続き読みたい
やばい やばい やばい!
淡い桃色一色の道を全速力で走り抜ける。春の小川沿いのこの道は、彼女の気に入りの通学路だったが、今は小川のせせらぎも、世界樹の花の匂いも、まるで頭に入ってこない。
全てはあいつのせいだ。海底都市王・乙姫。あいつさえ、こなければ。いや、あんな登場の仕方さえしなければ、きっとこんなことにはならなかったはずだ。
フィオ・オーガスト 、皇立図書士官学校で一、二を争う有名人だが、彼女がここまで焦っている姿を見たことがある人間は、一人もいないだろう。まして、その原因など見当すらつくはずもない。
あの三人は部屋から出ただろうか。もし万が一、「あれ」を見つけられていたら、私の学校生活が終わる……!
迂闊だった。海水でやられてしまったことがショック過ぎて、まさかそのまま置いてきてしまうなんて! 全身に冷たい汗をびっしょりとかきながら、フィオ・オーガストは述式転化を用いて更に加速を繰り返した。
「ぜぇっ はぁ、はぁ、はぁ!」
十八の階を気合いで昇りきっていた。普段は当然書動リフトを利用するが、待ってる時間が惜しい。何より、混雑するリフトにこのような汗でベトベトになった状態で乗ることは避けたかった。
まだ何人もの生徒が各部屋に残っていたり、次の講義に行こうとしてたりで、多いに一目がある。道行く生徒全員が、自分に気づくと、小さく悲鳴を上げて廊下の端に飛びのく。また、変なウワサを立てられるんだろうか。そう頭の隅でうんざりするが、今はそれどころではない。
大丈夫。きっと大丈夫だ。自分に強く言い聞かせる。もう直ぐ次の講義が始まる。ミナセはともかく、リーのことだ。こんな時間まで部屋にいるとは考えにくい。そうであれば、ミナセや乙姫も無理矢理引っ張ってくれるだろう。
少し平静を取り戻しつつある頭で、何とか希望を見出しながら、リーが簡易的に修復したであろう扉を蹴り開けた。
扉を開ける。リーさんと別れて、オレだけでまたチーム299の部屋に戻ってきていた。
「ちーっす。て、誰もいるわけないか。うーん、やっぱり磯臭いなぁ」
自然の力とは恐ろしいものである。あの人はもはや天災だからな。
『それより、急がないといけないんじゃない?』
「ん、そだな」
じゃろ先輩の襲来で濡れてしまっていたが、流石はドラグスピアさん印の証書。防水加工は完璧で、綺麗に水を弾いてくれていた。何気に気がきく人なのだ。
「んじゃ、行くか、て、お? なんだこれ」
オーガスト先輩の机から、何冊かのノートがはみ出していた。当然防水加工などされているわけもなく、それらのノートからは、ポタポタと雫が垂れて床を湿らせている。
「講義用のノートか? あー、だからあんなになってたのか、あの人」
確かに、オレも今とっているノートが全て無に帰したとなれば大変困る。成績には反映されないが、一応テストはあるのだ。
「シンシア、これどう思う? 今から乾かしたら、少しでも読めるようになるかな?」
破れてしまわないように、そっとノートを持って机の上にひろげる。四冊あった。
『え、そんなこと私に聞かれても。でも、そうね。やらないよりは良いんじゃない?』
「だよな」
述式転化で風を生成して水分を飛ばす。別に先輩の持ち物なので、こんなことしなくて良いのだが、あんな様子を見せられては、何かしてあげずにはいられなくなる。
「よし。まあ、こんなものだろ」
ノートを開いて確認する。ところどころペンで書かれている箇所は滲んでわからなくなってしまっていたが、それ以外は思ったより復元できた。これなら先輩も喜んでくれるだろう。
ただ、
【だめ、月が私たちのことを見てるわ】
【構わないさ、見せつけてやればいい】
【私の姫を返してもらいにきたぞ!】
【王子様…!】
【ふん、とうとう現れたか。だか残念だったな王子。貴様の姫はすでに……】
【ふふ、僕は満足だよ。だって一番大切な人。貴女を守り抜くことが出来たんだから…】
【弱気になってはダメ! 貴方は私と……】
【愛しているよ…… 姫……】
【いやぁあぁあ!】
明らかに講義とは関係ない事柄が書かれていた。それもノート四冊分みっちりと。何度も書き直した跡があったり、ペンで修正や、付け足しがされていたりするところを見ると、かなり熱を入れて執筆している。いや、まてまて。まだ、先輩が書いたと決まった訳ではない。ご友人から借りたものかもしれないじゃないか。そう思って何気なくノートの表紙も見ると、
「フィオ♡オーガスト」
と書かれていた。
「マジか……。マジか……」
『ちょっとサクラ、それ取って。続き読みたい』
「はい」
『ありがと』
何で名前書いちゃったかなぁ。隠したいのか主張したいのかどっちだよ。しかもなんで♡なんだ。まずいなぁ。思わず読んじゃったし。余計なことしなきゃ良かった。
これは、このまま放置しても誰かが読んだこと、少なくとも乾かしたことは一目瞭然だ。リーさんに少し話を聞けば、それがオレだとバレるのも必至。
一体全体どうしたものかと頭を悩ませる。ただ、どうしても気になることがいくつかあって、考えごとに集中できない。ひとまず、ここにいるのはまずい。ノートをさっさと片付けて、次の講義に行こう。時間稼ぎにはなるはずだ。
その時、オレの背後から突然破壊音がして、振り返る。全身汗びっしょりになったオーガスト先輩と目があった。




