呑気かてめぇは!
「せ、先輩……!?」
「ミナセ……! あんた、それ……!?」
先輩が指差すのは、オレが持っている三冊のノート。あと一冊は机の上に広げられたままだ。きっとここまで走ってきたのだろう。先輩の赤くなった顔がみるみるうちに白くなっていくのが見て取れた。そして、フッと力を失ったかのように両膝を地面についた。その時かなり痛そうな音がしたが、先輩はきっとそれどころではない。
「見た」
問いかけですらない確認。白い顔は無表情で、まるで人形のようだ。
「いや、その、これはですね!」
「見た、見られた? え、見たんだ」
先輩も混乱している。ペラリと、シンシアがページをめくる音だけが、間抜けに室内に響く。
「フフ、フフフ。アハハハハハハ!」
「せ、先輩! 落ち着いて!」
突然笑い出す先輩に身の危険を感じて、叫ぶ。これはまずい。オレから目を外して下を向いた先輩は、小さな声で何かを呟き始めていた。オレにはわかる。
詠唱版述式転化だ!
先輩が紡いだ詠唱が、目に見える文章の羅列となって彼女の全身を包み込む。
「先輩! それダメなやつ! 先輩!」
オレの声など聞こえていない。先輩の詠唱はどんどん加速していく。それに伴って、取り巻く文章が回転を始め、先輩の右腕に集約されていく!!
「見えざる者よ 今は亡き者よ 我が願いに従い その姿顕現せよ!」
先輩の右腕を包む文章が光輝き、一瞬室内を白く塗りつぶした。
うすく右目をあけると、見えてきたのはいつもと変わらぬ姿の先輩、ではない。
彼女はその長くて細い右腕を、巨大な突撃槍へと変化させていた。その太さは彼女の胴と同じくらいで、少し振り回せばこの部屋を両断出来そうな程長い。これは、名門貴族オーガスト家秘伝の、肉体変化の述式転化だ。自身の身体を分子レベルで操作、改造する大技。実際に目にするのは初めてだった。
「せ、先輩? 大丈夫ですか? 落ち着いてますか?」
「……ろす」
「え……?」
「殺す!」
ダメだ! 全然落ち着いてねぇ! 表情は普通に戻っているように見えたけど、そもそも、その普通がすげぇ好戦的な人だった。
「それを見られたらもう生きていけない! あんたを殺して私は逃げる!」
「ちょっとぉ!? そこは一緒に死ぬって言って下さいよ!?」
「ムリ! あんたと心中とか死んでもイヤ!」
「矛盾してませんか!?」
「父様、母上、ごめんなさい!」
「オレに謝って下さい!」
『ねぇ、サクラ続き貸して』
「呑気かてめぇは! 命の危機だぞ、しっかりしろ!」
『あら、そうなの? 「 いいわ、オーガストさん、だったかしら? かかってらっしゃい。存分に相手してあげるわ!』
「いや、何故煽る!? そこは止めに入れよ!」
「あんた、自分だけじゃなく、精霊にまで見せて……! 何か言い残すことはある!?」
いかん、先輩やる気満々だ。肉体変化の述式転化使いとの戦闘など洒落にならない。何とかして止めないと。何だ。何がある? どうすればいい。どうすれば先輩の気をそらせる?
必死に周囲を見回して、目に入ったものがあった。そうか、この人がここまで取り乱している原因、これを上手く使えばこの場を収められる。それに、さっきから言いたくて言いたくて仕方なかったんだ。今ここで言ってやる!
「ヒロインの個性が足りない!」
『……?』
「……ッ!?」
オレの突然の一言に、シンシアは訝しみ、先輩は動揺する。予想通りだ。
「今時、こんな平凡な主人公では読者はついてきませんよ。女性キャラは同性からどれだけ指示を得られるかがキモです! このままじゃダメです!」
『私には何を言ってるのかわからないけど……』
「だ、だって……」
「あと、何ですかこの時々挟んでくるポエムは! 小説なのか詩なのかはっきりして下さい!」
「それは……素敵かなって……」
「そして何より! 王子様がパーフェクト過ぎる。イケメンで頭も良くてお金持ちで優しくて、しかも強い!? なんだこれは! 許せねぇ!!」
『ちょっとサクラ、私情を挟むのはやめなさい。』
「お、王子様はそれくらいじゃなきゃだめ! そこは譲らない!」
先輩にもポリシーがあるのだろう。その表情は打って変わってクリエイターのものだ。だがダメなものはダメだ。
「いいですか先輩! ギャップです。ギャップが重要なんです。ダメなところがあってこそ、良いところが輝き、萌えるのです。こんな理想の大安売り、読者はうけつけませんよ!」
『さっきからブーメランの雨嵐ね。書いてて辛くはないのかしら』
「そ、そんな……」
ガシャン。先輩は再び床に膝をついた。突撃槍の先端が、少し床を削り取る。危なかった。あんなもの、一撃でもくらえば即死だ。
先輩の突撃槍が白い煙を吐き始めた。巨大な槍が、もとの細い腕に戻っていく。
「やっぱり、私、才能ないのかな……」
先輩の小さな呟きには、諦めや悔しさよりも、納得の雰囲気が滲んでいた。
才能の有無。おそらくこれは、作品を作る者全てに立ちはだかる問題なのだろう。誰しもがそんな不安と闘いながら、作品を作っている。気の強いオーガスト先輩でさえ、その例外ではない。
「そうかもしれませんね」
「少しは取り繕ってよ」
クスッと、オーガスト先輩は笑った。しかし、オレの話は終わっていない。
「でも、そうじゃないかも、しれないじゃないすか」
今度は先輩は笑わなかった。顔を上げて、オレをじっと見つめてくる。
「誰に才能があるかなんて、オレにはわかりません。わかる、という人も信用していません。ただ一つ、あなたの作品を読んで思ったことがあります」
「なに……?」
「続きが読みたい」
嘘偽りない。正直な感想だった。展開はめちゃくちゃだし、王子様は気に食わないしで、悪いところを挙げたらキリがない。しかし、不思議と話の続きが気になる小説だったのだ。
「ほ、ホント? 嘘じゃない?」
「嘘じゃないです」
『本のことに関して、サクラは嘘つかないわ』
「それに、こんなに一生懸命書いているんです。あまり卑下するのはよくないですよ。書ける。それも書き手にとって大事な才能です」
オレはしゃがんで、四冊のノートを先輩に手渡した。
先輩はノートを大切そうにギュッと抱きしめる。一粒だけ、彼女の瞳から雫が零れ落ちた。
「うん。 ありがとう」




