゃくちゃ長いです。あまりに長すぎるので2話にわけさせてもらいました。ご了承下さいませ。
お話は、季節が少しすすんで夏になっております。しかしご安心ください。本編のネタバレなどは一切ございません。
このお話の中で、ぜひ、少しずつ成長しているサクラを感じてください。
それでは、どうぞ!
「モミジ! モミジ!」
知っている。オレは、この後の結末も、そしてこれが夢だということも。
「モミジやったよ! 兄ちゃんやったんだ。これでお前の魔障も……」
十二歳のオレ。このころ髪はもう白く染まっていたが、瞳はまだ黒のままだった。
「モミジ! どこにいるんだ? モミジ!」
家の中のどこを探しても、妹は見つからない。見つけられない。
「お兄ちゃん」
「あ、モミジ、そこにいたのか!」
大切な妹。お前のために、オレは……
「もういいよ」
「え?」
「魔障、治ったから、もういいよ」
「いや、なにを、言って……」
「この人が治してくれたの」
景色は家の中から、暗い闇に変化していた。
モミジの後ろに、朱い着物をきた何かが立っていた。
『言葉の通りや。うちが妹さんの魔障を祓った。やから、あんさんはもう何もせんでええよ』
「そんな、だってオレは、このために……!」
「もういいよ。いらない」
「待ってくれ! 何が……」
朱い着物が、笑った。
『無駄な努力、お疲れさん』
「ハァ!!」
『サ、サクラ!?』
夢か……、また……。
『大丈夫? すごくうなされてたわ』
オレを心配そうに覗き込むシンシアは、そっと額の汗をぬぐってくれた。
「あ、あぁ大丈夫だ。悪い。汗ふいてくる」
気にするな。よく見る夢じゃないか。何度も見てきた夢じゃないか。だが、不思議とあいつが出てきたことは初めてだった。
時刻は午前十一時。強烈なはずの夏の日差しも、世界樹に遮られてここまで届かない。
レーゼツァイセンにやって来てから、三度目の夏だ。大陸の中でも北方に位置する皇国は、それほど厳しい夏は迎えない。特に、レーゼツァイセンは中央にそびえ立つ世界樹のおかげで、炎天下、というものがほとんどない。というのが通説だが、やはり暑いものは暑い。
オレの借りている部屋は、朝日が見えることが売りだったが、それが夏になると短所になる。
「ぷは」
冷やしておいた水を飲んでも、体の熱はおさまらない。
『サクラ、本当に大丈夫? 顔も少し赤いわ』
「日焼けだろ」
昨日も課題で一日中外にいた。全く。長期休暇に入ったのだから少しくらい休ませてほしい。
当然のように毎週課題を取ってくるリーさんを恨めしく思う。
嫌な夢を見たせいで気分が悪い。こんなときは、
「シンシア、図書館いくぞ」
本を読むに限る。
ちりん、ちりん、という鈴の音が、何処からか聞こえた気がした。
「忘れてた……」
そうだった。今日は古書市の日だった。サイウェストほどの規模ではないが、道端にいくつもの小さな露店が出来上がっており、人間でごった返していた。
「たまんねぇな、こりゃ。シンシア、ちょっと本に戻っててくれないか?」
『うん、わかった』
もし肩から落ちたら大変なことになる。大通りはダメだ。少し遠回りになるが、裏道からいこう。
なんとか人混みから脱出しようとした、その時、ちりん、ちりん。 喧騒の中、不思議と響く涼やかな音色を感じた。そして、
カラン コロン。 軽く地面を蹴る音が、少し向こうから聞こえてきて、とまった。
『あらぁ、あんさん。しばらく経つけど、なぁんも変わっとらんなぁ。嬉しいわぁ』
キセルの紫煙を燻らせながら立つそいつは、今日のオレの夢の中から出てきたかのようだった。
人と人とが互いをこすり合せるような道の中で、唯一、何故かそいつの周りはポッカリと空間があいていた。
肩や胸元を大きく露出した朱色の着物に、真っ黒な漆の高下駄を履いた長い脚は、付け根まで見えそうだ。
