出会い
「お願いだ! 話を聞いて! せめてこのドロだけでも……」
先程までのクリスタルの宮殿も現在の汚泥も、全て彼女の意識によって生み出せれたものだろう。だとしたら、消滅させられるのは、この場においては彼女しかいない。
『うるさいっ! 乙女の寝室に断りもなく入ってくるなんて許せない!』
「待って!? 寝室ってなんだよ! オレはただ契約を……」
『問答無用ーー!』
そう言って少女が右手を高く掲げると、朱い書物が空中に飛び上がった。そして停止し、背表紙が妖しく明滅し出す。ページがゆっくりと開かれたと思えば、今度は超高速で繰られはじめていく。うなる紙面はその中程で動きを止めた。すると、今度は黒いインクの文字だけが浮かび上がる。光る文字が空中を駆け回り、徐々に記述させた文章を再形成していくーー
『来なさい! 蒼槍の水騎士!』
少女の叫びから生み出されたのは、流水によって構成された、巨大な軍馬とそれにまたがる全身鎧の蒼い騎士。体内に激流を宿す、水精霊の忠実な下僕だ。天井を突き破りそうな高さから、クリスタル色の兜で覆われた顔をオレへと向ける。
『やぁっておしまいなさいっ!』
狼に怯えていたのがバカらしくなるほどの絶対的な死の圧力だった。
「う、あ」
言葉にならない声をあげてしまう。
魔書との契約には、リスクがつきまとう。書がより強力であればあるほど失敗した時の代償は絶大だ。オレは、その身に耐え難い代償を支払わされようとしていた。
ゆっくりと、水流の騎士がせまりくる。じりじりと後ずさるが、その距離は広がらない。今度こそ、本当に助からない。本日二度目の死を覚悟した。しかし、二度目ともなると、その質が変わってくる。どうせ死んでしまうのならーー
全力を尽くしてからでないと、死ねない。
「水精霊!!」
聞こえていようがいまいが、関係ない。伝えなけれはならない。叫ばなければならない。そのためなら命すら惜しくはない。そうだった。初めからオレ自身のことなどどうでもよかった。辛い作業に心を奪われて、一番大切なことを忘れてしまっていた。
「妹の魔障を治して欲しい! 治したい! このままじゃ、あいつは一生本が読めない。それは、それだけはダメなんだ! 約束したんだ、大切なことなんだ。大切な妹なんだ! だから」
オレの瞳には蒼い騎士も、美しい精霊も映ってはいなかった。一度だけ、初めて男と男の約束をした、父の背中だけが、見えていて、自身と重なっていた。
「あいつが、モミジが、本を読めるようにして欲しい。僕を殺すなら殺していい。その代わり、妹を治せ! 僕の命を使ってでも、あいつを治せ!」
何よりも大切な約束と、誰よりも大事な妹のために、ここまできた。
想いの全てを言葉にこめて、過酷な現実にぶつかっていった。