よかったじゃない
レーゼツァイセンの街を見下ろす、樹高千四十メートルの高さにその部屋は存在した。部屋一面に張り巡らされたガラス窓からは、はるか東方、ユーラシジャス自由都市同盟の山々までもが見渡せる。その巨大な窓を背にした椅子に一人の男が座っていた。中肉中背、顔立ちも普通の、これと言って特徴のない男だ。ただ、その男の両腰におさめられた、二本のナイフのみが黒い鞘を不気味に光らせている。
コツコツと、広い室内に静かなノックの音が響く。
「入っていいよ」
男がゆっくり答える。入ってきたのは、二人組みの若い男女だった。
「どうしたの」
男の問いに二人は答えない。かわりに、女の方がため息をつきながら発言する。
「会長、もう少し威厳のある話し方をして下さいと、私がお伝えしたのはつい昨日のことですが?」
「あ、あぁ、ごめん。ついね。わかってるんだけどね」
会長と呼ばれた男の返答に、女が苦々しい顔でもう一度ため息をついた。よく見ると、女は白、男は黒の皇立図書士官学校の制服を着ていた。
「まあまあ、女史。それが会長の良いところでもあるんだから」
ニコニコと笑うもう一人の長身の男が女生徒をなだめた。
「わかりました。今日は例の件についてお話しがあって参りました」
「例の件って?」
座った男のとぼけた声に、女生徒の額に青すじがはいる。それを見て笑いながらも、長身の男が補足した。
「皇立図書士官学校生徒会選挙の件ですよ」
月曜の朝ほど憂鬱なものはない。休みが終わった喪失感、一週間が始まる倦怠感。ただ始まるだけなら構わないが、オレ達学生は、どうしたって講義に出ないといけない。
『あら、珍しいわね。サクラが自分から起きてくるなんて』
「今日は朝一で仕事があるからな」
課題達成の後の休みを、丸々寝て過ごしたというのに、まだ疲れが残る。非常に面倒なのだが、先輩とリーさんに厳命された仕事だ。こなさないわけにもいかない。朝の準備を早々に済ませて外に出た。
「あ、お、おはようございます」
部屋の外の廊下で声をかけられた。朝よく会う女生徒だ。例によってダルいので、会釈だけして彼女が出発するのを待った。だが、待てど暮らせど彼女が動こうとしない。
「……?」
不審に思って顔を上げると、見知った娘がそこにいた。
「あ、検索の……」
「は、はい。そうです」
この前の課題の時、オレ達にヒントをくれた女生徒だった。ここの住人だったのか。両手をもじもじさせてこちらを窺うように見てくる。
「その、お仕事の方は……」
おそらく、この娘が誰かに「恋文の技法」の検索を頼んだのは一度ではない。どこかのチームが課題を受けるたびにやっていたことだろう。そりゃ、結果だって気になるはずだ。
「あぁ、ありがとう。おかげで無事課題達成できたよ」
「ほ、本当ですか!」
まるで自分のことのように喜んでくれた。良い娘だなぁ。
「ありがとうございます! これでやっと『恋文の技法』が借りられます!」
「え、そこも本当だったの」
「はい。私色々事情があって、本の貸し出し禁止されてたんですけど、図書士の方がお仕事を手伝ったら、また貸してくれるって言って下さって」
なるほど、そういうことか。ドラグスピアさんもなかなか抜け目ない人だ。事情とやらも少し気になるが、嬉しそうな彼女に今尋ねることではないだろう。
「あの、私もう行きますね。本当にありがと
うございました!」
深く一礼して走り去っていく。大きく後ろ髪を揺らして走る彼女は、これから講義ではなく、図書館に行くのだろう。朝からいい気分にさせてもらった。
『よかったじゃない。喜んでもらえて』
「そうだな」
シンシアが少し不機嫌になっていたが、その理由はわからない。




