人の勧めを聞きなさい
ベントナーを追いかけて走る。階段を二段飛ばしで駆け上がったそこは、保護図書館だった。この街でも特に貴重な図書を大量に保管している場所で、はっきり言ってここではあまり闘いたくない場所だ。しかし、相手はそんなこと気にしてはくれないだろう。ゆっくりと大扉を開ける。
館内は静かだった。時々外から何か爆音が聞こえてくるが、防音処理が施されたこの場所には、それほど響いてこない。
「誰も、いないのか……?」
「そんなわけないだろう」
オレの呟きに、反応する声があった。その主は、本棚の影からぬっと現れて、オレの行く手を塞いだ。
「お前……レンベ・レンベルトか!」
サラリと長い滑らかな銀髪に、細面の顔立ち。そこだけ見れば、物憂げな美青年なのだが、その肉体の異常さが、彼の印象を大きく変えていた。
丸太のように太い四肢、はち切れんばかりに隆起した胸や腹の筋肉。筋骨隆々というよりも、さらに筋肉が異常発達したその肉体は、頭部の小ささとあいまって、普通の人間の肉体に、頭の部分だけイチゴでも乗せたかのようなバランスになっていた。
「ほう。私を知っているのか」
当たり前だ。その不自然なまでに発達した肉体を駆使して、ありとあらゆる格闘技の世界チャンピオンに君臨した男だ。近年は格闘界を引退し、自身の筋肉を鍛え上げるだけに執心していると聞いていたが、こんなヤツまで引っ張りだしてきていたのか。
「私は対アレックス・コーエン、生徒会長用に呼ばれた人間だが、運悪くそのどちらにもまだ会えていない」
静かに話すレンベルトには、知性すら感じさせる。
「まあ、仕方ないさ。私は、私の仕事をしよう」
レンベルトの青い瞳が、しっかりとオレを捉えたその時、
「どりゃあ!!」
保護図書館の壁をぶち破りながら、一人の男が現れた。
「シェアラを撃ったのはどいつだぁ!!」
婚約者の負傷に、頭の芯まで殺気立っているカランザ先輩だった。
「お前かぁ!?」
「いや、それは私ではないな」
カランザ先輩の怒号をひらりとかわすレンベルト。その背後に、ニヤニヤと笑いながら歩く小男がいた。
「そう。レンベ・レンベルトじゃないわ。あいつ、ベン・ベントナーの仕業よ。だがら落ち着きなさい」
「っ! 副会長!」
そして音も無くオレの隣に現れたのは、エメラルドグリーンの長髪をなびかせた副会長だ。
「あいつかあぁ!!」
「だから落ち着きなさいって」
広い保護図書館のロビーの中、五人の人間が相対した。
気が遠くなるような時計の音がする室内で、パチリとレイ・ドラグスピアは目覚めた。目覚まし無しで目を覚ましたのは実に久しぶりのことである。
「あ、起きた?」
そのドラグスピアの眠るベッドとベッドの隙間を、ひょっこりと覗きこむ人間がいた。
「んん、久しぶりにしては、いい目覚めだネ」
グッと両手を後ろに伸ばして伸びをする。起き上がったドラグスピアの目に映り込んできたのは、一人の若い女。
「あなた、今この街がどんな状況かわかってるかしら?」
女は燃えるような赤い髪を短く肩口で切りそろえていた。緑と黄の軍服はあまり似合っていない。
「知ってるヨ。『雪街』が発動しそうなんでしょ?」
「知ってて眠ってたのね」
そう。何故なら、
「ボクには関係ない話だからネ。一日の三分の二を眠ってるボクには、外のことなんかどうでもいいんだ」
「それでたくさんの大切な人が絶望したとしても?」
「そんな人、いないヨ」
口にしてから、ふと気づく。次目覚めた時に人がいるならば、それはきっと自分だと言った彼を思い出した。
「ひどいな。約束が違うじゃないか……」
「ん? どういうこと?」
こっちの話だヨ。ドラグスピアは枕を抱いて、頬を膨らます。ただ、少し考える。もし「雪街」が発動したならば、どうせ他に出来ることもないのだ。彼はもっと自分の側にいてくれるのではないか。それならば悪くないな。ニヤリと暗い笑顔を浮かべる。
「まあいいわ。あなたに『雪街』発動を邪魔する意思がないなら」
「ないネ」
即答する。
「あなたの魔書『眠れる海の美女』は、この世のありとあらゆるものを眠らせてしまう。それは精霊すら例外じゃない」
「そうだネ」
「あなた、アレックス・コーエン、生徒会長、竜宮城乙姫。この四人にはそれぞれマークがついていたけど、みんな大丈夫かしらね」
まるで興味がないとばかりに、ドラグスピアはヒラヒラと手を振って、もう一度横になる。
「まあ、私は私の仕事をすればいいか。このままあなたが眠ってくれるなら、それも楽でいいけど」
「君のためじゃないけど、ボクは二度寝するつもりだヨ」
「そう。ならいいわ」
そう言うと、二人は本当に興味なさそうに、それぞれ好き放題振る舞う。
「あ、でも今回の契約者、サクラ・ミナセは少し可哀想ね。『雪街』が発動したら、その瞬間の巨大な文書エネルギーに当てられて即死しちゃうんだか……」
赤毛の女の言葉が最後まで音になったかならないか、ギリギリのところで、女は突如巨大な何かでぶん殴られた。
「ギャ!?」