だが、そんなだらしのない女のような格好をしていても、こいつは気品があってカッコいい。どこか小粋な洒落者のような雰囲気のそいつは、当然だが昔と何も変わらない。
「なん、で……」
『おやおや。鳩が豆鉄砲を食うたような顔やな。あんさん、よう似合うとるよ?』
ケタケタ笑いながら、もう一度旨そうにキセルを吸う。
ちりん ちりん。鈴の音で我にかえった。
「お前……この、くそ! こい……!」
着物の女、いや、狐を捕まえて引っ張る。
『おやおや』
かつてはこいつを引きずることなど出来やしなかったな、とふと思った。
鈴の音は静かに静かに鳴る。ちりんちりん。それは誰かの声のようで、ただの音波のようで。
『あん、こんな暗がりに引っ張りこんで。何をするおつもりや? 優しくしてや?』
「外せよ」
『おや?』
「その鈴、耳障りだ」
狐の右耳についた、小さな青い鈴を指で弾く。人のこない路地に連れてきて、こいつを問いただすつもりだ。
『いやや。そんなん、あんさんに指図されることちゃう』
「……っの! ……いや、いい。で、何しにきた。狐」
『それも、いやや』
「はあ?」
『ちゃぁんと、昔みたいに、小春、呼んでくれんと、なぁんも答えん』
「何しに来たんだ、小春」
名前を聞いてわかっただろう。こいつは、オレと同じ極東大和の国出身。そして……
『せやなぁ。あそこ。あのお店』
「話をちゃんと……!」
急にオレの手をとり、妖しく微笑む。
『立ち話もなんやし、あそこで話そや?』
狐が指さしたのは、何の変哲もない小さな喫茶店だった。
「いらっしゃいませ。お決まりでしたら、ご注文どうぞ!」
店員さんが元気に接客してくれる。四人がけの卓に向かい合って座った。
『せやなぁ。うちはコーヒー。あんさんは、コーヒーでええか? 飲める?』
「バカにすんな。コーヒーで。……ミルクも」
「かしこまりました」
小さな店だったが、結構客は入っている。そしてその全員が狐を見ていた。当然だ。こいつは目立つ。
『ふふ。みぃんな、うちに見惚れとるんやな』
「いぶかしんでんだよ。その耳としっぽを」
狐の瞳は赤。髪は金に近い小麦色。そして、同色の長いふわふわした狐耳と、しっぽが生えていた。今も嬉しそうにしっぽを左右にふっている。
ただ、見惚れている、というのもあながち間違いではない。こいつは美しい。人とは思えないほど。つまり、人ではない。こいつは精霊だ。
「もう一回だけ聞く。星五魔書「稲の黄金」精霊、稲荷小春が、オレに何の用だ」
「お待たせしました!」
……店員さん、空気よんで!
『ありがとう。さて、相変わらずこの国は平和やなぁ』
「あ? そりゃ内乱中の大和に比べたらな。」
大和の国は現在、地方領主が覇を競う、戦国時代だ。こっちにいる東方系のほとんどが戦火を逃れるためにやって来た者たちだ。
『妹さんは元気なん?』
「あぁ、おかげ様でな」
半分は嫌味だ。
『おやおや、まだ拗ねてんの? うちが、あんさんを差し置いて妹さんの魔障を祓ってしもたこと』
「別に拗ねてない。ただ、虚しいだけだ」
四年前、こいつは突然現れた。死ぬ思いの努力と覚悟でオレが「水精霊空想観察記録」と契約してから、数日後のことだった。シンシアに魔障の浄化能力があると知って、その研究を始めていたころだ。もうすぐ、もうすぐ妹の魔障を治してやれる。そう思っていた矢先に、こいつは何の苦もなく、妹の魔障を治してしまった。
「禊の勾玉」。
こいつの能力、ありとあらゆる傷や病気を回復する、神のような力。
「お前にはわからねぇよ。死ぬ思いで努力して、必死に積み上げてきたものが、突然拒絶される。もういいよ、いらないよって言われて放置される。オレはただそれを捨てることも、誰かに譲ることも出来ない。ずっと抱えて放心状態だ」
後から届いた皇立図書士官学校の入学の知らせを、破り捨てる気力もなかった。
