怖がりすぎだよ
仮眠室の外は真っ暗で、辺りがよくわからない。誰のせいかと問われれば、オレのせいだったかもしれない。
「これじゃあ、危なくて歩けませんね」
そう言うとリーさんは、例の九冊の書から一冊を取り出し、術式転化で光を生成した。瞬きする間に灯りをともしてしまった。
「さて、本を返してしまいましょう」
「あぁ、そうだ、な?」
ピタリと、突然リーさんの足が止まった。どうしたのかと思って振り返ると、これまでとは一転、真っ青になった彼女が、廊下の真ん中で立ち尽くしていた。
「どうしたの? リーさん。早くしないと術式転化切れちゃうよ」
余談だが、オレの術式転化は数十秒しか持たない。
「い、いえ、なんだか、声が聞こえませんか?」
「声?」
「はい、女の子のすすり泣くような……」
ふむ。どうやらリーさんはそういうオカルトチックなことは苦手らしい。声が震えている。そう言えば、少し前の話でも幽霊がどうとか言ってたっけか。
「なに言ってんの。ちょっと暗いからって怖がりすぎだよ」
「いや、良く耳を澄まして下さい! ッ! ほら、また!」
もはや悲鳴に近い声のせいで、耳を澄まそうにも聞こえないのだが。ただ、確かに家鳴りとは違う、人の声のような音がしないでもない。
『ひっく……、ぐすっ……』
いや、聞こえた! 確かに女の子の泣き声がする。
「ほ、本当だ」
「ちょっ! 否定して下さいよ!」
聞けと言ったり、否定しろと言ったりめちゃくちゃだ。聞こえてしまったものはどうしようもないじゃないか。
『うぅ……、ぐすっぐすっ……。暗いよぉ……、怖いよぉ……」
もはや感違いや幻聴ではない。確実に何かがそこにいる。オレは幽霊というものを信じている。と言うか、魔書やら精霊やらが存在してしまっているこの世界で、幽霊はいないとする方が不自然だ。なので幽霊を怖いとは思わない。いるところにはいるだろう。ただ……
「せ、せ、せ、先輩! ど、どうしますか、どうしますか! と、とにかく今すぐ除霊師の方を読んで、術式転化で爆破しないと!」
隣でこうも錯乱されると、オレまで怖い気になってきてしまう。
「リーさん落ち着け。図書館爆破とか洒落になんないから。テロだから。あと、ちょっと離れて、痛いから! って何これすごい力!」
腰にガッチリと両手を回されロックされてしまっている。
こんな可愛い娘に抱きつかれているなんて、とんでもないラッキーに思えるだろうが、実際は違う。あまりに強すぎる力でホールドされているので、息ができない。短く切り揃えているであろうはずのリーさんの爪が、腹の肉に食い込む食い込む。苦しいし、痛いしで泡を吹きそうだ……!
「ちょっと! 本っ当に、リーさん、離れて……!」
『ぐすっ……、許さないんだからぁ!」』
「きゃー!!」
「ぐぅえっ!」
リーさんが叫ぶ。オレの体がくの字に折れ曲がる程、強く抱きつかれる。あまりの苦しさに意識が飛びそうだ……!
ああ、つまらない人生だった。そして何より、なんてふざけた死因なんだろう。これまでの人生が走馬灯となって流れた。
様々なことが思い出される。そのほとんどがモミジとクソジジイのことばかりだ。あとはやっぱりシンシアとのことで……ん? シンシア? そう言えばあいつは今どこで…
「あ、忘れてた」
これは不味い。非常に不味い。おそらくこの泣き声は……。
『バカサクラー!』
顔いっぱいに涙を浮かべたシンシアが飛びついてきたのと、リーさんが気を失ったのは同時だった。




