出会い
陽は大きく西に傾き、夜の帳が下りようとしていた。このような時刻になっても、オレはまだ目的の図書を、見つけられないでいた。
「どうして! こんなに! 探しても! 見つからないんだよ!」
涙まじりの声をあげながらも、ひたすら古書を漁る。もはや、丁寧に古書を積み上げたりしている時間はなかった。しかし、それでも大好きな本を乱雑には扱えない。ジレンマというやつだ。
二階の古書も、あらかた探し終えてしまった。ここまで来てまだ見つからないのは、ちょっと不自然だ。
「もしかして、見落としがあったのか? でも、今から探し直してる時間なんてない。それか、叔父さんの話自体デマだったのか……」
その時、突然獣の咆哮が聞こえてきて、オレの身体は凍りついた。ついに、怖れていたことが起きてしまった。森の狩人達が動き出したのだ。最初の声に呼応し、次々と狼たちは唸り声を上げていく。それだけではない。その声は急激な速度で、この廃屋に近づいてきていた。
「うそだろ、いくらなんでもこれは……!」
二階の小窓から外を眺めて絶句した。もう既に数匹の狼が、この廃屋を取り囲んでいた。
「そ、そんな! まさかこんなに早く、
囲まれるなんて!」
完全にこの森の狼たちの力を見誤っていた。この動きの早さ、明らかに夜がやって来る前にオレのことを狙っていたのだ。そんなことにも気付かず、古書探しに熱中していた自分のアホさ加減に腹が立つ。
もう、逃げられない。狼たちによる包囲網は少しずつ小さくなっていた。じきにオレの喉元にも彼らの牙は届くだろう。そうなれば、抗いようがない。普通の十二歳の少年であるオレが、狼の群れに格闘で勝てるわけがない。
「はぁあ。マジかよ」
一気に気力を失った。そのせいか、一段と濃い疲労を感じる。朝からずっとだったもんな。無理もない。そりゃ疲れてるに決まってる。今更になって今日一日の努力を実感するが、結局それは何の意味もないものになっていた。
「あぁ、死ぬのか。なんか、こう、思ってたのと違うな。あっさりしすぎだろ」
死、というものはもっと劇的なものだと思っていた。いや、夢見ていた。まさか、こんなボロい廃屋で狼に襲われて死ぬなんて。なんの物語にもならないや。
立っているのもバカらしくなって、そのまま後ろへ倒れ込んだ。少しのホコリが舞い、思わず目を閉じる。
その時、どこからか声が聞こえた気がした。モミジの声だろうか。ごめんな。お兄ちゃん、お前のために頑張ったけど、ダメみたいだ。
もう、疲労が全身に回っていた。まるで眠りにつく前のようだ。何故だか父の背中を思い出しながら、少しずつ意識が遠のいていくのを感じていた。
オレを目覚めさせたのは、流れる水の音だぅた。気を失ってから、一体どれだけの時間がだったのだろう。
「ん……あ、れ、生き、てる? ってガハッ!」
何と無く横を向いた途端、大量の水が顔に直撃した。鼻や口の中に水が入り込んできて、大きく咳き込んでしまう。一体、何が起きたというのか。
それでも何とか上体を起こす。なんだ? どういうことだ? ふと気がついて身体を確かめるが、どこも齧られていない。少しずつ、混乱も治まってきた。そして、辺りを確認した瞬間、頭が真っ白になった。この一瞬のことを何と表現したらいいのだろう。ただ、一生忘れることが出来ないことだけは確かだ。それだけ衝撃的で、非現実的な光景が視界一面に広がっていのだ。
ススだらけになった壁、腐りかけた本棚、やけすぎてしまって黒く変色した書物。何もかもが古く、汚れきっていた廃屋の全てが、無色透明に輝いていた。それらはまるで美しいクリスタルのようであり、天の宮殿の如く荘厳だった。あまりの美しさに言葉を失うが、オレの身体は勝手に動き出していた。
時として、美しすぎるものは人間を拒むかのような力をはなっている。人という不完全を一切除外することで、その美しさを築きあげる。しかし、この空間はオレ拒絶してはいなかった。むしろ、オレ自身がこの空間の一部であるかのように馴染み、歓迎されているように思えた。
バシャバシャと、どこからか流れくる水を跳ね上げながら、進む。
呼ばれている。
そんな気がした。この透き通った清流の水源に、彼が求めるものがある。銀河を歩いているような気持ちで進んでいった。