早く読みなさいよ……
『ちょっと!』
「んっ! あ、ああ、何だよ……」
『何だじゃないわ。またボーッとして!私の話、きいてくれてた?』
「あぁ、いや、悪い……」
『もー! そういって、いつも上の空なんだから』
プンプン怒るシンシアはいつも通りで、普段となにもかわらない。入り口は閉じられたままだ。そう、黒頭巾なんて最初からいない。オレの妄想。よくある一人遊びだった。
『何読んでるのってきいたの!』
「そんなことか、これだよ。ミリモ原作の『恋文の技法』」
読んでいた本をとじ、表紙をシンシアに見せる。もちろん、原本ではなく複製だ。
『またそれ? あなた、いつもそればっかりじゃない』
「いいんだよ、好きなんだから」
目を書に戻して、背表紙をゆっくりと撫でる。
「だいたいこれはだな、著者初の書簡体小説で、主人公が複数の人と手紙でやり取りしながら、一つ話の流れを多面的に描き出しているという名作で……」
『もー、うるさい! わかったから』
オレの説明を遮って、シンシアは両腕を組んでそっぽをむく。こいつはいつもそうで、オレの本に対する想いや感想あまり聞いてくれない。そのくせ、オレが本を読んでいると、こうしてちょっかいをかけてくる。迷惑な話だ。おかげでこいつと出会ってからというもの、オレの読書時間は大幅に削られた気がする。
『そ、そんなのよりさ……』
「ん、なんだ?」
オレに背を向けて、後ろ手に組んだ両手を忙しなく動かしながら、シンシアは消え入りそうな声でささやく。
『……さいよ』
「え、なんて?」
『私を読みなさいって言ってんの! 何度も言わせないでっ!』
フ、と笑みがこぼれてしまう。
「なんだ、そんなことかよ」
『なによ』
かなり拍子抜けしてしまった。
「いや、何かもっと無茶なこと言われるかと思って」
右手の指を小さく鳴らす。すると、奥の本棚からフワフワと浮かびあがって、オレの手元まで一冊の本が飛んでくる。
金の装丁の朱い書物はズシリと重たいが、不思議とオレの心を軽くしてくれる。
「どこから読めばいい?」
そっとページを開いて、目次をゆっくり指でなぞる。オレの指が通った場所の文字がキラキラと光っては、また何の変哲もないものに戻る。
『ん? んーとね……』
「なんだ、はっきりしないな。だったら最初から……」
『そ、そうじゃなくてね、その……』
『あなたのね、その、す、好きな所を、読みなさいよ! ばか!』
言葉の途中からいきなり怒りだした。
「うわ、やめろ! なんで怒んだよ! ちょ、変なモン投げてくんなっ」
また、何だかよくわからないモノを大量に投げつけてくる。黒い毛玉のような、フワフワした球体だ。シンシアが興奮か錯乱した時に出現するようだが、実は本人もよくわかっていないらしい。そんな物を投げててくるなと口を酸っぱくして言い聞かせているが、なかなか治らない悪癖のようだ。
両手で顔をガードしながら耐久していると、優しい攻撃が止まった。
「……落ち着いたか?」
腕のすきまから、そろりと向こうを覗き見る。
『……いいから。早く読みなさいよ……』
背中ごしのシンシアの表情はよくわからなかったが、月明かりに映える白い肌が、耳まで赤くなっていた。