『おや、ここのコーヒー、美味しいわぁ』
「てめぇ! ……まあいい。いいんだよ、もう昔のことは。オレが今聞きたいのは、どうしてお前が……!?」
フゥーーと顔に紫煙を吹きかけられた。
瞬時に身の危険を感じて、コーヒーを狐になげつけ、距離をとる。
『おやおや、あんさん、女人に水ぶちまけられるようになったんか。成長したところもあるんやなぁ』
「そりゃどうも」
もう何人もに同じことをして、非難を浴びてる身だ。
『け、ど』
距離をとったはずなのに、すぐ後ろから声がした。包み込むように首元に手を回され、全身でしなだれかかってくる。
『早い男は嫌われるで?』
普通の女の子にやられたら、悶絶するシチュエーションだか、こいつにやられても嫌悪感しかない。
「てめ、はなせ!」
『見て』
目の前に出された細くて綺麗な指が、くるりと周囲を見るように促す。
「幻術か」
シックな雰囲気の店内が一変。大和の国で座敷、と呼ばれる個室になっていた。
「何のつもりだ」
『ここは、うちの部屋』
「はあ?」
『うちは向こうで神様として祀られとった。主に稲の豊穣をもたらす守り神として』
図書信仰はよくある話だ。こいつもそうだとは知らなかったが。
『そして、これがうちの村の稲』
座敷から切り替わり、視界一面に黄金のような稲穂が広がっていた。
「これは……すげぇな」
『やろ? うちも大好きやった。やからうちの本分でも柄でもないけど、一生懸命守っとたんよ』
頬を染めて嬉しそうに話すこいつに、嘘偽りは感じない。
『けど』
三度景色がかわった。そこには、ほとんどの稲がなぎ倒され、無惨に枯れた田畑があった。
「……蝗害か」
『せや。あんさんは理解が早うて助かるわぁ』
「でも待てよ。大和の国は、ほとんど蝗害は起こらないはずだ」
『ほとんど、な。結局は自然災害や。起こるときは起こる。それが、たまたまうちの守っとった田んぼで起きただけや。稲の病気は治してあげられる。けど、あれは流石にムリやった』
「それで、どうなったんだ?」
『うん? 皆ちゃぁんと生きとるよ? 領主が有能やったんやな。すぐに城の蓄を……』
「お前の話だ!」
思わず怒鳴ってしまった。狐も少し驚いたようで、言葉をひっこめる。
だが、すぐにクスリと笑うと、ゴソゴソと自分の懐を探し、何かを取り出した。
『これ』
「なんだよ、これ?」
指と指で、かろうじてつまめるほどの小さな紙切れ。よく見ると、焦げ跡があった。
『これ、うち。うちの残り』
「は、はぁ? 何が」
最悪の事態を想定した。だが、きっとそんなことはないと、思考から追い出す。
『うち、燃やされてしもた』
抑揚のない声は、耳元でささやかれた。
「燃やされた!?」
『うん』
景色は、すでに元の喫茶店に戻っている。
「じゃあ、何でお前はここにいる!?」
『別に幽霊やないよ? 最後の切れっぱしに残ったエネルギーで、何とかここまで来たんよ』
「だから、何しに!」
『あんさんに会いに』
真っ直ぐ見つめられながら、言われた。
「そ、それは」
『なぁんて言われるのが、男の人は好きなんやろ?』
バカにされて、遊ばれている。
「この狐が!」
「お、お客様……」
店員さんが声をかけてきた。
「何すか」
「その……他のお客様のご迷惑になりますので、そういった行いは、やめていただけませんか?」
自分の状況をよく見てみると、狐の膝の上に座って、互いに見つめあっているようだった。
「で、どうなんだよ、それは。直るのか」
『うふふ。林檎みたいになってしもて、かわいい人』
「オレは真面目に話してんだよ!」
もう一度向かいあって座り直す。
『ムリやろなぁ』
「ムリって、じゃあ……」
『思たより残っとったけど、もうアカン。うちの命も、あと四、五日やな』
笑いながら告げられ、オレは、どうすればいい?
