別にいいよ
会場はシンと静まり返っている。先程までの熱気は消え去り、皆、ただただ息を飲んで戦場を見つめていた。会場は土埃と舞い散る木屑や葉で、何も見えなくなっている。
「土埃が晴れるぞ!」
「副会長はどうなった!?」
途端にざわめきが広がっていく。全員が副会長の安否を心配していた。その中で、
「これは、どういうつもりかしら……?」
水騎士の巨大な槍は、副会長の一寸隣、防御のため副会長が生成したのであろう分厚い樹壁を深々と貫いていた。その切っ先は、地面深くまでめり込んでいる。
「……警告です。次はありません」
「……」
スゥッと水騎士が霧になって消えていく。会場の雰囲気が変化していた。それは、ただ副会長を応援していただけのものではなく、負けを悟ったような空気。彼らは諦めたのだ。
行ける、そう思った。
「わかったでしょう。あなたはオレに勝てません。リタイアしてください」
最後通告のつもりだった。流石にここまでやったのだ。心が折れているはず。そう思っていた。だが、
「ふふ。本当にそうね。私じゃあなたに勝てそうもないわ。でも」
するすると伸びてきた蔦が、オレの身体を絡め取っていく。そして全身を縛り上げると、空中へオレを高く掲げた。もちろんオレは抵抗しない。する必要がないからだ。しかし、何のつもりだ? もうオレに攻撃が効かないことはわかっているはず。そうこうしているうちに、オレの高さは地上から十メートルを超えた。ちょっと怖い高さだ。生身なら発狂している。
「でもね、これは試合。ルールがあるの」
ストン、とオレは立たされた。そこは、観客席。近くの観衆の視線がオレに集まる。
「……え?」
「じょ」
「じょ」
『場外ーーー!! ミナセ選手場外!! 規定により勝者は……』
小さく副会長が右手をあげた。
『美しき副会長! リーリエ・S・ジューン!!』
会場は一拍遅れて、怒号と歓声が爆発した。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
湖面月鏡を解除して抗議する。
「あれはオレの分身というか、虚像だ! 本当のオレはここにいる!」
『ノー!! 何だろうが、あの瞬間会場にいのはサクラ・ミナセ、あんた一人だ。抗議は認められないぜ!!」
「そ、そんな……」
「ごめんなさいね。これもルールなの」
ペタリと脱力してその場に座り込んだオレの頭を、副会長が撫でた。
「あなたの敗因は油断ね。まあ、よくあることだわ。勝負では負けても、試合では負けられないのよ、私は」
澄ました顔で事もなげに副会長は言い放つ。
『もう !もう! だから余裕ぶるなって言ったのに!!』
シンシアが一人激怒して、オレの頬に蹴りを入れてきた。
「はあ、全くミナセ先輩。あなたと言う人は……。詰めが甘いというか、何と言うか」
「はい。すみません」
『再三相手にリタイアを促しておいて、自分は反則負けとはのう。かっこ悪いにも程があるぞよ』
「はい。その通りです」
試合が終わって控え室。オレはその場に正座させられ、皆からお説教を受けていた。だが、オレにも言い分はある。
「だって! まさか副会長があんなにメンタル強いとは思わないじゃないですか! 普通リタイアしますよ、あれだけやれば!」
絶対に攻撃が当たらないことと、こちらの火力。普通の人間ならすぐ戦意喪失するはずだった。
「生徒会長になろうって意気込みの人が、そう簡単に折れるわけないでしょ」
オーガスト先輩が腰に手を当てて言う。まあ、それを言われると返す言葉もない。
『本当になに考えてんのかしらね、サクラは』
シンシアはもう怒っていなかったが、そのぶん呆れの成分の強い溜息をはく。
『久しぶりに頑張ったと思ったのに……』
そう、オレが久しぶりに頑張った試合は、あっけなく終了した。それでも、これでも頑張ったのだ。そのことは変わらない。だから、
「お疲れ様。お兄ちゃん。私は闘いのこととかよくわからないけど、よく頑張ったね」
そう、この言葉が欲しかったのだ。流石モミジ。よくわかっている。モミジの言葉に、周りの皆もやれやれと肩をすくめて、
「まあ、ミナセにしては頑張ったんじゃない?」
『少しは、労ってやるかのう』
「ミナセ先輩、お疲れ様でした」
口々にオレの検討を讃えてくれたのだった。
オレの試合が終わった翌日、オレはチームの皆から一日の休養をもらっていた。要は、頑張ったご褒美である。ならばと思い、モミジと祭りを楽しもうと誘ってみたのだが、素気無く断られてしまった。どうも、お兄ちゃんと遊ぶより、オーガスト先輩達と遊ぶ方が楽しいみたいだ。兄離れしていく妹に、嬉しさと寂しさの両方を感じる。
『サクラ、おはよう! ねぇ、お祭り見に行きましょうよ!』
シンシアは今日も変わらず元気だ。休養日だと言うのに、朝から叩き起こされた。
「おいおい。まだ七時じゃねぇか。もうちょっと寝かせてくれよ」
『その時計、昨日あなたが壊して止まってるの!もう正午よ!』
なるほど、確かに世界樹の陰に隠れた太陽は、頂点に達しているようだった。
「しゃあねぇな、もう」
『やった!』
バキバキになった身体を起こす。「湖面月鏡」は長時間、もしくは一日に複数回使うと、肉体にシビアな影響が現れるのだ。
『どこに連れて行ってもらおうかしら!見たいお店もたくさんあるの!でもやっぱり選挙の準決勝は絶対見逃せないわね!』
バトルは見るのも、するのも大好きなシンシアだ。
「じゃあ、試合は午後からだから、それまで外回るか」
『うん!』
冷蔵庫から牛乳を取り出して、コップに注ぐ。シンシアは、部屋に毎朝放り込まれる学校新聞に目を通していた。
『サクラのことも載ってるわよ!』
「別にいいよ」
自分が負けた試合についてなど、何を書かれていようが見たいとは思えなかった。そんなことより、飯だ。昨日の夜は、あまりの疲労で寮に帰るなり、夕食も取らずにベッドにダイブしてしまっていた。おかげでかなり腹が空いている。食堂はもう閉まっているはずなので、適当な買い置きの食材をあさる。
「あれ、パンがあったと思ったけど、シンシア知らないか?」
『ええ、知らないわよ』
「おかしいな」
屈んで、冷蔵庫の中に何かないかと見てみようとした時、突き出したオレの腰が、テーブルに当たった。その結果、
「あ」
『ああ!』
テーブルの上にあった飲みかけの牛乳が入ったコップが倒れた。しかも、それがなんと、同じくテーブルの上に置いていた、水精霊空想観察記録にかかってしまった。




