緊張してるの?
「生徒会長選挙の予選の組み合わせが出ましたよ」
一日一日と日は進み、今日はもう学祭前日になっていた。
「待って、予選って何?」
学祭の分厚いパンフレットを持ってチーム299の個室にリーさんが入ってくる。そして伝えられた内容に思わず席から立ち上がってしまう。リーさんはパンフレットをペラペラとめくって、ある一ページを開く。
「今年は例年よりもずっと参加人数が多かったそうで、いくつかの組に分かれた予選と、本戦に分かれるそうですよ」
「ふーん、今年は生徒会長が出ないことが反映されてんのかね」
オーガスト先輩の言う通りだ。生徒会長は最高学年のため出場しない。絶対王者の不在、また、じゃろ先輩の不参戦なども影響しているのだろう。もしかしたら、と思う連中が多いのだ。
「何人参加するの?」
「六十四人ですね。それを八組に分けて、各組一人ずつが本戦に出場することになるそうです」
「つまり、オレはその予選で負ければいいんだな」
「ふざけないで下さい。最低でも予選くらい突破してくれないと話になりません」
オレの言葉をリーさんが青筋を浮かばせながら訂正する。
「予選は八人が一同に戦うバトルロイヤル方式です。ミナセ先輩の組には幸い、それほど強そうな人はいらっしゃらないようですし、勝ってもらわないと」
無茶を言う。リーさんから受け取ったパンフレットの、オレの予選の組を見ると、ポッター兄弟の弟がいた。あと、
「あ、ジークもいるのか」
決闘と暗殺の専門家。決して手ぬるい相手ではない。むしろ、相手にとってはオレが手ぬるい。ぬるぬるだ。
「まあ、頑張りなよ」
ふふと笑って言うオーガスト先輩は、絶対楽しんでる。
「リーのミスコンも楽しみだし、今年は面白い学祭になりそう」
『私も頑張る!』
パッと突然出てきたシンシアが拳を握る。白いサマードレスの裾をひらひらと揺らしている。
「はあ、もう腹をくくるしかないのか」
「そうですよ! 皆で成績を勝ち取りましょう!」
オーとそれぞれがそれぞれの気持ちを込めて、拳を掲げて学祭前日の午後は終わった。
夜の十時を過ぎても、街並みにはキラキラと灯りがついている。世界各地から祭りにやってきた人間たちが、前夜祭をしていた。いつもは学生ばかりなので振る舞われることのない酒が出回っていて、皆もう出来上がっている。そんな姿を、寮の自室から見下ろしていた。
『もう、みんなお祭りムードね』
「そうだな」
眼下で浮かれる人間達に混ざって、獣人の姿も見える。
『でも私、この雰囲気好きよ。みんなが楽しそうで幸せそう。いつもこうだったら良いのに』
「そうだな」
『……お腹空いたわ』
「そうだな」
『なに、ひょっとして緊張してるの?』
「してるに決まってるだろ」
まさか自分が選挙に出るとは思ってもみなかった。これまで二年間、どこか別世界のように観戦していた激闘の中に、自分が入っていく。想像するだけで手が震えた。別に闘うことが怖いとか、痛いのがイヤだとか言う訳ではない。いや、決してそれがゼロではないのだが。なんと言うか、こう言う世界の表舞台のような場所に、自分が立とうとしてることに、違和感を覚えて仕方ないのだ。拳を握りしめていると、その手に、シンシアの小さな手が重なった。
『大丈夫。あなたは大丈夫よ。ちゃんと世界に出ていく力を持ってるわ』
優しく溶けるような声で言われた。
「シンシア……」
『私がついてるもの。それに、リーさんだって、オーガスト先輩だって、ちゃんとあなたのことを見てる。そうでなきゃ、選挙にあなたを推したりしないから』
そうだろうか。リーさんなんかは完璧に成績のことしか考えてなさそうだったけど。
『だから大丈夫よ。むしろ、喜ばなくちゃ』
シンシアは柔らかく微笑みかけてくれた。
『私達が初めて全力を出せる場所だもの。楽しみましょうよ』
「そう、そうだな」
シンシアと契約して以来、こいつの力を自由に、自在に使ったことは一度もなかった。強すぎる力を、いつも抑えて、押し止めてきた。
『頑張りましょう。自信を持ってね』
「ああ、頼むぜ」
シンシアの頭を優しく撫でてやると、くすぐったそうに、彼女は笑った。
次々とやってくる列車から、津波のように人が降りてくる。祭り当日の駅は、ただひたすらに人間でごった返していた。毎度のことだが、この混雑だけはどうしても慣れることは出来ない。
「ええと、たしかこの列車のはずなんだが……」
『モミジ見つかるかしら?』
「見つからなきゃ困る」
祭りを楽しみたいなら、当日こうしてやってくるのではなく、前々からレーゼツァイセンに来て泊まっておくのがベストだ。しかし、うちの頭の固いじじいは、モミジにギリギリまで休みを与えなかった。全く、おかげでモミジが人波に揉まれることになってしまった。今度会ったら心の中でぶん殴ってやる。
キョロキョロと辺りを見渡すが、人、人、人でなかなかモミジを見つけられない。それでも
「お兄ちゃん!」
人波の中から声が聞こえて、なんとかモミジを見つけだす。
「おうモミジ! こっちだ!」
両手を高く掲げて自分の居場所を示す。
「お兄ちゃん! 久しぶり! しーちゃんも!」
「おう! よく見つけられたな」
人波をかき分けてやって来たモミジは、少し息が上がっている。
「ふふ、だってお兄ちゃん目立つもの。その真っ白な髪。染めてっていつも言ってるでしょ」
人差し指でオレのこめかみをこづくモミジ。今日は黒のロングスカートに茶色いセーター、その上に毛編みのポンチョを被っていた。地味なコーディネートだが、よく似合っている。
「ってあれ、モミジ一人か?」
「うん、あのね……」
あの祭り好きの女狐の姿が見えない。
「列車が嫌なんだって。なんかガタガタ揺れるのが気持ち悪いって言ってた」
『じゃあ来ないの?』
女狐が苦手なシンシアは、喜んでいいものかと、何とも微妙な表情をしている。
「どうかなぁ。気が向いたら来るって言ってたよ」
「じゃあ、本当に来るかどうかわかんねぇな」
あいつの心の中を推し量れる人間などいない。来年の天気を予想するようなものだ。まあ、いないならいないで別に良い。
「さて、行くか。街の中も、ここほどじゃないけど混雑してる。はぐれるなよ。もしはぐれたらチーム299の個室集合な」
「うん、わかってる!」
モミジが頷いたその時、大きな音が鳴って、空に花火が上がった。
「始まったか」
『やったぁ!』
皇立図書士官学校、秋の学園祭の始まりだった。