「なあ」
『ん?」
「世界一周の旅してるってあの時言ってたよな。あれはどうなったんだ」
こいつもじゃろ先輩と同じで、自由に動き回れる精霊だ。
『あぁ、それな。あんさんらに会うて、そこでやめて帰ったんよ』
「はあ?」
『あんさんらのおかげで、世界一周するくらい楽しめたしな』
「あっそ」
こいつはそういうやつだ。気まぐれで、身勝手だ。
「帰る」
『なんやぁ、冷たいお人。もっとうちとお話ししてくれんの?』
「オレはやることがある。これ、オレの部屋の住所。カギは……お前なら、勝手に入れるだろ」
『おや。どちらへ?』
「図書館」
初めから行くつもりだったのだ。支払いを済ませて店を出る。
『ねぇ。どうするの?』
シンシアは狐が苦手だ。まあ、あんな常にひとを食ったような性格だ。普通は苦手になる。
「お前はどう思う?」
『ムリかな。少なくとも、わたしの力じゃ何もしてあげられない……』
しかし、シンシアも狐の辛さがわかってる。燃やされてしまうことは、本にとって最も悲しいことだ。
まだ時間はある。 何が? 何かしてやれることがある。 どうして?
ぐちゃぐちゃになった心を必死に抱えて、図書館にむかった。
「図書と精霊」 「精霊とは」 「焚書」
流石は教育図書館。ここは資料を探すには最高の場所だ。まとめて十数冊を卓まで移動させる。オレの読む速度ならさして時間はかからない。
そうだ。そもそも狐の場合、本全てが燃えてしまったわけではない。修復ももしかしたら可能なんじゃないか。
「ミナセ? 何してんの?」
そうだ。それがいい。ここの本全て読んで、万が一何も収穫がなければ、修復館に行ってみよう。いや、むしろそっちが先か?
「ちょっと、聞こえてる? ねぇ」
そうなってくると時間が更にたりない。もう少し読む本の数を減らすべきか。いや、そもそも、オレ一人でどうにかできることなのか?
「おい!」
「うわぁ!? なに!? あれ、オーガスト先輩じゃないすか。どうしたんすか」
「こっちのセリフ。何回声かけても反応しないし。なに? 調べ物?」
「ええ、まあ。先輩は?」
「あたしは次回作の資料探しに、てどうしたの? 何かあったんでしょ。ひどい顔してる」
『ねぇ、サクラ。オーガストさんにも相談しましょう? あんまり思いつめたらダメよ』
「わかった。いいよ。今煮詰まってたとこだし、手伝ってあげるよ」
まだ何も言ってないのに、先輩は了承してくれた。意地をはってる場合じゃない。オレの過去の話もしなくてはいけないから、正直言いたくないのだけれど、
「先輩、実は……」
何から話せばいいのか。少し考える時間がほしい。
外で古書市が催されているからだろう。館内はいつにも増して静かだ。
「きついね」
「そうすか」
「それに、初めて知った事が多くて。あんたが妹のために魔書契約したとか、どうしてそんなにヤル気がないのかとか。まあ、少なくとも、リーが聞いたら怒ると思うよ」
「たしかに」
先輩、 無駄な努力なんてありませんよ!
「けど、今大切なのはあんたのことじゃないんでしょ?」
「まだ、全然整理はついてませんけど」
「ふむ」
先輩は片肘をついて考え込む。
「その稲の黄金ってどんな装丁? 写真とかのこってないの?」
「ありますよ」
東洋魔書百貨 、1247項に写真の図解と共に詳細が記されている。
「へぇ、綺麗な本だね」
全体が小麦色の表紙に、朱い文字で題名がふってある。シンプルだけど、美しい。
「複製とかは? 私この本見たことないんだけど」
「実は、ほとんどないんです。初めは自費出版の本だったのと、その価値が認められるまで、かなり時間がかかったのと。この図書館にもないんです」
「そっか、じゃあ難しいか」
「何かあるんですか!?」
飛びついてしまった自分に驚く。
「本でチラッとみた眉唾ものの話だよ」
「それでもいいです!」
何かに使えるかもしれない。そう思えるだけでオレにとっては救いだ。
美しい稲穂の海を見て、子供達が感動の歓声を上げている。
「わぁ、すごーい!」
「綺麗だね!」
「うん!」
ふふ。そうやろ? うちの田んぼの稲なんよ。
誇らしくて嬉しくてたまらなかった。
「稲神様、今年もあなた様のおかげで……」
ちがう、ちがう。みぃんながきばってくれたおかげや。
だから、守って来れたのだ。
「稲神様!」
「稲神様ー!」
ありがとう。皆いい人や。うち、頑張るからな。まかせて。
これからも、懸命に守ってみせるから。
けれど、その不協和音が村に迫り来る。どんどん大きくなってくる音。
何? 何の音?
