色んなところが好きなのね
「水精霊空想観察記録」は、図鑑や文芸書の類いではなく、歴とした小説だ。分類としては冒険小説になるだろう。
気弱だが、心優しい青年が美しい湖で、これまた美しい水精霊と出会い、物語が展開されていく。というのが、現在世間に出回っているごくごく一般的な「水精霊空想観察記録」だ。
しかし、今オレが手にしているこの書は、内容が違う。全く違うと言っていい。
簡潔に説明すると、作者ディアヌ・フレイヤは「水精霊空想観察記録」を二冊書いた。一冊は彼女の作品を愛する、たくさんのファンのために、小説家ディアヌ・フレイヤとして。そしてもう一冊は彼女を心から愛する一人の青年のために、ただ一個人の女性、ディアヌ・フレイヤとして。
前者は見事大当たりし、後の空想生物小説の先駆けとして、その礎を築いた。こちらの原本は皇立堅牢図書館に大切に保管されている。しかし後者は、これまで発見されていなかった。微かに残る、細々とした痕跡から、存在こそ認められていたものの、誰も原本を見つけることができなかった。
そして、それをオレが見つけた。その同時は、それはそれは大騒ぎになった。その事については、ここでの説明は省くが、今でも騒ぎは続いているとだけ言っておこう。
さて、オレの手元の「水精霊空想観察記録」だが、これは恋愛小説になっている。それも悲恋の。
青年が美しい女性の心を射止めるため、ひょんなことから出会った水精霊の力を借りて、あれやこれやと奮闘する物語だ。恋人のために贈った作品が悲恋の物語とは、作者の意図をはかりかねるが、事実だから仕方ない。
オレがこの作品を初めて読んだ時思ったことは、拙いの一言につきる。ディアヌ・フレイヤの美しい表現で構成される心象描写や、読者を魅了する物語の精巧な展開はなりをひそめていた。
しかしだ。それでもと言った方が良いのか、オレはこの作品を心の底から好きだと思う。確かに拙い。だが、熱いのだ。たまらなく、作者の想いが伝わってくる。そんなところに、胸が苦しくなる程好きがあふれてきてしまう。きっとこれは、作者の想い人への恋心でもあるのだろう。
『色んなところが好きなのね』
青年と想い人が初めて出会うシーン
青年と精霊が喧嘩するところ、
青年が想い人をみつめるシーン
青年と精霊が仲直りするところ、
青年が想いを告げるシーン
そして、青年と精霊がその命を絶つところ。
ニコニコ嬉しそうなシンシアは、オレの耳につかまって、肩から落ちないようにしている。少しくすぐったいのは、白いドレスの裾が耳をかすめるせいだけではない。
ページをめくる音だけが聞こえる小さな部屋で、オレはゆっくり、ゆっくりと文字を目で追い続けた。