そして、時計の山に頭から突っ込み、ピクピクと動いていたが、やがてそれも止まった。
「今のは、聞き捨てならないネ」
巨大な砂時計を担いだドラグスピアが、ベッドの上に立っていた。
「他の人は知らないけど、サクラ・ミナセに何かあっちゃ困るんだよネ」
一日の三分の二を眠る彼女は、どうしたって他の人間と合わない。それは、時間でもあり、話でもあり、状況でもある。何もかもが合わない。しかし、
「あ、姉さん、いや兄さん。起きられましたか」
サクラ・ミナセだけは違う。彼だけが、ドラグスピアが眠り、そして再び目覚めた時にそこにいた初めての人間だった。
「まあ、ただ講義サボって本を読み進めてただけなんだけどネ」
それでも、彼女と時間を共有できる人間は珍しく、貴重だった。
「彼に死なれちゃ困る。どれどれ、ボクも仕事しますか」
レイ・ドラグスピアは、ゆっくりと仮眠室から出て行った。
五人が対峙した保護図書館。数の上ではこちらが有利だが、総合的な戦力で言えば、そうもいかない。それほどまでに、このレンベ・レンベルトは強力な戦士だった。しかし、レンベルトは頭を左右に振ると、オレ達に背を向けた。
「女性と闘うのは本意ではない。これでも格闘家の端くれだ」
その発言に、副会長の眉が不快そうにピクリと動く。
「大変いい心がけね。でも、私も覚悟を持って戦場に立っているわ。そんな風に扱われることは心外よ」
レンベルトは振り返り、副会長をまっすぐ見据える。
「そうか、それは失礼した。だが、私にも誇りがある。あなたは敵として認識出来ない」
どうやら二人の議論は平行線のようだ。その二人の会話に、焦れるように割り込んだのはカランザ先輩だ。ガシガシと両手の甲を打ち合わせている。
「どうでもいい! オレはシェアラを撃ったあの野郎をブチのめしたいだけだ!!」
「同意ですね」
オレも、仇をカランザ先輩に譲るつもりはない。
「クク、オレ様は人気者だな。だが、今は相手出来ない。レンベルト、ここはお前に任せる」
「いや、だから私は女性とは……」
「言い方を変えようか? 仕事だレンベルト」
その強い口調に、レンベルトは一瞬眉をひそめたが、やれやれと首を振ると、オレ達に向き合った。
「流石にそれを言われてしまうと弱い。仕方ない。闘おう」
その瞬間、レンベルトが消えた。
「え?」
そして、ズドン、とまるで大砲でも撃ったかのような轟音が耳元でした。
「ぐ、ゴ……」
それは、副会長目掛けてレンベルトが拳を振るい、カランザ先輩がガードした音だった。
「え、な?」
「うらぁ!!」
両手をクロスしてガードするカランザ先輩が、レンベルトに頭突きをする。ガン、と激しい音がして、レンベルトが一歩退がった。
「女とは、闘わないんじゃなかったのかよ」
「時として、仕事は誇りすら凌駕するものさ」
「はっ!!」
二人の会話中、副会長が棘のついたムチを振るう。それはレンベルトの胸を強打するが、
「なっ!?」
傷一つつけない。
「物理攻撃で私を倒すつもりなら、四十センチ砲を用意することを勧める」
異常発達した筋肉の壁の前に、全てが弾かれる。
「なら、これはどうかしら?」
副会長が右手を上げると、レンベルトの背後から巨大な二つの食虫植物が出現し、その口から酸の唾液を飛ばす。しかし、振り返ることなく両の裏拳を背後に叩きつけると、それだけで食虫植物が爆散した。
「どりゃあ!!」
その隙にカランザ先輩が間合いを詰めて、怒りの鉄拳をお見舞いする。人体の急所、鳩尾を正確につくその攻撃は、見事命中するが、
「人の勧めを聞きなさい」
レンベルトは顔色すら変えない。それどころか、片手でカランザ先輩の右腕を掴むと、
まるで小枝でも折るかのように、粉砕した。
「グ、どりぁあ!」
それにも怯まず、左のストレートをレンベルトの顔面に叩き込むが、スウェーでひらりと交わしたレンベルトは、そのままカランザ先輩の拳に頭突きで返す。これも嫌な音がして、先輩の拳が壊れたことがわかった。
「水騎士!」
カランザ先輩に隠れて接近していたオレの水騎士が、必殺の槍をぶち込む。が、それも圧倒的な筋肉の鎧に阻まれて、霧散していく。
「なんつう硬さだよ!」
「くそっ!」
両手をダラリと垂らしたカランザ先輩が、後方に飛んで間合いをはかる。が、
「学習しない子供達だ」
下の樹面が足の形でくっきりと陥没するほどの走り出しで、その間合いを詰め、
「こ、の……!」
カランザ先輩が述式転化で生成した土の壁をタックルでぶち壊す。
「はっ!」
左の正拳をカランザ先輩の顔面に打ち込む! 先輩も紙一重で首を振ってかわすが、かすっただけの頬の肉が、ごっそりと削りとられた。
「食らいなさい!」
副会長が棘のついたムチでレンベルトを拘束しようとするが、
「フン!」
腕力で破られてしまう。
「なんなんだよ、こいつは……」
オレ達三人の攻撃を物ともしない。それでいてレンベルトの攻撃は一撃一撃がこちらの致命傷になり得る破壊力。これまでの敵とはまるで違うその強さに、足が震えそうになる。