「イナゴだぁー! イナゴの大群だぁ!」
「大変だ! 早く家の中に入れ!」
「でも、稲が!」
「大丈夫! 稲神様が守って下さる!」
え?
「早くー!」
「逃げるんだ!」
まって。
「お願いします。稲神様。お願いします……」
こんなん、うちには、どうしようも……。
そして気がつけば、稲穂はただの残骸に成り果てていた。村人はその光景に立ち尽くす。
「ひどい……」
「今年の収穫が……」
かんにんや。守れんかった。皆かんにんして。
「あいつのせいだ!」
「……そうだ。あいつのせいだ!」
「役立たずな稲神のせいだ!」
そんな……。ちがう、うちのせいじゃ……。
「役立たず!」
「お前なんか要らない!」
「こんなやつ守り神じゃない!」
「燃やせ、燃やせ」
やめて! いやや! そんなん、やめて!
「燃やせ」
「燃やせ」
「燃やせ」
「燃やせ」
「燃やせ」
「燃やせ」
「燃やせ!!」
『いやぁあ!!』
目を覚ますと、そこに村人はいなかった。
『ここ……あぁ、せやったな』
ここはあの子の住む部屋。どうしてか、図書館に行くと言った彼を追うことは出来ずに、一人でここにやってきたのだ。
いつの間に眠ってしまっていたのか。辺りはもう真っ暗で、月明かりもない。
『気持ち悪い……』
まだ本に帰らず、この姿のまま眠ることに慣れない。汗をかいたことで着物が肌に張り付いて、とてつもなく不快だった。
「おい」
『!?』
突然声がして、不覚にも驚いてしまった。もう、周りを警戒することさえ出来ない。
『おかえり、あんさん。何や? 夜這いか? 優しくしてや』
「こい」
『うわ、ちょ、なに、なんやの?』
強く手を握られ、引っ張られる。
『あんさん、外でするのがええの? それは、流石のうちでも恥ずか……』
「黙ってついてこい」
随分長い間歩かされて着いたのは、綺麗な一軒家だった。
『あんさん? ここは?』
「先輩、つきました」
彼が何かにむけて呟くと、中から誰か出てきた。
「ん、いらっしゃい。あんたが小春さんだね」
あら綺麗なひと。
「すみません、お邪魔します。おら、行くぞ」
『ちょっと、あんさん引っ張りすぎや!』
そう訴えても、彼は手を離してくれなかった。
「なんか、前来た時より散らかってません?」
「今回は急だったから、仕方ないでしょ」
今も荷物を片付けながら話す先輩。
で、
「何でお前はそんな仏頂面なんだよ」
ソファの上にちょこんと座った狐は、みるからに不機嫌だ。
『何でって、そんなん当然や。うちはあんさんが誘いに来てくれた思おたのに、なんやのこれ? 他の女の家にあげられて、何の説明もなし。女心がまるでわかっとらん』
「タチの悪い冗談やめろ。先輩、例の物は?」
「うん、さっき届いた」
さすが。仕事がはやい。先輩が懇意にしてるだけある。
「よっと」
先輩は包みの中から、一冊の本を取り出した。
『これがなんやの?』
「みてみろ」
納得いかないような表情をしながらも、狐はページを捲る。
『白紙? ……全部?』
「そうだ。今から稲の黄金を作り直す」
今はこれに賭けるしかない。
『魔書を作り直す? あんさん何言うとん? そないなこと……』
「これを見て」
先輩が白紙の本を持ち上げて見せた。
「これは、魔書稲の黄金と全く同じ材質で出来た本なの。作った人や時代は違うけど、全く同じものよ」
『ふぅん、すごいやん。で? それがなんになるん?』
「この本は白紙だ。だから、今からここに、稲の黄金の内容を全て書き写す。それも、精霊であるお前の直筆で」
『はぁ?』
「魔書ってのは作者の想いによって生まれ、それが反映されたものだ。精霊であるお前が強くのぞんで書き込めば、もしかしたら、お前の新しい原本になってくれるかもしれない」
もちろん可能性はひくい。と言うより、全くわからない。けれど、今思いつくのはこれしかなかった。
『アハハハハハ!』
『あんさん、かしこなりましたなぁ!うちはびっくりや。けど、まだ阿呆なところはそのままや』
「どう言う意味だ」
『大前提が間違うとる! 強い想い? うちは別に、あんさんに助けてもらお思て来たんやない。最後の余生を楽しく過ごそうと、あんさんをからかいに来ただけや。残念やったな』
キセルをくるりと回して、咥え込む。
『お嬢ちゃんも、色々してくれたみたいやけど、かんにんな。うちは別に、』
激しく鈍い音を響かせながら、オレは、左手で狐の耳を握り、そのまま後ろの壁に押し付けていた。キセルが床に転がる。
『!?』
「ミナセ!?」
「ふざけんなよ……」
『な、なにがや!』
「かっこつけてんじゃねぇよ! 本当は死ぬほど辛くて悲しいくせに! なにが余生だ! 自分は傷ついてません。弱ってません。そんなふりして何になる!」
村人に裏切られて、ズタズタに引き裂かれた自分の心を。
こいつは見て見ぬふりをしている。
『勘違いや! うちはホンマに……』
じゃあ
「じゃあ、何で、お前は今泣いてんだよ!」
狐は、その美しい瞳から、大粒の涙を零していた。
『ちがう、ちがう! これは、あんさんが非道いことするからやっ!』
「このっ! 強情狐がっ!」
右手でポケットからナイフを取り出して、それを狐の口に叩き込む。
「ちょっと! ミナセ!」
『な、なにを……』
「生きるってのは、辛くて悲しくてしんどいんだよ! 当たり前だ! でも、どんなに絶望しても、死にたくなったとしても、本当は生きていたいんだよ、オレ達は!」
こいつのせいで、オレの生きてきた意味を、生きていく希望を失った。
オレは何がしたいんだ。何をすればいいんだと、思考の海に溺れて死にたくなった。何もしたくなかった。
けど、生きていたかった。だから生きてる。
こいつのせいで死にたくなって、こいつのおかげで生きてる。そんな奴に目の前で、軽々しく死んでもいいなんて言って欲しくなかった。
「だから、お前は辛い気持ちに負けんな。そんな下らないものに流されて、生きることを放棄するな!」
途中から、誰のために、何のために話しているのか、自分でもわからなくなっていた。
『非道い……』
狐が呟いた。だが、それは、
『やめて、かんにんして、燃やさないで! かんにんして、お願いよ……』
オレに向けてではなかった。
『うちは、うちは頑張ったやん。稲の病気を治し続けてきたやん。やのに、やのに何で、何でそんな非道いことするん?』
口腔に突き入れられたナイフで舌がきれるのも構わずに、呟きつづける。
『だいたいやっ! うちは本や。神様やない。みんなに読んでもろて、嬉しい、楽しい、言うてくれたらそれで良かったんや』
叫びのような声は、血と一緒に吐き出される。
『やから、やめて。燃やさんといて。お願いや。お願いやから……!』
オレはナイフを抜いて、狐の耳から手を離した。狐は崩れるように床にへたり込んでいく。
「どんな気持ちだ?」
『辛い。 悲しい 。もう、死んでしまいたい。けど』
涙と血でベトベトになった顔で、オレを見た。
『死にたくない……! 死にたくないよ……! あんさん……助けて……』
「わかった。まかせろ」
そのために、ここにいる。
すみません、続きます




